利用者‐会話:Quark Logo/過去ログ3

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出典の方式、節構成などについてのコメント依頼を行いました。[編集]

95ヶ条の論題のことについては、Wikipedia:コメント依頼/柒月例祭とQuark Logoを提出しました。

コメント依頼では私も一方的に言いたいことを書きましたので、Quark Logoさんもご自身の見解を主張していただければと思います。そこにも書きましたが、どういう方向であれ、ある程度第三者の見解が集まるまでは、私は静観することにします。

そこにも書きましたとおり、私はあなたを真面目で実績のある執筆者さんだと認めています。あなたを排除する意図はないです。ただ、意見の相違がある場合には、相手方の意見にも耳を貸すとか、事前の合意形成をはかるとか、状況に応じて相手の意向を尊重する、ということもしてほしいだけです。よろしくお願いします。--柒月例祭会話2017年1月23日 (月) 18:58 (UTC)

返信 (柒月例祭氏宛) - 議論を途中で中断するという、随分、一方的で強引なやり方だと思います。私としては柒月例祭氏がやったような問答無用でリバートするというような行為[1]は、そもそも投稿ブロック相当の違反行為であると思います。意見の相違といいますが、個別の記事の編集上の問題は個別の記事での合意形成でしか解決できないので、利用者の問題行動という意味での現在の問題は柒月例祭氏による記事の私有化の是非ということにしかなりません。95ヶ条の論題の記事を編集するのは、私と柒月例祭氏だけではありません。他の誰かが全く違う編集意図をもって、画像の配置やら構成を変更することは、ウィキペティアとして全く許容されており、柒月例祭氏による記事の私有化は許可されていません。--Quark Logo会話2017年1月23日 (月) 22:21 (UTC)

コメント こんにちは。誠に勝手ながら書式を理由として「95ヶ条の論題」を差し戻しいたしました。つきましては、月間強化記事賞の終了(もしくは良質な記事の選考の終了)までご自重いただきますようお願い申し上げます。利用者サブページに修正案をご用意のところ、申し訳ありませんが、Quark Logo様が別件を加筆された際の周囲のサポート体制にも影響を及ぼしますので、何卒ご理解いただきたく存じます。--Triglav会話2017年2月9日 (木) 07:29 (UTC)

返信 (Triglavさん宛) - 良く意味がわかりませんが、投票ページには私の変更も含む範囲が対象になってるようですけど。特に必要のない差し戻しだと思いますが、いずれにしろ、月間強化記事賞の選考が終了したら元に戻しておいて下さい。私の改訂は、まだ執筆が完成していないので、その期間内に上げることはないと思います。--Quark Logo会話2017年2月9日 (木) 08:01 (UTC)

あなたのフィードバックが重要です:ウィキメディア財団のグローバル調査ご協力への最後のお願い[編集]

要約欄への記入のお願い[編集]

こんにちは。Dong1jin4と申します。Quark Logoさんの投稿履歴を拝見したところ、あまり要約欄に記入されていないようでしたので、他の利用者のために常に要約欄に記入して頂くようお願いに参りました。

ガイドライン・Wikipedia:常に要約欄に記入するは、数あるガイドラインの中でも重要なものとして位置づけられています。要約欄に適切な要約を記入することにより、差分表示を確認することなくその編集の概要を知ることができるため、履歴の見通しをよくすることにつながります。また、差分表示を見ながら要約欄に記入していくことにより投稿する予定の内容を見直すことができるため、同じ記事への連続投稿を減らすことにもつながります。特に、リバート(荒らしへの対処を除く)や内容の大幅な変更、記述の一部を除去する際にその理由が要約欄に記入されていませんと、なぜそのような編集をするに至ったか他の利用者にとって分かりづらいという問題が生じます。それにより編集合戦が発生することも少なくありません。

もしあなたの投稿内容が短い文章の加筆に留まる場合、その文章をそのまま要約欄にコピー・アンド・ペーストすれば、編集の全貌が分かりますし、なにより手間が掛かりません。細部の編集でわざわざ要約欄に記入するのは面倒だという場合には、要約欄用の略語を使用することも検討してください。ご面倒をお掛けしますがご理解とご協力のほどよろしくお願いします。--Dong1jin4 2017年5月1日 (月) 12:44 (UTC)

ノート:国民情緒法でのコメントについて[編集]

こんにちは。2018-03-21T01:39:38のノート:国民情緒法におけるQuark Logoさんの編集はいろいろな意味で不適切な編集です。

  1. 自分で新しい話題を立てるならともかく、Kokusuiさんのコメントに対する返信なら、Kokusuiさんのコメントは極力いじらずそのままにして、その下に段落下げをして書いて下さい。勝手に節を移動したりされると文脈がおかしくなる可能性があります。
  2. どうしても節を分けるのなら適切なタイトルをつけてください。節の最初にあるKokusuiさんのコメントが「特筆性に疑問があるので{{特筆性}}テンプレートを貼った」という内容なのに、節タイトルが「特筆性には明らかに問題なし」では意味不明です。この場合は節最初の投稿者の立場でタイトルをつけるべきで、たとえば「特筆性に疑問があります」などとすべきです。せめて「特筆性の問題」くらいにしておいて下さい。
  3. あるいは、もしかすると節冒頭に書かれているKokusuiさんのコメントは、Quark Logoさんのコメントの一部として「引用」したつもりなのかもしれません。そうであれば、「引用」したKokusuiさんのコメント部分には引用タグ(<blockquote>とか{{quote}}など)を使用して下さい。そして、オリジナルのコメントは除去せずに元の位置に残しておいて下さい。引用タグがない上にオリジナルまで除去してしまったら、他人のコメントに対する不適切な編集と見なされても文句は言えません。

私の予想では3.のつもりなのであろうと思われますが、そうであればWikipedia:ノートページのガイドライン他人のコメントの編集における「その人が考えていない内容に書き換えたり、除去してはいけません」に反するものとなります。早急に適切な処置をお願いします。--Loasa会話2018年3月21日 (水) 03:58 (UTC)

コメントをいじったわけではないです。一語も変えていない。 本質的には、関係ない話題の節の中に新しい話題を書いたKokusui氏の方に問題があると思います。
こんな感じに修正しましたが、いかがでしょうか? --Quark Logo会話2018年3月27日 (火) 08:21 (UTC)

本能寺の変[編集]

こんにちは。

<ウィキペディアのほとんどの記事で、定義文は時間が先になってます>日時が冒頭であっても良いが無くても良いと思います。「日時をどこに書くかは柔軟に考えるべき」と思うのですが「文中であってはならない」と考えるのは何故ですか?

