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利用者‐会話:219.100.239.91

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注意 注意

このIPアドレス219.100.239.91ホスト:g219-100-239-091.scn-net.ne.jp)はインターネットサービスプロバイダ湘南ケーブルネットワークに割り当てられており、プロキシサーバおよびNAPTゲートウェイを経由して多数の利用者が同一IPで接続する可能性があります。また、このIPアドレスは利用者が接続を切った後、もしくは期間経過後に、別の利用者または別のプロバイダに再び割り当てられる可能性があります。

このため、特定の利用者に対するメッセージを他の利用者が受け取ってしまったり、他の利用者の荒らし行為のために無実の利用者がブロックされてしまったりするかもしれません。もしあなたがこのIPアドレスから編集していて身に覚えのないメッセージのために不快な思いをしているなら、あなた専用のアカウントを作成することによって解決できます。荒らしへの対処のために一時的にアカウントの作成および投稿・編集ができない場合もありますが、Wikipedia:FAQ 投稿ブロックをお読みになり管理者までお問い合わせください。

もし繰り返し自動ブロックに巻き込まれるようであれば、ご使用のネットワークの管理者に対してウィキメディア財団XFF projectに連絡をしてプロキシサーバのX-Forwarded-For HTTPヘッダを有効にしてもらうよう依頼することをお勧めします。この方法により対象となる利用者のみをブロックすることができます。


管理者へ - このIPアドレスをブロックする場合やこのIPアドレスからの投稿を差し戻す場合は慎重に行ってください。ブロックが必要な場合は、可能な限り「ソフトブロック」(autoblock無効、アカウント作成有効、匿名利用者のみブロック、会話ページの編集可能)とし、利用者の会話ページでブロック理由を説明してください。

お知らせ: もし、このIPアドレスから荒らしがあり、それが続く場合、ネットワーク管理者へ荒らし行為を通報し、調査を依頼することがあります。

ネットワーク管理者がこのIPアドレスからの荒らし行為を監視したい場合は、このページのフィードRSSAtom)を閲覧することができます。

今すぐ執筆をおやめください![編集]

直近の根岸秋男及び田淵義久ですが、それぞれ削除依頼を貼り付けたリンク先のページから切り貼りした文章で間違いないかと思われますが、これは立派な著作権侵害行為です。このような編集は今すぐおやめください。--禮旺会話2018年1月19日 (金) 07:15 (UTC)[返信]

櫻田謙悟の経歴[編集]

櫻田謙悟#経歴は、コピー&ペースト、丸写しと指摘されてもしかたのない記述レベルですね。当社って何ですか? --KoZ会話2018年1月19日 (金) 08:32 (UTC)[返信]

wikipediaは紳士名鑑ではありません[編集]

user:chiba ryoです。wikipediaは紳士名鑑ではありません。スタイルマニュアル(人物伝)の則った記述に改めて下さい。用件のみですが失礼します。--Chiba ryo会話2018年1月26日 (金) 05:32 (UTC)[返信]

特筆性に欠ける記事の作成はおやめください[編集]

特筆性に欠ける記事の作成はおやめください こんにちは。ウィキペディアに参加して頂きまして、どうもありがとうございます。

ウィキペディアは、世の中の様々な事柄を解説する百科事典を作るのを目的としたプロジェクトですが、すべての事柄を無差別に網羅することを目的としているわけではありません。

Wikipedia:独立記事作成の目安というガイドラインでは、信頼できる情報源による有意な言及がある主題についてのみ記事にできることになっています。これをウィキペディアでは特筆性といい、特筆性がない記事は作成すべきではないとされています。

特筆性のある題材は特筆に値する実績を持っていますので、Wikipedia:独立記事作成の目安#関連項目で分野別の基準が示されています。219.100.239.91さんが投稿されている記事には、こうした基準をクリアしていないものがいくつか含まれているように思います。

せっかく作成して頂いた記事も、特筆性が十分にないと遅かれ早かれ削除依頼されてしまうでしょう。そうなってはお互い残念です。ですので、特筆性のある主題のみを書いていただけるようお願いいたします。

Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかでも、無差別に情報を収集してはいけない、ということになっています。

では、今後ともどうぞよろしくお願いします。--124.45.35.95 2018年1月26日 (金) 08:32 (UTC)[返信]

ブロック破りはお止めください[編集]

ブロック破りはお止めください。あなたは無期限ブロック中です。IPが変わっても同じことです。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 06:43 (UTC)[返信]


ブロック破りではありません。そもそもブロックされていません。初心者なので説明お願いします。

ブロック破りです。ブロックはユーザー本人に対して行われるものであり、IPが変わったから編集できるというわけではありません。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 06:59 (UTC)[返信]


そもそもブロックされていないし、悪い事も書いていません。無垢・無過失です。

無期限ブロック中です。一発でわかりますよ。あなたの編集は独自研究であり、致命的な問題があります。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 07:08 (UTC)[返信]


何を思い込んでいるのですか?早稲田関係者ですか?悪い事は何も書いていないので。内容も国立公文書館の内容です。

ウィキペディアで独自研究を強行編集することは悪いことです。ブロック破りも許容されません。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 07:16 (UTC)[返信]


私は早稲田大学関係者ですので独自研究ではありません。内容も国立公文書館の内容です。あなたの恣意性で勝手に削除しないでください。とても前向きな内容です。 ウィキペディアの裾野を広げてください。

2月2日に旧制大学に昇格というのは、完全な独自研究です。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 07:27 (UTC)[返信]
  • 219.100.239.91さん、あなたの加筆に疑義が呈されているのですから、機械的な差し戻しをするのではなく、ノートにて第三者も納得できるよう編集内容を解説してください。このままでは両者がブロックされるか、記事が保護されるだけです。--切干大根会話2018年2月12日 (月) 07:29 (UTC)[返信]



疑義も何も史実です。疑う余地がありません。何なら、国立公文書の存在意義は何ですか?Keizai80さんあなたが、独自見解です。説明してください。

2月2日に旧制大学に昇格したというのは、公文書のどこにも書かれておりません。あなたの独自研究です。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 07:38 (UTC)[返信]


公文類聚目録です。天皇の決裁順に並んでいます。日付も書いてあります。あなたが独自見解です。勝手に消さないでください。 http://imgur.com/a/gym3D
順番前後しましたが、納得して頂いたようです。有難うございました。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 07:57 (UTC)[返信]

