コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

佐世保市立相浦小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐世保市立相浦小学校
佐世保市立相浦小学校
地図北緯33度11分36.2秒 東経129度40分5.1秒 / 北緯33.193389度 東経129.668083度 / 33.193389; 129.668083座標: 北緯33度11分36.2秒 東経129度40分5.1秒 / 北緯33.193389度 東経129.668083度 / 33.193389; 129.668083
過去の名称 山口小学校
尋常山口小学校
山口尋常高等小学校
相浦尋常高等小学校
相浦国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 佐世保市
設立年月日 1875年明治8年)10月5日
創立記念日 10月5日
共学・別学 男女共学
分校 高島分校
学期 2学期制
学校コード B142210000572 ウィキデータを編集
所在地 858-0915
長崎県佐世保市上相浦町3番9号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

佐世保市立相浦小学校(させぼしりつ あいのうらしょうがっこう, Sasebo City Ainoura Elementary School)は、長崎県佐世保市上相浦町にある公立小学校。略称「相浦小(あいのうらしょう)」。

概要

[編集]
歴史
1875年明治8年)に北松浦郡山口村に開校した「山口小学校」を前身とする。2010年平成22年)に創立135周年を迎えた。
分校
高島分校(たかしま)- 〒858-0931 佐世保市高島町336番地(北緯33度9分53.1秒 東経129度35分20.5秒 / 北緯33.164750度 東経129.589028度 / 33.164750; 129.589028 (佐世保市立相浦小学校高島分校)
教育目標
1. 一人一人を認め、支え合う心豊かな児童の育成
2. 基礎基本の確実な定着と向上に励む児童の育成
3. 困難なことにも負けないたくましい児童の育成
校章
八稜鏡[1]と波の絵を組み合わせたものを背景にして、中央に校名の「相浦」の文字(横書き)を置いている。また高島分校の校章は相浦の下に「高」の文字を置いている。
校歌
  • 作詞は中川龍一、作曲は原格太郎による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「相浦」が入る。
  • 高島分校には分校歌があり、作詞は1984年度(昭和59年度)職員、作曲は山口千景による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「高島」が登場する。
校区
  • 本校 - 住所表記で佐世保市の後に「上相浦町、木宮町、愛宕町、竹辺町、新田町、小野町(一部)、川下町、母ヶ浦町」が続く地域。中学校は佐世保市立相浦中学校校区。
  • 高島分校 - 住所表記で佐世保市の後に「高島町」が続く地域。中学校は本校と同じく佐世保市立相浦中学校校区。

