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利用者‐会話:Jinzuu

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ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちは、Jinzuuさん、はじめまして!Suisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Suisui 2006年6月12日 (月) 13:36 (UTC)[返信]

文禄・慶長の役関係[編集]

どうもお世話になっています。
秀吉の朝鮮出兵関係では英語版も気になるのですが、日本国内としても戦国時代の国内戦と比較して評価が一般的でなく、対外戦争であるという特殊性を考慮した統括さえ済んでいないように感じます。まず周知されるように、お互いに頑張りましょう。yasumi 2006年6月19日 (月) 00:58 (UTC)[返信]
バトルボックスですが、敵方から見た参加兵力と損失兵力を記入するのは問題があると思います。自己管理と情報収集が容易な味方の兵力と損失と違って、遭遇した敵の数や損失数を攻撃側が把握するのは近代戦でも難しいからです。
露梁海戦では暗い未明からの遭遇戦の中で明鮮側が日本艦隊の戦力や損失を把握出来たとは思えません。例えば慶長の役の島津の動員数は1万人ですが、文禄の役での怠慢に危機感を感じて自主的に1.5万人も動員したという話もありますし、泗川の戦いの時は帰国減や損失減もあって0.7万人程が実践参加した兵力と言われています。露梁海戦直前に泗川から昌善島へ移動した時は大小含めて280隻ほどの輸送船しかなかったようです。 また、鳴梁海戦でも参加兵力も損失数もかなり過大になっているのではないでしょうか?
バトルボックスに記載の参加兵力について、日本側は兵数、明鮮側は隻数。損失については味方の認定数か戦死武将、あるいは不明の記載に止め、本文に双方の見解を述べた方が良いかと思います。ではでは。yasumi 2006年6月20日 (火) 23:51 (UTC)[返信]

 毎度どうもです。バトルボックスについてはご指摘通りどうするか悩ましいところではあるのですが、一般の参照する人向けにはやはりなにがしかの数字は挙げておいた方がいいのではなかろうかと思ってます。これに関しては、ここで続けるのも何ですから、露梁海戦のノートの方に移動するのはどうでしょうか。とりあえず節は立てておきました。  鳴梁海戦の方は、露梁海戦に比べれば双方とも妥当な数字のように考えていますが、こちらも問題があれば同様にするということでいかがでしょう。ちなみに、日本側の損失については参謀本部編纂『日本の戦史 朝鮮の役』から引いてあります。参加兵力は、戦闘力、機動力共にバランスがとれた関船中心に小早を加えた構成なら40隻で2000~2500人程度ですから、総兵力の1/3程度を割いたもの、と解釈しています。

機種依存の漢字表記の問題から劉挺劉テイへ改名すべくノート:劉挺で議論を行っているので宜しかったら加わってください。なお朝鮮出兵関連人名では鄧子龍トウ子龍、そして記事がないですが申砬申リツが相応しいかと思っています。yasumi 2007年10月31日 (水) 12:46 (UTC)[返信]

広域ブロックの件[編集]

こんばんは。利用者:Jinzuuさんも、MLで穴開けを依頼してはどうでしょうか。 それと、ブロック解除には賛成の意見かと思いますが、Wikipedia:投稿ブロック依頼/広域ブロック解除依頼で「解除」票を投じていただけませんでしょうか。よろしくお願いします。  --Apc 2007年3月25日 (日) 14:52 (UTC)[返信]