<主語を替えてもいいが、事件の性質上、謀反というワードが「必要」>「家臣が主君を襲撃する=謀反を起こす」なので「謀反を起こして襲撃した=家臣が主君を襲撃して・襲撃した」は重複表現⇒「『謀反は必要』とは限らないので柔軟に考えるべき」と思うのですが「謀反が必要と考える」のは何故ですか?

<体言止めも不適切>「体言止め」の方がインパクトがあって良いと思いますが「体言止めが不適切」と考えるのは何故ですか?すみませんが宜しくお願いいたします。--2405:0:4042:200:B4AA:43D8:7F86:7E4D 2018年9月7日 (金) 13:02 (UTC)


まず、冒頭の導入部の役割です。導入部は、定義文であり、かつ記事の概要をなしてます。
ウィキペディアの記事の導入部(リード文、イントロダクション、あるいは導入節、序)は、目次よりも前にある節であり、最上位の見出しである記事名から始まります。記事を紹介し、最も重要な側面を要約するという役割があります。導入部は、前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。第1文で主題を定義し、続いて別名や間違いやすい事柄に触れ、前後関係や注目に値する理由を説明し、そして最も重要な点—あらゆる著名な論争も要約することが推奨されます。導入部は多くの人々が読むその記事の最初の部分であり、そして導入部だけを読むことも多いです。その記事をさらに読もうという興味を引き出すことが推奨されますが、導入部ではそれに続く内容をほのめかすことで、読み手に対して「もったいぶる」ことは推奨されません。その代わりに、導入部は中立的な観点を伴った理解しやすい表現にて、明確に記述されることが推奨されています。
ウィキペディアの限らず、記事の最初の段落はリード(ま、導入、導入部と同じことですね)と呼ばれますが、ニューススタイルの規則では、リードには以下の「5W」の多くを含むべきとされています。すなわち、When(いつ) Where(どこで) Who(誰が) What(何を) Why(なぜ)したのか? 文章の基本は「いつ、どこで、誰が、何を、どうした/なぜした」(5W1H)。新聞の記事、紙でなくても、ネットニュース記事でもいいですが、そうなってます。紙の百科事典、辞書なども見て下さい。そうなってるはずです。それが文章というものの基本だからです。なんでニュースが出てくるんだと思うかもしれませんが、基本に立ち返るとき、新聞記事みたいな文章にすると、思って間違いないです。フォーマルで万人に見せる記事として相応しい文体というのは、簡単にいうと新聞みたいな体裁であって、ウィキペディアを越えて、一般大原則ということで了解してください。利用者が沢山いて、様々な価値感があり、自由な編集がされるからこそ、編集が競合せず、全員が納得しうる文章というのが、普遍的な記述になります。いかに自由とはいえ、個性が強い文章は、本文の中ならともかく、定義文では残らないし、結局、そうしても誰から次ぎに来て替えてしまうということなのです。だから誰もが納得するという基本文章が、5W1Hの形なのです。簡潔かつ明確ということです。
時間が絶対に文中にあってはならないわけではないですが、そこに何の意図があるかが問題になります。原則、慣例を曲げるには、定義文のなかでそうするだけの十分な理由が必要です。つまり例外的な記述をする理由は何か。あなたはコメント欄に「本能寺に数日に渡って滞在している最中に信長は襲撃されている」ので「本能寺に滞在している信長を光秀が6月2日に襲撃した」が適切な表現と思います。」と書かれています。それを読むと、数日ある内のある異一点だから、ということのようですが、事件の要約としてそれが重要であるとは考えられません。滞在2日目に襲われたことが重要なのか。そしてこれから展開される記事でそのような内容があるのか。ありません。冒頭は、定義文であると同時に要約でもなければなりませんが、本文の内容には滞在中のある時点で襲われたことに何らかの意味があったというような内容はないのです。逆に言えば、あなた言ってることが不十分で、説明不足であり、なぜ適切なのか全然意味がわからないということです。「最中だから」というのがどうしてそうなるのか。あなたの言ってることがそもそも意味が分かりません。むしろそれを説明するのが先だろうと思います。「本能寺に数日に渡って滞在している最中に信長は襲撃されている」ので「本能寺に滞在している信長を光秀が6月2日に襲撃した」が適切な表現と思います。」というコメントがまず、何を言ってるのだろうか?と端から見ると思うのです。本文の改変以上に、このコメント文が意図不明です。コメントが意味不明なので、こちらとしては改変された内容から、その意図を読み取るしかないわけですが、変わった内容はこうなります。以下細かく説明をします。
  1. 句読点が除かれた。
  2. 「宿泊」→「滞在」に変わった
  3. 「滞在している」と現在形になった
  4. 「主君」という語句が追加された
  5. 謀反によって」という語句が削除された
  6. 主語が信長から光秀に替わった
  7. 天正10年6月2日1582年6月21日)」が途中に移った
  8. 「死亡させた」が追加された
  9. 「襲撃された事件」→「襲撃して死亡させた事件」
  10. 「である」が削除された(体言止め)
  11. 「して果てた」が削除された(体言止め)
1.の句読点の削除は、読み難く不適切です。読点なしだと、一気に続けて一文を読むという体裁で、そもそも長いし、読みにくい。途中はともかく、少なくとも最初の読点は絶対必要レベルでしょう。綺麗な文章にするには、句読点の位置は非常に重要になります。
2.については意味はほとんど同じですが、私が言外に込めて強調したのは寝込みを襲われたという点です。滞在よりも宿泊の方がいいかと思ったわけです。滞在だと、本能寺が舞台だという場所情報だけになるわけですが、ここはどっちでも良いレベル。寝込み襲われた感は、どうせ本文で詳しく語るので、私のセンスとしては入れたけれど、定義文ではあってもなくてもよい程度のことです。
3.の現在形は文法的な誤りです。書くにしても「滞在していた」と過去進行形でないと可笑しい。「滞在している」から「死亡させた」と現在進行形と過去形の混在が時制の不一致で、気持ち悪い文章になってます。これはもう完全に不適切でしょう。
4.と5.については、主君を家臣が襲うこと、家臣が主君に逆らうことを、日本語の単語では「謀反」と表現します。上記にもあなたが重複表現と書かれていますが、重複が気になる場合、削除するなら「家臣」という単語の方でしょう。なぜ、謀反を除いて、謀反の意味を分解したのか? 定義文を簡潔に書くという目的に逆行してます。家臣を強調するのはこれが下剋上だということをはっきりさせるためでしたが、重複が気になるなら家臣を除くは理解できますが、なぜ、なにゆえ、主君、家臣を入れるという変更なのか? 理解不能です。それが一単語、”謀反”で表現できることですよね? 長く、まどろっこしい方を採用が不適切なのは明らかでしょう。
