利用者‐会話:Papamaruchan22/過去ログ1

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まるちゃんより[編集]

どうもありがとうございます。お互いに頑張りましょう!まるちゃん 2006年8月16日 (水) 11:54 (UTC)[返信]

金属粉末射出成型法の件(お返事)[編集]

こんにちは。わざわざありがとうございます。確認したところ、まだMIMという記事はなかったようなので、英語版などを参考に作成しそこで言及しておきました。それからミムと呼ばれるものがほかになさそうならこれをリダイレクト(転送)にしておいてもいいのではないかと思います。

それからWikipedia:記事名の付け方をご覧頂きたいのですが、Wikipedia日本語版では英字は半角を使うことになっていますのでよろしくお願いします。―霧木諒二 2006年8月31日 (木) 03:15 (UTC)[返信]

バーンスター[編集]

同じ歴史家として日ごろのご活動に敬意を表し、ここに歴史のバーンスターである記紀バーンスターを贈呈させて頂きます(私などは一度も贈られたことのない身でおこがましいのですが)。--Suifu 2006年9月19日 (火) 14:32 (UTC)[返信]

刻苦勤勉バーンスター、有難く拝受致しました。御礼申し上げます。なお、拝受したバーンスターは拙マイページに移動させて頂きました。Papamaruchan22様もさしつかえなければ、贈呈させて頂いたバーンスターを表ページのお邪魔にならないところに移動して頂ければと思います。--Suifu 2006年9月20日 (水) 00:19 (UTC)[返信]

  • バーンスターマークは、会話ページとかいてあるので・・・このままでいいですかネ。papamaruchan22 2006年9月20日 (水) 00:31 (UTC)・・・・せっかのお心づかいですのでご指示のとおりマークだけ移動しました。[返信]

ご随意に。私は歴史家・歴史愛好家の皆さんに積極的に記紀バーンスターを贈り、このバーンスターが歴史ファンの標章にし、wikiにおける歴史家ネットワークを形成すれば、より歴史関連記事の発展が期待できるのではないかと思っています。それに、誰もが感謝の意を表することができる、バーンスターというのは、wikiにおけるひとつの美徳といえるでしょう。その意味で他の方への感謝を忘れないためにも、今後も記紀バーンスターはじめ各バーンスターを積極的に贈り続けたいと思います。今後ともご指導のほど、よろしくお願いします。--Suifu 2006年9月20日 (水) 00:36 (UTC)[返信]

改めて。贈呈させて頂いたバーンスターですが、記紀バーンスターと歴史バーンスターの改編に伴い、改めて歴史バーンスターを贈呈させて頂きます。表ページの画像とさしかえて頂ければ幸いです。--Suifu 2006年9月22日 (金) 09:32 (UTC)[返信]

歴史バーンスター
奥州藤原氏関連の項目作成の功を讃えます--Suifu 2006年9月22日 (金) 09:32 (UTC)[返信]

経済部門でのご活躍に敬意を表し、社会バーンスターをお贈りします。--Suifu 2006年9月22日 (金) 10:28 (UTC)ありがとうございます。[返信]
画像は表ページへ

遅ればせながら、社会バーンスターより経済バーンスターが分割されました。つきまして、勝手ながら贈呈者意思により社会バーンスターを経済バーンスターに差し替えさせて頂きました次第です。

歴史バーンスター、ありがたく頂きました。私からも…とも思いましたが、既にSuifuさん改め海衛士さんから受けられていたのですね。--ろう(Law soma) 2006年10月14日 (土) 04:36 (UTC)[返信]

同じものを複数回贈呈することも、問題ないと思われます。--海衛士 2006年10月15日 (日) 10:30 (UTC)[返信]

AAを「以外」に使う…(お返事)[編集]

こんにちは。アレは私のユーザーボックスを見ていただければわかると思うのですが、利用者:幻想竜さんの作ったユーザーボックスを利用させてもらっているだけですので私にはわかりません。もしかしたら2ch用語らしい誤変換にしているだけかもしれません。一応一ヶ月ほど前に幻想竜さんには伝えてあります。会話ページ--Sha-1024 2006年9月23日 (土) 06:23 (UTC)[返信]

了解バンスターお送りしよう。papamaruchan22


経清の最期について[編集]

こんにちは、papamaruchan22様、ご連絡いただきありがとうございます。参考文献として日本大戦争を取り上げたのは衣川で討死したというソースを示してください、という意見が出るものと思って記載いたしました。現在手元に本がないため、原氏がどういった文献または現地調査などをしてそういう結論で書かれたのか不明ですが、大河ドラマと違って脚色する必要はないので参考文献として残したいです。今のままだと藤原経清の参考文献ですので、異説のソースとなるように編集し直します。経清ノートの議論は見ていなかったのでそちらにも記載させていただきます。大分古い書籍ですが、大きい図書館ですと、置いているかもしれません。ご興味がおありでしたら是非お読みください。古代の歴史から太平洋戦争まで30巻以上に渡っていて、東北方面の記事ですと、坂上田村麻呂あたりから、奥州藤原氏の滅亡までも大分ページを割いています。--Tiyoringo 2006年10月7日 (土) 04:44 (UTC)[返信]

こんにちは、お久しぶりです。ご指摘いただいた文献を原氏が読んだかは定かではありませんが、鈍刀で・・・をどうしても書きたくなくて、そこだけ創作した可能性もありそうですね。結構源氏にとって不名誉と思われるような記載もありますが、そうした可能性もありそうですね。--Tiyoringo 2006年11月7日 (火) 10:50 (UTC)[返信]

改名のご挨拶[編集]

suifuです。海衛士に改名を致しましたのでご挨拶に上がりました。今後ともよろしくお願い致します。ちなみに、Papamaruchan22 様の執筆・編集記事を拝見することがあり、非常に驚嘆しました。私も負けないようにがんばります。最近は歴史関連の項目を頑張って増やしておりますが、自分としては安全保障・軍事部門にも精を出しております。suifu改め--海衛士 2006年10月11日 (水) 01:57 (UTC)[返信]