わざわざ恐れ入ります。私の場合は多少の不便はあるのですが、現在プロキシ経由で書き込みしてます。穴あけに関しては被害者の方からそのような依頼をさせるというのは筋違いだろうと思ってます。^^; 投票の方は、思うところあって様子見でしたがお誘いもありましたので投票しておきました。 Jinzuu 2007年3月26日 (月) 11:33 (UTC)[返信]
初めまして、Namuamiと申します。早速ですが、上のところで「解除票」を投じて下さっているのですが、(解除)と意思表示をしてから、コメントを書く慣例(ルール)になっておりますので、(解除)を追加して頂けないでしょうか。--Namuami 2007年3月26日 (月) 02:13 (UTC)[返信]
ども初めまして。あれは投票ではなくて、あくまで上級管理者に追従する無定見な管理者への批判書き込みでしたので、別途解除賛成票を投じておきました。 Jinzuu 2007年3月26日 (月) 11:33 (UTC)[返信]
お礼を言うのが、遅れまして申しわけございません。早速、JMPさんが集計してくれました。ありがとうございました。ブロック解除依頼議論はまだ続くと思われますので、今後も協力を、よろしくお願いします。「infowebの一部のみブロックしておきます」といった管理者Suisuiさんは、3月10日以降編集暦がありません。どこへ消えていってしまったのでしょうね。いくらボランティアとはいえども無責任極まりない管理者であると思います。なお、この人がJAWPでの初めての管理者であるというのですから驚きです。その後の管理者の資質も推して知るべきの程度であろうかと思います。ユーザーの方からしっかりと働きかけていかないと、管理者の方から恥じて解除することは到底考えられません。というようなことですので、重ねて、今後ともよろしくお願いしておきます。では。--Namuami 2007年3月27日 (火) 07:52 (UTC)[返信]
いえいえ、どういたしまして。まぁ、日本語Wikipediaの管理者の資質については従前からいろんなところでとかく言われてますから、さして過大な期待もしてはいなかったのですが、それにしても今回の対応はあまりにお粗末ですね。問題提起がされた時点で状況説明をするなり見通しを述べるなりという程度の対応をしていればこんなにこじれた筈も無いのですが。管理者については”思わぬ権限を得て自分を神と勘違いしてる引きこもりニート”という揶揄も往々にしてされてたりしますが、今回のスチュワード氏も打たれ弱くて引きこもってしまったものでしょうか。では、こちらこそよろしくお願いします。 Jinzuu 2007年3月27日 (火) 10:51 (UTC)[返信]

Suisui氏の広域ブロックについてSuisui氏本人の状況と認識[編集]

こんにちは、 ノート:Suisui氏の広域ブロックについてSuisui氏本人の状況と認識というのが、Anonymous000氏のノートにありましたので、ご参照ください。--59.190.169.126 2007年3月30日 (金) 22:59 (UTC)[返信]


管理者の解任/Suisui[編集]

こんにちは、その節は大変お世話になると同時に結果的に御迷惑をおかけすることになってしまいました。

管理者解任規定が正式運用となり、 Wikipedia:管理者の解任/Suisui 20070421がとうとう有志により提出されました。 現在は48時間の猶予期間中で、おそらく日本時間で明日の朝9時か10時ころより、投票フェーズに移行されます。 Jinzuuさんはおそらく投票権をお持ちであるのでどうぞ投票に参加してみてください。 なお賛否以外のコメントを残してしまうと無効票になり当該投票においては再度投票不能となりますので、 それだけ御注意ください。以上お知らせです。よろしくお願いいたします。--219.122.234.81 2007年4月24日 (火) 04:54 (UTC)[返信]

鄧子龍の移動について[編集]

記事をコピペで移動しないでください。トウ子龍が即時削除されたら、移動機能を使った移動をお願いします。--emk 2007年11月11日 (日) 16:10 (UTC)[返信]

いまだ一向に削除されないようですし、積極的に移動したい訳でもないので、後はお好きにどうぞ。 Jinzuu 2007年11月12日 (月) 02:49 (UTC)[返信]

百済の編集について[編集]

『久太良』の出自も併記いただけると幸いです--kiku_b(talk/work) 2008年12月26日 (金) 17:14 (UTC)[返信]

新羅奇・志羅紀についても同様にお願いします。--kiku_b(talk/work) 2008年12月26日 (金) 17:15 (UTC)[返信]
少し調べれば判るようなものに、無闇に要出典タグを貼り付けるようなやり方はいががかと思いますが。Jinzuu 2008年12月26日 (金) 18:06 (UTC)[返信]

李舜臣の編集について[編集]

