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利用者‐会話:Kuijken

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ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちは、Kuijkenさん、はじめまして!Trilingualと申します。ウィキペディアへようこそ!

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for Non-Japanese Speakers. Enjoy!

なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しております。Kuijkenさんが、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、ご存知のことばかりをご案内したかもしれません。不明をお詫び申し上げます。--Trilingual 2006年5月1日 (月) 14:40 (UTC)[返信]


差戻の報告[編集]

あなたが本日行った編集のいくつかを差し戻させていただきました。理由はノート:不作為義務を参照ください。最後に返信をつければいいってわけではありませんよ。倫敦橋 2006年9月9日 (土) 05:36 (UTC)[返信]

そちらに書きましたとおり、これまでに示されたあなたの考え方からすれば、差し戻す理由はないはずです。また、普通の判断力を持った第三者が、ノート:不作為義務での議論の経過を踏まえたならば、Kuijken が「最後に返信をつければいい」かのような考え方をしていたと読み取ることには、相当に無理があると判断すると思います。Kuijken 2006年9月9日 (土) 06:58 (UTC)[返信]
また「思います」ですか、っていうと揉めそうなのでやめておきます。あちこちに返信されると面倒なので、ノート:不作為義務に一本化してください。倫敦橋 2006年9月9日 (土) 07:49 (UTC)[返信]
「差し戻す理由はないはずです。」の方はどうなのでしょうか。「相当に無理があると判断すると思います。」は、「普通の判断力を持った第三者」を主語にして「…と判断する」とした関係でとった表現です。脊髄反射的なコメントはやめたほうがよいのでは。また、「揉めそうなのでやめてお」くとは、「また「思います」ですか、っていうと揉めそうなのでやめておきます。」を書かないことを意味するのではないですか。倫敦橋さんがここで述べたかったのは「揉めそう」という観点で状況を把握している倫敦橋は冷静だ、というアピールでしょう。そういうふるまいは見苦しいだけだと思いますが。
それから、面倒なのは私も一緒でして、あなたが面倒ならば一本化しなければならない、という要求に従うべき理由はありません。当然ですが、必要に応じて記述します。これまで「一本化」されていないのは、例えば「作為義務」のリダイレクト先は不作為犯である関係上、作為義務のノートにコメントする必要が認められたりしたからです。また、会話ページへのコメントに関しては、倫敦橋さんが最初になさったのですから、この点に関して倫敦橋さんが私にノート:不作為義務に一本化するよう要求するいわれはありません。Kuijken 2006年9月9日 (土) 08:46 (UTC)[返信]
ひとつ付け加えます。倫敦橋さんは、すでに「面倒」ゆえに「一本化」するよう私に要求したのですから、それに反して、この件について私の会話ページにコメントするのはやめてください。ただし、私としては、倫敦橋さんの会話ページに書き込むべき内容があれば、書き込みます。倫敦橋さんは面倒かもしれませんが、私がやめるべき理由はありませんので。Kuijken 2006年9月9日 (土) 09:48 (UTC)[返信]
(最後の返信なので返信は不要です)とりあえず、いろいろ齟齬があったようなので、前向きに話し合いをしましょう。Kuijkenさんにも好みや信念があるように、私にも好みや信念があるんですよ(例:議論で相手や第三者が読む気が失せるような長文を書くべきではない、等)。正面きって議論しないのは不誠実と考えるのも分かりますが、顔の見えないネットでそれをやったら議論のための議論に延々と付き合わされて実生活に支障がでる危険があります。また、第三者から「訳のわからない長文を書く困ったチャン」みたいなありがたくないレッテルを貼られるのはおそらくKuijkenさんにも不本意でしょうし。 倫敦橋 2006年9月9日 (土) 14:54 (UTC)[返信]
経緯を無視して一般論を並べたり、レッテルを貼らないポーズをしながらレッテルを貼ったりと、さんざんいい加減なコメントを書きたいように書いたあげく「返信は不要」などと自分の希望を押し付けるのはやめてください。私は「倫敦橋さんは、すでに「面倒」ゆえに「一本化」するよう私に要求したのですから、それに反して、この件について私の会話ページにコメントするのはやめてください。」と書いたのですが、その点を完全に無視したコメントをつけてよく恥ずかしくならないですね。Kuijken 2006年9月9日 (土) 15:29 (UTC)[返信]

プレビュー機能のお知らせ[編集]

こんにちは。ウィキペディアにご寄稿頂きましてありがとうございます。Kuijkenさんが同じ記事に対して短時間に何度も投稿されているようなので、同じ記事への連続投稿を控えて頂くようお願いに参りました。

投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで

などを予めチェックし、修正してから投稿すると同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点についてはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすに説明があるのでよろしければお読み頂けると幸いです。また、Wikipedia:ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますのであわせてお読みください。ご理解とご協力をよろしくお願いします。 --M3HR 2006年9月14日 (木) 13:38 (UTC)[返信]

プレビュー機能のお知らせ[編集]

こんにちは。ウィキペディアにご寄稿頂きましてありがとうございます。Kuijkenさんが同じ記事に対して短時間に何度も投稿されているようなので、同じ記事への連続投稿を控えて頂くようお願いに参りました。

投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、整形結果を先に見ることができます。これを使うことで

などを予めチェックし、修正してから投稿すると同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点についてはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすに説明があるのでよろしければお読み頂けると幸いです。また、Wikipedia:ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますのであわせてお読みください。ご理解とご協力をよろしくお願いします。 --M3HR 2006年9月27日 (水) 13:33 (UTC)[返信]

