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毒蝮三太夫のミュージックプレゼント
ジャンル トーク
放送方式 生放送
放送時間 約25分
放送局 TBSラジオ
パーソナリティ 毒蝮三太夫
出演 大沢悠里
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毒蝮三太夫のミュージックプレゼント(どくまむしさんだゆうのみゅーじっくぷれぜんと)は、TBSラジオの『大沢悠里のゆうゆうワイド』内で放送されている番組

概要

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俳優タレント毒蝮三太夫が、首都圏各地の商店、工場などを訪ねてまわる公開生放送番組。1969年10月6日番組開始、放送56年目に突入した長寿番組である。

歴史

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東食時代

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かつては東食および東食食品グループ(東食の取引先企業の便宜的な集合体。三井物産食品グループや三菱商事食品グループの同類)各社がスポンサーで、『東食ミュージックプレゼント』という番組名だった。

1971年10月1日までは独立した番組であり、近石真介がスタジオでメインパーソナリティを務め、毒蝮が「番組の御用聞き」という位置付けで現場からの中継を務めるというスタイルだった。近石が午前のワイド番組を任されることになり、1971年10月4日から放送開始した『こんちワ近石真介です』よりワイド番組内包番組となる。以後の変遷は以下の通り。

なお、当初は月曜日~土曜日帯番組であった。土曜版がワイド番組に内包されたのは1972年4月22日永六輔の『土曜ワイド』が午前の部をスタートさせてからのことである。1981年2月より月曜~金曜の放送となり現在に至る。

ヨークマート時代

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1997年12月に東食が倒産。翌1998年よりヨークマートが筆頭スポンサーとなり(旧・東食食品グループ企業の一部は引き続き参加)、番組名も『ヨークマートミュージックプレゼント』に改められた。原則として水曜と金曜はヨークマート各店舗を巡回した。同社がスポンサーになったことで他のチェーンストアからの中継ができなくなった(そのことは毒蝮もしばしば口にしていた)。

2006年1月から2月にかけ、毒蝮が腸閉塞により入院したためピンチヒッターを招聘。月曜は毒蝮が病室から電話出演、火・木曜は玉置宏による“懐かしの昭和歌謡列伝”、水・金曜は三遊亭小遊三らがヨークマートからの中継司会を務めた(ヨークマート以外の企業、商店からの中継は毒蝮の復帰まで中断)。

ヨークマート時代は2007年3月30日まで続いた。その2日前、3月28日文化放送吉田照美のやる気MANMAN』に毒蝮がゲスト出演し、「3月30日でミュージックプレゼントが終了するはずだったんだよ」と、スポンサー全社の降板をほのめかす発言をしていた。

現在

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2007年4月2日から、スポンサーがマルエツエーザイの2社のみとなったが番組は継続。番組名は現在、曜日と中継先により3つに分けられている。

  • 毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』(月曜日木曜日
  • マルエツミュージックプレゼント』(火曜日
  • ナボリンミュージックプレゼント』(水曜日金曜日
    • 「ナボリン」とはエーザイの栄養保健薬の製品名である。

備考

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重大な事件が起きると放送自体を中止、もしくは楽曲リクエストを中止して毒蝮の中継レポートのみで終わらせたケースがあった。前者では浅間山荘事件阪神淡路大震災オウム真理教をめぐる事件、アメリカ同時多発テロ。後者では三島由紀夫率いる楯の会によるクーデター未遂事件、JR福知山線脱線事故新潟県中越沖地震などが挙げられる。

放送時間

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  • 毎週月曜~金曜 10:30ごろ-10:55ごろ

ネット局はなく、関東地方以外での放送、中継とも未だ実現していない。2007年2月28日、毒蝮が信越放送の『わくわくワイド!アッパレ大通り』に電話出演した際「あの番組、長野から中継できないのが残念だよ」と漏らしていた。

中継先

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現在の中継先は以下の通り。

  • 一般応募の商店や工場、企業(月曜日・木曜日)
    • 応募は『ゆうゆうワイド』放送中に電話で受け付ける(時折、大沢悠里が当番組の最後に募集告知をしている)。応募者側の費用負担はない。
  • マルエツ店頭(火曜日)
    • 中継先の店舗では、特製「蝮ちゃん弁当」が限定販売される。
  • ドラッグストア店頭(水曜日・金曜日)
    • 医薬品メーカーのエーザイがスポンサーになったことから、定期的に中継されるようになった。時には新幹線を利用して、栃木県や群馬県の店舗にまで出向くこともある。

