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佐々田懋

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佐々田懋

佐々田 懋(ささだ すすむ / すすみ、安政2年11月6日1855年12月14日[1] - 昭和15年(1940年3月27日)は、日本の実業家、政治家。島根県多額納税者[2]。佐々田合名会社社長[2]衆議院議員貴族院議員

孫・百合子は元中国電力会長櫻内乾雄の妻。

経歴

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石見国那賀郡木田村(現・島根県浜田市)の豪農である佐々田家に生まれる。佐々田家は尼子義久の子佐々田宗久が、尼子氏の先祖である佐々木氏と妻の実家の名である田中氏の名を取って創始した。和漢学を修めた。

政治家として

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浜田県会議員、浜田県十五等出仕、那賀郡会議員、島根県会議員、島根県会議長を務めた。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙に島根県第5区から出馬し衆議院議員に初当選。以来、3期連続して務める。1911年(明治44年)、島根県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され、同年9月29日から[3]、1918年(大正7年)9月28日まで1期在任した[4]

実業家として

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1918年(大正7年)、佐々田合名会社を創立して社長となり、王子電気取締役、王子環状自動車、東洋火災重役として活躍した。

1936年(昭和11年)には出雲電気社長に就任した[5]

1940年(昭和15年)3月27日に死去した。墓は島根県浜田市旭町木田の旧木田小学校裏山の佐々田家墓所内にある。

財団法人佐々田奉公会

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死去直前の1940年(昭和15年)3月、佐々田が私財を投じた財団法人佐々田奉公会が設立され、育英事業や公民館への助成などが行われた[6]。1969年(昭和44年)に浜田市立図書館が開館すると、毎年佐々田奉公会から図書館に対して多額の図書購入費が寄付された[6]。図書館内には佐々田文庫が設置され、寄贈書には「佐々田文庫」の印が押されている[6]。2013年(平成25年)3月31日、佐々田奉公会は存続期間を満了して役目を終えた[6]

人物像

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趣味は漢詩[2]撞球[2]囲碁[2]宗教禅宗[2]

家族・親族

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同妻・薫[2]
同長女・百合子[2]
同二女・豊子[2]
同長男[2]
同三女・光枝[2]
同四女・恒子[2]

脚注

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  1. ^ 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、さ32頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)サ18頁。
  3. ^ 『官報』第8485号、明治44年9月30日。
  4. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』200頁。
  5. ^ 中国電力(株)『中国地方電気事業史』(1974.12)渋沢社史データベース
  6. ^ a b c d 「佐々田文庫について」浜田市立図書館

参考文献

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  • 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)サ一八頁
  • 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 サ…39-40頁
  • 『政治家人名事典』(1990年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)239頁
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 服部之総 著『佐々田懋翁伝』亀堂会伝記刊行会、1942年

外部リンク

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先代
桜内幸雄
出雲電気社長
1936年 - 1940年
次代
絲原武太郎