M3HRさん、私の投稿にご不満があるのでしたら、技術的な側面にかこつけた嫌がらせによって憂さ晴らしに走るのではなく、直接理由のある批判をください。そのようなテンプレートは、相手の落ち度につけこんで憂さ晴らしをするためにあるわけではないと思います。-Kuijken 2006年9月27日 (水) 13:39 (UTC)[返信]
M3HRさん、ノート:不作為義務 2006年9月26日 (火) 09:37の版 のような、根拠のない、嫌がらせ目的としかいえないような項目立ての変更は、行わないでください。-Kuijken 2006年9月27日 (水) 13:45 (UTC)[返信]

プレビュー機能のお知らせ[編集]

こんにちは。ウィキペディアにご寄稿頂きましてありがとうございます。Kuijkenさんが同じ記事に対して短時間に何度も投稿されているようなので、同じ記事への連続投稿を控えて頂くようお願いに参りました。

投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、整形結果を先に見ることができます。これを使うことで

などを予めチェックし、修正してから投稿すると同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点についてはWikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすに説明があるのでよろしければお読み頂けると幸いです。また、Wikipedia:ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますのであわせてお読みください。ご理解とご協力をよろしくお願いします。--PeachLover ももがすき。 2006年9月27日 (水) 14:01 (UTC) 審議ページでの、投票行動以外の自説開陳についても、非常に目に余りますので、管理者に通報しておきます。--PeachLover ももがすき。 2006年9月27日 (水) 14:01 (UTC)[返信]

ご自身の投票行動への反論を、「自説開陳」と形容することは明らかに言葉の使い方として不誠実ではないですか。また、M3HRさんの上の投稿状態を見た上で、さらに同じテンプレートを貼ることは、とても正当化できる態度ではないと思いますが…。「非常に目に余」るのでしたら、このような嫌がらせじみた形でなく、ストレートにWikipedia:投稿ブロック依頼/倫敦橋の方に反論くださればいいのではないかと思います。反論すると「自説開陳」になるからだめなのでしょうか。根本的におかしくありませんか。-Kuijken 2006年9月27日 (水) 14:21 (UTC)[返信]

ブロック依頼のお知らせ[編集]

やむを得ず、貴殿についてbanの依頼を出しましたので、お知らせします。--PeachLover ももがすき。 2006年9月27日 (水) 14:13 (UTC)[返信]

どこがやむを得ずなのでしょうか…。ブロック依頼において、依頼を擁護する議論をすることが、banの理由になるのですか? いくらなんでもそれはないのでは…? そもそも、Wikipedia:投稿ブロックの方針 には「投稿ブロック依頼が行われた場合、上記の条件に当てはまるユーザーはWikipedia:投稿ブロック依頼の書式に従い投稿ブロックの可否についてコメントを述べて議論に参加することができます。」とありますよ。私がbanされるとしたら、左の投稿ブロック依頼の方針の記述は、どういう意味になるのでしょうか。ただ結論を書かれるのを待つことを「議論に参加する」とは言わないでしょう。-Kuijken 2006年9月27日 (水) 14:21 (UTC)[返信]

どうか落ち着いてください[編集]

投稿ブロック依頼を拝見して参りましたikedat76と申します。

まずは、どうか落ち着いてください、と申し上げたいと思います。

投稿ブロック依頼はWikipediaにおける紛争や対立を端から全て持ち込んで解決する、という性質の制度ではありません。まず、記事のノートやコメント依頼での議論をへて対立を解決することがまず採るべき道であり、そうした方法によっては解決できない場合のみ、限定された場合のみ利用するものです。

また、依頼をすることそれ自体は(Kuijkenさんや私を含め)有資格ユーザーなら確かに誰でもできます。言い換えれば、だれでもあるユーザーがブロックされるべきだと提起することはできますが、実際にブロックされるかどうかは、コミュニティの判断を経ておこなわれるもので、提起したからといって全てがブロック実施に至るわけではありません(提起したら全て通る、なんていうことにしたら大変なことになることはご理解いただけると思います)。

今回の場合、他の方々は、“投稿ブロックによって解決しなければならない性質の事態でない”“第3者を交えての対立の解決を試行するべきだ”と他の方々は勧めておられるようです。相手方も問題の無いというわけではない方なのかもしれませんが、ご自身が冷静さを欠いては、第3者に対する説得力が薄れてしまいます。どうか、ご自身とは異なる判断をされるユーザーにも、いま少し丁重にコミュニケーションをとっていただくようお願いいたします。

追記 「プレビュー機能のお知らせ」が幾度か届いているようです。注意されるのは気持ちがよくないことだと私も思いますが、ひとまず「Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす」をお読みください。「プレビュー機能のお知らせ」は嫌がらせではなく、Wikipediaの閲覧者と編集者の双方にとって利益のあることだからこそ、勧められている事柄であるのがご理解いただけると思います。--ikedat76 2006年9月27日 (水) 17:37 (UTC)[返信]