独自研究に納得するはずがないでしょう。差し戻しは一旦中断するだけのことです。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 08:04 (UTC)[返信]
公文類聚目録には、早稲田大学が2月2日に旧制大学に昇格したということは一切書かれておりません。早稲田大学百年史にも書かれておりません。あなたの完全な独自見解です。天皇による裁可は2月2日ですが、認可は2月5日です。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 08:12 (UTC)[返信]
公文類聚目録の2月2日というのは、天皇による裁可が2月2日にあったことを示しているだけです。旧制大学に昇格するためには、天皇による裁可を経て、文部大臣による認可を受けなければなりません。文部大臣による認可を受けて、はじめて旧制大学に昇格できるのです。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 08:31 (UTC)[返信]

それでは、 文部省の告示より重い意義ですよ。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 10:12 (UTC)[返信]

あなたの官報、官報、官報、認可、認可、認可というのも全て、告示ですよ。官報は、認可書ではありません。明治時代は全ての内閣議案は、天皇の裁可により決裁されていました。これを万機親裁体制と言います。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 10:18 (UTC)[返信]

天皇による裁可だけでは旧制大学に昇格できません。文部大臣による認可も必要です。ノート:早稲田大学で、うんざりするくらい説明したでしょう。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 10:37 (UTC)[返信]


>天皇による裁可だけでは旧制大学に昇格できません。文部大臣による認可も必要です。

独自見解です。では、天皇による裁可は、言葉では、何というのですか?--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 10:47 (UTC)[返信]
大学令8条に天皇の勅裁が認可に必要、とは書いてありますが、文部省の認可が必要とはどこにも書いてありません嘘つきですよ、あなた。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 10:49 (UTC)[返信]

持論を展開したいのであれば、下記の国立公文書館の決裁書を一つ一つ定義してください。
http://imgur.com/a/gym3D 公文類聚目録:裁可書を綴った目録 → 1920年(大正9年)2月2日決裁
http://imgur.com/a/Y9TNv 裁可書 表:天皇の決裁(「可」の決裁印)
https://imgur.com/a/HheKB 裁可書 裏:早稲田大学の旧制大学認可1920年2月2日決裁の朱記 --219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 10:58 (UTC)[返信]

文部大臣による認可が必要なことは、ノート:早稲田大学で説明済みです。天皇による裁可は「裁可」ですよ。勅裁ともいいますが。大学令第8条には、「第八条 公立及私立ノ大学ノ設立廃止ハ文部大臣ノ認可ヲ受クヘシ」(公立及び私立の大学の設立廃止は文部大臣の認可を受くべし)と書かれてあります。嘘つきはあなたの方でしょう。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 11:04 (UTC)[返信]

勅令大学令第8条に「認可ハ勅裁ヲ請フベシ」とあるでしょう。つまり天皇の決裁で決まりです。万機親裁体制です。大学令は勅令(天皇の法令、天皇の裁可で決裁される)です。
あなたの言う天皇の裁可とは何ですか? 言ってることが紋切り型で矛盾してきましたよ。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 11:11 (UTC)[返信]

それは付帯条項です。文部大臣が認可するにあたって、天皇による裁可(勅裁)が必要というだけの話です。「第八条 公立及私立ノ大学ノ設立廃止ハ文部大臣ノ認可ヲ受クヘシ」(公立及び私立の大学の設立廃止は文部大臣の認可を受くべし)。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 11:20 (UTC)[返信]


第八条 公立及私立ノ大学ノ設立廃止ハ文部大臣ノ認可ヲ受クヘシ
学部ノ設置廃止亦同シ
前項ノ認可ハ文部大臣ニ於テ勅裁ヲ請フヘシ

>それは付帯事項です。→独自見解です。独自見解が多いですよ。「文部大臣ノ認可=前項ノ認可=勅裁ヲ請フヘシ」です。しっかり読んでください。
万機親裁体制、勅令の説明、釈明が全くなされていませんよ。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 11:54 (UTC)[返信]

ちょくれい【勅令】(世界大百科事典 第2版)
大日本帝国憲法の下での命令のうち,天皇により親裁されたもの。

勅令は、上記の通り、天皇の親裁により決裁されます。
これを見ても明らかです。
→かつて国立公文書館に存在した早稲田大学「大学令による私立大学設立認可の第1号」の文言。

国立公文書館デジタルアーカイヴ  http://imgur.com/a/eOCiA

--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 12:17 (UTC)[返信]

条文を理解できない方に何を言っても無駄かもしれませんが、一応、万機親裁体制についても説明しておきます。
あなたがノート:早稲田大学で引用した「万機親裁体制の成立 ―明治天皇はいつから近代の天皇となったのか―」には、「天皇の決裁を得た総理大臣はその案件を執行するか、または執行のために各省大臣等に移牒する。」と書かれてあります。つまり、天皇による決裁(裁可・勅裁)を得た後に、その案件を「執行する」プロセスが残っているということです。この「執行」こそが、文部大臣による認可です。もしも、「天皇の決裁(裁可・勅裁)をもって認可」というあなたの主張が正しければ、勅裁を得た後に総理大臣や各省大臣等が「執行」するプロセスは不要です。このことからも、あなたの主張は誤りであることが明らかです。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 12:25 (UTC)[返信]

執行(しっこう)
1 とりおこなうこと。実際に行うこと。「職務を執行する」
2㋐法律・命令・裁判・処分などの内容を実際に実現すること。
㋑「強制執行」の略。
執行に、認可の意味は含まれません。大学令は勅令であり、勅裁には、天皇の権限による認可という意味が含まれます。しかも、独自見解ではなく、国立公文書館の文言がありました。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 12:33 (UTC)[返信]

>執行に、認可の意味は含まれません。
当たり前でしょう。文部大臣による認可が、各省大臣等による「執行」プロセスに当たる、というだけの話です。
>かつて国立公文書館に存在した早稲田大学「大学令による私立大学設立認可の第1号」の文言。
国立公文書館は間違いを認めて訂正したのです。正しいと思っているなら、そのままにしておくはずです。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 12:44 (UTC)[返信]