はじめまして、私の行った李舜臣生没年月日の陰暦・陽暦併記編集を煩雑としてリバートされていますが、人物伝のスタイルマニュアルには「暦法が時代・地域によって異なることに配慮してください。」とあり、かつ「明治5年以前も西暦・和暦を併記することが望ましいです。月日は新暦と旧暦でずれが生じますので「2月10日 (旧暦)」のような括弧付きの月日でリンクをつくってください。資料によっては年は西暦で月日は旧暦で書いてあるものがありますので十分注意してください。」ともあります。スタイルマニュアルに規定があるのは日本人の人物に関するケースのみで李舜臣のような朝鮮人のケースは想定してないようですが 陰暦と陽暦との間にズレがあるのは李舜臣が生きていた時代の李氏朝鮮についても同じであり、明治5年以前の日本人のケースに順ずるのが相当ではないでしょうか?陰暦・陽暦の併記への差し戻しを提案します。2週間程度様子を見てご返事なき場合私の提案にご賛同頂けたものと判断いたしますので申し添えておきます。 それではよろしくお願いいたします。--Juqipedia 2009年1月8日 (木) 16:10 (UTC)[返信]

しかし、Juqipediaさんが書いた旧暦は和暦でなく明暦では?申し訳ありませんが、私は当時の和暦と明暦が一致する「月」と一致する「日」かどうかは確認していないので、検証済みで同一月日であったら御免なさい。
しかも、万歴○○年ではなく朝鮮実録の表記方式である国王××年という書き方であり、これは朝鮮の旧暦であるのでしょうか?それとも日本の旧暦の天文とか慶長とかで表記しますか?このように議論が広がってしまいますが・・・
私は今のところは西暦だけで充分な気もしますけど。yasumi 2009年1月9日 (金) 06:04 (UTC)[返信]

まずはレスありがとうございます。
>Juqipediaさんが書いた旧暦は和暦でなく明暦では?
そうです。
>申し訳ありませんが、私は当時の和暦と明暦が一致する「月」と一致する「日」かどうかは確認していないので、検証済みで同一月日であったら御免なさい。
和暦と明暦の月日がピタリ一致するか否かはこの議論との論点と直接リンクする物ではないと思います。私が申し上げたいのは、「スタイルマニュアルで明治5年以前に生没年月日がひっかかる日本人の記事については和暦とユリウス暦・グレゴリオ暦を併記の事という規定があるのなら、グレゴリオ暦導入以前に生きた朝鮮人である李舜臣についてもこの規定を準用し、生没年月日は明暦とユリウス暦・グレゴリオ暦を併記すべきだ」という事です。つまり李舜臣について言うなら 生年月日はユリウス暦で1545年4月28日にあたり、没年月日はグレゴリオ暦で1598年12月16日にあたる。という事を触れようという事です。 現在の状態では年だけが西暦、月日は明暦という不自然な状態にあります。
>しかも、万歴○○年ではなく朝鮮実録の表記方式である国王××年という書き方であり、これは朝鮮の旧暦であるのでしょうか?
元号を国王何年とするか、明の元号を用いるかは議論の余地が残るかも知れませんね。
>それとも日本の旧暦の天文とか慶長とかで表記しますか?このように議論が広がってしまいますが・・・
さすがにそんな事は主張しません。私が申し上げたいのはあくまで生没年月日の明暦とユリウス暦・グレゴリオ暦との併記です。--Juqipedia 2009年1月9日 (金) 06:35 (UTC)[返信]

既に、yasumiさんとの間で話が進んでいますが、とりあえずそれとは別個に私の見解を。
勘違いされているようですが、私が差し戻したのは、まず第一に、記事冒頭の概要部は簡潔明瞭に書くべきであって、それには西暦の生没年の表記のみで必要十分であるという判断からです。ですから、個人的には朝鮮暦の付加は不要だと考えてはいますが、下の節なりテンプレなりに適切に付加される分には、無下に反対はしません。
ただし、私見としては、当時の朝鮮で使われていた訳でもでもない朝鮮王の在位紀年をあえて記す必要性は全く感じませんし、むしろ朝鮮・韓国関連の記事で目立つハングル表記やその発音のカナ表記の無闇な付加と同様に、朝鮮暦、しかも和暦とズレがある月日まで記述するというのは、ここ日本語版における大多数の利用者にとって全く意味を持たない情報であり、可読性を妨げるだけのものだと認識しています。
また、どうしても朝鮮暦の記述が必要だというのであれば、当時は公的には明暦を使用し、私的に干支を併用していた訳ですから、歴史的・実証的には明暦で記載するのが正しいと考えます。
なにはともあれ、こういうのは本来、李舜臣のノートでやるべきであって、私個人のノートでやるものではないように思いますけどね。なお、日本語版における和暦の取り扱いのルールを持ち出して、他国のもの(朝鮮暦)に援用するのは、牽強付会に過ぎるように思います。 Jinzuu 2009年1月9日 (金) 09:32 (UTC)[返信]