ikedat76 さん、ご忠告ありがとうございます。ですが、私は本当に落ち着いています。ikedat76 さんがこれまでに見たことのある発言パターンからすると、私が書く「分量」は、ikedat76 さんにとって、「落ち着いていない」状態なのかもしれませんが、そもそも「分量」は落ち着いていないかどうかをはかる確かな基準なのでしょうか。単に反論すべきことが多いためかもしれない、と、考えてみてもらえないでしょうか。ikedat76 さんの自己紹介を見ますと、死刑廃止論者であるようです。その信念は、「ブロック依頼」という制度への一般的理解に対して整合的な形で向けられているように伺えますが、どうか、その理解を、私の話(この文脈での被告人の話)を聞く必要がある、という理解にも振り向けてみてください。ikedat76 さんには、それができるのではないかと思います。
まず、ikedat76さんは、「Wikipediaにおける紛争や対立を端から全て持ち込んで解決する、という性質の制度ではありません」とありますが、ここでの「Wikipediaにおける紛争や対立」とは、どういう意味でしょうか?
1 「記事執筆に関する紛争や対立」という意味でしたら、私へのブロック依頼の項でも反論した通り、私はそのようなものを、倫敦橋氏へのブロック依頼の際には持ち込んでいません。
2 「倫敦橋氏との紛争や対立」という意味でしたら、そもそもブロック依頼という制度は、紛争の種になるような状態のうち、とくに類型的に問題のあるものについて、ブロックという手段を通じて「解決」するものであるはずで、そのための議論がなされることは、むしろ保障されるべきことであるはずです。Wikipedia:投稿ブロックの方針 にも、「投稿ブロック依頼が行われた場合、上記の条件に当てはまるユーザーはWikipedia:投稿ブロック依頼の書式に従い投稿ブロックの可否についてコメントを述べて議論に参加することができます。」とあり、投稿ブロック依頼において議論することは、認められています。
日本語版での実態は違うのかもしれませんが、そのような実態は方針にあっていないのです。ここでの「議論」の意味は、ikedat76 さんが示唆するような意味である、という趣旨のことも、書いてありません。むしろ「賛否が割れた場合は議論を尽くして合意に努めた後」、とはっきり書いてあります。
「べきだ」「される」については、コミュニティの判断を経て、とありますが、私もコミュニティの一員であるはずであり、この場合だけ他の一員(実態は数名のユーザー)の「議論を尽くさない」判断が強制的にまかりとおるという考えは、方針の趣旨にあっていません。
また、ハノトさんへの反論の中でも答えましたが、「提起したら全て通る」などと考えているわけではありません。私がいくら議論したところで、通らない場合はあるでしょう。確かに私がこのままブロックされれば、通らないことになります。しかし、投稿ブロック対象になることが明らかで、その程度も甚だしい倫敦橋氏の行動がブロックされず、その不当性について、方針に従ってできる限り「分かる」ように論じた私の方がブロックされるというのは、全くあべこべな状態ではないかと思います。
「プレビュー機能のお知らせ」については、PeachLoverさんの依頼の方で説明しましたので、そちらを参照ください。
以上、大変お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いします。-Kuijken 2006年9月27日 (水) 23:12 (UTC)[返信]
私のコメントへのikedat76さんのコメントは、「(賛成)半年から1年で。依頼者およびuser:五斗米道氏に同意。Wikipediaへの参加を断念していただくほかないようです。--Ikedat76 2006年9月30日 (土) 09:06 (UTC)」[1] というものでした。仮に私の言動に問題があるとしても、上のような態度をとることまで正しいと信じられているのでしょうか。とても残念です。-Kuijken 2006年10月1日 (日) 09:18 (UTC)[返信]

誘導された先を見た上での投票です。

  • 繰り返しますが、プレビュー機能は技術的に合理的な理由をもちます。閲覧および編集の快適さを保つためにサーバに過度の負担がかかるのを回避するために必要とされているのであり、そのことを理解しようとすることなく、単なる嫌がらせ扱いするのは問題といわざるを得ません。
  • ご存知かどうか分かりませんが、Wikipediaのサーバもまた世界中の有志からの寄付によって維持されているのであり、限られた資源の有効利用という点からすれば、ぜひ従っていただく必要があります。頻回の投稿によってサーバに過度の負担をかけ、他者の閲覧や編集に支障が生じさせるようであれば、プロジェクトの進行の妨げとなります。これは、投稿ブロックや(場合によっては追放)の充分な理由になりえます。
  • また、共同作業によって百科事典を執筆するというプロジェクトの性質上、他者の忠告や注意(ましてテンプレートまで用意されているもの)を無視したり嫌がらせと反発するばかり、という態度は改めていただく必要があります。--ikedat76 2006年10月5日 (木) 04:06 (UTC)[返信]

プレビュー機能を活用してください[編集]

わが道を行く、ですか。郷に入らば郷に従え、という言葉があります。あなたのやり方であなたがコミュニティに受け入れられればよいですが、いまのところそうなっていないですね。ここは共同で執筆をする場なので、そこを取り違えるとただの荒らしとみなされます。--PeachLover ももがすき。 2006年9月28日 (木) 00:21 (UTC)[返信]

荒らし[編集]

荒らし行為はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となりますので、ご注意ください。--PeachLover ももがすき。 2006年9月28日 (木) 12:18 (UTC)[返信]

回答[編集]

