倉島松男
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倉島 松男(くらしま まつお、1861年(文久元年10月[1][2]) - 1938年(昭和13年)2月10日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]下総国相馬郡高須村(のち茨城県北相馬郡高須村→藤代町、現・取手市)に生まれる[1]。漢学と英語を学ぶ。農業と商業を営み、北相馬郡内三十二ヶ村組合岡堰取締役、竜崎鉄道(株)社長となる[2]。また、茨城県土地区画改正委員、同臨時博覧会事務委員、茨城県物産販売路調査のため渡米、第四回内国勧業博覧会審査官を務めた[1]。
1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において茨城6区から自由党公認で立候補したが13票差で落選[3]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め、1898年の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1938年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。