ご提案に従いノート:李舜臣の方にレスをつけました。よろしくお願いいたします。Juqipedia 2009年1月9日 (金) 19:35 (UTC)[返信]

越中おわら新歌詞募集休止について[編集]

はじめまして!Shocoreo4212と申します。 早速ですが、私が執筆した越中おわら新歌詞募集をJinzuuさんは本年度で休止となったとの事で削除されておりますが、その件についてどこかで正式に発表されているのでしょうか。また正式に発表されていたとしたら、平成21年まで募集されていたという形で加筆しておけば良いかと思いますが。歌詞募集休止については初耳だったもので、ご返答頂きますようよろしくお願い致します。--Shocoreo4212 2009年9月23日 (水) 08:39 (UTC)[返信]

こんちは。お問い合わせの件ですが、今月頭に読売新聞などの各新聞紙面で記事になってます。ググって見たら、オンライン上でもここはまだ記事が残ってますね。[1] あきらかに実際の動向に反する加筆でしたので削除させてもらいましたが、過去の事実してどう記載するかについてはおまかせします。 Jinzuu 2009年9月23日 (水) 12:11 (UTC)[返信]
こんにちは。早速のご返事ありがとうございます。今確認しました。まさか今年で休止とはまったく想像もしてなかったもんで、確認もせずに執筆しまして申し訳ございません。Jinzuuさんの今後益々のご活躍をお祈り致します。ありがとうございました。--Shocoreo4212 2009年9月23日 (水) 13:15 (UTC)[返信]

百済の巻き添えrvについて[編集]

はじめまして(だったと思います。何度かお名前は拝見しておりましたが)。ろう(Law soma) D Cと申します。このたびは私が行ったrvにより巻き添えをしてしまった「学界」を修正いただきありがとうございました。今後も宜しくお願いします。--ろう(Law soma) D C 2009年11月25日 (水) 00:38 (UTC)[返信]

わざわざの丁寧なご挨拶をどうも恐れ入ります。こちらこそどうぞよろしくお願いします。 Jinzuu 2009年11月25日 (水) 03:08 (UTC)[返信]

富山城「水濠」の議論における苦言のようなもの[編集]

こんにちは。富山城「水濠」の件で大変お世話になりました。ムカイです。

実は、一つだけ苦言があり、お伺いいたしました。

常用漢字の件はこちらの完全な勘違いですし、本題も私の調査不足でだいぶ話がもつれましたが、もつれた原因はこちら側だけの問題ではありません。

「議論以前のその前提となる基礎知識の有無の話」とおっしゃられるような難しいことではなく、高岡城までやられるとたまらないからという理由での予防措置や、2009年11月29日 (日) でのコメントや、話がかみ合わないので打ち止めにしたいとかという前に、

Jinzuuさん 「戻した。なぜこのようなことをする?」
私 「これは見られない。これにこうあるので、こうした。」
Jinzuuさん 「これにはこうあるので問題ないだろう。常用漢字の件はこうだからそれは誤りだ、もう一度確認してくれ」
私 「そうか、すまなかった。ありがとう。」