倫敦橋さんに対する投稿ブロック依頼が見送りとなりましたので、こちらへ書き込みさせて頂きます。「私の主張の要旨を把握するXmas stepsさんの責任を、私の文章の側の「分かりにくさ」に転嫁しています。」とのことですが、不特定多数のWikipedianが当該依頼の正当性を判断するのに十分な「分かりやすさ」を確保することは、投稿ブロックの依頼者としての責任です。私が申し上げたのは、「読み手の責任が重過ぎるので、(分かりやすい、簡潔な依頼文にすることで)読み手の責任を軽減して下さい。」と言っているだけで責任転嫁ではないと考えています。また、「新芽さんやPeachLoverさんの態度は正しいという予断のみをもとに、コメントを書かれたことになります。」及び「私の言動と倫敦橋氏の言動の程度が、まるで同程度であるかのような印象を与える文章を、根拠なく書いていることになるからです。」という部分はKuijkenさんの憶測でしかありません。「あたりうる」は断定ではないという指摘はその通りだと思いますが、それを推測と言い換えたところで、「今後の反応次第では、あなた方に対しても投稿ブロック依頼を出します」が脅迫めいた発言であって、不適切であることには変わりません。Xmas Steps 2006年10月2日 (月) 08:18 (UTC)[返信]


こんばんは。他の方の態度があまりにも不公平すぎるので、少なくとも、公平さを保つ意図を読み取りうる文章を書かれている Xmas steps さんが、だいぶまともに見えるようになってしまいました。そういう意味で、上のコメントはありがたく読ませていただきました(嫌味ではありません)。結論から申し上げますと、Xmas steps さんの意見にはまったく同意できないですが、以下の文章はそういうつもりで書かれたと信じていただけたら幸いです。
本題ですが、まず、Xmas steps さんが問題としているのは、Kuijken 2006年9月27日 (水) 13:14 (UTC) ですね。元の文章を参照できる形にして批判を行ってください。
そして、参照しますと、以下の Xmas steps さんのコメント;
)「私の主張の要旨を把握するXmas stepsさんの責任を、私の文章の側の「分かりにくさ」に転嫁しています。」とのことですが、不特定多数のWikipedianが当該依頼の正当性を判断するのに十分な「分かりやすさ」を確保することは、投稿ブロックの依頼者としての責任です。私が申し上げたのは、「読み手の責任が重過ぎるので、(分かりやすい、簡潔な依頼文にすることで)読み手の責任を軽減して下さい。」と言っているだけで責任転嫁ではないと考えています。()また、「新芽さんやPeachLoverさんの態度は正しいという予断のみをもとに、コメントを書かれたことになります。」及び「私の言動と倫敦橋氏の言動の程度が、まるで同程度であるかのような印象を与える文章を、根拠なく書いていることになるからです。」という部分はKuijkenさんの憶測でしかありません。
は、私が現に書いた文章の流れを分断した引用や、誤解に基づいた批判にすぎず、成り立たないことがわかります。
すなわち、()に対応する元の文章は;
Xmas stepsさんは、「限られた時間の中でコミュニティ内の問題を解決するためには、分かりやすさは重要」という原則論を前提として、私の主張の要旨を把握するXmas stepsさんの責任を、私の文章の側の「分かりにくさ」に転嫁しています。しかし、PeachLoverさんのコメントをチェックしたのであれば、それへの反論 Kuijken 2006年9月25日 (月) 11:16 (UTC) の依頼文の長さに関する説明をお読みになったはずです。 1 お読みになったのであれば、一方的に「Kuijkenさんの依頼文及びユーザーからのコメントに対する返答が長過ぎてKuijkenさんが倫敦橋さんを投稿ブロックとすべきだと考える要旨だけでなく、審議(もしくは議論)の流れまで分かりにくくなっているということです。」と結論付けることは、私の主張を無視しているだけです。 2 お読みになっていないなら、Xmas steps さんは、単に新芽さんやPeachLoverさんの態度は正しいという予断のみをもとに、コメントを書かれたことになります。 いずれにしても、Xmas steps さんは、Xmas stepsさんが新芽さんやPeachLoverさんたちと共有する「依頼」「要約」に関する予断をもとに、私の『要約』へのコメントを書かれたことになります。
です(リンク・強調は引用時付加)。ですから、()は、私からの批判に全く触れずに、単純に「限られた時間の中でコミュニティ内の問題を解決するためには、分かりやすさは重要な要素だと考えます」(Xmas Steps 2006年9月27日 (水) 10:29 (UTC)) という最初の主張を繰り返しただけと分かります。
続く;
B1) また、「新芽さんやPeachLoverさんの態度は正しいという予断のみをもとに、コメントを書かれたことになります。」(中略)という部分はKuijkenさんの憶測でしかありません。
は、私が行った場合わけ1・2を無視した断片的引用を行うことで、「Kuijken は憶測を正当化した」 との印象を第三者に与えようとした文章に過ぎないことがわかります。()・(B1)に対応する箇所の実際の内容は、むしろ、場合わけ(仮定)して憶測を排しつつ「いずれにしても」Xmas steps さんの発言は正当化できない、とするものでした。
また;
B2) また、(中略)「私の言動と倫敦橋氏の言動の程度が、まるで同程度であるかのような印象を与える文章を、根拠なく書いていることになるからです。」という部分はKuijkenさんの憶測でしかありません。
については;
それから、Xmas steps さんは、実態とあまり整合的でない表現ではあるものの「倫敦橋さんの言動は決して褒められたものではない」と認めてくださっており、その点についてはありがたく思いますが、すぐ後で私の言動を同じ「決して褒められたものではない」という表現を用いて、対比を利用して批判するのは、 1 その根拠のなさや (「私から見れば…(結論)…に過ぎません。」「「投稿ブロック依頼の妨害」と断定し…一種の「脅迫」にも見えます(「あたりうる」は断定ではありませんし、あたりうる理由を曲がりなりにも示してあるなら、依頼を出す可能性を事前に告げるほうが、いきなり出すより穏当であるはずです)」) 2 すでに書いた Xmas steps さんの予断の存在からしますと、 明らかに不適切ではないかと思います。Xmas steps さんは、私の言動と倫敦橋氏の言動の程度が、まるで同程度であるかのような印象を与える文章を、根拠なく書いていることになるからです。
としました。これは、Xmas steps さんの意図ではなく、文章(「根拠なく書いていること」)を問題とした批判です。ですから「憶測」という見方は当たりません。
それから;
) 「あたりうる」は断定ではないという指摘はその通りだと思いますが、それを推測と言い換えたところで、「今後の反応次第では、あなた方に対しても投稿ブロック依頼を出します」が脅迫めいた発言であって、不適切であることには変わりません。
に対応する箇所は;
Xmas Steps 2006年9月27日 (水) 10:29 (UTC) (…)私から見れば、新芽さんやPeachLoverさんは今回の依頼に対する自分の意見を表明したに過ぎません。それを「投稿ブロック依頼の妨害」と断定し、彼らに投稿ブロックを依頼する可能性を示唆することは、一種の「脅迫」にも見えます。私が新芽さんやPeachLoverさんの立場であれば、自分が投稿ブロック依頼を掛けられるリスクを背負ってまで議論に参加しようとは思わないでしょう。
Kuijken 2006年9月27日 (水) 13:14 (UTC) (…)それから、Xmas steps さんは、実態とあまり整合的でない表現ではあるものの「倫敦橋さんの言動は決して褒められたものではない」と認めてくださっており、その点についてはありがたく思いますが、すぐ後で私の言動を同じ「決して褒められたものではない」という表現を用いて、対比を利用して批判するのは、 1 その根拠のなさや (「私から見れば…(結論)…に過ぎません。」「「投稿ブロック依頼の妨害」と断定し…一種の「脅迫」にも見えます(「あたりうる」は断定ではありませんし、あたりうる理由を曲がりなりにも示してあるなら、依頼を出す可能性を事前に告げるほうが、いきなり出すより穏当であるはずです)」) 2 すでに書いた Xmas steps さんの予断の存在からしますと、 明らかに不適切ではないかと思います。Xmas steps さんは、私の言動と倫敦橋氏の言動の程度が、まるで同程度であるかのような印象を与える文章を、根拠なく書いていることになるからです。
です。つまり、当初、Xmas steps さんは、「あたりうる」は断定ではないという指摘はその通り ならば、「「投稿ブロック依頼の妨害」と断定し、」は誤りであり、「示唆」は「一種の「脅迫」」とはいえない、となるはずの議論を行っていたのです。後になって「脅迫めいた」などと言い換えるのは自らの主張の責任を回避し、以前主張した内容をあいまいな形で援用しようとする詭弁に過ぎません。ここでいう「脅迫めいた」行為の実質は「いきなり(依頼を)出すより穏当」な、「あたりうる理由を曲がりなりにも示して」「依頼を出す可能性を(「あたりうる」と)事前に告げる」ことにすぎません。
それに、私の「脅迫めいた」批判に応じきれなくなった、PeachLover さんは、「いきなり依頼を出」して、Kuijken を追い出そうとする挙に出ました。新芽さんも、それにのっかっています。 Xmas steps さんは、彼らの行為について、どう思うのでしょうか? 要は「リンチ」「村八分」「弾圧」ですよね、彼らのやっていることは。ウィキペディアの方針に基づいた異議は一貫して無視していますし、「審議」の場では議論できない、などと、方針によりどころのない理由付けを並べているだけですから。他人のコメントを目につきにくいところに移動することは、常識的に言って不当であるはずですが、誰もそれが不当だとは書きませんしね。実際のところ、数人がやっていることに過ぎませんから、驚きもしませんが。
※ところで、Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/倫敦橋を、推測で検索しても一件もヒットしないのですが、「それを推測と言い換えたところ」はどこなのでしょうか?
Xmas steps さんが「回答」で触れられた点は、私の批判の要点をすべてフォローしたものではないことも指摘します。これについては、元の文章 を読めば明らかですし、そのようにして知られるべきことだと思いますので、どこであるかは指摘しません。
最後に、この「長い」コメントは、意図的なものです。この長さを構成する要素や、このように書く必要がどうして生じたのか、よく考えていただきたいです。
Xmas steps さん、コメントありがとうございました。-Kuijken 2006年10月2日 (月) 14:04 (UTC)[返信]