>国立公文書館は間違いを認めて訂正したのです。正しいと思っているなら、そのままにしておくはずです。→独自見解です。国家機関が凡ミスはしません。
移牒の意味も調べてみました。→管轄の違う他の役所などへ文書で通知すること。また、その通知。 (デジタル大辞泉)

したがってあなたの言う「文部省の認可」という概念はありません。管轄である文部省は、文書での通知(天皇の裁可の通知)を受けて、執行にあたるだけです。つまり告示を行うのです
私の言っていることはおかしいですか?--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 12:53 (UTC)[返信]

>国家機関が凡ミスはしません。
一職員による凡ミスでしょう。いずれにせよ、国立公文書館は間違いを認めて訂正したのです。これ以上の議論は無駄になるのでしません。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 13:14 (UTC)[返信]
  • コメント コメントしない気でおりましたが、「国家機関が凡ミスはしません。」発言には思わず吹き出してしまいました。国の機関であろうが、国会であろうが、ミスはよくありますよ。所詮、人がやることですから。--切干大根会話2018年2月12日 (月) 13:00 (UTC)[返信]


>「国立公文書館は間違いを認めて訂正した」→明らかに思い込みであり、独自見解です。下に説明が書いてありますよ。
それにあなたは、勅令が天皇の親裁によるものということ、執行の概念、移牒の概念、が滅茶苦茶です。
文部省における執行の認可のプロセスって何ですか?そこで否決されたらどうなるんですか?言ってる事が滅茶苦茶です。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 13:23 (UTC)[返信]

滅茶苦茶なのはあなたの方です。国立公文書館は間違いを訂正しました。議論のための議論は無駄になるのでしません。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 13:41 (UTC)[返信]

書館の話しは、独自見解ですよ。置いておきましょう。天皇の裁可(勅裁)→文部省で否決というパターンは考えられるのですか?ないです。なぜなら、天皇の勅裁だからです。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 13:51 (UTC)[返信]

文部大臣が認可する方針を決めた後に、天皇に勅裁を請うわけですから、否決などあり得ないでしょう。当たり前のことです。このような議論のための議論は無駄になるので、これ以上はしません。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 14:10 (UTC)[返信]

「認可する方針」とは何ですか?どこで決まるのですか?どうやって示すのですか? 滅茶苦茶です。それより、勅令の意味、勅裁の意味を考えてください。文部省の認可書などありません。 とりあえず、今日はもう終了しますね。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 14:25 (UTC)[返信]

文部大臣による上奏書を読めばわかるでしょう。ノート:早稲田大学で詳しく説明しました。あなたの読解力では理解できないのかもしれませんが。とりあえず、これで終わりです。--Keizai80会話2018年2月12日 (月) 14:42 (UTC)[返信]

上奏書に文部省のハンコが押してありますよ。これが文部省の認印ではないのですか?そもそも、組織の意思決定プロセスにおいて、「担当→上位の決裁者→最上位の決裁者」の流れで決まります。どうして、「最上位の決裁者」である天皇の勅裁の後に、「下位の文部省」が認可するのでしょうか?こんな事ありえません。あなたの完全な思い込みであり、想像の世界ですよ。独自見解です。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 21:00 (UTC)[返信]
文部省の上奏書は、「財産」、「学部」の種類、組織の「維持方法」などの細かい内容まで取り決められています。これこそ、文部省内で決まった認可書です。それを内閣総理大臣に提出し、内閣総理大臣が天皇に最終決裁である勅裁を仰いだのです。そして、文部省は、執行手続きのため、告示に踏み切ったのです
文部省内決議→内閣総理大臣→天皇の勅裁→文部省の告示(執行・移牒)」というプロセスです。勅裁後は、文部省には認可プロセスは残されていません。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 21:14 (UTC)[返信]
上奏には、奏請という言い方もありますが、「天皇に申し上げて、その決定を求めること。」(大辞林)とあります。”決定を求める”わけですから、すなはち、天皇の勅裁=最終決定なのです。以後は、単なる執行のための告示に過ぎません。無い情報を勘ぐって議論しないでください。独自見解になります。あなたは、勅裁を軽視しています。--219.100.239.91 2018年2月12日 (月) 21:27 (UTC)[返信]

>そもそも、組織の意思決定プロセスにおいて、「担当→上位の決裁者→最上位の決裁者」の流れで決まります。
あなたの独自見解は、国家の意思決定プロセスに、世間一般の「組織」の意思決定プロセスを勝手に当てはめているところから来ていることがわかりました。
大学令第8条の条文や上奏書、文部省告示等の文言から離れて勝手に推測しても、それらはすべて独自見解になります。そもそも、天皇は「組織」の一員ではありません。文部省という「組織」の最上位者は文部大臣です。
資料の文言から離れた推測は、すべて独自見解となり、ここでは何の意味もありません。
皮肉なことに、あなたがノート:早稲田大学で引用した文部大臣の上奏書や早稲田大学百年史、「万機親裁体制の成立 ―明治天皇はいつから近代の天皇となったのか―」等の資料により、あなたの主張は完全に間違っていることが裏付けられました。これらの資料については、これまでノート:早稲田大学などで詳しく解説してきましたが、「万機親裁体制の成立 ―明治天皇はいつから近代の天皇となったのか―」について、もう一度解説しておきます。
この資料には、「天皇の決裁を得た総理大臣はその案件を執行するか、または執行のために各省大臣等に移牒する。」と書かれてあります。つまり、天皇による決裁(裁可・勅裁)を得た後に、その案件を「執行」するプロセスが残されているということです。この「執行」こそが、文部大臣による認可に当たります。
もしも、「天皇の決裁(裁可・勅裁)をもって認可」というあなたの主張が正しければ、勅裁を得た後に総理大臣や各省大臣等が「執行」するプロセスは不要です。このことからも、あなたの主張は誤りであることが明らかです。
あなたの読解力では理解できないのかもしれませんが、第三者のためにも書きました。
あと、明日から4日間出張で不在となるため、その間返信が一切できないことを申し添えておきます。明日の朝早くに出発するため、本日のコメントはこれ1回限りです。今から数日間、返信はできません。--Keizai80会話2018年2月13日 (火) 13:36 (UTC)[返信]