(あくまで例です。)この流れではだめだったのでしょうか。Jinzuuさんの場合、「これにはこうあるので問題ないだろう。」の部分が、出典の明記ではなく、主観的または、独自の視点をもって「普遍的に使われているし、問題ない」とおっしゃられておられたので、私は「その根拠は何?示していただきたい」とわざわざ請求するにいたったわけです。それで、根拠を示す前に使うべからずという取り決めがあるという証拠を請求されておられましたが、普遍的に使われている事実さえ示せばそのようなことをする必要はありません(悪魔の証明)。2009年12月4日 (金) に示していただいたように出典を明記していれば、私が「そうでしたか、私の勘違いでした。すみません」といって済んだ話です。これなら、熱くなって相手を小ばかにしたりさげすむような言動をせずに済みます。

「基礎知識の有無」と相手になんら知識のないように決め付けるような、挑発的な言動は議論相手の心情を悪くするだけだと申しましたが、ご理解いただけないのでしょうか。Jinzuuさんおっしゃられていることは回りくどい悪口なのでは。この程度のことを言われて当然の相手だとお考えでしょうか。ご説明いただければと思います。--ムカイ 2009年12月6日 (日) 08:32 (UTC)[返信]

ちょっと仕事が込んでまして返事が遅れてすみません。
まずは、あったかもしれないストーリー展開に同意を求められてもなんとも。そもそも、私の方は”水濠”の使用の是非を論じるのではなく、使用は当然可とした上での用語統一の必要性についての意見交換という意図でしたから、まぁ、このあたり最初からズレはあるんでしょう。
さて、ご自分が一方的に侮辱を受けたとしてご立腹のようですが、お城本の用語集を盲信し、学術分野にも使われる一般的な用語であると再三繰り返しているこちらの言には全く耳を貸さず、さらにはネット検索程度の検証もせずに”率直にお伺いしますが、本当に、そのような表記があるのですか。”とまで言ってのけるような姿勢は、相手にいかに不快感を与えているかということに少しは思い至ってもいいのではないでしょうかね。私はそれ相応の対応をしたということです。
また、お訊ねですので率直に言えば、”水濠”は日本史プロジェクトを覗いているような層にとっては当然見聞きはしているであろう常識的な言葉でしょうし、またWikipeia表記ルールの致命的誤読のこともありますから、もし立場が逆なら自分からあえて触れ回ることはないと思うでしょうね。
なお、悪魔の証明というのは”~でない証明”を言うのであって、私は、あなたが用語集の表記以外は認められないと独自に拡大解釈しているので、そのような用語・用字の制約についての取り決めがあることの証明=”~である証明”を求めたのであり、これは命題が偽である証明(そんな取り決めはない)というだけの普通の証明です。悪魔の証明なんてものではありませんよ。 Jinzuu 2009年12月8日 (火) 10:11 (UTC)[返信]

お疲れ様です。お返事いただき、ありがとうございます。すみません、苦言のようなものという少し厳しい題名ですので、お返事をいただけるとは思っていなかったもので、準備していませんでした。

「そもそも、私の方は”水濠”の使用の是非を論じるのではなく、使用は当然可とした上での用語統一の必要性についての意見交換という意図でしたから」同様の考えです。なので私が参考文献を示している時点で、お返事を一般的にどうかではなく参考文献を示して述べていただきたかったと思います。

「相応の対応をした」それはどういうことでしょうか。具体的にご説明いただければと思います。

「相手にいかに不快感を与えているかということに少しは思い至ってもいいのではないでしょうかね。」不快感は主観ではないですか。善意があるかないかなので、それは違うと思います。

「ネット検索」私が古いタイプの人間なのでただ単に思いつかなかっただけというのが本音です。なので「ネット検索程度の検証もせずに」その言い方はないかと。

「常用漢字の件はこちらの完全な勘違いですし、本題も私の調査不足でだいぶ話がもつれました」と申しましたが、一方的に侮辱されたとどこに書いていますか。Jinzuuさんの「回りくどい悪口」が一番腹立たしいことですが、他は私の失敗なので何も言いようがありません。

「常識的な」常識的なことは検証可能なことではないと思われます。こちらに使用例が見当たらない、つまりこの時点で常識的でないと相手が思っていることが判明していると思われます。(とぼけているというのはなしです。)その場合は、常識的であることを証明すればいいので、そちらで普遍的な例を示せばそれで証明が充分可能では。それを「常識だ」で納得させようとすると骨が折れます。