6.はどちら側から事件を記述するか、視点がどちらかに関わってくる問題であるとともに、主語の変更、受動態から能動態への変更は、文章の意味としては同じです。本文の内容的には、陰謀説のなかに無罪説もあるので、その配慮から、光秀が能動的に襲ったと読み取れる文章はどうかなとも思うわけですが、表面的には、意味の変わらない書き換えでしなかいです。本能寺の変とは、信長が襲われた事件か、光秀が襲った事件か。私のセンスとしては前者。そしてほとんどの歴史事典、歴史用語事典でも、前者で語られることが多いという前例が多いということは言っても良いでしょう。意味が変わらないから、まあいい、としましたが、一般的に多いのは、信長視点で定義されることなのです。それが普通。通例は、普通の方に寄せる。戦国武将同士だと分かり難いかもしれないので例を挙げると、伊藤博文が安重根に暗殺された、と、安重根が伊藤博文を暗殺した、という2つ文章からくる語感の違い。これはつまりどちらが重要人物かとういことになってくる。光秀視点で定義するということはそういうことになるので、一般的には信長が襲われたになるわけです。どっちでも同じでしょ、ではない、深い意味が本当はあるので、そこらへんはご自身でも熟考してみてください。
7.の時間については、前述のように5Wでは時間が最初にくるとともに、それ以外の理由を加えると、旧暦と新暦が合わせっているので長いという点もあります。あなたがコメント欄で書いてるのは「6月2日」ですが、実際の文章は「天正10年6月2日(1582年6月21日)」なのです。4文字ではなくその五倍の20文字です。これを読むという前提で考えてください。途中に入れるより、出した方が遙かに読みやすい。現実に即して考えると、もはや自明の理なのではないでしょうか。コメント欄で言ってることと、実際の記述でされていることは違うわけです。機械的、観念的ではなく、現実に即して考えることも重要です。年月日と新旧歴を書くわけですよ、長くなるわけです。じゃ、どうすんの?ということです。読点を打って句として分けた方が読みやすい。それが自然です。自分が書いた表現が自然か、文章が自然かどうかは、声に出して読んでみることでわかります。是非、やってみてください。
8.と9について、「死亡させた」がいろいろな意味で良くないです。まず信長が自害したという話が次の段落であるので、繋がりが悪い。死亡させたという表現が故殺のようにあるいは他人事に聞こえる。殺すために襲撃したわけで、死亡させた、は奇妙。「襲撃して死亡させた事件」という表現が耳慣れないものであることも気になり、襲撃事件とはいうものの、死亡事件とは、本能寺の変を表現することとして不適切でしょう。だから死亡がなぜ追加されたか意図がはっきりしない。信長、信忠が自害するのは結果であり、事件としては襲撃した事件だと私は考えます。襲撃事件の結果、死亡してるだけで、例えば、人身事故みたいに死亡させたことが事件なのではなく、謀反を起こしたことだけで事件なわけで、謀反つまり本能寺を襲撃するという行為になるわけですから。で、本能寺の「変」なわけで、事件はクーデタであるとうい側面もある。死亡でも暗殺でもなく、クーデタだというとらえ方になるわけです。だから死亡した事件だという推し方はどうなのか。あんまり適切だとは思えません。
10.と11は、体言止めについてですが、一般論としても、体言止めの連発は良くないとされている上に、最終的には文章を読んでみてどうか、ということなります。読んでみると、ブツ切りしたみたいに堅い感じしかしません。ウィキペディアの場合、紙の辞書、時点と違って、文字数制限はないので、文末を短くする必要性はないので、文章で語っていくならば、最後まで書いた方が適切です。逆に言うと体言止めする理由は何なの?ということです。インパクトといいますが、それほどの効果は出てないと思います。「とは~」から始まってるので「~である」で受けて終わった方がすっきするし、「自害」よりも「自害して果てた」の方が表現が豊かであると言えます。体言止めは、インパクトというよりも簡素という感じもして、インパクトがあるは自己満足ではないかは自問自答として考えるべきで、自分である書き手ではなく読み手がどう受け取るかが問題。その三文字、四文字をケチる理由はないわけで、文章を完結させた方が、読み手として自然に感じます。導入部の長さについては、スタイルマニュアルにもありますが、この本能寺の変の記事はかなりきっちり作ってるので、三段落、400字程度にまとめられていて、記事全体の長さに比して、あるいはウィキペディア全体の記事の導入部に比して、長いとはいえないし、三、四の文字の増減は制限にならないのは明らかです。
次ぎに、ウィキペディアは出典明記というルールがありますが、これは忘れてはなりません。この文章には出典表記が付いています。
『近世日本国民史』徳富蘇峰は「本能寺打入」と題して『信長記』を引用してますが、ここでも日付が先にきて次ぎに内容、「謀反」のワードもでてくるし、信長が襲われて一生の不覚云々と内容が続くあとついでにフロイス等(日本西教史)で客観性を付帯。『明智光秀と本能寺の変』 小和田哲男 も事件描写。『信長公記』とフロイスの『日本史』とあと『明智軍記』が少々でてくる。ここでも時系列的で、時間がわかるものは最初に時間が書かれている。『現代語訳 信長公記』 は当然、『信長公記』そのもので「謀反」もあるし、時間が先に掲示されている。『国民の日本史』西村真次も、要所要所で時間を先に掲示し、「明智がべっしんか」のやりとりを書いてる。これはもちろん信長公記の場面だから、全ての資料を要約していくと、時間先、場所は本能寺、誰が明智光秀が誰に織田信長に(前述のように誰が織田信長が誰に明智光秀にでも同じ)、何したか謀反を起こした、となります。結局、出典主義なので、冒頭定義文も独立した作文による文章ではなく、出典が必要であり、出典に書かれているトーンがかなり影響するのは必然で、そこから完全に離れるということもウィキペディアのルール上よろしくない。数十行、数百行を、一行にまとめるということはできないわけですが、出典の情報をどういう風に反映させるか、どう活かすかも考えなければ成りません。でないと、そんなのは独自研究だろと言われるわけです。そして独自研究は載せられない。ウィキペディアは自由だけれども、決まり事も沢山あってガイドラインも細かくて、自由を謳うものの現実はそんなに柔軟ではなくて、ほぼだいたい決まってると考えた方がいいです。それは絶対ではない、は何をしても良いということにはならないのであって、前掲の三大方針はよく読んで置いて下さい。そして、あなたはIPユーザーですが、可変のIPユーザーのまま編集作業に関わるのは非常にいろいろと不都合があります。可変のIPユーザーと話し合いを続けることは不可能(どうせそのIPは変わる)なので、登録ユーザーなることが望ましいです。一応、同一人物ということで書いてますが、全く赤の他人のIPユーザーであっても、こちらからは判断のしようがありません。そちらが何人かで話してることもあり得るのです。ここまで長い長文になる理由も、あなたがどこの誰か分からないので、全くウィキペディアのガイドラインを知らない初心者も想定して、詳しく答えています。だからそちらに原因があります。
以上ですが、短い定義文とはいえ、むしろ短いからこそいろいろなことを考えなければならないということは理解できたでしょうか。幾つかの点でははっきりダメと言え、幾つかの点は慣行、幾つかの点は書き換えても意味が全く変わらないもの、幾つかの点はセンスの問題、幾つかの点は文章の形、整形に関するものなどでした。あと、上記は推敲・校正してないので、誤字脱字があるかもしれませんが、勘弁を。--Quark Logo会話2018年9月8日 (土) 00:16 (UTC)