返礼に参上致しました。消防団員として消防バーンスターを頂けたこと光栄に存じます。海衛士の名は国防において一定の官職についたことに因んでおります。本来は陸上の官職ですが、海が好きなので海衛士にしました。ちなみに、本業の自衛官ではないのですが。ともかく、本当に嬉しく思います。重ねて御礼申し上げます。有難うございました。--海衛士 2006年10月13日 (金) 10:44 (UTC)[返信]


藤原清衡[編集]

怪蘇と申します。Papamaruchan22さんこんにちは。わざわざご連絡いただいてありがとうございます。ご指摘の清衡妻子皆殺し事件についてですが、確かに、家衡対清衡の狭義の後三年の役のきっかけとなった事件なので、前の方に移した方が良いと思います。修正しておきました。あそこの家は連れ子や養子ばかりで非常に複雑な家庭ですね。血統的に正嫡であるはずの家衡が不満を持つような裁定をするなど、源義家が意図的に乱を煽ってますしね。

私も東北在住ですので東北地方の歴史関係を主に書き込みしているのです。これからもPapamaruchan22さんの活躍を期待しております。

バーンスター騎士団について[編集]

失礼します。バーンスター騎士団とは何ぞやというお尋ねについて。

まず、誰が何をするのか…というお尋ねについて。一応、コミュニティの位置付けは任意のグループです。よって、主な構成員は趣旨に賛同してくださる有志の方で構成します。活動内容は、それぞれの分野で活躍するウィキペディアンに活動の業績に相当するバーンスターを選定し贈ること。一応、友情や恩情ではなく、貢献度で判断します。 このコミュニティの趣旨ですが、コミュニティの主たる目的は記事の質的向上にあります。バーンスターは、それぞれの分野で活躍する人を顕彰・激励するものですが、それ以上にそれぞれ共通した専門分野や特性を持った人々が同じバーンスターのリストに名を連ねることで、連携を作り出すコミュニケーションツールとしての効用をも有しています。たとえば経済バーンスターのリストを見れば、どのユーザーが経済部門に強い人々なのか、確認することもできる。つまり、バーンスターの贈呈を通じて、知的交流を深めることが目的の第一に挙げられると思います。

第二の目的としては、荒らしやむやみに紛争をもたらすウィキペディアンが現実として存在する中で、一般の善良なウィキペディアンによるサロンを形成することで、安定した執筆活動を維持することにあります。例えば、編集競合や記事の膠着状態が発生した場合に編集バーンスターや反荒らしバーンスターなどに名を連ねる人同士の連携によって、より穏便かつ適切な対処も可能ではないでしょうか。

ちなみに、コミュニティ名に騎士団を充てたことには深い意味はありません。同好会やその他の言葉をあてるとやたら長くなってしまいかねない。単純かつ記事のブランディングに合うイメージとして騎士団を充てました。 以上の点を軸に、当コミュニティでは記事の質的向上に向けた関係者の顕彰とネットワーク形成を兼ねた形でバーンスターを積極的に使用していくこととしています。きちんとご回答になったか自信ございませんが、ひとまずご返答申し上げます。--海衛士 2006年10月16日 (月) 13:57 (UTC)[返信]

バーンスターについては、ご理解頂いたのかな。。。ご返答なく気になっております。レスがあるのならこちらで結構ですのでご回答を希望します。--海衛士 2006年10月19日 (木) 14:41 (UTC)[返信]

藤原秀郷について[編集]

ノート拝見しました。私は記事に何の疑問も感じません。そもそも、藤原氏であるかどうかも疑念がある人物です。ソース不十分ですが、中には母方が藤原氏であったため、摂関家に運動して藤姓としたという解説もあるくらいです。私は土着の下野大掾であったと理解しておりまして、違和感はまっっっっったくありませんでした。そもそも、如何なる問題意識によるお問い合わせなのか、理解しかねる部分があり、十分な解答となった自信がありません。 たんに経歴を遡るだけなら、『尊卑分脈』は公立の図書館には大抵おいてあると思います。秀郷流の家系を見るだけで、秀郷の官途を確認することはできるでしょう。市販本では、小説 吉川英治、童紋冬ニの『平将門』があり、専門的には安木三郎『藤原秀郷将軍』はじめ専門書をご覧になっては如何でしょうか。

Amazon.co.jp藤原秀郷検索結果

私もそう時間の余裕がないもので十分な解答できる環境にありません。ひとまずご返答まで。--海衛士 2006年10月19日 (木) 14:41 (UTC)[返信]

横から失礼します。私も違和感は感じませんでした。海衛士さんの挙げた資料の信憑性は兎も角(小説等専門歴史家以外による著作は…?)藤原氏ではなく毛野氏とする見解もあり、仮に系図を信ずるとしても祖父が下野権守、父が下野大掾と三代にわたって下野に地盤を持っており、私も土着の下野大掾であったと理解しております。詳細はノート:藤原秀郷に。--ろう(Law soma) 2006年10月20日 (金) 00:41 (UTC)[返信]

ろう様。確かに小説は歴史「学」的資料にはなりませんが。。基本的理解を得られる程度には参考になるのであげたまでです。とても細かいご指摘を有難うございます(笑)小説は歴史考証の用途としてあげたのではなく、あくまで人物像が如何に描かれているのかを知るエッセンスとしての意味で提示したまでだったのですが。故に専門書では区別して申したので。もちろん、小説はフィクションが入る余地がありますし、考証が担保されているとはいいきれない文献でもありますが。

Papamaruchan22様

本日、安木三郎『藤原秀郷将軍』野口実『伝説の将軍』を読んだのですが、祖先の系譜も含め秀郷の事績についてこと細かく解説がありました。前者はやや人物像に詳しく、後者はやや家系が詳しい文献だと感じました。ご参考になれば。--海衛士 2006年10月20日 (金) 08:49 (UTC)[返信]

バーンスター騎士団について[編集]

