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利用者‐会話:てぃーえす

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まとめの議論に参加していただけたらと思います。よろしくお願いします。--Pica 2008年1月17日 (木) 11:09 (UTC)[返信]

司空の件[編集]

軍司空の件、ご指摘ありがとうございました。以後気をつけますので、今後ともよろしくお願いいたします。--Himetv 2008年11月16日 (日) 21:55 (UTC)[返信]

私の言い方がきつくて失礼しました。軍司空、船司空などは「司空」と付いていてもまるで中身が違うので、このことは司空の中で言及するべきだったのかもしれません。文は考えてみたいと思います。--てぃーえす 2008年11月16日 (日) 22:24 (UTC)[返信]

身体刑について[編集]

前近代において、死刑・身体刑に関して、「取り返しがつかないから」といった発想での抑制があったという例を不勉強にして知らないのですが(個別の具体例について散発的に有罪に対する反論としてそういうのが見られた、というようなものは除く)、そういう哲学があったと受け取れなくもない言辞がどこかにあったとかいう程度のものではない根拠があればご教示いただけますか。--Nekosuki600 2008年12月20日 (土) 14:33 (UTC)[返信]

(前略)其少女緹縈、自傷悲泣、乃隨其父至長安、上書曰「妾父為吏、齊中皆稱其廉平、今坐法當刑。妾傷夫死者不可復生、刑者不可復屬、雖後欲改過自新、其道亡繇也。妾願沒入為官婢、以贖父刑罪、使得自新。」書奏天子、天子憐悲其意、遂下令曰「制詔御史、蓋聞有虞氏之時、畫衣冠異章服以為戮、而民弗犯,何治之至也!今法有肉刑三、而姦不止、其咎安在?非乃朕德之薄、而教不明與!吾甚自愧。故夫訓道不純而愚民陷焉。詩曰『愷弟君子、民之父母。』今人有過、教未施而刑已加焉、或欲改行為善、而道亡繇至。朕甚憐之。夫刑至斷支體、刻肌膚、終身不息、何其刑之痛而不德也!豈稱為民父母之意哉?其除肉刑、有以易之、及令罪人各以輕重、不亡逃、有年而免。具為令。」(『漢書』刑法志)
肉刑廃止の際のきっかけとなった上書と文帝の詔です。私が根拠・参考としたのは上記と『古代中国の刑罰』冨谷至です。私は浅学の身なので、誤りなどもあるかもしれませんが、その際はそういう哲学があったと受け取れなくもない言辞がどこかにあったとかいう程度のものではない根拠をご教示いただけると幸いです。--てぃーえす 2008年12月20日 (土) 15:02 (UTC)[返信]
ご教示ありがとうございました。中国語は不得手なものですから複数の自動翻訳サイトの結果をつき合わせて20%くらいは理解できたかな、という感じですが。
さて、法制史の観点からは、(身体刑の冒頭部分にも記されていますが)「死刑」と「身体刑」というものは、現代から見てはっきり区別ができるほどの違いがあったとは言えない、というのが通説的理解となっています。たとえば、中国における「身体刑」の中に四肢切断刑(というか足切断刑)というのがあったようですが、現代ですと「単に四肢を切断するだけ」と受け止められがちですけれども現実的にはそのまま死に至る者も少なくはなかったはずです。宮刑については、受刑者のうちどの程度が生き残ったかは不明、という記述をどこかで見た記憶があります。現代的医学知識から考えても、四肢切断クラスだとショック死や敗血症などによる死亡は少なからずあったものと考えられ、「肉刑」が即座に「身体刑」であり「死刑」ではなかった、と考えることには疑問があるわけです。古代中国における肉刑は、もともと「生き延びられればめっけもんの、実は死刑に近いもの」だったのではないかと考えられるわけです。
また、「各国の事例(過去)/中国の身体刑」の部分には「逆に鞭打ちの回数が増えたり死刑の適用例が増加して死亡する罪人が増えたりした」とも記されております。肉刑の減少数と死刑の増加数のデータがないとはっきりとしたことは言えませんが、「単にあいまいな死刑を減らし確実に殺す死刑に移行しただけ」であるという可能性もあるように思います(これも現代的視点からではたいへんわかりにくいことですが、死刑というのは前近代では、別段「重罪用の刑罰」ではありませんでした。自由刑が導入されるようになる前は、現代におけるちょっと長い自由刑以上のランクは全部死刑送りになっていたと考えることもできます)。
個人的には「前漢時代に残虐な刑罰としてこれを停止したが」という表現にすでに違和感があり、「中国における身体刑は、さまざまな事情から変転がみられた」くらいの記述が限界ではないかなあと思っているのですが、いかがでしょうか。
また、現在の文面では「前漢時代に肉刑は廃止されそのまま廃止が続いた」ように受け止められるようになっていることも気になります。個人的な希望ですが、ヨーロッパでは近代になって懲役刑が普及するまで主流とはならなかった労役刑が古くから存在していたことなども含めて、トピックスよりは先に中国の刑罰制度の骨格部分をご執筆いただけるとたいへんありがたいと思っております。--Nekosuki600 2008年12月20日 (土) 15:40 (UTC)[返信]
原文をそのままコピペした不調法はお許しください。また、遅ればせながら出典を明記せず編集したことは反省しております(現版もされていませんが)。
肉刑について、「実は死刑に近いもの」かどうかは実際にそういう記述が史書等に見えるか、出土資料から分かるかしないと独自研究の域は出そうにありません。先述の『古代中国の刑罰』冨谷至1995中公新書には特になかったように思います。
「取り返しがつかない」ことを理由にした肉刑廃止とムチ打ちへの移行と、ムチ打ちによる死者増加は『漢書』刑法志に書いていますので、「確実に殺す死刑」への移行というのも『漢書』刑法志を覆す史料・研究等を提示してもらわないと独自研究でしょうね。
ただ、『古代中国の刑罰』には当時の刑には「世界からの追放」という意味合いが込められていたのではないかという説が述べられています(刺青は漢民族からの追放であり、死刑は生物界からの追放というように)。この説についてなど、宮刑を含む肉刑については大幅な改稿、加筆の必要があるというのは私も感じているところです。--てぃーえす 2008年12月21日 (日) 00:40 (UTC)[返信]

中国関係の投稿について[編集]

新規投稿数々、いつも楽しみにしております。つきましてはあつかましいお願いですが、新規投稿の際Portal:中国/新着項目にも記載いただき、記事の充実にご協力いただけると大変助かります。是非御一考くださいます様、お願い申し上げます。--隼鷹 2008年12月23日 (火) 05:34 (UTC)[返信]


即時削除について[編集]

この間はノート:曹乗に貴重なご意見ありがとうございました。

先ほど、乱立項の一つ曹矩曹操に必要なことを記入し、即時削除しようとしたところ、テンプレートを撤去されてしまいました。撤去した方は、ノートにメッセージを残すことなく、撤去したのですが、やはり強い合意を作っておいたほうがよいのでしょうか?ノート:曹矩を作り、意見を述べて、議論するつもりなので、よろしければご参加ください。お待ちしています。私個人に意見などあるならば私の会話ページ(利用者‐会話:ふくろう男)へ書き込んでください。また、加筆の可能性があるかどうか探るために、会話ページに案内を書き、知っている方に呼びかけているので、是非そちらもご覧ください。

一気にたくさん書いてしまい、すいませんでした。--ふくろう男 2009年1月6日 (火) 11:36 (UTC)[返信]