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出雲屋麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出雲 屋麻呂(いずも の やまろ、生没年不詳)は、奈良時代中期の官人。名は屋満[1]屋万里[2]とも記される。は無姓のち官位従五位上紫微少忠

経歴

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聖武朝天平9年(737年)4月、皇后宮職少属従八位下と現れている[3]。同11年(739年)5月、写経司に自署を加えている[4][5]、同月、「少属屋満」と記されており、北殿に出仕している'[1]。同年7月、従七位上少属とあり、同16年(744年)7月にも従七位上・少属とある[6]

天平18年(746年正六位下から従五位下に昇進する。この時「出雲臣屋麻呂」と記されているが、を賜与されたのは、翌19年(747年)6月のことで、この時、同時に茨田弓束茨田枚野宿禰姓を授けられている。同年8月には、東大寺写経所観世音経写経を宣し[7]、同年10月にはその宣により、大般若経を写経させている[8][9]

孝謙朝天平勝宝元年(749年)、従五位上に昇叙し、皇后宮職紫微中台に改編されると、中臣丸張弓吉田兄人葛木戸主とともに紫微少忠となり、引き続き光明皇太后に仕えている。翌2年(750年)正月にも少忠と見える[2][10][11]

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ a b 『大日本古文書』巻七 - 177頁
  2. ^ a b 『寧楽遺文』下巻751頁
  3. ^ 『大日本古文書』巻二 - 29頁
  4. ^ 『大日本古文書』巻七 - 177頁
  5. ^ 『大日本古文書』巻廿四 - 64頁
  6. ^ 『大日本古文書』巻二 - 352頁
  7. ^ 『大日本古文書』巻九 - 633頁
  8. ^ 『大日本古文書』巻十一 - 453頁
  9. ^ 『大日本古文書』巻十二 - 262頁
  10. ^ 『大日本古文書』巻三 - 355頁
  11. ^ 『東南院文書』巻三 - 63頁

参考文献

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