バーンスター騎士団についてご意見を有難うございました。濫発せぬようにとのご注意ご尤もにも思いました。私の見解もほぼ同じです。但し、基本的なバーンスターの性格は「気軽に贈ることができるもの」であり、そこに客観的な審査や厳選を必要としないものであるというのが実態です。それは投票により決する秀逸な記事や新着記事の選出、或いは月間新記事賞、月間感謝賞とは大きな隔たりがある。そもそも、一般論としてのバーンスターは何の制約もあってはならないというのが本当だろうと思うのです。さりとて、無条件に濫発するのが好ましいこととも思わない。 そこで、考えました。同じバーンスターでも、バーンスター騎士団より贈呈されるバーンスターは何らかの客観的審査・選考を経て贈呈することにより、一般的なバーンスターとの差別化を図ることができるだろう。さらに、バーンスター騎士団のバーンスターには騎士団より発行するタイトル(称号)が付随することで、個々人で任意に贈るバーンスターとの区別がつけられるだろうと。よって、バーンスター騎士団ではたんにバーンスターを贈るのではなく、客観的贈呈基準と一般的にバーンスターとの差別化を推進するよう提案しようかと考えています。

もし、今後もご助言頂けるようでしたら、コミュニティにご加入頂かずとも、個人的にご教示頂く事ができればと思います。--海衛士 2006年10月20日 (金) 08:49 (UTC)[返信]

阿久利川事件について(独自の調査では?)[編集]

阿久利川事件の執筆を拝見しました。一つお伺いさせて頂きたいと存じます。Papamaruchan22さんはどの様な文献を主に参照されていらっしゃいますでしょうか。日本語版ウィキペディアでは2006年10月24日 (火) 02:17 (UTC)現在、独自の調査という拘束力はないものの重要なルールがあります。平永衡の編集時の要約欄で「阿久川事件1054年」とあったのが気になってはいましたが、記述の編集自体は問題なかったので指摘しませんでした。しかし、私が不勉強なのかもしれませんが、一般的に阿久利川事件は1056年とされているのではありませんでしたか? 当時の国司任期が、奥羽両国と大宰府は5年と定められていたこととも矛盾しておらず、通説になっていると思っておりました。1054年とすると、陸奥守任官から3年、鎮守府将軍任官からは1年しか経っておりません。1054年という説が有力なのでしたら、ぜひ参考文献をご教示下されますようお願い申し上げます。

ウィキペディアにある記事は全て、既に発表されている一次資料や二次資料に基づいていなければなりません。また、検証不可能な直接的・個人的な知識をもとに専門家がウィキペディアに寄稿することを禁止しています。信頼できる第三者の出版物の出典を明記しなければならず、また未だ発表されていない検証不可能な知識については使用してはなりません。信頼のおける出版物とは、例えば、査読制度のある雑誌や、学術書出版で有名な出版社や大学出版局、一般図書出版社の学術書出版において定評のある部門などから出版された書籍などが含まれます。

宜しくお願いいたします。--ろう(Law soma) 2006年10月24日 (火) 02:17 (UTC)[返信]

独自調査[編集]

年号訂正の件了解いただきありがとうpapamaruchan22独自の調査は何も入っていないので上記無いものとして処理します。年号誤記の経緯の件については当該ノートに。papamaruchan22

平永衡の件[編集]

平永衡の件について。安倍氏の女婿であった永衡、経清が疑われたとお書きになっておりますが、同時に疑いをもたられたような印象を受けました。私の認識ではあくまではじめに疑われたのは永衡であり、その疑いが自分にもふりかかることを恐れた経清が安倍方に走ったという理解をしておりました。何せ若輩浅学の身、誤った知識かもしれません。 果たして、同時に疑われたのでしょうか。また、それが史実として検証されており、何かの出典があるものなのか、おうかがいできれば幸いです。

また、出典の件につき、ろう(Law soma)様とのお話合いになっているようですが、私からもコメントさせて頂ければ、私もろう(Law soma)様と同じ見解です。Wikipediaの影響力は今や大きなものです。誰もが編集できる分、安易に考えがちですが、世界で共通して閲覧できるものである以上、出典による客観性に対してシビアになるのは当然であり、疑問の余地はありません。もちろん、私も至らぬところはあり、どこまで実践できているか反省もありますが、原理原則として、出典明示は基本であり、それ以外は剽窃という犯罪行為ととられてもいたし方ありません。大袈裟に思われるか、私を不遜に思われるかわかりませんが、私も大学院に籍を置いた身、文章作法のシビアさを考えれば、率直にいわなければ後で困るのは当事者の方ですので、あえて申し上げたいと思います。それは、誰のためかといえば読み手への配慮だと思うのです。史実と異なる知識をつけてしまい後で困るのは読者。虚構(勘違い誤解による編集でも読み手からすると虚構になってしまう)だとわかれば信用を失するのはWikipediaであり、編集履歴に名を残された方、執筆編集された方に帰すことになります。Wikipediaに参加する人々はすべて専門家ではなく、むしろ市井の人々が無数に関わっている。手軽に利用できるからこそ、あえて私たちなりのシビアな作法をみにつけていかなければ、素人集団の作った客観性のうすい百科事典となってしまうことは必至であり、そうならないための努力をしなければウィキペディアン全体の信用失墜にもなるでしょう。 Papamaruchan22様は郷土史についてのとても深く攻究されておいでとは存じますが、それでも小説で用いられる人名をそのまま採用されることもおありだろうと思います。正式名の確認や年号、年月日、史実性については原典に厳しくあるためにも出典は重要に思います。私よりも先輩であり申し上げにくい面はありますが、ウィキペディアンとしては皆同じ一線の上にあり、老壮青の別もありません。執筆編集に関与する以上は等しく一定の基準を厳守する必要はあるように感じます。--海衛士 2006年10月26日 (木) 00:14 (UTC)[返信]

平永衡のこと[編集]

