コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊号第四十潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊号第四十潜水艦
基本情報
建造所 呉海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 一等潜水艦
級名 伊四十型潜水艦
建造費 20,497,200円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 昭和17年度計画(マル急計画
起工 1942年3月18日
進水 1942年11月10日
竣工 1943年7月31日
最期 1944年2月21日喪失認定
除籍 1944年4月30日
要目
基準排水量 2,230トン
常備排水量 2,624トン
水中排水量 3,700トン
全長 108.7m
最大幅 9.30m
吃水 5.20m
機関 艦本式1号甲10型ディーゼルx2基
推進 2軸
出力 水上:11,000馬力
水中:2,000馬力
速力 水上:23.5kt
水中:8.0kt
燃料 重油
航続距離 水上:16ktで14,000海里
水中:3ktで96海里
潜航深度 安全潜航深度:100m
乗員 94名[1]
兵装 40口径十一年式14cm単装砲x1門
九六式25mm連装機銃x1基2挺
九五式53cm魚雷発射管x6門(艦首6門)/九五式魚雷x17本
搭載機 零式小型水上偵察機x1機
呉式1号4型射出機x1基
ソナー 九三式探信儀x1基
九三式水中聴音機x1基
テンプレートを表示

伊号第四十潜水艦(いごうだいよんじゅうせんすいかん、旧字体:伊號第四十潜水艦)は、大日本帝国海軍が用いた伊四十型潜水艦(巡潜乙型改一)の1番艦。ただし、艦艇類別等級別表においては伊十五型潜水艦の21番艦[2]

艦歴

[編集]

1941年昭和16年)の昭和17年度計画(マル急計画)により、呉海軍工廠1942年3月18日起工。8月20日には横須賀鎮守府籍となり、[3]、艦艇類別等級別表に記載された[2]1942年11月10日進水、1943年7月31日に竣工した。訓練部隊の第一艦隊第11潜水戦隊に編入され、訓練に従事。

10月31日、伊40は第2潜水隊へ配属[4]

11月13日、伊40は横須賀を出港し、トラック島に向かう。11月19日にトラックに到着し、補給を受けた後の11月22日マキン島方面へ向かうべくトラック島を出港していくのを最後に消息不明となる。

アメリカ軍に撃沈の記録がないため、事故による沈没の可能性もある。艦長の渡辺勝次少佐以下乗員97名全員行方不明(戦死認定)。

1944年(昭和19年)2月21日ギルバート諸島方面で沈没と認定され、4月30日に除籍された。

歴代艦長

[編集]

※『艦長たちの軍艦史』413頁による。

艤装員長

[編集]
  1. 不詳

艦長

[編集]
  1. 渡辺勝次 少佐:1943年7月31日 - 1944年2月21日

脚注

[編集]
  1. ^ 乗員数は『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。
  2. ^ a b 昭和17年8月20日 海軍内令 第1554号。「昭和17年7月~9月 内令 3巻(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070164600 
  3. ^ 昭和17年8月20日 海軍内令 第1548号。「昭和17年7月~9月 内令 3巻(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070164600 
  4. ^ 昭和18年10月31日 海軍内令 第2246号。「昭和18年9月~12月 内令(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070189500 

参考文献

[編集]