内海町 (香川県)
表示
うちのみちょう 内海町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
廃止日 | 2006年3月21日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 内海町、池田町→小豆島町 | ||||
現在の自治体 | 小豆島町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 香川県 | ||||
郡 | 小豆郡 | ||||
市町村コード | 37321-4 | ||||
面積 | 61.53 km2 | ||||
総人口 |
12,177人 (2003年) | ||||
隣接自治体 |
小豆郡土庄町、池田町 (海を挟んで隣接) さぬき市、東かがわ市 | ||||
町の木 | オリーブ | ||||
町の花 | オリーブ | ||||
内海町役場 | |||||
所在地 |
〒761-4492 香川県小豆郡内海町安田甲144番地90 | ||||
外部リンク | 内海町(Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯34度28分42秒 東経134度18分53秒 / 北緯34.478408度 東経134.314614度座標: 北緯34度28分42秒 東経134度18分53秒 / 北緯34.478408度 東経134.314614度 | ||||
ウィキプロジェクト |
内海町(うちのみちょう)は、香川県の北東に位置する小豆島の東部にかつて存在した町。隣町の池田町と2006年3月21日に対等合併して小豆島町となり、消滅した。
歴史
[編集]- 1951年(昭和26年)4月1日 - 小豆郡の草壁町、西村、安田村、苗羽村、坂手村の1町4村が合併して内海町誕生。
- 1957年(昭和32年)3月31日 - 福田村を編入。
- 1974年(昭和49年)7月6日 - 梅雨前線による集中豪雨。橘地区で山腹崩壊が生じて7軒が倒壊して死者4人。その他の場所でも土石流が多発[1]。
- 1976年(昭和51年)9月11日 - 台風17号の集中豪雨により安田地区の川が氾濫。約2300戸が浸水[2]。孤立した岩ケ谷、竹生地区からは巡視船により住民の脱出も行われた[3]。
- 2006年(平成18年)3月21日 - 池田町と新設合併し、小豆島町が発足。同日付で内海町が廃止。
行政
[編集]町役場を「町庁」と称する。
経済
[編集]産業
[編集]- 主な産業
- 醤油産業
- 佃煮産業
- 手延べ素麺づくり
姉妹都市・提携都市
[編集]国内
[編集]海外
[編集]地域
[編集]教育
[編集]小学校
[編集]中学校
[編集]高等学校
[編集]交通
[編集]船舶
[編集]バス路線
[編集]道路
[編集]一般国道
- 町内を走る一般国道:国道436号
県道
- 町内を走る県道:香川県道28号坂手港線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 寒霞渓国立指定公園 - 四季の中でも秋の紅葉が素晴らしい。絶景を望みながらのロープウェイもある。
- 小豆島オリーブ公園
- 二十四の瞳映画村 - 『二十四の瞳』(1987年版)のオープンセットを改築、保存した建物など。
- 醤の郷
出身有名人
[編集]- 壺井栄(小説家):二十四の瞳など
- 村崎サイ(教育者) : 徳島文理大学創立者
- 伊藤君子(歌手)
- 石倉三郎(俳優)
- 石床幹雄(プロ野球選手):第一回ドラフト会議で阪神が1位指名した。
- 鳥坂九十九(プロ野球選手):近鉄バファローズ、読売ジャイアンツ[4]。
- 木下忠次郎(香川県多額納税者、丸金醤油社長)
- 木下尚慈(ユニリーバ・ジャパン社長)
- 塩田亀吉(内海醤油社長、丸金醤油取締役)
その他
[編集]- 郵便番号:761-44xx(内海郵便局が集配を担当)
- 市外局番:0879
脚注
[編集]- ^ 「土石流、家をなぎ倒す 瀬戸内3島 逃げる背に迫る岩」『朝日新聞』昭和44年(1974年)7月8日朝刊、15版、11面
- ^ ジリジリのろま台風 豪雨被害、連日各地で 団地の道路水没『朝日新聞』1976年(昭和51年)9月11日夕刊、3版、9面
- ^ 山からは鉄砲水 死者・不明二十四人に 住民、巡視船で脱出『朝日新聞』1976年(昭和51年)9月13日朝刊、13版、22面
- ^ 広報うちのみ(2005年4月号)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 内海町ホームページ(2006/02/21アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 内海町・池田町合併協議会