いろいろありがとうございます。さて永衡の件ですね?二人が女婿であった為に微妙な立場にあったともともと記述しました。そして煌びやかな兜を着けていた永衡が疑われました。そのように記述してます。同時に疑われた印象を文面からは推量できません。・とおもいますが舌足らずな表現だったら工夫してみてください。海衛士さんの理解のとおりのことであります。史実と異なる知識を読者に与えるなということは、こころしてます。それから小説上の名前は私も一度も使っていません、むしろろうさんと一緒に指摘している側です。それからろうさんとの阿久利川事件の話し合いですが、私の年号の間違い以外は、出典は、陸奥話記です、あとは当該ノートの通りです。なにしろ経清・永衡の関係は陸奥話記にしか記述がありません。権威ある学者の本に陸奥話記以外の表現がでてるかもせんが、、、。歴史特に中世史以前は、史料が少なく記述には苦労します。で原典主義は、大原則で、賛成です。ただ郷土誌は、中世史の宝庫ですが一級史料ではありません。大学の教授に監修しては頂いておりますが、出典としてあまりお示しできません。原典ではないので。異説としていわれている・思われているという表現を私は、あまり使いたくないのです。それでああした話になるのではと存じます。また阿久利川事件が永衡誅殺の原因でと、ろうさんが初稿で述べられていましたが疑問提起したのはわたしです、それも柔らかく、あそこで{出典は何だ}とは私は求めませんでした。そして海衛士サンのノート書き込みがあり、初稿での意見が「私もそう思います」となったので訂正しました。同一項目に関わる人数が2.3人でたまにIPさんがいて、どうしても歴史の部門でもう少し増えればと思い、最初に藤原経清について、郷土との関わりをもっと知っていただきたく、IPでは、どうしても一歩下がった論点になるのでログインしました。ログインしたらしたでいろいろ過去ログなど詮索されますが、それで、・若くも無く・とか言ってみたりしてます。ウィキペィアンに関するご指導、そして海衛士さんの老・壮・青をふまえたウィキペィアンに関するご助言指導ありがとうございます。papamaruchan22 2006年10月26日 (木) 02:35 (UTC)[返信]

お返事有難うございました。上記投稿においては敬称が欠損しておりました。ミスとはいえ大変失礼致しました。 お返事頂くまでの間、無礼なり不遜があったかと思料しましたが、あたたかいご回答に深謝申し上げます。仲介バーンスターまで頂き、身に余る誉でありますが、折角のお気持ちを有難く拝受致したく存じます。今後ともご指南賜りたく、宜しくお願い申し上げます。--海衛士 2006年10月26日 (木) 09:41 (UTC)[返信]

確かに初稿で阿久利川事件が永衡誅殺の原因と述べております。Papamaruchan22さんのご指摘はごもっともで、まことに汗顔の至りです。出典を求めましたのも、今考えると些か軽率だったかと思っております。今後もよろしくお願い致します。--ろう(Law soma) 2006年10月26日 (木) 23:44 (UTC)[返信]

亘理町長老について(お返事)[編集]

 お返事が遅れて申し訳ありません。長老についてですが、前伊藤町長が長老であられたという知識しか持ち合わせておりませんでした。薄才を恥じ入るばかりです。もし宜しければ、長老という称号についてご教授頂けませんでしょうか。今後ともご指導の程、宜しくお願いします。--白熊α 2006年11月5日 (日) 00:08 (UTC)  勉強になりました、ありがとうございます。また何か御座いましたらぜひご指摘下さいませ。--白熊α 2006年11月18日 (土) 12:43 (UTC)[返信]

どういたしまして、それから・・・。[編集]

三十三間堂遺跡の方は、事情をお聞きすれば些細なことのようですので、どうぞお気になさらずに。このところ日本文化関係の新着記事をチェックするのを日課にしているので、ついでです。それから、写真なのですが・・・、あれは私の撮ったものでは無く、Wikipedia:メインページ新着投票所で気に入ったものを抜粋しただけですので、バーンスターの件は平にご容赦願います。(ここに新着画像を推薦・投票するのも私の日課となっています)--ととりん 2006年11月29日 (水) 10:39 (UTC)[返信]

折角のお志ですが、お花だけ頂きたいと思います。(バーンスターはコメントアウトさせて頂きました)なにしろ、実際にあの写真を撮った利用者さんとノートでのやりとりもありますので、その皆さんに申し訳がありません・・・。--ととりん 2006年11月29日 (水) 11:10 (UTC)[返信]

ご質問の件について。[編集]

まず、1.の英語版の利用と看板からの写真利用ですが、私は普段GFDLパブリックドメイン(PD)の画像を選択して使用しているので今回の件に関しては不案内です(英語版画像はどちらでもありませんので)。曖昧なこと言っては却ってご迷惑ですので、お答えは控えたいと思います。お力になれず済みません。また2.に関しては作者が明らかな場合は作者の死後50年を、不明の場合は作品の発表後50年を経過していれば、パブリックドメインとして使用が可能です。これらの正確な時点が不明でも、制作年代が特定できれば(大正時代など明らかに50年以上前の年代)その年代を明記しておけばいいでしょう。こちらは著作権の保護期間に明記されているので、ご一読下さい。

さて、1.の方ですが確認する方法はあります。井戸端で改めて相談をされてみてはいかがでしょうか。あちらは著作権に詳しい方も見ておられるので、きっと明確な答えが得られると思います。--ととりん 2006年11月29日 (水) 12:56 (UTC)[返信]

92式戦闘機について。[編集]

移動タブの位置

どうもこんにちは、霧木です。

川崎92式戦闘機九二式戦闘機に変更したいということですが、記事名を変えたいということでしょうか。でしたらWikipedia:ページ名の変更をご覧ください。簡単に言えば、当該記事を表示させて画面最上部(外装がデフォルトの場合)の「編集」「履歴」のならびにある「移動」タブをクリックし、新しい記事名を入力すれば変更できます。

なお航空機の記事名についてはWikipedia:ウィキプロジェクト 航空のサブページであるWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 航空/項目名で議論が行なわれていますので、そちらも参考になるのではないかと思います。―霧木諒二 2006年11月30日 (木) 13:15 (UTC)[返信]

閃電 (戦闘機)

初めまして。miyaと申します。閃電(戦闘機)ですが、こういう場合、「(」(半角括弧)の前に「半角スペース」を入れるお約束になっているようです。Wikipedia:記事名の付け方#記事名の重複を回避する手段をご確認の上、もう一度移動していただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。--miya 2006年12月5日 (火) 02:35 (UTC)[返信]

移動の上、訂正しました。--パパ丸22・--2006年12月7日 (木) 10:53 (UTC)