お返事ありがとうございます。文章があまりに長く理解困難なので本当に申し訳ないですが「出来るだけ簡潔な表現・文章」に書き換えてくれませんか?「上記は推敲・校正してないので、誤字脱字があるかもしれませんが、勘弁を」と言わずに「出来るだけの推敲・校正」をお願い致します。--2405:0:4042:200:B4AA:43D8:7F86:7E4D 2018年9月8日 (土) 00:49 (UTC)

推敲校正しても、長いのは変わらないので、じっくり時間をかけて読んでください。人に説明を求めるということは、そういうことです。定義文はいうなれば、辞書の項目みたいなもので、短い文章の中にはいろんな考えが含まれ、いろいろと長い議論、熟考があって、辿り着くわけで、お手軽に文字を入れ替えるだけで済む問題ではないということを、ここまで説明してきました。長いから読みたくないは、そこがまず分かってないんじゃないでしょうか? 普段、一度も会話をしたことの無い相手だから、前提となる細々としたことを全部説明する必要はあるでしょう。そもそもですが、ウィキペディアの編集って、百科事典の編集なのですよ。いや、長くなるでしょ。--Quark Logo会話2018年9月8日 (土) 01:03 (UTC)

「長いから読みたくない」ではなく「推敲・校正もせずに長々書かれた文章だから理解困難」と申しているのですから簡潔な文章に書き換えをお願いします。--2405:0:4042:200:B4AA:43D8:7F86:7E4D 2018年9月8日 (土) 12:21 (UTC)

謙遜って言葉は知ってますか? 自分の文章を悪文だというのは、謙遜だというのが大人の世界の常識。そして、編集内容について利用者には説明責任はあるものの、短くしろなんて要求に答える義務はないので、断ります。それこそ自分のコメントは柔軟で、自由に書いて良いわけです。というかね、説明を書き換えたら、どんどん長くなるだけ。そしてそこまでする義理がない。あなたが何考えているか、ウィキペディアのガイドライン、方針についてどの程度の知識を持っているか、特に一般常識を持った人間なのか、益々不安になっています。今、書いていることは苦情です。苦情までもがどんどん長くなる。
だいたい、三大方針は熟読して理解しているのでしょうか。スタイルマニュアルについては了解しているのでしょうか。それすら分かりませんよ。IPユーザーの欠点も理解してるのでしょうか? つうか、本能寺の変と編集したIP:2405:0:4042:200:CC4A:80C5:9900:71AB会話 / 投稿記録 / 記録 / WhoisとIP:2405:0:4042:200:B4AA:43D8:7F86:7E4D会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisって同一人物なのか。結局、ソックパペット状態になってるのに、あなたはそれをどうする気なのか。しれっと、方々で投稿しているのではないかという気がしますが、それは多重アカウントそのもので、投稿ブロックレベルの違反になりませんか。それを分かってやってるのか、分からずにやっているのか。善意に解釈するというガイドラインはあるけれども、前者の可能性がないわけではない。登録ユーザーにならないと、会話なんてできないといったことは理解しているのでしょうか。とにかく多重アカウント状態を解消してください。長いとか、長くないとか、そういうくだらないことより、あなた自身にいろいろな問題があるように、こちらからは見えます。
基本的に署名入りコメントの後からの改変は推奨されておらず、ウィキペディアにはいろいろ面倒な作法があります。何にしても私が提示したガイドライン等はまず9つ全部、最低限一読してください。また、あなたのコメント欄の文章ついても私は意味不明だといっているので、あなたも説明責任を果たしてください。--Quark Logo会話2018年9月8日 (土) 19:55 (UTC)

社会人なら横暴な編集はやめるように[編集]

あんたの編集はあまりにも一方的で横暴そのものです。源氏や白旗を常用していたことや武田が赤備えを取り入れていたこともウィキペディアの歴史項目を編集する人なら知っていて当然のこと、常識です。ルールに固執し、良識に欠ける。幼稚すぎると思いませんか。--Jediwikipedian会話2018年9月17日 (月) 09:17 (UTC)

