コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

伊東要蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊東要蔵
いとう ようぞう
衆議院事務局『衆議院要覧』より
生年月日 1864年4月22日元治元年3月17日
出生地 日本の旗 日本 遠江国
(現・静岡県
没年月日 (1934-05-09) 1934年5月9日(70歳没)
出身校 慶應義塾卒業
前職 大阪商業講習所教頭
所属政党 立憲政友会

選挙区 静岡県郡部選挙区
当選回数 2回
在任期間 1909年7月25日 - 1914年12月25日

静岡県の旗 第8代 静岡県会議長
在任期間 1899年10月 - 1903年

選挙区 引佐郡選挙区
当選回数 2回
在任期間 1890年 - 1894年
1899年9月24日 - 1903年
テンプレートを表示

伊東 要蔵(いとう ようぞう、1864年4月22日元治元年3月17日[1]〉 - 1934年昭和9年〉5月9日[1])は、明治期の実業家政治家静岡県立引佐高等学校創立者。

経歴

[編集]
豊国銀行

遠江国静岡県)生まれ。旧姓を山田という。1879年明治12年)に東上し、慶應義塾を卒業後、三田英学校の教師になる。1882年(明治15年)慶應義塾の教員となり、翌1883年(明治16年)に大阪商業講習所教頭となる。1890年(明治23年)から1894年(明治27年)までと、1899年(明治32年)9月24日から1903年(明治36年)まで引佐郡選出の静岡県会議員を務めた[1][2][3]。また、1899年10月から1903年まで第8代静岡県会議長を務めた[4]1909年(明治42年)8月、第10回衆議院議員総選挙の静岡県郡部補欠選挙に出馬し衆議院議員となり[5]第11回総選挙でも再選された[6]

その他、浜松信用銀行富士紡績会社の要職を経て豊国銀行発起人となる。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 静岡県議会史 第2巻 106コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 静岡県議会史 第2巻 95コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 静岡県議会史 第2巻 96コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 歴代正副議長|静岡県公式ホームページ”. 静岡県公式ホームページ. 2024年10月23日閲覧。
  5. ^ 『官報』第7848号、明治42年8月21日。
  6. ^ 議会制度百年史 衆議院議員名鑑 53コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

[編集]