平帥妙父子について[編集]

いつも御丁寧かつ的確な御指摘、有り難うございます。確かに清衡の項目に書くには関連が薄いとも思っていました。清衡からは削除して国妙に追記しました。対朝廷工作は、かなり大変な作業になるかとも思いますので、若干補足しましたが、査読、加筆修正等、よろしくお願いします。(参考文献は高橋崇「奥州藤原氏」他です。)--ろう(Law soma) 2006年12月17日 (日) 23:58 (UTC)[返信]

海衛士より[編集]

ご無沙汰しております。おかげさまにて元気にしております。お返事が遅れて申し訳ありません。まずは、恥ずかしい限り、ご勧告に対して、もっと忠実であればよかったやもしれません。敬愛なるウィキペディアンであるPapamaruchan22様のお言葉、まことに有難く御礼申し上げます。ご勧告は非常にご尤もであり、お言葉に従います。渦中にいるので、やや出番は削れない部分もあるやもしれませんが。--海衛士 2006年12月28日 (木) 13:35 (UTC)[返信]

今後、記事執筆に専念したく思います。Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本史を立ち上げました。同好の士と呼んで頂き光栄であります。是非、ご参加頂ければ幸いです。プロジェクトの趣旨は当リンク先にもありますように、古代から近代までの日本の歴史における政治・経済・文化・芸能風俗・制度・郷土史・歴史学全般を対象としております。プロジェクトは日本史関連の執筆者の知的交流と記事についての討議や意見交換を主たる活動としたく思い、立ち上げましたが、ご参加される方によってもまた新たなご意見や動きが生まれるかもしれないと考えます。ご案内まで。--海衛士 2007年1月4日 (木) 01:14 (UTC)[返信]

フルマーについてのお返事[編集]

返答ありがとうございます。出典について、了解しました。記述を戻しておきます。生産機数とスペックについてなのですが、どうも物によってずれがあるようでして・・・Jane's All The World's Aircraftの古いやつ(1970年ごろのやつ・・・新しいのは高い・・・でも、大戦機のしかも自国の機体なのだから70年ごろのでも間違っていることはない・・・はず・・・)を頼んでいるのですが「確保できなかった」とかで先延ばしになっていまして・・・フルマーを起草しなかった理由もこれが来ないからなのですが、来たらこちらのスペックを基に差し替えようと考えていますが、いかがでしょうか?--koon1600 2007年1月8日 (月) 09:57 (UTC)[返信]

ウェルキンについて[編集]

miepenpenと申します。主に大戦以前の航空機について書き込みをさせていただいております(他に鉄道、鳥類、魚類なども書き込んでみたいのですがとても手が回りません・・・)。以後よろしくお願いいたします。 さて、ご指摘のあったウェルキンの生産数ですが、私の手元の資料には67機とあります・・・と、思いきや、よく読むと「量産型(MK.1)の生産数67機」とあるではありませんか。まさに貴殿のご指摘のとおりでした。それと、夜間戦闘機に改造された機体ですが、これは生産された67機の他にエンジン無しで機体だけ組み立てられた物が33機あり、その中から改造されたようです。ですので、既存の機体の改造とはいえ生産機数に含めてよいと思います。 その結果、総生産数は、試作機2機、生産型67機、夜戦型1機の合計70機となります。至急記述を修正いたします。不快な思いをさせてしまいまして申し訳ございませんでした。

安倍富忠に対する「後継の保証の言」とは?[編集]

いつも丁寧な記事編集を拝見しております。さて、今回の富忠の加筆ですが、おそらく「甘説」の解釈としての「後継の保証の言」との表現でしょうが、断言できるものではないと思います。確かに多くの研究者の説ではなんらかの後継の保証と推察されていますが、根本史料がない以上「とする説が有力である」レベルの表記にすべきではないでしょうか?Papamaruchan22さんとしては、あまり曖昧な表記は好まれないとは思いますがご検討ください。--ろう(Law soma) 2007年1月23日 (火) 00:33 (UTC)[返信]

例ですが、「頼義の「甘説」に応じて頼時に叛旗を翻し7月、説得に赴いた頼時を仁土呂志辺で奇襲し、その折りの重傷が原因で頼時は没した。「甘説」の内容は不明であるが、安倍氏後継、論功行賞の保証などとする見解が主流である。しかし、富忠に対する実際の論功行賞やその後の動向消息については不明である。」などでは如何でしょう?--ろう(Law soma) 2007年1月23日 (火) 01:37 (UTC)[返信]
上記GOODです。papamaruchan22 2007年1月23日 (火) 01:51 (UTC)[返信]

お返事[編集]

どうもです。フルマーについて、了解しました。少し変わっていた気がしたのですが、私の思い違いのようでしたね。ファイアブランドについては、9割方出来上がっており、あとはテンプレート2種を入れて、記事を見直すだけなので、それほど時間はかからず出せると思います。ただ、やはり問題は生産機数でして、まちまちなのですよねえ・・・156機という数値(おそらくこれは4型までで5型が入っていない、大戦機としての数値)や196機(英語版がこれ)、220機や223機という数値まで、まちまちでして、これの精査をちょっとしておきたいな・・・とは思っています。名前についてですが、1600でも16000でもかまいません。いっそのことkoonでも・・・そういうわけですのでよろしくおねがいします。--koon1600 2007年2月10日 (土) 19:08 (UTC)[返信]

写真掲載について[編集]

当方のノートへいただきましたご質問の返事が遅くなってすいません。第2次大戦期の航空機の写真についてですが、当方は著作権に関して詳しく勉強した専門家ではないので、以下のコメントは必ずしも正しいとは限らないことを断っておきます。

撮影時が1945-46年以前でも、国によって著作権の保護期間が異なるので一様に問題ないとは言えません。例えば、ベルヌ条約で撮影者の死後50年まで保護期間が設けられています。恐らく、この条約に加盟している日本ではこの保護期間を満了しなければパブリックドメイン (PD) の状態にならず、その写真自体がパブリックドメインかGFDLで提供されているということがなければ、日本の著作物として日本語版ウィキペディアにアップロードできません。詳しくはWikipedia:画像利用の方針をご覧ください。また、その他の疑問解決にはWikipedia:マルチメディアFAQが参考になると思います。--sabulyn 2007年2月14日 (水) 14:21 (UTC)[返信]