ウィキペディアのルールでは「常識でしょ」全く通用しません。横暴な編集ではなくそれはあなたの無知
残念ですが、利用者:Jediwikipedian会話 / 投稿記録 / 記録氏の云ってることは、ウィキペディアでは全く通用せず、方針・ガイドラインに完全に違反しています。初心者なのかもしれませんが、方針・ガイドラインの無知は明らかですので、Wikipedia:五本の柱Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せない・(コピペに関して)Wikipedia:著作権Wikipedia:削除の方針などを熟読し、従ってください。:
出典を明示せずに「知っていて当然のこと、常識です」と言っても通りません。これはウィキペディアンの誰に聞いても、同じように回答されるほどの、ウィキペディアでの常識であって、Jediwikipedian氏の方が非常識。疑うなら、井戸端ででも他の方に聞いてみてください。
基本的に社会人ならばルールを守ることこそが良識です。ルール無視を公言して、そういった態度を続けるというのならば、こちらとしては荒し行為と認定して、管理者伝言板で短期間の投降ブロックを依頼して「各種方針の熟読期間」を設けてもらうしかないです。しかしそれは最悪のケースということになるでしょう。ルールがある理由は、他者間の揉め事を回避し、円滑に物事をすすめるためのものであって、他人から文句を言われたくなれば、ルールに従ってさえいれば、いいのです。--Quark Logo会話2018年9月17日 (月) 09:42 (UTC)

曖昧さ回避記事へのリンク[編集]

上節と別件です。私は定期的に誤リンク等しやすい記事名を検索し、修正しています。今回貴方が加筆・修正された4つの記事で曖昧さ回避元和へリンクしていました。和暦は正しくリンクできなくても仕方ないと思いますので、今後はリンク先を確認して頂ければ幸いです(文明や文化で誤リンクするのはさすがにどうかと思いますが、天和や元和は間違えても仕方ないレベルでしょう)。--JapaneseA会話2018年11月14日 (水) 10:49 (UTC)

利用者ページのカテゴリについて[編集]

こんにちは。Quark Logoさんの利用者ページ「利用者:Quark Logo/sandbox淀殿」「利用者:Quark Logo/sandbox3亀甲船・再構成」「利用者:Quark Logo/sandbox3文禄・慶長の役」「利用者:Quark Logo/sandbox小早川秀秋」「利用者:Quark Logo/sandbox立花道雪」「利用者:Quark Logo/sandbox高橋紹運・下書」ですが、Category:江戸時代の女性など通常記事(標準名前空間)で使うことが想定されているカテゴリが付与されています。そのため、カテゴリページにてQuark Logoさんの利用者ページが表示されてしまっています。利用者ページには通常記事と同じカテゴリは付与しないことになっていますので、Wikipedia:利用者ページ#カテゴリ、テンプレート、リダイレクトを参考に利用者ページのカテゴリを<!---->で囲んでコメントアウトするなどの対処をお願いします。

1週間ほどお待ちしても対処いただけない場合、不躾ながらカテゴリを他の利用者が直接修正させていただく場合もありますので、ご容赦ください。--Keruby会話2020年2月14日 (金) 15:30 (UTC)

小山田虎満の取り消しについて[編集]

初めまして。特に問題になるような編集はしていませんが、なぜ、取り消したかお聞かせください。--Nobulari会話2022年4月14日 (木) 07:01 (UTC)

これです。「×≥」のような不明の記号の絵文字は、主に荒らしが使います。誤操作で入れたなら、荒らしといったのは取り消しますが、いずれにしても、不適切な投稿と判断しました。投稿前にレビューで確認して再発を防止してください。--Quark Logo会話2022年4月14日 (木) 09:38 (UTC)
それはこちらの間違いです。どこかのキーを間違って触ったのかもしれません。気をつけます。--Nobulari会話2022年4月14日 (木) 11:01 (UTC)

宇多頼忠、尾藤知宣の取り消しについて[編集]

あなた個人が疑義があると言って勝手に私の編集を取り消さないでいただきたい。出典も示しています。--漬けマグロ会話2023年2月12日 (日) 05:48 (UTC)

私はあなたの出典記述を非常に疑問に思っていますが、出典を精査して、再度編集しますので、ページ番号なども追記しておいてください。また「多説併記」が原則ですので、出典の疑義が解消できた場合でも、他の説はもとに戻しますので、各種のガイドラインの熟読をお願いします。--Quark Logo会話2023年2月12日 (日) 05:52 (UTC)
追記ですが、利用者:漬けマグロ会話 / 投稿記録氏が出典記述の書き方を知らないのも気になります。Wikipedia:出典を明記するを参照して、出典の書き方を習得して、編集者と同じ土台に立っていただきたいと思います。初心者というわけではないようですから、最低限の技術ですのでよろしくお願いします。--Quark Logo会話2023年2月12日 (日) 06:02 (UTC)

真田守信、仙台真田家の記述変更について[編集]

Quark Logo 様 私は 深谷藤原三能と申し 家系と漢文を50年 研究して来ました。 私が3月末にページを修正しましたが それを貴方は 6/28日に書き換えました。 書き換えた内容は 仙台人名大辞書の真田の項が基になっているものと思われます。 しかし、それは 既に20年前にデタラメと判明しており、仙台人名大辞書の後継会の仙臺郷土研究会の会長  渡邊洋一(東北文化学園大学特任教授)先生も 真田の項は デタラメと認めており、 大辞書の間違い部分をどうするかの検討をしているところです。 それに 私は 出典として 家系の専門書 宮城県姓氏家系大辞典 及び「新編 姓氏家系辞書(2001年、平成13年)」を挙げました。 その両書共に 守信の父を政信としています。 即ち、仙台人名大辞書の内容が否定され、「幸村の系統は絶えた」と記されております。 尚、政信は 江戸幕府の系図に出ていないだけで、実際は 真田信尹には 若い頃に出来た子が居ました。武田勝頼判書に出ています。 また、ページの下に 蔵王町のページが 外部リンクされていますが 蔵王町も この春、蔵王町の真田の項は デタラメとして 蔵王町の教育委員会の(プライバシーのため除去)教育長は、町のサイトは 誤謬と認めております、そして 真田家の子孫である(プライバシーのため除去)と イベントをやってきた (プライバシーのため除去)課長は 左遷されております。そのうちに町は 当サイトを閉鎖するでしょう。 尚、江戸時代に記された 伊達世臣家譜は 漢文で記されているので 一般人には 理解できないので 分かりやすいように なっている私のページにリンクしたのです。 デタラメな蔵王町のページと 正確な私のページでは どちらが リンクする価値があるかは 明白ではないでしょうか。 尚、仙台真田氏の子孫を称する (プライバシーのため除去)は 代々家に伝わる書置きにも 守信の親父は 内記(政信のこと)と記されています。 http://www.myouji.org/sendaijinmeidaijisyo.htm さて、私は 3月末に相当なる配慮を以て 修正しましたが 貴方は それを書き換えました。貴方の真意を知りたいので これに回答するか、私に メールください。[email protected] 終わり。--深谷藤原三能会話2023年7月15日 (土) 06:35 (UTC)