まずはお返事を拝見(拝読ではないことにご注意下さい)しての感想は、『ウンザリするほど長い』というものです。これは正当化でも何でもなく、私個人の感想ですから、批判されても改めようもありません。正直、お返事を書くのも止めようかと思いましたが、何とか踏み止まって、こうしてお返事を書いています。私には、同様の感想を件の投稿ブロック依頼の文面に感じられたWikipedianが数多いと思えてなりません。つまり、依頼文の長さに辟易して賛否の意思表示する権利を多くのWikipedianが放棄してしまったのではないかと考えています。
「私が現に書いた文章の流れを分断した引用」ということで、私の指摘(の一部)に同意頂けないということですが、PeachLoverさんのコメントに対するKuijkenさんの反論とは、「『「要約」というのが長すぎて要約の用を成していない』は、PeachLover さん個人が、「要約」という概念に対して抱く予断を理由に、『要約』 を無視したことを示すに過ぎません。投稿ブロック依頼のための『要約』を正しく行うためには、元の議論からの引用をかなりの程度行わなければなりません。今回の『要約』が長いのは、むしろ引用をきちんと行い、公平さを期したためです。」という部分かと思います。ちなみに、読んでます。ただ、私も要約はできる限り短くまとめられてしかるべきだと考えています。その点について、意見の相違があるのは分かります。それでも、私がKuijkenさんの抱く要約の概念に同意するに至るほどの説得力がなかった、ということです。
ちなみに、昔、心理学の講義で人間の短期記憶に関する説明を受けましたが、人間が短期間記憶に留めておける事柄の数として、「7±2」という説明がありました。それ以上は認識する横から落ちていくようです。
あれだけ膨大な分量で指摘されているポイントをすべてフォローしながら回答をしろというのは、(少なくとも私には)無理難題です。私の短期記憶はそれほど優れたものではありません。ここら辺で時間切れです。あとで時間があれば、他の点にも回答するかもしれませんが、回答義務はないので、その気にならなければ回答はしない、ということになります。悪しからず。Xmas Steps 2006年10月3日 (火) 01:53 (UTC)[返信]