スカイロケット 加筆させていただきました。[編集]

グラマン・スカイロケットの内容、加筆させていただきました。Papamaruchan22様の記述内容を損ねないように配慮したつもりですが、もしお気に召さない点等あればご指摘ください。文中で触れられていたXP-50については、簡単な記事が作成できる位の資料がありますので機会があれば記事を起こしたいと思っています。(誰かに先を越されなければですが・・・)。--Miepenpen 2007年2月15日 (木) 17:48:32 (UTC)

バーンスターについてお返事[編集]

お返事が送れて申し訳ありません。軍事バーンスター、ありがとうございます。これを励みにして、これからもがんばって生きたい行きたいと思います。次は予定では、フルマーのもう一つの後継機、ファイアフライですが・・・英海軍戦闘機では珍しく1000機越えした機体なので、いろいろ書くこともあるかな・・と思っています。--koon1600 2007年2月19日 (月) 18:28 (UTC)[返信]

バーンスターについてのお返事(私も・・・)[編集]

miepenpenです。軍事バーンスター、ありがとうございます。これを励みに精進していきたいと思います。

さて、ご質問のあったMe309の武装の件ですが、う~ん・・・実は、ドイツ機については余りあまり詳しい資料を持っていないんですよ。特にMe309のような少数の試作機製作だけで終わった機体については、ただ一言「試作機だけで量産されなかった。」で終わっている本も少なくありません。今Me309の記事については、1.10年位前の「航空情報」(??切り抜きのため正確な誌名は不明です。)2.これまた10年以上前に購入、製作したプラモデルの組み立て説明書(英語&ドイツ語)3.海外の飛行機関係のホームページ(1.の内容の補足程度に参照しました。)の3つなのですが、これらの中にはモーターカノン装備したという記述はありませんでした。また、写真&図面(ついでに完成していた駄作の模型も)見たのですが、機首にそれらしき痕跡は認められませんでした。

一応資料上では、武装については試作4号機に初めて装備し、機首に13mm機関銃×2、主翼の付け根部分に20mm機関砲×2、そして主翼の中ほどに30mm機関砲×2装備したとあります。ただし、これはあくまでもテストのための装備で、量産機においては13mm機関銃×2&30mm機関砲×2にするつもりだったようです。また、Wikiの英語版においては15mm機関銃×2&13mm機関銃×3になっています(同様の記述をした別のホームページもありました)。これならばモーターカノン装備だったと言えるかもしれませんが、13mm機関銃のモーターカノン?なんてことになりませんかね。ということで、私は自分の手元資料の内容を正として加筆させていただきましたが、あくまでも正確を期するならば、異説という形で英語版の内容も載せるべきだったかもしれません。

ついでにエンジンについてですが、試作機によって搭載エンジンが異なっていたようで、DB603A、DB605B装備した機体があったようですが、何号機がどのエンジンなのかは今ひとつ不明確です。ただ、英語版にあるDB603Gは試作4号機に搭載する計画だけで終わったようです。同様にJumo213エンジンについても計画だけで実際に搭載はされなかったとのことです。。miepenpen 2007年2月22日 (木) 16:59 (UTC)

四式戦闘機について[編集]

おはようござます。Miya.mです。上記の項目につき保護後約2ヶ月が経過し、ノートでの議論も沈静化しましたので先ほど保護解除しました。Miya.m 2007年2月24日 (土) 22:40 (UTC)[返信]

対応致しました。papamaruchan22 2007年2月28日 (水) 08:42 (UTC)[返信]

202.53.209.136さん?[編集]

Uryah 2007年3月30日 (金) 11:01 (UTC) Uryah 2007年3月30日 (金) 11:02 (UTC)[返信]
PCに「パスワードを記憶」させる方法
こんにちは。気づかずにログアウトの状態で編集しておられるのでしたら・・・そしてもしPapamaruchan22さん専用のパソコンなら、「オプション」の「セッションを越えてパスワードを記憶する」にチェックを入れておけば、再起動しても自動的にログインできるはずです。--miya 2007年3月30日 (金) 15:51 (UTC)[返信]
    • こんにちは、何かとご親切に有難うございます、ご主人様にも指導いただいておりmiyaさんのお出まし恐縮です。拙papamaruchan22のipは220.209.183.79です。事務所にフリーに使用させ(れ)ている共用PCがIP202.53.209.136ですUryah氏の「こういう議論の仕方(8月28日 (月) 04:44 (UTC))」のケースは別人です。私も砂場の編集他に使い。帰宅してから220.209.183.79から投稿するときもあります。専用パソコンにしてログインして別のアカウントとりたくないし。と思ってます。papamaruchan22 2007年3月31日 (土) 03:44 (UTC)[返信]


202.53.209.136さんはpapamaruchan22さんの事務所で使われている IP なのですね?では、この編集は、papamaruchan22さんか事務所のお仲間の編集、ということですね?

ではなぜ、2006年11月29日にノートで「自分自身に恥じない記述、自信があればそれでいいのでは。」(Papamaruchan22さん)「では、終了としましょう。」(Uryah)として話し合いが終了したあと、話し合いの再開(たとえば、「それでもやっぱり~」といった趣旨の)をせずに、話し合いの再開を抜きにして、こういう編集 2007年3月28日 (水)をするのですか?