いつまで、昔のデータを元に議論しているのですか?勝手に決めつけて。

”執行”の意味を分かっていますか?執行に、認可の意味など全くありません。執行とは、実際に行うこと(大辞泉)、です。認可の意味などありません認可となると、実際に行うこと以外に裁決事項も含んでしまいますあなたの独自見解であり、拡大解釈、思い込みです執行とは、国民に裁決の結果を知らせる業務を行うのです。それが官報の告示です。これを見ても明らかです。
→かつて国立公文書館に存在した早稲田大学「大学令による私立大学設立認可の第1号」の文言。

国立公文書館デジタルアーカイヴ  http://imgur.com/a/eOCiA

公文書館では職員ではなく、専門課程で修得した専門員の方が公文書館では働いています。普通の方より知識量は倍以上です。掲示にあたり、当然稟議決裁も通っています
それに、なぜ旧帝国大学は、勅裁基準になっているのに、私立大学だけ、官報基準にしようとするのですか?意味不明です。同じように、天皇の勅裁基準にすればいいでしょう。--219.100.239.91 2018年2月13日 (火) 22:49 (UTC)[返信]
あと、私は、官報の告示の表記まで削除する方針ではありませんよ。2月2日の天皇の勅裁も有意な情報であり、特筆すべき事項(ウィキペディア基準)だと思うので、載せようと思うのです。あなたが、かたくなにに否定するのは、単にあなたにとって都合が悪いだけの事ではないのですか?身勝手ですよ。ウィキペディアは百科事典の編纂です。個人の利害関係うんぬんで掲載を取り消したりすべきものではありません。--219.100.239.91 2018年2月13日 (火) 23:01 (UTC)[返信]

帰ってきてからもやることが山ほどありましたが、ようやく少し時間が取れました。
>”執行”の意味を分かっていますか?
当たり前でしょう。「執行」は一般的な用語です。内閣総理大臣や各省大臣等が執り行う職務は様々であり、それらの職務を執り行うことをすべてひっくるめて「執行」と表現しているだけです。各省大臣等が執り行う職務の中に「認可」があります。
そして、「万機親裁体制の成立 ―明治天皇はいつから近代の天皇となったのか―」と早稲田大学百年史に書かれてあることは、公文書に基づいた実際の流れとも見事に一致します。
  • 万機親裁体制の成立
各省大臣等から出された案件を、内閣総理大臣が天皇に奏請してその裁可を求める。天皇は奏請に裁可を下し、それを下付する。天皇の決裁を得た総理大臣はその案件を執行するか、または執行のために各省大臣等に移牒する。」
  • 早稲田大学百年史
「冒頭に引用した公文書のように、この書類は一月二十三日文部大臣から内閣へ送付され、三十日首相は裁可を仰ぐ書類を調整して二月二日上奏したのである。その結果、二月五日、文部省告示第三十六号により認可せられた。」
  • 公文書に基づいた実際の流れ
1. 文部大臣が認可するために上奏書を作成する(「認可セントス茲ニ謹テ宸裁ヲ仰ク 大正九年一月二十三日 文部大臣中橋徳五郎」)。
2. 文部大臣が内閣総理大臣に上奏書を進達する(「上奏書進達ス 大正九年一月二十三日 文部大臣中橋徳五郎」)。
3. 内閣書記官が奏請・裁可書を作成する(「大正九年一月二十七日 内閣書記官」)。
4. 内閣総理大臣が奏請・裁可書を調整する(「裁可ヲ仰ク 大正九年一月三十日 内閣総理大臣原敬」)。
5. 内閣総理大臣が天皇に上奏し、裁可される(「上奏ノ通裁可ヲ経タリ 大正九年二月二日」)。
6. 内閣総理大臣が文部大臣に移牒する。
7. 文部大臣が認可する(「大正九年二月五日認可セリ 文部大臣中橋徳五郎」文部省告示第36号)。
天皇のお墨付き(裁可・勅裁)を得て、文部大臣が認可する。極めて自然な流れです。
>かつて国立公文書館に存在した
この騒動が発生してから、国立公文書館はその記述を削除しましたね。おそらく、国立公文書館にクレームが入ったか、職員の方が間違いに気付いて訂正したのでしょう。
いずれにせよ、すでに訂正済みですから、過去の記述にすがっても無意味です。
>なぜ旧帝国大学は
帝国大学だけでなく官立大学は、国によって設立されました。公立大学と私立大学に対しては、国は認可するだけです。成り立ちからして根本的に違います。本当に基本的なことがわかっていないようですね。
あと、官立大学・公立大学・私立大学、すべて出典は官報です。
>2月2日の天皇の勅裁も有意な情報であり
バランスの取れた記述にするのであれば、2月2日の裁可に関する記述を入れても、私自身は別に構いません。
ただし、あなたは無期限ブロック中ですから、編集することはできません。ここで添削して、私が代わりに投稿することになるでしょう。
いずれにせよ、「2月2日旧制大学に昇格」という記述は完全に間違っていますから、そのような記述は受け入れられません。--Keizai80会話2018年2月20日 (火) 13:36 (UTC)[返信]


国立公文書館の注記については、職員ではなく、勤務している特別な資格を有する専門官が書いたのでしょう。
慶応義塾大学関係者からクレームが付いたのと、大学間競争を公平化するために、削除したと書いてあります。

執行に、認可という意思決定行為は含みません。上位者の後に下位者が決裁するような稟議システムも日本にはありません。
早稲田大学百年史の「三十日首相は裁可を仰ぐ書類を調整して二月二日上奏したのである。」という記述も誤りです(「百年史」の記述は誤りが散見されます)。なぜなら、裁可書に上奏した日付一月三十日、決裁可印とともに二月二日と朱記され、公文類聚目録(裁可書を綴ったもの)に二月二日、と収録されているからです。
「天皇が意思発動する場合は、大臣・参議の承認を必要とし、国政の重要決定の多くは大臣参議が議事を確定した後で天皇が裁可することになった。」(東京大学大学院人文社会系研究科 川越美穂)であり、「最終裁可者として天皇を位置づける」(同、川越美穂)のが戦前の日本における天皇親裁体制です。各大臣は、天皇の輔弼機能(天皇の意思決定に助言を行うこと、大日本帝国憲法55条)しか持ちません。
2月2日の天皇裁可の記述は、有意な情報であり、必要です。 --219.100.239.91 2018年2月21日 (水) 03:39 (UTC)[返信]