Xmas steps さん、あなたのお返事を拝読しての私の意見は『Xmas steps は、ウンザリするほど無責任』というものです。私があなたに向けて『ウンザリするほど長い』文章を書くことになったのは、そもそも、あなたが私に向けて意見を書いたからです。Xmas steps さんは、私が長い文章を書くことをすでに知っているのですから、長い文章を見るだけでウンザリし、かつ、その見方を「正当化」するつもりがないなら、私に向けて意見を書くべきではありません。相手が反論する機会を、自身が表明できる程度の質・量に対応するように一方的に制限する言説を垂れながら、自身の表明したいことは表明するというのは、どう考えてもまともなやりかたではありません。結局のところ、Xmas steps さんは、「Xmas steps や依頼の場で反対していた数名は、Kuijken が書いた程度の文章を「長文」とみなして排除することを、ウィキペディアの不文律と考えている。自分たちの仲間に入れて欲しければ、この不文律に従え。細かく反論するな。ウィキペディアの公式な方針を持ち出して、あれこれ文句言うな。」と言いたいだけのことでしょう。そういうことを批判を受けずに書くことをお望みでしたら、ご自身のアカウントに割り当てられた利用者ページにでも書いておけばいいんじゃないでしょうか。
また、Xmas steps さんは、「何とか踏み止まって」書かれた「お返事」の、どのあたりに説得力を感じてらっしゃるのでしょうか?
 「拝見(拝読ではないことにご注意下さい)」
なぜ、Xmas steps さんが私の批判をろくに読んでいないことについて、私が注意しなければならないのでしょうか? 「拝読ではないことにご注意」しなければならないのは、自分から開始した批判への批判をろくに読まずに、批判された当の自説を「感想」と称して単純に繰り返しつつ、「ウンザリ」したなどと宣言する傲慢さをさらして全く恥じるところのない、Xmas steps さんの方でしょう。そもそも「拝見(拝読ではないことにご注意下さい)」とするようでは、「拝見」「拝読」したことにならないと思うのですが。
 Xmas steps の見方を「正当化でも何でもなく、私個人の感想」とし「(感想だから)批判されても改めようも」ないと開き直った直後に、「同様の感想…数多い」と矛盾した、ご都合主義的な意見を書く
「私は私の発言内容を感想とみなすから、これに批判されても改めない」は、「私は私の発言の責任を取らない」という開き直りを、取り繕っているだけです。「私個人の感想」としておきながら、「同様の感想…数多い」とすることは、Xmas steps さんが、「数多い」と思っている立場に対して全く無批判であることを表明しているに過ぎません。Xmas steps さんにとって「同様の感想」が「感想」であるのは、それが「私個人の感想」と同じとみなすからです。「感想」に対立する立場から見ますと、それらの「感想」は、通常「感情論」と呼ばれます。このように述べると、後になって「感情論ではない!」と言い出します。では「感想」と述べたことは、なんだったのでしょうか。詭弁絶好調ですね。
 「依頼文の長さに辟易して賛否の意思表示する権利を多くのWikipedianが放棄してしまったのではないか」
賛否の意思表示をしないと決めたならば、以後、権利放棄した(賛否の意思表示が許されないと認めた)ことになるのでしょうか。「なんとなく重そう」なので、「権利を…放棄してしまった」と書いてみたようにしか見えません。また、私は、辟易するなら、方針によりどころを求めて反論するか(無理ですが)、方針を改めればいい(こちらは、感情論で済ませられる人たちにかかれば、いくらでも可能ですね)と思うのですが、なぜか「辟易している」とか「審議の場で議論するな!黙ることを覚えろ!(とか相手に向かって発言する自分は黙らない)」とかいう感情論で済ませようとしますよね。感情論をまかり通らせても、やはり論理的である体裁は欲しいんですか? みっともないにもほどがあるんじゃないでしょうか。
 「「私が現に書いた文章の流れを分断した引用」ということで、私の指摘(の一部)に同意頂けないということですが、PeachLoverさんのコメントに対するKuijkenさんの反論とは、「『「要約」というのが長すぎて要約の用を成していない』は、PeachLover さん個人が、「要約」という概念に対して抱く予断を理由に、『要約』 を無視したことを示すに過ぎません。投稿ブロック依頼のための『要約』を正しく行うためには、元の議論からの引用をかなりの程度行わなければなりません。今回の『要約』が長いのは、むしろ引用をきちんと行い、公平さを期したためです。」という部分かと思います。ちなみに、読んでます。」(強調引用者)
上の引用が恣意的であることは、原文 Kuijken 2006年9月25日 (月) 11:16 (UTC) を見れば明らかです(「『要約』が長くなり、例が増えたのは、」以下参照)。そもそも、Kuijken が「PeachLoverさんのコメントに対するKuijkenさんの反論」を読むように促した文章は、「PeachLoverさんのコメントをチェックしたのであれば、それへの反論 Kuijken 2006年9月25日 (月) 11:16 (UTC) の依頼文の長さに関する説明をお読みになったはずです。」です。原文の中に、依頼文という言葉がどう登場しているかをチェックしていただければ、Xmas steps さんの恣意的な引用がよりはっきりします。また、当然ですが、単に引用を行って「読んでます」と断るだけでは、Xmas Steps 2006年10月2日 (月) 08:18 (UTC) で行った引用・議論への批判に答えたことにはなりません。
 依頼文全体の理解について、短期記憶を持ち出す
短期記憶は、依頼文全体ではなくて、依頼文の部分(個々の例示など)に関する判断にあてはまることです。Xmas steps さんの理屈は、アンケートは、アンケート全文(長文)を短期記憶で処理できるようなものでなければならない、処理できないなら、そのアンケート(短文の集合としての長文の判断)は行わなくてよい、と主張するようなものです。アンケート全文が短期記憶で処理できなくても、短期記憶でアンケート全部を処理することはできます。また、アンケート(要約・依頼文)の長さは、そのアンケートの内容や目的などによって決まる問題で、「アンケート」という言葉のイメージによって規定されるいわれはありません。
以上、のようなお返事を「何とか踏み止まって」書いたと言われましても、苦し紛れにしか見えません。
最後に、「回答義務はないので、その気にならなければ回答しない」などと、まるで私が「回答義務」を課しているかのように書くのはやめていただきたいです。冒頭に書いたことと若干被りますが、この項目で回答を書き始めたのは、もともと Xmas steps さんであり、Kuijken の回答に答える義務(回答責任)が生じるとすれば、それは、本質的に Xmas steps さん自らが負うべき性質のことがらです(具体的には、Xmas steps さんが回答しないなら、Kuijken の反論が加えられたまま放置されることになり、文章を読む人の解釈が特定の方向に傾向づけられうることを受け入れざるをえなくなることです)。-Kuijken 2006年10月3日 (火) 11:53 (UTC)[返信]