Uryah 2007年3月31日 (土) 10:26 (UTC)[返信]

  • 貴方様がご自分自身に恥じない自信ある編集と思っていれば私はそこまで忖度しませんよ。ということです。あとは私はノーコメントです。今後の活躍祈るのみです。papamaruchan22 2007年3月31日 (土) 12:08 (UTC)[返信]
papamaruchan22さんが編集したのですね。
ではまず、記事をリバートしますね。次に、当時の私のまとめに「5.ノートで合意をみた当事者なのに、対話者と話し合うことなしにその記述を変更した(話し合いの結果対話者の支持する記述で落ち着くことになったのに、数ヶ月経ってから、合意をみなかった記述にこっそり書き換えた)。」を付け加えます。そして、本文を書き換えます。Uryah 2007年3月31日 (土) 13:22 (UTC)[返信]
  • 上記ノーコメントです。決め付けてはいけません。貴方様がご自分自身に恥じない自信ある編集と思っていれば私はそこまで忖度しませんよ。ということです。リバートもいいでしょう。が、ウィキペディアは、明治憲法のような、不磨の大典ではありません。どうぞお元気で。以後2度とここに書き込みしないでください。管理者のIさんたちが云っているように「私はみんな善意でやっている」と思います。papamaruchan22 2007年3月31日 (土) 23:58 (UTC)[返信]


この節は、この編集 2007年3月28日 (水)が発端でした。

>上記ノーコメントです。決め付けてはいけません。
違うなら違うと言えばいいのに。
>貴方様がご自分自身に恥じない自信ある編集と思っていれば
>私はみんな善意でやっている
あなたご自身の胸に聞いてください。ご自分自身に恥じない自信ある編集と思っていれば、隠したり消えたりこっそりする方向ではなくて、明らかに開示するように堂々と臨めるはずです。
>ウィキペディアは、明治憲法のような、不磨の大典ではありません。
>以後2度とここに書き込みしないでください。
同様の書き換えが行われれば、もちろん書き込みます。行われなければ、書き込みません(Wikipediaは話し合いが大切にされる共同作業です。特定の個人の信念で他を押し出すやり方は歓迎されていないと理解しています)。

ではお元気で。ご自分自身に恥じない活動をお祈りします。Uryah 2007年4月1日 (日) 07:06 (UTC)[返信]


  • 特定の個人の信念で他を押し出すやり方は歓迎されていないと理解しているのならいいでしょう。ベストシーズンになったら吾妻までお出かけください。この下にまた書き込みが無いこと願ってます。papamaruchan22 2007年4月1日 (日) 09:59 (UTC)[返信]


papamaruchan22 さんは また このときと同じ感じ になってきましたね。本当に「この下にまた書き込みが無いこと願ってます」のなら、レスを付けないことです。

papamaruchan22さんが、車で旅行する経験を積んでみることを祈っています。経験を深めてみてください。では。

Uryah 2007年4月2日 (月) 12:24 (UTC)[返信]


>特定の個人の信念で他を押し出すやり方は歓迎されていないと理解している

だから、こっそり書き換えないでね。こっそりやったら、私は話し合いを始めますよ。書き換えがしたい、と思ったら、話し合いを始めてください。

>ベストシーズンになったら吾妻までお出かけください

2004年の夏、「に訪れたとき、温泉から磐梯吾妻スカイラインを通って本記事の五色沼、会津若松城、猪苗代湖など福島県の観光地を観て回ったのですが、磐梯吾妻スカイラインを走るといくつかの分岐があり、道路沿いの案内の五色沼という矢印があっちにもこっちにも向いていて、2回ほどUターンしました。」(2006年11月22日 (水) 14:14 (UTC))「←この経験を、「磐梯吾妻スカイライン浄土平・一切経山付近にある五色沼(吾妻の瞳)は別のもの。ともに福島県の地名「磐梯」に在るため、道路標識や看板を頼りに接近すると、混同してしまうことがある。」と記述した。」(ここ参照)
Uryah 2007年4月2日 (月) 12:45 (UTC)[返信]
よく車では旅行してますよ。「クローズしたかなぁ」とのことですのでそうしましようね。止めときましょうね。記事とは関係なくなってくるから。papamaruchan22 2007年4月3日 (火) 00:59 (UTC)[返信]
ここに自分が思うところをまとめておきました。では。レスが付かないことを祈っています。Uryah 2007年4月3日 (火) 14:20 (UTC)[返信]

He112について[編集]

ご無沙汰しています。He112の記事に加筆修正させていただきました。Papamaruchan22様は「ドッグファイトに適した機体である」という記述をえらく気にされていたようですが、「メッサーシュミットBf109と比べて」という前節があることから、あくまでもライバルであるBf109との比較でより格闘戦に向いているということが言いたかったのだと思います。それを鬼のような格闘性能を持つ96艦戦と比較して、この記述の出典が必要だとするのは少々やり過ぎではないかと思いましたが。。。(笑)

それと、ご質問のある前に生産機数についてですが、本機について総生産機数は資料によりまちまちでよくわかりませんでした。ただし、輸出されたのは約50機でそれと試作機を含めると60~70機程度の生産だったと思われます。日本への実際の輸出機数は記事のとおりのようです。30機も輸出されていたら、それだけで1部隊出来ちゃいますよね。miepenpen 2007年4月7日 (土) 09:19:34(UTC)

川崎エンジンのニッケル使用制限について[編集]

こんばんわ。 ニッケルの使用制限に関してですが、彗星 (爆撃機)のほうに書かれていた事を事実だと信用して、Wiki全体の記述の統一のために必要だと思い、あえて三式戦闘機のほうにも書いたまでです。疑問があるという事でしたら、彗星 (爆撃機)のほうの記述についても、要出典にしていただけないでしょうか? 私としては、出典を記載するのは、彗星 (爆撃機)のほうにその記事を書いた方にお任せしたいと思います。 KSKS 2007年4月29日 (日)

    • ご丁寧にありがとうございます。彗星 (爆撃機)を閲覧しました。了解です。なぜ川崎と愛知で合金材料の陸海軍統合エンジンへの対応が異なったか、解明できればいいなと思料しております。出典提示後また記述工夫致してみましょう。papamaruchan22 2007年4月29日 (日) 10:22 (UTC)[返信]

ご指摘の件[編集]

フォッケウルフ Fw190ですが、確かに仰るとおりの気もしますので、適切であるかは自信がありませんが、応急処置的に改編してみました。ノート:フォッケウルフ Fw190と合わせご確認下さい。長い間放置してすみませんでした。--ПРУСАКИН 2007年5月2日 (水) 10:40 (UTC)[返信]

ぜひ、ご検討宜しくお願い致します!--ПРУСАКИН 2007年5月2日 (水) 12:04 (UTC)[返信]