>慶応義塾大学関係者からクレームが付いたのと、大学間競争を公平化するために、削除したと書いてあります。
どこにそのようなことが書いてあるのですか?
>上位者の後に下位者が決裁するような稟議システムも日本にはありません。
資料の文言から離れた勝手な推測は独自見解となり、ウィキペディアでは何の意味もありません。
>早稲田大学百年史の「三十日首相は裁可を仰ぐ書類を調整して二月二日上奏したのである。」という記述も誤りです
私も最初は1月30日に上奏したのだと思っていましたが、理解を深めるうちに、2月2日に上奏したというのもあり得るな、と考えを改めました。書類を作成した日と実際に上奏した日が違っていても、全然不思議ではないですからね。公文書からは、奏請・裁可書の作成日や裁可日、認可日などは特定できますが、上奏日については特定できません。
いずれにせよ、ここで重要なのは、内閣総理大臣が上奏して2月2日に天皇に裁可された、ということであり、上奏日がいつであったのかは問題ではありません。上奏日が1月30日、2月2日のどちらであっても、結論にはまったく影響を及ぼしません。
>「天皇が意思発動する場合は、大臣・参議の承認を必要とし、国政の重要決定の多くは大臣参議が議事を確定した後で天皇が裁可することになった。」
「国政の重要決定の多くは」と書かれてありますね。つまり、国政の決定すべてに当てはまることではない、ということです。一私立大学の認可は国政の重要決定ではありません。
そのうえ、意思決定した後の「執行」についてはここでは触れられていません。この点は、京都大学大学院文学研究科教授による「万機親裁体制の成立」に書かれてある通りです。
また、あなたが引用した「明治初期における天皇親裁の制度的形成―天皇と太政官内閣の関係性を中心に―」には、「すべての政府意思決定を「天皇親裁」とする建前が一人歩きをするのを抑制する対策が講じられ、政府は大臣の承認なくして天皇が意思発動できない方針を固めた」、「行政責任と執行を一体的に担う行政官を設置した内閣制度の布石が、この段階から敷かれたといえよう」、「国政の責任と執行を行政官に委ね、天皇の無謬性を確保」とも書かれてありますね。
いずれにせよ、上記の引用は「2月2日に旧制大学に昇格した」という根拠にはなりませんし、当然出典にもなりません
>2月2日の天皇裁可の記述は、有意な情報であり、必要です。
2月2日に天皇に裁可されたこと自体を記述することには反対しません。「2月2日天皇による裁可を経て、2月5日認可された」のように書くことは可能です。--Keizai80会話2018年2月21日 (水) 13:31 (UTC)[返信]


常識的な事ですが、 国務大臣は、天皇の輔弼機関(大日本国憲法第55条)
臣民規定(大日本国憲法)
天皇の裁可=最終決定です。よって、文部省の告示は、事務手続きです。
--219.100.239.91 2018年2月21日 (水) 23:51 (UTC)[返信]

左から失礼します。専門ではないので詳しくはないのですが、そもそも
大日本帝国憲法第55条
1.國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス。
2.凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス。

 之即ち、

1.各国務大臣は、天皇を補佐し、その責任を負うもの(これを単独輔弼制度と云う)とする。
2.(天皇は)凡ての法律勅令其の他国務に関する詔勅を行なう時、国務大臣の副署(連署、いわば国務大臣の同意)が必要である。

 という事になります。これは「天皇は国家を統治する権利があるが、内閣や議会を無視してこの権利を振り翳す事は出来ない」という事であり、即ち「天皇は凡ての法律勅令其の他国務に関する詔勅を行なう時、その詔勅は内閣や議会の承認を得られなければ効力を得ない」という事です。仮に天皇の決定が最終決定なのであれば各大臣は「天皇ヲ輔翼シ…」という文言になりますし、そもそも「天皇がこうしたい!」といったところで内閣議会の承認なくして効果を発揮しえないのであれば、これは最終決定とは到底呼べないでしょう。--禮旺会話2018年2月22日 (木) 01:52 (UTC)[返信]

苦し紛れに何か一言おっしゃりたいんでしょうけど、それは、現在の日本国憲法の考え方です。
個別案件については、国務大臣に任せていた、と考えたいんでしょうが、誤りです。国務大臣は、天皇の輔弼(助言を行うのみ)機能だからです。 旧制私立大学発足時は、完全に大日本帝国憲法に基づいています。
「国務大臣ノ副署」に「連署、同意」の意味は明治憲法下ではありません。
副署:明治憲法下で、詔勅などの天皇の文書的行為について、輔弼(ほひつ)の任にある国務大臣が天皇の署名に添えて署名すること。また、その署名。 (デジタル大辞泉)
臣民:君主国において、君主の支配の対象となる人々。明治憲法下において、天皇・皇公族以外の国民。 (デジタル大辞泉)
--219.100.239.91 2018年2月22日 (木) 03:29 (UTC)[返信]

    • 現代の解釈であると指摘しながら自身の引用は現代における解釈の文章であるとは恐れ入りました。尚、あなたが主張しているないようだと、国務各大臣の行為は「輔翼」であり、「輔弼」ではありません。いずれにせよ、既に管理者伝言板へ報告されたようですし、判断は管理者に任せる事になるでしょう。--禮旺会話2018年2月22日 (木) 03:55 (UTC)[返信]


切干大根さん、横入りで独自見解、脱線はやめてください。不正行為はやめてくださいね。
臣民、輔弼の意味を考えれば、官報の告示は事務手続きです。
--219.100.239.91 2018年2月22日 (木) 04:05 (UTC)[返信]
大日本帝国憲法の臣民規定、国務大臣の輔弼機能、大学令が勅令であること、上奏裁可書が存在すること、以上より天皇が最終決定者であり、早稲田大学が1920年2月2日に旧制大学に昇格したのは確定。
反論の余地は、すべて独自見解であり、却下。
よって、議論終了。--219.100.239.91 2018年2月22日 (木) 04:18 (UTC)[返信]

返信 あなたの意見に同意している人は1人もおりません。以降の談義は早稲田大学関係者だと仰るのであれば、大学内または別のサイトでお願いします。--切干大根会話2018年2月22日 (木) 04:20 (UTC)[返信]