Kuijkenさんが長い文章を書くことをすでに知っていますが、その長さはあなたにとってプラスに作用してますか?現状ではマイナスが大きいと思い、改めることをお薦めしたかっただけですが諦めました。さようなら。Xmas Steps 2006年10月4日 (水) 00:33 (UTC) (インデント変更 Kuijken 2006年10月4日 (水) 09:36 (UTC))[返信]


Xmas steps さん、
Kuijkenさんが長い文章を書くことをすでに知っていますが、その長さはあなたにとってプラスに作用してますか?現状ではマイナスが大きいと思い、改めることをお薦めしたかっただけ
のような発言は、ふつう おためごかしと言い、もっとも見苦しいふるまいの一つと考えられています。文章の長さが「現状ではマイナスが大き」く作用しないと困る(文章の長さ「だけ」が問題にならないと困る)のは、Xmas steps さん(や、PeachLoverさんたち)のほうであり、私ではありません。そのことは、この #回答 という項目で行われた会話にもよくあらわれています。
私は、必要なことを述べる際に、ある程度の長さが要請されると考えているだけです。そもそも、私の文章は、主張・意見・指摘・「感想」などの誤りを「細かく」指摘していく結果、長くなっているだけです。Xmas steps さんは、しきりに「長さ」という捉え方を強調されますが、本当に困っているのは、「長さ」ではなくて「文章解釈の細かさ」でしょう。細かく応じられると、自分たちの文章のおかしさを、議論によってごまかすことは無理だから、長文という価値判断まじりの特徴をでっちあげて、審議の場でないとかの理由を場当たり的にこじつけて排除しようとしているだけの話でしょう。
また、Xmas steps さんは、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Kuijken の方で、
(賛成)共同作業を進めていく上で必要不可欠な「自分の主張を理解してもらう姿勢」が欠けている。理屈さえ正しければ何でもまかり通ると思っているかのような独善性すら感じられる。他人の感情を慮って自らの言動を律することができない方はプロジェクトへの参加を断念して頂くのが良い。 Xmas Steps 2006年10月4日 (水) 04:20 (UTC)
としています(下線引用者)。しかし、「理屈を正しくする」ことは、「自分の主張を理解してもらう姿勢」そのものです。正しい理屈を述べている人に対して「理屈さえ正しければ何でもまかり通ると思っている」というレッテルを貼って、正しくない理屈を押し通すことを正当化するような態度こそ、「独善」的で「他人の感情を慮って自らの言動を律することができない」態度そのものでしょう。Xmas steps さんは、他人自身が他人自身の論理性を発揮しないことが「自分」を律することであり、他人が示した正しい論理的帰結に自分が従うに至ることは、他人が他人自身を律しないことだ、という、とてつもなく傲慢な考えを、堂々と述べているわけです。-Kuijken 2006年10月4日 (水) 09:36 (UTC)[返信]
Kuijkenさんに対する認知・理解への影響がプラスに働こうがマイナスに働こうが、私個人はまったく困りません。理解できればできるに越したことはないし、それは容易であれば容易であるに越したことはない、という程度のものです。「おためごかし」とは「相手のため様に見えて実は自分のための言動」ということでしょうが、私はそれを見苦しいとは考えません。むしろ人間は利己的なものですから当然のことです。単純に、Kuijkenさんの考え方がより簡素に表現され、周囲の理解を得やすくなれば、Kuijkenさんにとっても(私を含めた)すべてのWikipedianにとっても利益になると思ったまでです。私の得はあなたの損というようなゼロサムの関係は想定していません。
「私は、必要なことを述べる際に、ある程度の長さが要請されると考えているだけです。」とのことですが、その長さが原因で必要なことが伝わらなければ本末転倒です。今回のことで理屈が正しいだけでは自分の主張を理解してもらえない、ということを是非学習して頂きたいです。Xmas Steps 2006年10月6日 (金) 10:18 (UTC)[返信]