2007年4月末頃から、番組のスポットCMが流されるようになった。毒蝮がナレーションを担当しており、主に当日の観客の呼び込みに使われている。

通常は生中継だが、毒蝮のスケジュールの都合及び休暇時(特に年末年始)は、前もって収録したものを放送している。この場合、大沢が“録音ナマ風”と称して、毒蝮との掛け合いをうまく入れている。また、2007年4月以降、火・金曜は三遊亭小遊三、水曜は三笑亭夢之助の代理司会で生中継を行っている。

なお、毒蝮は番組開始当初から毎週の中継場所の地名と名称のほとんど全てを几帳面に手帳につけており、その手帳を元にしたデータベースが『ラジオの鉄人 毒蝮三太夫』(山中伊知郎著、風塵社刊、ISBN 978-4938733728)に収録されている。因みに、第1回目の放送は東京都練馬区の甲商樹脂というプラスティック加工の町工場からであった。

番組進行

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ジングル

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現在、番組が『ゆうゆうワイド』に内包されている関係で、放送開始前に毒蝮が歌うジングルを流す。ジングルは以下の4種類を使い分けている。

  • 「大沢悠里の、ゆうゆうワイド~」
    • 「軽いねこりゃ、毒蝮だよ」
    • 「爽やかだねぇ、蝮ちゃんみたい」
    • 「うまいねぇ~、蝮ちゃんよ」
    • カーネギーホールだな、こりゃ」

以前、ジングルの用意が間に合わなかった為なのか、中継先の毒蝮が即興でその節を歌ったことがある。その時は最後に「マムシだ~」と叫んだ。

本編

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冒頭部分で、『ゆうゆうワイド』パーソナリティの大沢悠里やスタジオゲストとの数分程度のやり取り(いわゆる前説)のあと、中継先に入るパターンが定着している。

番組名が示すように、本来は家族や友人に贈るリクエスト曲を掛けるという趣旨の番組であり、かつては番組の中盤にスタジオから冠番組のパーソナリティがリスナーからのリクエストを1曲掛けていた時期もあったが、今では毒蝮と会場の観客とのやり取りが中心となっている。毎回2曲のリクエスト曲は申し訳程度にしか掛からず、時には全く掛からないこともある。

最後に、TBS954情報キャスターの紹介で、スポンサーの店舗からの場合は店長が挨拶をし、一般商店からの場合はスポンサーの商品を観客の1名にプレゼントする。

テーマ曲

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輸入盤でこの曲が収録されているCDが存在する。なお、Herb Alpert(『オールナイトニッポン』のテーマ曲“BITTERSWEET SAMBA"を手掛けた楽団)も同曲を演奏しており、こちらは国内盤CDが存在するが、アレンジが異なる。

毒蝮の話術

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毒蝮は、中継先に集まった観客らを相手に毒を吐く一方、随所で“いい話”を引き出して場を盛り上げる。中継が終わった後も、残った観客を相手に森羅万象のトークを展開(芸能人の裏話や、時事ニュースに関しての私見など)。江戸っ子・毒蝮の温かい人柄と巧みな話術が人気を博しており、常連の観客や、親子数代に渡るファンも多い。

他方、この番組は抗議の電話が多いラジオ番組としても知られる。かつては毒蝮の「ババア」発言に関するものがほとんどであったが、近年は幼児虐待が深刻化しているせいか「このガキャ」発言にシフトしているという。毒蝮はこの発言をした場合必ずフォローしているが、それでも抗議がくるそうだ。

毒舌の例

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  • 「汚ねえババア(ジジイ)だな」
  • 「くたばり損ないのババア(ジジイ)」「くたばる前に俺に逢いに来たのか?」
  • (救急車のサイレンが聴こえると)「おい、迎えに来たぞ」
  • 「○○みてえな顔しやがって」……例:「バルタン星人みてえな顔しやがって」
  • (騒いだり、泣いている子どもに対して)「うるせえなこのガキャ」
  • 「きったねえ店だな。ちゃんと客くんのか?」「この店で買ったものを食べたら、保健所が大騒ぎになっちゃうからな。気を付けるんだよ」
  • (年配の女性に対して)「いやぁ会いたかったよ。もっと若かった時にな」
  • 「店長店長、こんな綺麗な部下がいて幸せだろ。家に帰って汚ねぇカミさんと顔合わせたくなくなるよな」