あなたは、脱線者です。同意者の人数は関係ありません。あなたたちの議論は支離滅裂で空想に頼るばかりです。ウィキペディアは公正な処であるべきです。--219.100.239.91 2018年2月22日 (木) 04:24 (UTC)[返信]

あなたは無期限ブロックされた後も、何も変わっていないようですね。いつまでも同じような態度を続けるのであれば、ウィキペディアのコミュニティとしては、粛々と対処させていただく以外にはありません。--Keizai80会話2018年2月22日 (木) 10:17 (UTC)[返信]


お友達ですか?脱線してしまいましたね。
早く、国務大臣の輔弼機能、臣民規定、大学令が勅令であること、上奏裁可書の存在について反論してください。ないのであれば、議論終了です。(ウィキペディア寄付者)--219.100.239.91 2018年2月22日 (木) 10:30 (UTC)[返信]

警告[編集]

荒らし行為はやめてください。 荒らし行為はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。--切干大根会話2018年2月22日 (木) 09:52 (UTC)[返信]

正当性や虚偽を載せるのはやめてください。(ウィキペディア寄付者)--219.100.239.91 2018年2月22日 (木) 10:08 (UTC)[返信]

ですから上記で議論中なのでしょう。強行編集をしている自覚はあるのですか。事実かどうかではなく検証可能かどうか、です。--禮旺会話2018年2月22日 (木) 10:10 (UTC)[返信]

早慶の順っていうのは半ば常識です。あなたこそ強制介入ですよ。話しに割り込んできて。削除理由を書くこと。(ウィキペディア寄付者)--219.100.239.91 2018年2月22日 (木) 10:12 (UTC)[返信]

早慶の順が常識であるというのはどこの世界(界隈という意味ですよ)の常識ですか?示してください。あと強制介入云々は一切関係ないですし、話に割り込む云々も全く別問題、誤謬です。Wikipedia寄付者であるから特別扱いされるわけでもありません。--禮旺会話2018年2月22日 (木) 10:15 (UTC)[返信]

あなたは、常識が全くない。新聞記事を見てください。早慶の順です。寄付者も芳名やお礼という形で優遇されますので。社会常識です。--219.100.239.91 2018年2月22日 (木) 10:31 (UTC)[返信]

Wikipediaでは常識だろうが何だろうが、検証が可能なことでなければ書けません。寄付の有無や額の大きさも一切関係ありません。守れないのであればお引き取りください。--切干大根会話2018年2月22日 (木) 10:37 (UTC)[返信]
そっくり返しますが、あなたは、Wikipedia活動上の常識が全く無いようです。そもそもWikipedia上で何かしらの優遇処置があったとすれども、それが執筆活動上において有利に働く(この場合は編集活動の点での意味です)事は一切有りません。そんなことをすればWP:NPOVに反する事になります。尚、早慶という略語に関してはもともと野球関連記事における記者クラブ内での通念であり、社会常識ではありません。それ故単純な大学として並べ立てる場合、早稲田→慶応の順に並べる、という常識は存在しません。これ以上はいつまでも納得されないようですし、対話での対応は無駄しょうかね。--禮旺会話2018年2月22日 (木) 10:41 (UTC)[返信]

あなたたちは、社会常識がありません。あなた方の大好きな慶応大学も寄付で成り立っているのはご存知でしょう。それでコネで入学する人は山ほどいるんですよ。関係者なのに、幼稚舎にコネ入学のクラス組が存在することも知らないのですか?恥ずかしいですね。寄付者が優遇されるのは、世界常識です。よく常識もないのに、ウィキペディア・百科事典の編集に携わっていますね。社会経験のない方ですか。早慶の語順は定着しています。テレビのニュースや新聞記事において逆の語順で報道されることはゴシップネタ以外ありません。--219.100.239.91 2018年2月22日 (木) 11:18 (UTC)[返信]

警告[編集]

これは最後の警告です。
これは最後の警告です。

これは最後の警告です。次に荒らし行為を行った場合、あなたは編集ができない状態におかれます。--切干大根会話2018年2月22日 (木) 11:20 (UTC)[返信]

大笑い。寄付者を荒らし呼ばわり、言論封殺などしたら、誰も寄付しなくなりますよ。しかも私は、大日本帝国憲法に照らしたまっとうな議論を展開しているだけです。あなたたちを荒らし認定しますよ。
--219.100.239.91 2018年2月22日 (木) 11:27 (UTC)[返信]

ウィキメディア財団の日本語対応窓口を担当してますVigorous actionTalk/History)といいます。このたびはご寄付頂いたと言うことで、財団になりかわりまして御礼申し上げます。ウィキメディア財団は米国法人でいわゆる公益財団になっておりますことから、米国法により寄附者に対して如何なる優遇を行うという行為を禁止されています。今回の言動は米国法に抵触しますから、大変申し訳ありませんが今回の御主張を続けられるのでしたらおうけしかねますから、財団本部に対して寄附の返還を英語で請求頂きますようにお願いいたします。連絡先はwmf:Contact_usとなります。ご用件のみで失礼します。--Vigorous actionTalk/History2018年2月22日 (木) 11:35 (UTC)[返信]
あなたはこの期に及んで126.204.24.204を使い、伊藤博文で自身の編集を押し通していますね。--2404:7A80:A300:C800:ACA1:309B:930F:2BD8 2018年3月2日 (金) 01:19 (UTC)[返信]

投稿ブロックのお知らせ[編集]

あなたは、上記ブロック依頼での審議に基づき、ブロックされました。--Keizai80会話2018年3月12日 (月) 22:44 (UTC)[返信]

ブロック理由が正当でない事に不服です。 あと、「早稲田大学の認可」について、大学史の研究によるあなたの見解を読みました。 あなたは、文部省の認可、を重要視していますが、東京都公文書館で調査すると、 早稲田大学の申請・認可書しか見当たらず、慶應義塾大学の申請・認可書は存在しません。 よって、万全の歴史資料が整っている早稲田大学がファーストと捉える方が歴史的考察に 叶っていると考えるのが妥当ではないでしょうか。 その事についてはどうお考えですか?

