伊号第二百一潜水艦
伊号第二百一潜水艦 | |
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戦後の伊201 (1945年11月9日、佐世保沖) | |
基本情報 | |
建造所 | 呉海軍工廠 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 一等潜水艦 |
級名 | 伊二百一型潜水艦 |
建造費 | 12,325,000円[1] |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
起工 | 1944年3月1日 |
進水 | 1944年7月22日 |
竣工 | 1945年2月2日 |
除籍 | 1945年11月30日 |
その後 | 1946年3月、艦的艦として海没処分 |
要目 | |
基準排水量 | 1,070トン |
常備排水量 | 1,291トン |
水中排水量 | 1,450トン |
全長 | 79.0m |
垂線間長 | 76.0m[2] |
最大幅 | 5.80m |
深さ | 6.70m[2] |
吃水 | 5.46m |
機関 |
マ式1号8型過給機付内火機械x2基[3] 特E型1,250馬力電動機x4基[3][4] |
推進 | 2軸 |
出力 |
水上:2,750bhp 水中:5,000shp |
速力 |
水上:15.8kt 水中:19.0kt |
燃料 | 重油:146トン[3][4] |
航続距離 |
水上:14ktで5,800海里 水中:3ktで135海里 |
潜航深度 | 安全潜航深度:110m |
乗員 |
定員36名[5] 特修兵教員最大29名[6] |
兵装 |
九六式25mm単装機銃x2挺 九五式53cm魚雷発射管x4門(艦首4門)/九五式魚雷x10本 |
レーダー | 22号電探x1基 |
電池:特D型x2,088基[4] |
伊号第二百一潜水艦[注釈 1](いごうだいにひゃくいちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊二百一型潜水艦の1番艦。太平洋戦争末期に竣工したが訓練に終始し、戦後アメリカに引き渡された。
艦歴
[編集]マル戦計画の潜水艦高、第4501号艦型の1番艦、仮称艦名第4501号艦として計画。
1944年3月1日、呉海軍工廠で起工。6月20日、伊号第二百一潜水艦と命名されて本籍を呉鎮守府と仮定し、伊二百一型潜水艦の1番艦に定められる[7]。7月22日進水し、本籍を呉鎮守府に定められる[8]。8月8日、艤装員事務所を呉海軍工廠内に設置し事務を開始[9]。
1945年2月2日竣工し、役務を呉鎮守府練習兼警備潜水艦に定められ、呉潜水戦隊第三十三潜水隊に編入[10]。8日、大竹へ回航。13日から伊予灘で訓練に従事。24日、呉に帰投[11]。
3月8日から伊予灘で訓練に従事。11日、呉に帰投。4月30日まで呉に在泊[12]。
4月15日、第三十三潜水隊から除かれ[13]、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。30日から伊予灘で訓練に従事[14]。
5月、訓令による魚雷発射実験に従事。19日、呉に帰投。5月30日、訓令実験終了後の舞鶴回航を指示される[15]。
6月4日、長鯨、伊号第373潜水艦とともに舞鶴着[16]。以後、舞鶴を基地として訓練に従事。15日、第六艦隊第三十四潜水隊に編入[17]。
8月15日、第三十四潜水隊が解隊され、第六艦隊第十五潜水隊に編入[18]。終戦時は舞鶴に所在。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。
1946年1月12日、ハワイへ向け佐世保を出港。ハワイでアメリカ海軍により調査され、調査終了後の3月、オアフ島沖でアメリカ潜水艦カイマンの実艦的として撃沈処分された[3]。
潜水艦長
[編集]- 艤装員長
- 潜水艦長
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 本来の艦名表記は伊號第二百一潛水艦。
出典
[編集]- ^ 戦史叢書『海軍軍戦備(2)』p. 95。
- ^ a b 丸スペシャル『日本の潜水艦III』p. 19。
- ^ a b c d 世界の艦船『日本潜水艦史』(2013)pp. 103-105。
- ^ a b c 世界の艦船『日本潜水艦史』(1993)pp. 136-137。
- ^ 昭和19年7月22日付 内令員第1309号。
- ^ 昭和19年7月22日付 内令員第1310号。
- ^ 昭和19年6月20日付 達第202号、内令第778号、内令第779号。
- ^ 昭和19年7月22日付 内令第892号。
- ^ 昭和19年8月16日付 秘海軍公報 第4771号。
- ^ 昭和20年2月2日付 内令第93号、内令第94号。
- ^ 呉潜水戦隊戦時日誌(昭和20年2月1日-28日)。
- ^ 第三十三潜水隊戦時日誌(昭和20年3月1日-31日)、第三十三潜水隊戦時日誌(昭和20年4月1日-30日)、第十一潜水隊戦時日誌(昭和20年4月1日-30日)。
- ^ 昭和20年4月15日付 内令第331号。
- ^ 第十一潜水戦隊戦時日誌(昭和20年4月1日-30日)。
- ^ 第十一潜水戦隊戦時日誌(昭和20年5月1日-31日)。
- ^ 第十一潜水戦隊戦時日誌(昭和20年6月)
- ^ 昭和20年6月15日付 内令第545号。
- ^ 昭和20年8月15日付 内令第735号。
- ^ 昭和19年8月8日付 秘海軍辞令公報 甲 第1557号。
- ^ a b 昭和20年2月12日付 秘海軍辞令公報 甲 第1719号。
- ^ 昭和20年11月24日付 海軍辞令公報 甲 第1990号。
参考文献
[編集]- 海軍省
- 昭和19年6月20日付 達第202号、内令第778号、内令第779号、内令員第1062号。
- 昭和19年7月22日付 内令第892号、内令員第1309号、内令員第1310号、内令員第1311号。
- 昭和20年2月2日付 内令第93号、内令第94号。
- 昭和20年4月15日付 内令第331号。
- 昭和20年6月15日付 内令第545号。
- 昭和20年8月15日付 内令第735号。
- 昭和19年8月16日付 秘海軍公報 第4771号。
- 昭和19年8月8日付 秘海軍辞令公報 甲 第1557号。
- 昭和20年2月12日付 秘海軍辞令公報 甲 第1719号。
- 昭和20年11月24日付 海軍辞令公報 甲 第1990号。
- 呉鎮守府戦時日誌。
- 呉潜水戦隊戦時日誌。
- 第三十三潜水隊戦時日誌。
- 第十一潜水戦隊戦時日誌。
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
- 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。
- 世界の艦船 No. 791 増刊第114集 『日本潜水艦史』、海人社、2013年。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 43 日本海軍艦艇シリーズ『日本の潜水艦III』、潮書房、1980年。
- 丸スペシャル No. 132 日本海軍艦艇発達史『日本の潜水艦I』、潮書房、1988年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。