深谷藤原三能会話 / 投稿記録 / 記録さん、まず、貴方の記述を削除したのは私ではありません。貴方の記述はこれではないでしょう。削除したのはIP:240F:65:11FF:1:5962:131E:2B7C:C584会話 / 投稿記録氏です。IPユーザーは誰だかわかりません。別ハンで編集するのは禁止されています。貴方は二つ使ってるように見えるので注意してください。(Wikipedia:多重アカウント
次に、貴方の記述はだいぶ問題がありました[2]。ウィキペディアには決まったルールがあり、まずはWikipedia:五本の柱を読んで、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性を把握してください。貴方の場合、研究者であられるかのもしれませんが、ウィキペディアについて良くわかってないと思います。セルフサービスであり、ウィキペディアについて学ぶというのも貴方が個人的に勉強してもらうしなかないです。誰かが教えてくれるということはないです。あと、すべての人は匿名でやってますから、メールアドレスを書くのも好ましくなく、それに応じることも一般的にないです。
記述についても、ホームページではなく、書籍の情報からルールに従って出典表記(記述箇所について何ページまで)をする必要があり、かつ旧説の間違いを指摘したいのならば、旧説を消すのではなく、旧説を紹介しつつ、新説を書いて、こうこうこういうことで旧説が否定されましたよと、別項を設けてわかりやすく説明する必要があります。結果だけを書くのは、百科事典としてよろしくないですし、情報がなくなるということが一番マズく、旧説は旧説で残さないと読者が混乱するので、出典を明示して両説(多説)併記が原則です。そしてどちらが正しいかは、専門家の出版した書籍の内容が必要であり、編集者(=つまり私達)が思うとか考えるとかいうことを反映はできません。専門家が判断した経緯を具体的に書籍の沿って説明するのが望ましいです。論争があるテーマだと考えているならなおのこと、細かく公に公開された情報を表示する必要があり、一般人が参照できない1次史料を書く人がいますが、研究者がそれを書籍のなかで述べているものが望ましいです。
で、さしあたって「宮城県姓氏家系大辞典」と「新編 姓氏家系辞書」しかないのならば、二つの出自を併記するようにしてください。項を分けてもいいですから、ともかく片方の情報だけにせずに、両方出して読者が吟味できるようにしてくれていれば、誰の文句もつかないはずです。(むろん出典表記を正しくマークする必要がありますけど)
あと個人のホームページは一般的に外部リンクによしとされません。(Wikipedia:外部リンク)先の述べたように記述を削除したのは私ではないのでなぜ削除したかは知らないです。ただ一般的には外部リンクはあくまでも外部なので重要視もされてませんし、論拠や証拠にすることもできません。公に公表されていると思われる新聞とか出版社のウェブページなど以外は参照することも(ルールで)できないことになってます。--Quark Logo会話2023年7月15日 (土) 08:57 (UTC)
お世話になります 深谷藤原三能です。
こんなに早く お返事いただけるとは 思いもしませんでした。
また、今回の 失礼、お詫びします。大変申し訳ありませんでした。
それであれば こちらは 好都合。
貴殿は ウイキペディアの編集に長けているので、貴殿に修正を頼みたいものです。
勿論、無料とは言いません。
尚、小生が 真田守信と 仙台真田家を修正するのには 理由があるのです。
貴殿も ご存知と思いますが 「オレは 幸村の子孫」と称して ニセの南蛮鎧や刀などを
有料展示している偽者が居るのです。
http://www.myouji.org/sanadayukimuranonanbanyoroi-nisemono.html
その子孫は 仙台人名大辞書の真田の項を担ぎ出して、蔵王町を騙し、大阪の大丸も騙し、
結果的に 国民を騙しているからです。
そして デタラメな本も出しているので 止めさせるためにもページの修正が必要なのです。
http://www.myouji.org/sanada/sanada-detarame.html
以上、回答いただければ 有難いです。--深谷藤原三能会話2023年7月15日 (土) 12:33 (UTC)

真田守信、仙台真田家の件[編集]

お世話になります 深谷藤原三能です。 50万用意して返事を待っていましたが 休みを利用して 貴殿の文章じっくり読みました。 返事も来ない理由も 分かりました。 以上、色々 有り難うございました。--深谷藤原三能会話2023年7月17日 (月) 03:05 (UTC)

何だかわかりませんが、自己解決されたのであれば幸いです。疑問があるときにはHelp:目次を見たり、管理者か井戸端で聞いてください。--Quark Logo会話2023年7月17日 (月) 11:29 (UTC)
お世話になります 深谷藤原三能です。
わざわざの返信 有り難うございます。
「真実は一つ」を貫くだけです。
尚、その管理者と 思われる人のメールは 「[email protected]」ではありませんか。
以上、色々 スミマセン。--深谷藤原三能会話2023年7月17日 (月) 12:51 (UTC)

真田守信の件[編集]

Quark Logo 様

編集ヘルプ 有り難うございました。 只、一番重要な出典記録が 抜けています。 小生は ページも記して 誰が見ても 分かるように記しました。(只、ウイキペディア ルールに沿っていない事 分かりましたが - - -) 1.伊達世臣家譜、38ページの真田の項に「政信の子 沖允守信」と有り。 2.宮城県姓氏家系大辞典、1994年 角川書店発行、 694ページの真田の項に「政信の子 守信は 父の死後、白石の片倉家に身を寄せた」と有り。 3.新編 姓氏家系辞書、2001年 秋田書店発行、642ページの真田の項に「幸村の子 大助は 大阪落城の際、秀頼に殉じた、従ってこの系は絶えた」と有り。