219.100.239.91

「知の品格」というタイトルで、伊東乾氏が次のように記述しています。 「1920年2月2日、最初の「私立大学」が二つ、日本に誕生します。それが大隈重信創設になる「早稲田大学」と、福沢諭吉創設になる「慶應義塾大学」の二大学に他なりません。」 (出典:http://www.business-plus.net/business/columnist/cat-4/series/687616.shtml)

--219.100.239.91 2019年5月29日 (水) 16:46 (UTC)[返信]

桜美林大学の浅沼氏も以下のように明示しています。 Keizai80さんがいかに思い込みが強いかが分かると思いますし、ウィキペディアの公正性を逸しています。 それに、大学史の研究に詳しいようですが、早稲田大学の「大学史」はかなり口語体かつレトリカルに叙情的に表現されており、 若手の研究者が単に論理・理論的にロジカルに解釈し得るものではありません。 氏は、段落のスペースや行間のスペースも全く読んでいなければ、「いかめしい」と言った古語的な言葉遣いにも精通しておらず、 それによる「文脈の転換」や「昇華」といった文学的要素を全く加味していない、紋切り型の解釈しかしていません。 それでは、大学史を読みこなしたとも言えないでしょう。



表 序-1 大学昇格年 と「大学」名称への変更年

大学昇格 1920年 2/2 慶應義塾大 早稲田大学


(出典:明治・大正期の私学における昇格準備過程に関する研究  桜美林大 浅沼薫奈) 

--219.100.239.91 2019年5月29日 (水) 17:05 (UTC)[返信]


上記より、ブロック解除を要求します。


--219.100.239.91 2019年5月29日 (水) 17:09 (UTC)[返信]

加えて、Keizai80さんは、論文作成や出版物の製作についてまるで他人事のように軽率に考えていますが、 学術論文にしろ、書物の出版にしろ、教授による審査や流通するための販売するための審査、そして公共図書館に 配本されるための検閲があります。 「お金を出せば誰でも出版できる」とまで書いていますが、そのお金を持っている事事態ステータスであり、また、 今時出版社の方から執筆を頼まれるような依頼出版はめったにありません。多くの教授陣が書かれている文献も たいていは赤字です。 ご理解、ご参考まで。

--219.100.239.91 2019年5月29日 (水) 23:45 (UTC)[返信]

投稿ブロックのお知らせ(現IPで4回目)[編集]

あなたはブロックされました。現IPだけで4回目です。

上述のあなたのコメントに対して全く返信しないのも落ち着かないので、少し調べた結果も踏まえて、以下にコメントすることにします。

東京都公文書館の情報検索システムで、いくつかの大学の申請書(願書)を調べてみました。検索でヒットする大学もあれば、ヒットしない大学もあり、公開件名にもばらつきがありますね(「大学設立認可申請」「大学設立願等」「大学設立認可願」など)。初期の東京の私大の中では、慶大・日大・国学院大の申請書が見つかりませんでしたが、この検索結果だけでは認可書の存在までは確認できませんし、たとえ申請書と認可書がセットになっていたとしても、検索で出てこなかった大学の認可書はこの世に存在しない、過去にも存在しなかった、とまでは言えません。データベース化されていないだけかもしれないし、自大学や他の場所で保管されているのかもしれないし、あるいはどこかの時点で紛失・消失したのかもしれないからです。大震災や大空襲で焼失したなんてこともあり得ます。実際、東京帝国大学図書館は関東大震災で70万冊もの貴重な蔵書を焼失しました。

『慶應義塾百年史』には、「慶応義塾は、大学令が公布された翌年、大正八年八月八日付で大学設立の件を申請し、九年二月五日付で認可を得た」と書いてあり、申請書の行方が気になるところではあります。

ところで、あなたは東京都公文書館で、2月5日付けの早稲田大学の認可書を確認したと主張していますね。重要なことなので、私もネットでいろいろ調べてみました。その結果、中央大学が東京都公文書館所蔵の設立認可願を模写したと思われる資料を、インターネット上で公開しているのを発見したので、これを基に話を進めることにします。

その資料には、「進達」と「下付」の欄があり、東京府が受け取った設立認可願を文部省に進達し、認可を経て、下付される流れであったことが読み取れます。これを「申請・認可書」と呼んでよいのかわかりませんが、形式的にはそのように感じられます。

「下付」の欄には、「大正九年四月十五日認可」とはっきり書かれており、これは『官報』の文部省告示に書かれている中央大学の認可日と一致します。早稲田大学の申請書が同じような形式であった場合、あなたが主張するように、そこには大正九年二月五日認可と書かれていることでしょう。

もしそうであるならば、『官報』の文部省告示に続いて、2月5日が早稲田大学の認可日であったことを示す決定的な証拠になります。ただし、東京都公文書館まで行って調べる必要があり、簡単には検証できない一次資料であるため、ウィキペディアの出典としては使えません(中大のように二次資料として公開され、誰でも検証できるようになっていれば使えますが)。

それから、この資料の中にある「大学設立認可申請」は文部大臣宛となっており、天皇宛ではないことが分かります。つまり、認可を請う相手は文部大臣であり、認可するのは文部大臣であったことが、これでよりはっきりしたわけです。

あなたが東京都公文書館所蔵の資料を提起したことで、文部大臣が2月5日に早稲田大学の設立を認可したことが確定的になったと言えます。


次に伊東乾氏による2014年の記事についてですが、彼は歴史学や教育史の専門家ではありませんから、この件に関しては、素人の意見と同じ扱いになります。しかも、本件に関して深く考察・検証しているわけでもなく、参考文献も皆無であり、単なる随筆みたいなものです。おまけに、「大隈重信は翌15年に「東京専門学校」を設立します。やがてスタートすることが期待されていた「立憲政治」を担う若者を育てるためで、決してSTAP細胞詐欺師を跋扈させるためではありません。」と、軽口を叩いている有様。このようなものが出典として使えるはずがないでしょう。

桜美林大学の大学院生(当時)が作成した表は、一応博士論文の中にあるようですが、この件に関して何の検証もしていませんね。自作の表をただ載せているだけです。当時のウィキペディアの旧制大学に記載されていた日付をそのまま転載した可能性すら感じられます。

そして、これでピンと来たのですが、伊東氏も大学院生も(自費出版の著者も)、当時のウィキペディアの旧制大学の記事を鵜吞みにしていたのではないかと思い至りました。

いずれにせよ、あなたが提示した2月2日認可説の情報源は、『官報』や『早稲田大学百年史』、上述の申請・認可書の内容を覆すほどの信頼できる情報源とは言えません。それどころか、2010年から2017年の長きにわたってウィキペディア上に記載されていた日付を、逆に情報源にしていた可能性すらあります。