毒蝮はスポンサーに対しても遠慮がなく、プレゼントのごま油を「機械油にするといいんだ」「鬢付け油のかわりになる」、紅茶を「ババアに紅茶なんてわかんねぇよな」などと言って紹介したりもする。

しかし、時に毒が過ぎてしまうこともある。かつて飲酒ひき逃げが社会問題化していた時期に発した「飲んだら乗るな。当てたら逃げろ」が、警察から大目玉を食らうほどの問題発言となっていた、と後に毒蝮が放送で明かした。

なお、毒蝮の毒舌はTPOをわきまえてのものであり、誰に対しても「ババア」と言っている訳ではない。また、「ババア」とはよく言うが、「クソババア」と言うことは滅多にない。

「ババア」発言のきっかけ

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かつて毒蝮とコンビを組んでいた近石真介によれば、当初は毒蝮がお年寄りを「ババア」と呼ぶことはなかったそうである。1973年8月に毒蝮の母親が死去、番組を休んだ毒蝮は、葬儀の席で母親の遺影を前にして子どものように泣きじゃくった。それほどまでに母親のことを想っていたのかと、近石は感心したという。

その後毒蝮が現場に復帰したところ、中継場所にやたら元気に大声でしゃべるお婆さんがいた。母親を亡くしたばかりの悲しみと元気なお年寄りへの羨ましさとが入り混じった複雑な感情も手伝い、毒蝮は思わず「憎らしいくらい元気なババアがいる」「ババア、まだ生きてやがって。オレのオフクロは死んじまったというのに、こっちはなんて元気なババアなんだ」と発言してしまう。

番組には抗議の電話が殺到した。しかし近石は、「本当に元気なババアだったらババアでいいじゃないか」と毒蝮を擁護。近石は毒蝮と一緒に番組を降板することまで覚悟していたという。それに対して、番組スタッフもこのままの路線で行くことを決め、当時のスポンサー・東食もGOサインを出した。結果的にこの決断が、番組のターニングポイントとなった。この時、抗議と同時に寄せられた「ババア」発言を支持するリスナーからの声に励みを得た、と毒蝮は語っている。

その後毒蝮は、相手を選んで少しずつ「ババア」と言い始めた。毒蝮の目論見が外れて相手が怒ってしまい、放送後平身低頭して謝ったこともあった。初めは毒蝮にも「このような発言をしていいのだろうか」との迷いがあり、毎晩のように“反省会”と称して電話で長時間、番組の内容について近石と語り合い、翌日の放送に反映させたという。ラジオ関係者から「(毒蝮の)ババアトークと毒舌は近石と毒蝮が二人で作り上げたもの」と評価される所以となっている。

来なくてよかったサンタクロース

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クリスマス・イブの前後、毒蝮が中継先で自作の童話『来なくてよかったサンタクロース』を朗読するのが恒例となっている。クリスマスプレゼントをめぐる母と子の貧しいながらも心温まるストーリーで、秋山ちえ子による終戦の日の『かわいそうなぞう』の朗読と共に、『ゆうゆうワイド』の季節の風物詩となっている。

子どもたちとの触れ合い

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放送中にうるさい子どもを「このガキャ」と怒鳴り付けた後には、「まぁ、しょうがないな。子供は泣くのが仕事ってんだから…」などと必ずフォローしている。

敬老の日には「おじいちゃん(おばあちゃん)長生きしてねって言うんだよ」、終戦の日には「戦争は絶対にしないでくださいと言うんだよ」と、毒蝮が優しく諭す。

1970年代80年代、夏休み等に中継を見に来た子どもたちから、中継の合間等にウルトラマンウルトラセブン出演時の役名で声を掛けられた時には、毒蝮はよく「アラシ(フルハシ)隊員?あぁ、そりゃ年の離れた俺の兄貴だ」と返していたという。

関連項目

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外部リンク

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