言いたいことを整理するということは、コミュニケーションの重要な技法です。要約という技法は、小学校の国語の時間の中でおべんきょうすることなので、それができなければ単に「コミュニケーション能力欠如」という反応をされ、結果、自分の言いたいことは伝わらず、相手にすらされない、ということになるだけです。Kuijkenさんの意見が相手に伝わらなくても、誰も困りませんし、wikipediaにも何ら影響はありません。--PeachLover ももがすき。 2006年10月4日 (水) 01:36 (UTC)[返信]

PeachLover さんについては、Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Kuijken をご覧ください。-Kuijken 2006年10月4日 (水) 09:36 (UTC)[返信]

きまりをまもろう[編集]

Wikipedia:ノートページに示されたガイドライン「下に進めましょう」は「ルール」ではなく、エチケットに準じた便宜的な規範に過ぎないかもしれません。しかし、プロジェクトの円滑な運営のために生成発展してきたものですから、できる限り従うようにしてください。ノート:義務でKuijkenさんが行ったレイアウト改変は、ノートページの便宜的な規範に反しており、読みにくく迷惑です。同様の指摘をノート:不作為義務でもされていますね。逆ギレせずに、聞く耳を持ってください。お願いします。--唐棣色 2006年10月4日 (水) 08:47 (UTC)[返信]

唐棣色さん、「きまりをまもろう」とか「逆ギレ」「聞く耳を持ってください」のような、印象付けに終始した文章を書かずに、具体的にどう「読みにくく」なったのか、きちんとお書きください。
私のレイアウト改変が分かりにくい、とのことですが、実際の変更経過は以下の通りです。
■唐棣色さんによるレイアウト変更前 [2]
目次
1 統合措置
2 憲法の義務規定について
3 「憲法の義務規定について」を受けて
4 終了した項目
4.1 憲法上の義務を「義務」という項目に記述する意味について
4.2 憲法上の義務を「義務」という項目に記述する意味について (続き)
「統合措置」が上にあるのは、倫敦橋氏が上に記述した ためです。終了した項目を下に移動することは、「終了した項目」と明示してまとめられていることもあり、見易さの点で優れていると考えます。<「憲法の義務規定について」を受けて> が、<憲法の義務規定について>を受けたものであることが、わかりやすくなっています。
■唐棣色さんによるレイアウト変更後 [3];
1 憲法上の義務を「義務」という項目に記述する意味について
2 憲法上の義務を「義務」その他
3 憲法の義務規定について
3.1 「憲法の義務規定について」を受けて
3.1.1 投稿態度について
3.1.2 憲法の義務規定について
4 統合措置
上の変更により、<「憲法の義務規定について」を受けて> が、<憲法の義務規定について>とどのような関係にあるのか、かえってわかりにくくなりました。変更前より、編集時点で行われている議論を参照しにくくなりました。また、<憲法上の義務を「義務」という項目に記述する意味について (続き) >が、<憲法上の義務を「義務」その他 >という、意味不明な項目名に変更され、わかりにくくなりました。
■Kuijken によるレイアウト変更 [4];
目次
1 憲法の義務規定について
2 「憲法の義務規定について」を受けて
2.1 A 高圧的な態度、スローガン的な語句の強調
2.2 B 批判の無視・批判として意味をなさない言及の反復
3 「憲法の義務規定について」を受けて への反論
3.1 投稿態度について
3.2 憲法の義務規定について
4 終了した項目
4.1 憲法上の義務を「義務」という項目に記述する意味について
4.2 憲法上の義務を「義務」という項目に記述する意味について (続き)
4.3 統合措置
1-3は、Wikipedia:ノートページのルールに完全に従っている点に注意してください。つまり、私がノート:義務を編集した範囲で Wikipedia:ノートページ のルールに反しているのは、終了した項目を下に移動したことだけです。
何ら具体性を持たない主張をもっともらしく述べることで、他人を貶めることに終始するようなふるまいはおやめください。-Kuijken 2006年10月4日 (水) 09:23 (UTC)[返信]
何ら具体性を持たない主張をもっともらしく述べることで、他人(倫敦橋氏やわたし)を貶めることに終始するようなふるまいはおやめください。--PeachLover ももがすき。 2006年10月5日 (木) 03:33 (UTC)[返信]
Wikipedia:ノートページ下方向に進めましょう」の方針に基づき、ノート:義務のレイアウトを修繕しました。--唐棣色 2006年10月5日 (木) 17:34 (UTC)[返信]

追放されました[編集]

とりあえず1ヶ月ということです。追放明け後も態度が改まらない場合はより長期になる可能性もあるので、留意してください。それではさようなら。--PeachLover ももがすき。 2006年10月5日 (木) 12:44 (UTC)[返信]