それに対して、『早稲田大学百年史 総索引年表』は、早稲田大学大学史編集所が責任を持って編集した公式資料です。大学の責任や学術機関としてのレベルが問われることになるため、いい加減なことは書けません。しかもこの年表は、本編各巻よりも新しく1997年の発行であり、かつ年表形式であるため解釈も容易です。この公式資料では、2月2日の裁可については全く触れられておらず、「大正9年 1920年 2・5 「大学令」に依る早稲田大学の設立,文部大臣の認可を得る〈③13〉」とだけしっかり記載されています。--Keizai80会話2019年6月1日 (土) 14:01 (UTC)[返信]


東京都公文書館にデータが無いってそれだけでアウトじゃあないですか? 検索に引っかからないも何も、バグが発生しているわけではないのだから、 正常に機能している事でしょう。何をおかしな事を言っているのですか? 「官報」は自己申請で掲載できますし、戦前は日日新聞の広告に過ぎません。 そして、申請後4,5日経過してから掲載されるのが正常な手続きです。 2月5日に認可で、6日に掲載っておかしくありません?おかしいですよね。 慶応大学大学史の論拠性ってそんなに強固なのでしょうか? 東京都公文書館にデータが無いんですよ。(少なくても今現在) それでは公式見解を失ったも同然じゃあないですか? 他の日大や国学院などの大学も本当にあるんですか? 無かった、という方が信憑性が高いでしょう。 戦争で焼失なんて言う事になったら大問題ですよ。復元しないんですか?そんな重要な資料。 論拠を重視していますが、東京都公文書しかあり得ないでしょう。 あなたが調べない限り、ウィキペディアにも載せられないはずですよ、もはや。 なぜなら、公文書のデータという大前提になる1次論拠を失っているわけですから。 そして、早稲田や中央、明治には、データが存在しているわけですから、 そちらの大学の方の記載を優先すべきでしょう。分かりますよね? 私、何かおかしな事を言っていますか?

だいたい、通史で見ても、1882年東京専門学校認可、1890年慶應義塾認可。 1902年早稲田大学大学改称(私立学校令に基づくもので私立中初)。 1920年、旧制大学勅裁私大初。 1949年、新制大学認可、慶應大学より先。 他にも、学位授与、学位規定制定など全て、早稲田が慶應より先行しています。

昨今の週刊誌上での慶応の過熱報道は分かりますが、あなたの慶應プライオリティも 上記の通史を鑑みると、度を逸脱していませんか?世間では、「早慶」の順が一般的ですよ。

--219.100.239.91 2019年6月5日 (水) 18:25 (UTC)[返信]


>東京都公文書館にデータが無いってそれだけでアウトじゃあないですか?
全然アウトではないですね。東京都公文書館の検索でヒットしないだけであって、この世に存在しない、過去にも存在しなかった、ことにはなりませんから。むしろ、過去には確実に存在していたはずです。『官報』に文部省告示としてしっかり世間に公表されていますし、実際に旧制大学として活動していたわけですからね。慶應義塾大学の場合で言えば、「慶応義塾大学学位授与規程認可申請」(1920年12月21日)などがあり、旧制大学として認可されていなければ、このようなものを申請できるはずがありません。
東京都公文書館の検索結果に、1920年の昇格組で設立関係資料が出てくるのは、早稲田大学(1919年9月12日)、法政大学(1919年10月8日)、明治大学(1919年11月1日)、中央大学(1920年1月8日)の4校だった、というだけの話です。それ以上でもそれ以下でもありません。
>「官報」は自己申請で掲載できますし、戦前は日日新聞の広告に過ぎません。
文部省告示文部省が行うものであり、自己申請では掲載できません。広告は掲載できたようですが、「文部省告示第三十五号 財団法人慶應義塾ニ於テ大学令ニ依リ慶應義塾大学ヲ設立スルノ件大正九年二月五日認可セリ 大正九年二月六日文部大臣中橋徳五郎」なんてものを偽造して勝手に載せることができるはずがないでしょう。戦前の『官報』は、大蔵省印刷局発行の官営媒体です。
>2月5日に認可で、6日に掲載っておかしくありません?
何がおかしいのですか?認可当日に『官報』で告示されている例もありますよ。例えば、上智大学は1928年5月10日認可、同日の5月10日告示です。
認可書などは当事者しか知り得ないものであり、一般に対して広く公開される『官報』での告示は非常に重要なものです。それに合わせて認可するのは自然なことでしょう。裁可を得た時点で認可することは可能なはずですが、それから数日要しています。
>他の日大や国学院などの大学も本当にあるんですか?
当該大学に問い合わせてみなければ分かりませんね。
>戦争で焼失なんて言う事になったら大問題ですよ。復元しないんですか?そんな重要な資料。
当時はコピーやスキャンなどできなかったでしょうから、震災や空襲などで焼失していたとしたら、それまでですね。もし原本を撮影した写真などが残っていれば、復元するまでもなくそれだけで十分ですが、その可能性は低いでしょう。
>公文書のデータという大前提になる1次論拠を失っているわけですから。
国の公示事項を登載した『官報』の文部省告示のデータが、誰でも閲覧・検証できる形で一般公開されています。ウィキペディアの情報源として第一級の資料です。
>私、何かおかしな事を言っていますか?
残念ながら、おかしな事ばかり仰ってますね。
>世間では、「早慶」の順が一般的ですよ。
早慶戦の認知度から考えて、「早慶」の呼称の方が一般的でしょうが、それと旧制大学の認可日の話は全く別物であり、関係ありません。
ともかく、今回の調査で分かったことは、申請・認可書と『官報』の文部省告示の認可日が見事に一致していることであり、『官報』の文部省告示の真実性が証明されたということです。これによって、認可日が確定したと言えます。--Keizai80会話2019年6月6日 (木) 22:43 (UTC)[返信]
明日から3日間ほど不在となるため、コメントがあった場合の返信は、11日(火曜日)以降になります。--Keizai80会話2019年6月7日 (金) 13:17 (UTC)[返信]