「城本の用語集を盲信し、学術分野にも使われる一般的な用語であると再三繰り返しているこちらの言には全く耳を貸さず」同じくご立腹かと存じますが、それはそうなのでは。こちらは真実かではなく検証可能かどうかを前提にしておりますので、出典がなければしつこくお伺いいたします。

「用語集の表記以外は認められないと独自に拡大解釈している」

富山城のノートにて「用語として、三浦正幸著の『城のつくり方図典』では「水堀を「濠」空堀を「隍」と書いて、両方をほりと読ませた(書籍より引用)」と記しています。西ヶ谷恭弘編著の『城郭の見方・調べ方』でも同様で、また堀の定義としては「人工による掘りあげたラインを堀、…(書籍より引用)」とあります。したがって、城郭における「濠」に水が引き込まれてあるのは当然ですので、態々「水」をつける必要はなく、「濠」の一文字で充分に水堀を表す用語として成立します。」

と述べましたが、用語集の表記以外は認められないと拡大解釈をしているのでしょうか。常用漢字でないので常用で使わないほうがよいとか、水をつけなくても一文字で水堀を表す用語だと述べましたが。参考にした、西ヶ谷恭弘編著の『城郭の見方・調べ方』に「自然の河川を利用したり沼地を利用したり水が入ったラインを濠と記す。(書籍より引用)」とあります。

自分から触れ回ってなにも不都合はありません。自分の失敗が含まれていることだけで黙っていることに何の利益があるのでしょう。それに関しては、恥は掻き捨てということでよいのではないでしょうか。--ムカイ 2009年12月9日 (水) 16:45 (UTC)[返信]

「白鳥城」編集の差し戻しについて[編集]

白鳥城が永禄5年の戦いで使用されたという史料はありません。従来『富山県史史料編Ⅱ中世』掲載の(永禄五年)10月17日付け上杉輝虎書状が「号呉増山」を攻めたとあるのを「呉羽山」と解釈して白鳥城のことだと理解されてきたようですが、『越中戦国紀行』の著者である高岡徹氏自身が書状の現物調査をしたところ実際には「号増山」と書かれていたことが明らかになりました。(詳しくは『富山市日本海文化研究所報41号』参照)ですのでこの時の戦いは増山城攻防戦のことであり白鳥城ではありえません。よって訂正させて頂きました。--富丸 2010年3月20日 (土) 03:55 (UTC)[返信]

了解しました。私の知識不足だったようで大変失礼いたしました。ただ、要約欄なりノートなりに理由を付していただければありがたいと思いますが。白鳥城籠城については、『日本城郭大系』にも同氏の執筆によるかと思われる同様の記述がありますから、今後再び同じ事も起きかねないと思いますので。よろしくお願いいたします。 Jinzuu 2010年3月20日 (土) 04:26 (UTC)[返信]

百済について協力お願いします[編集]

Jinzuuさんが百済の項目で版を差し戻していたので協力して欲しいのですが、Jinzuuさんが版を戻した百済の項目で大量に版を重ねて[2]韓国POV編集している人物は李成桂高句麗東北工程の項目に出没し、韓国POV編集を行い韓国に不都合な記述は削除するなど、今日も、朝鮮半島を中国とみなす記述に出没して記述を全て削除するなど、悪質な投稿を繰り返しているのですが、この人物は投稿ブロックを受けている利用者‐会話:121.109.122.152なのですが、ブロックを逃れる為複数のアカウトを製作し、[3]にブロック逃れを追跡されている人物なのですが、私は詳しくないのでどうすればよいと思いますか?--125.205.117.49 2010年3月30日 (火) 17:24 (UTC)[返信]

すみません、実生活の方が年度末・年度初めなのでなにかと取り込んでまして、当分関わるような余力がないです。百済は管理者のLaw soma氏がチェックしているようなので、そちらにご相談されるとよろしいのではないでしょうか。 Jinzuu 2010年3月31日 (水) 04:21 (UTC)[返信]