沿革

[編集]
  • 1875年(明治8年)10月5日 - 北松浦郡山口村字山口の元庄屋跡に「山口小学校」が開校。皆瀬小学校より村尾美二が転任し学校経営にあたる。
  • 1877年(明治10年)7月 - 児童数増加のため、木造2階建て校舎1棟を増築。
  • 1878年(明治11年)12月11日 - 賤津小学校[2]を統合。中里小学校を統合し、中里分校と上本山分校を設置。
  • 1879年(明治12年)
  • 1881年(明治14年)- 中里分校が分離し、中里小学校として独立。上本山分校を廃止。
  • 1883年(明治16年)- 山口村川迎觸字木ノ宮(現・佐世保市役所相浦支所の裏)を「山口村の中央」とし、山口小学校本校の校舎を移転。
  • 1887年(明治20年)
    • 2月 - 小学校令の施行により、「尋常山口小学校」(4年制)に改称[3]
    • 8月 - 高島分校が分離し、「簡易高島小学校」(3年制)として独立(後に高島尋常小学校に改称)。
  • 1889年(明治22年)
  • 1893年(明治26年)
    • 4月 - 高等科(修業年限4年)を併設。
    • 5月 - 「山口尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科4年)に改称。
    • 6月 - 船越分校が分離し、船越尋常小学校として独立。
  • 1897年(明治30年)10月 - 校舎を改築。
  • 1898年(明治31年)2月14日 - 船越尋常小学校・俵ヶ浦尋常小学校・高島尋常小学校の3校を統合し、船越分教場・俵ヶ浦分教場・高島分教場とする。
  • 1903年(明治36年)6月24日 - 船越分教場と俵ヶ浦分教場が再び分離し、船越尋常小学校俵ヶ浦尋常小学校として独立。
  • 1905年(明治37年)9月11日 - 浅子分教場を設置。
  • 1908年(明治41年)
    • 1月12日 - 増築校舎が完成。
    • 4月1日 - 小学校令の一部改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長されたことにより、尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)
    • 4月1日 - 前年の義務教育期間延長により、尋常科6年を新設。高等科の修業年限を2年とする(尋常科6年・高等科2年)。
    • 5月23日 - 日野分教場を設置。
  • 1910年(明治43年)
    • 4月1日 - 高等科の修業年限を3年とする(尋常科6年・高等科3年)。
    • 5月22日 - 高島分教場を改築。
  • 1914年大正3年)6月1日 - 児童数の増加により、校舎の収容能力が限界に達したため、尋常科1年生のみ二部授業を実施。
  • 1915年(大正4年)4月22日 - 山口実業補習学校を併設。
  • 1916年(大正5年)5月10日 - 旧・登記所を仮校舎として使用できるようになったため、尋常科1年生の二部授業を終了。
  • 1917年(大正6年)
    • 4月1日 - 高等科の修業年限を2年とする(尋常科6年・高等科2年)。
    • 6月29日 - 校舎を新築し、移転を完了。
    • 12月2日 - 本校校舎落成・相浦港湾埋立竣工式を挙行。
  • 1930年昭和5年)4月3日 - 山口村が町制施行により相浦町となったため、「相浦尋常高等小学校」に改称(相浦町立となる)。
同時に併設の実業補習学校も「相浦実業補習学校」に改称。
  • 1935年(昭和10年)4月1日 - 青年学校令の施行により、併設の相浦実業補習学校が相浦青年学校に改称。
  • 1938年(昭和13年)4月1日 - 相浦村が佐世保市に編入されたため、佐世保市立の小学校となる。
  • 1941年(昭和16年)
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 旧・海軍相浦海兵団兵舎跡に大崎分教場を設置。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 旧・相浦国民学校の初等科が改組され、「佐世保市立相浦小学校」(現校名)が発足。高島分校と大崎分校を設置。
    • 旧・相浦国民学校の高等科と相浦青年学校の普通科が改組され、「佐世保市立相浦中学校」(新制中学校)が発足。
  • 1950年(昭和25年)4月 - 現在地に移転。
  • 1975年(昭和50年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1979年(昭和54年)- 校舎が完成。
  • 1980年(昭和55年)2月 - 特別校舎が完成。
  • 1984年(昭和59年)4月1日 - 児童数増加のため、新設の佐世保市立相浦西小学校へ約870名の児童が転出。また大崎分校を移管。
  • 1992年(平成4年)3月 - 体育館前が埋め立てられる。
  • 1993年(平成5年)3月 - パソコン室を設置。
  • 2002年(平成14年)3月 - 新体育館が完成。
  • 2006年(平成18年)
    • 4月1日 - 2学期制となる。
    • 6月 - プールが新設される。

著名な出身者

[編集]

アクセス

[編集]
本校
最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの国道・県道
高島分校
佐世保市街地から相浦桟橋まで
相浦桟橋から高島港まで(海路)
  • 相浦桟橋からフェリーくろしまで25分、海上タクシーじゅうふくで15分
高島港から学校まで
  • 徒歩で約15分、車で約3分

周辺

[編集]
本校

参考資料

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 読みは「はちりょうきょう」。参考:瑞花双鳳八稜鏡 - 文化庁文化遺産オンライン
  2. ^ 賤津の読みは「しづ」。1876年(明治9年)1月、相浦賤津町に開校。
  3. ^ 尋常山口小学校を修了後、希望者は、北松浦郡佐々村(現・佐々町)口石の「第十三高等小学校」に通学した。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]