尚、貴殿は つい最近の情報を知らないものと思います。 ①仙台人名大辞書の真田の項は 間違いと 判明されている事です。(20年前に宮城県姓氏家系大辞典で立証されている) 今年の6/23日のメールです。 深谷藤原三能 様

初めてご連絡差し上げます。 この度は、貴重な資料をありがとうございました。 仙台真田氏に関しては、各方面からご指摘いただいているところで、当方としても その処遇を考えているところでございます。  さて、ご指摘の『仙臺人名大辞書』については、奥付にもある通りその初版は戦前の 昭和8年に、当時仙台市議会議員の役職にあり、戦前版の『仙臺市史』の編纂委員を 兼ねていた菊田定郷氏が明治42年に先学今泉篁州氏撰の『仙台人物史 仙台近古史談』の 記事を元に作成された戦前版『仙臺市史』巻1(昭和4年刊)の人物史の記事に補足し て発刊したもので、本書の記事の大部分は明治期の今泉氏の資料を基にしたものである と言えます。  そういう経緯で作成されたため、明治期に今泉氏が知り得る資料を検討して書かれた こともあって記事の中には誤謬も多くあったことは、他の項目でも知られています。 とはいえ、本書は仙台郷土の歴史を考える上で貴重な資料であるということから、昭和 56年当時本会の会長であった佐々久氏が当時のまま復刻した経緯があります(他に昭和 49年刊行の歴史図書社版もあります)。  歴史学においては、先学がけんとうされた史資料についても新しい解釈がなされれば、 その記述も変わりますし、新出の史資料がでればそれまでの定説が覆されることもまま あります。  よって、本件についても誤謬はごびゅうとして史料批判を加えながら新たな見解を公に して行くことが大事なことと言えましょう。  ただ、本件についてはまたまたNHKの大河ドラマに真田氏が取り上げられ、それに便乗 した形で誤謬が独り歩きした様相もあります(本会にもこれに便乗した会員がいることは 不本意であることは重々承知しております)。  この度、深谷様のご指摘については、本会役員の中でも再度検討していきたいと存じて おります。ご指摘ありがとうございます。重ねて感謝申し上げます。

仙臺郷土研究会 会長 渡邊洋一 (東北文化学園大学特任教授) ─────────────────────────── ②リンクされている蔵王町の真田のサイトは 間違いだらけなので そのうちに閉鎖されます。 去年の段階で 村上町長は 子孫を称する(プライバシーのため除去)に騙されたと 認識し、町の教育委員会の (プライバシーのため除去)教育長は 教育総務 文化財保護課の(プライバシーのため除去)課長を左遷させました。 蔵王町は 仙台人名大辞書に沿った形で 2010年頃からイベントをやってきましたが コロナが収まった今年も イベントは 無いです。

③ 真田丸以来 NHK仙台は 仙台人名大辞書に沿った形のサイトを立ち上げてきましたが、 3年前頃、そのサイトは 間違いとして ページを閉鎖しました。 現在リンクされている 河北新報は、数年前に仙台真田家は 幸村の子孫でないことを認識したので ページを削除したのですよ。

④ 観光大使に任命している上田市も 未だに 観光大使にしているが 去年の11/6日の上田祭りの時の(プライバシーのため除去)は 真田信綱役となっていて、幸村役から外されております。 https://ueda-kanko.or.jp/special/uedasanadamatsuri2022/ 以上の事を認識すれば、守信のページの記述も 大幅に変わるものと思います。 貴殿が手を加えたページは 依然として 仙台人名大辞書を基にしています。 貴殿の信用維持の為にも 脱、仙台人名大辞書をお勧めします。 以上、ご配慮 宜しくお願いします。深谷藤原三能。--深谷藤原三能会話2023年7月23日 (日) 00:19 (UTC)


返信  深谷藤原三能さん、私としては特に誰かの編集ヘルプをしているという意図はありません。深谷藤原三能さんについても、Wikipedia:五本の柱(特にWikipedia:ウィキペディアは何ではないか)を読んで、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性の三大方針をまずご理解ください。ウィキペディアでは「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が問題になります。ともかくこの4つのリンク先を読んでください。ウィキペディアは百科事典であり、公開討論の場ではありませんし、独自の考えを発表する場でもないです。
その「(プライバシーのため除去)」氏についての話は、新聞や雑誌が取り上げていないならば、ウィキペディアには書くことはできません。ここに書くのもプライバシーに関して問題があると思います。ウィキペディアはブログやHPとは違うのです。
そして、とどのつまりですが、観光大使云々は地元では大きな問題かもしれませんが、人物については、真田信繁の子が真田政信の子を偽っていたか、真田信繁の子ではなく本当に真田政信の子だったのか、というだけの話です。系図や系譜に書かれている内容の大半が虚偽であることはよくあることで、家譜なんて嘘八百でも誰も驚きません。ウィキペディアでやることは、×何が真実を探求して発表することではなく、公刊された資料にどう書かれているかの情報をまとめて紹介するだけです。
深谷藤原三能さんが言ってることややっていることは、百科事典を作るという目的から外れた意図で編集しており、「目的外利用」ということで、投稿ブロックされる恐れがあります。(Wikipedia:投稿ブロックの方針)気をつけてください。--Quark Logo会話2023年7月23日 (日) 06:36 (UTC)

真田守信[編集]

お世話になります 深谷藤原です。 貴殿がせっかく手直ししてくれたページが また 元に戻りました。 真田関係のページの修正は 2度や3度では ダメと思っておりましたが やはり やられたか、との思いです。 実は 真田の子孫の周りには 戦国魂のように デタラメを 面白くして お金を稼ぐ グループが居るのです。 よって、これは 管理人に訴えるのが一番良いものと思います。 管理人と 連絡を取る方法を 教えてくれませんか。 以上、宜しくお願いします。--深谷藤原三能会話2023年7月23日 (日) 05:14 (UTC)