確かに、「運用」の欄だから空軍ではなく国へリンクさせるべきかもしれません。言われてみれば、それには一理も二理もありますね。ただ、「運用国」で実際に運用するのは軍なので、ということを考えて私はいつも軍隊へリンクさせていました。また、(仮にすべて青リンクになった場合)この機体はどこが運用していたのかなと気になったとき、クリックして出てくるのが例えば「ドイツ」が出てくるより「ドイツ空軍」が出てきたほうが機体との直接的な関連性が強く、よいんじゃないかなあと思っていたのですが、ご指摘の通りこれまでにも使っていて戸惑った方もいたかもしれません。うーん、むずかしいですね。

ドイツは当時から空軍は分離されてましたけれど他国はちがいますよね? 確かにそうでした。リンク先の都合(例えば空軍と呼ばれていなかった時代も含めてまとめて「空軍」のページに書かれている、ルーマニア空軍のような)もありますが、アメリカは空軍じゃないし、もしよければ他も含めて細かく適切に修正していただけませんか?私は間違えるかもしれません(アメリカについては、今回は「陸軍」でよいのでしょうか)。赤軍については仰るとおりで、例えば「アメリカ軍」「ドイツ軍」「赤軍」とくればまあよかったのかもしれませんが、「アメリカ空軍」「ドイツ空軍」「赤軍」では3者ばらばらですね。これには深い意味はなく、ただ私の曖昧さから起こったことです。「アメリカ空軍」は間違いですし、「赤色空軍」を「赤軍」にリンクさせているのにも別格の理由はないのです。「赤色海軍」も「赤軍」へリンクさせてしまっていると思います。多分、ロシア内戦のときの「ロシア=ボリシェヴィキ=赤軍」という思い込みをそのまま持ち込んでしまっているものかと(←自己分析)。ベストを言えば「赤色空軍」のページを立ててそちらへリンクを張り替える必要があります。ただ、現状で「赤色空軍」がない以上、どうしましょうか。また、戦後の「ソ連空軍」(現在は「ロシア空軍」へのリダイレクトだが、そのうち作成される必要がある)との兼ね合いもありますし、どう思われますでしょうか。(私は、内容が充足できるのであれば別個にページが立てられて然るべきと思いますが、現在ページを立てたとして「赤色空軍」と「ソ連空軍」両者を充足させる自信がありません。さしあたり、「ソ連空軍」を立ててそちらへリンクを張り替えるべきでしょうか。「ソ連軍」と「赤軍」は別項目で立っているのですが……。)

いろいろと、こちらこそ今後とも宜しくご指導ください、というところです。実に恐縮です。--ПРУСАКИН 2007年5月3日 (木) 02:53 (UTC)[返信]

赤色空軍の件[編集]

ぜひ、(そのうち)お手持ちの二次大戦中の知識で以って「赤色空軍」の項を立てていただけるとウィキペディアにとってたいへん有意義なことになると思います。私も、なるべく協力したいとは思います。en:Soviet air forceもページの基礎作りには役立つでしょう。ただ、英語版では「赤色空軍」と「ソ連空軍」がいっしょになっており、日本語版ではそれを別項目化しようとしているのでこちらの方がたいへんですが。

ところで、帝政時代の空軍(航空隊?)は普通日本語では何と呼ばれているのでしょうか。英語版ではen:Imperial Russian Air Forceで立っていますが、「ロシア帝国空軍」でよいのでしょうか。ロシア語版を見ると「Императорский военно-воздушный флот」となっていますので、直訳すると「皇帝の空中艦隊」というような大変雅な名称でして、日本語ではどうなのかなあ、と。こちらも、そのうち項目を立てないなあと(誰か立ててくれないかなあと)思っているところではあります(この何年間かずっと)。--ПРУСАКИН 2007年5月5日 (土) 14:28 (UTC)[返信]

赤色空軍ご苦労様でした。おいおい手を加えていきます。ありがとうございました。

名称ですが、戦後に「空軍」に改称しており、こちらはソ連空軍(現在ロシア空軍へのリダイレクト)で作成すると赤軍ソビエト連邦軍との釣合も取れてよいだろうと思います。--ПРУСАКИН 2007年5月11日 (金) 13:23 (UTC)[返信]

バーンスターありがとうございました[編集]

バーンスターの存在は知っていましたが、まさか自分が頂けるとは思っておらず恐縮しております。これからもお互い記事の充実を目指して頑張ってまいりましょう。Work2500 2007年5月3日 (木) 13:00 (UTC)[返信]

こちらこそご無沙汰です。[編集]

こんばんわ。このところ私は日本の航空機の記事の充実を考えて、もっぱら第二次世界大戦以前の日本製軍用機で記事の無いものを探しては新規に記事を起こしています。他言語版のWikiと比べると、日本版は自国機の内容が不十分な気がしたものですから・・・・。でも資料が少なくて結構苦労しますね。小学生の頃に小遣いをはたいて買った、秋本実氏が書いた子供向けの本まで活用しています。

さて、キ98は中央胴体部分に推進式にエンジンを装着して主翼から二本伸ばした胴体部分に尾翼を装備した形式なので、これも双胴型(双胴機)と言えます。ただ記述的には説明不足だと思いましたので、加筆修正いたしました。記述後しばらくしてから読み直すと、色々粗が見えてくるものですね。ご指摘ありがとうございました。miepenpen 2007年5月24日 (木) 15:52:43(UTC)

キ108について[編集]

ご無沙汰です。というか書き込みも一週間ぶりくらいでしょうか。キ108の搭載エンジンについてノートに書き込みました。正確な出典についてはまた確認しておきます。このところ日本機を中心に書き込んでいたのですが、少々スランプ気味というか文章のキレみたいなものがなくなってきたような気がしてきました。九八式直接協同偵察機の機名を間違って記載してしまう単純かつ重大なミスをやってしまうのも、そのせいかな・・・という訳で、少し書き込みを中断することにしています。まあ仕事も少し忙しくなっているので、来月復帰を目指して休養します。miepenpen 2007年6月27日 (水) 16:17(UTC)