繰り返しになりますが、深谷藤原三能さんは、ウィキペディアでやっていることを理解されてないと思いますが、一応、管理者はWikipedia:管理者からコンタクトはとれます。デタラメでお金を稼ぐ云々は、ウィキペディアの管轄外も甚だしいので、どうしようもないと思いますが。--Quark Logo会話2023年7月23日 (日) 06:40 (UTC)
そうですか、色々 アドバイス ありがとさんです。
ウイキペディアは なかなか難しい所がありますね。
まあ、ゆるりと やりますよ。
尚、私の名前を見て うすうす感じた事とは思いますが 私の44代前の親父は 藤原鎌足です。
以来 千数百年に亘り全ての時代の政権に入り 国にご奉仕してきました。
7代前の親父は 深谷式部藤原盛房と言い、日米和親条約の立役者です。所謂 深谷遠江守です。
孫のように若い 阿部老中にペリーには 穏便に行くよう ご意見した結果 条約は結ばれました。
https://www.myouji.org/fukaya/fukaya.htm
今 自民党のご意見番は 怖いおじさんの元 深谷通産大臣です。警察庁長官の上の国家公安委員長でもありました。
まあ、今夜は 少し 酒が入ったかな。
じっくりと 真実は一つを貫いていきます。オオ、検証可能でしたね。
貴殿のアドバイス、誠に有難いです。
このお返しは 必ずします。
でも 貴殿は 必要ないというでしょう。それならウイキに寄付しましょう。
終わり。--深谷藤原三能会話2023年7月23日 (日) 14:56 (UTC)

真田守信及び仙台真田家の件[編集]

Quark Logo 様

お早う御座います。 酒が抜けて スッキリしたところで ウイキのルールの難しさや [[]] や {{}} 等 細かい記号は、小生の目に悪いので やめることにしました。 誰か ふさわしい人が出てくることを期待する事にしました。 貴殿の活躍を願っております。 以上、色々 有り難うございました。--深谷藤原三能会話2023年7月23日 (日) 23:34 (UTC)

返信 - 最後までご理解いただけなかったようですが、真田守信の深谷藤原三能さんが書かれたものは出典記述が不十分であり、一部しか検証可能性を満たしてません。検証可能性を満たさない記述、満たす見込みがない記述は将来的に削除されます。私は軽く調べただけですが、『伊達世臣家譜』は昭和50年に活字化されたものが17巻あるらしい。35ページってどれのやねんという話で、活字化されていなものについてはどこで見ることができるかもわかりません。ということで誰もが(閲覧者全員が)参照できる状態の情報を開示できないと記述は生き残りません。で、基本的に検証可能性を満たせるように出典記述を改善できるのは、資料を持っていて執筆した本人だけであり、他人がなんとかしてくれるだろうみたいなことは不可能です。特に『伊達世臣家譜』などは調べた限り、大学の図書館にはあるようですが、一般にはすでに流通していないようです。--Quark Logo会話2023年7月24日 (月) 02:25 (UTC)
お世話になります 深谷藤原三能です。
それは 以下のページの通りです。38ページです。
http://www.myouji.org/dateseshinkafu.htm
だから私は 自分のページにリンクして 読者に分かりやすくしたのです。
以上、今後ともどうぞ宜しく頼みます。--深谷藤原三能会話2023年7月24日 (月) 03:52 (UTC)

伊達世臣家譜の追伸[編集]

深谷藤原三能 更に詳しくは 以下のページをご覧ください。

https://blog.goo.ne.jp/kata-ko/e/e88cfa543ba4841e9bf8f174fdc70502 全部で17巻の内の巻の9 です。 以上です。--深谷藤原三能会話2023年7月24日 (月) 04:16 (UTC)

返信 - 私の調べたところでは、 伊達世臣家譜 第2輯(仙臺叢書刊行會 仙臺叢書刊行會 1937 (仙臺叢書 ; 続刊第3巻シリーズ))の中の巻之九(召出之部)だと思います。つまり2巻の中です。復刻版の1975年版では1巻に含まれるはず。本の巻末を確認してください。全17巻というのは正編・続編・続編乙集を含むので、違うはずです。--Quark Logo会話2023年7月24日 (月) 04:30 (UTC)
お手数かけます。スミマセン。
只、私は その本を持っている訳ではありません。
国会図書館で コピーしたものです。
私のページの画像には 手を加えておりませんので 見える通りです。
尚、貴殿の仰ることを確認するためには 日にちが必要です。
分かり次第連絡します。
以上、宜しく頼みます。--240D:1A:3FD:C300:9904:6ACB:492D:2DFA 2023年7月24日 (月) 06:07 (UTC)
深谷藤原三能です。
確認できました。
仙台叢書続刊 第三巻 非売品、昭和十二年三月二十七日発行、発行者 仙台叢書刊行会、とありました。
以上、宜しく頼みます。--240D:1A:3FD:C300:9904:6ACB:492D:2DFA 2023年7月24日 (月) 06:33 (UTC)

真田守信の件[編集]

深谷 藤原です。

以下の年譜を記し忘れましたが 以下です。

http://www.myouji.org/sanadamorinobu-sendai.htm 以上、宜しく頼みます。--深谷藤原三能会話2023年8月5日 (土) 01:29 (UTC)

真田守信・仙台真田家の件[編集]

お世話になります 深谷藤原です。

真田守信の件、だいぶ良くできていると感じます。 有り難うございました。 只、「真田政信の子とする説」の中の中ほどに ミスがあります、 「政信は妾を頼り、白石」の部分は 守信です。 また、この頃は 既に 幸村の娘、阿梅は 片倉重綱(後の重長)の後妻になっていますので 妾ではなく、妻で良いものと思います。 http://www.myouji.org/sanadamorinobu-sendai.htm 尚、まじめに世臣家譜を読むと 疑問に感じると思いますが 昔は 書物を 記すに当たって、参考にした古文書に 虫食いがあって 不明な場合は 確信が無い場合、「子 或いは 子孫と記すべきところを数世の孫」と 記す場合があるのです。 昔の和紙は 虫に食われやすかったからです。

尚、そろそろ 仙台真田家の方も 改修して頂ければ 有難いです。 如何でしょうか。このお礼は 必ず致します。

今度は 今の記事を下に 即ち、説1と 説2の逆転です。 小林計一郎の説は 間違っている仙台人名大辞書等を参考にしている為です。 https://www.myouji.org/sanada/sanada-tanaka.jpg

2代目辰信が記した 家の書置きにも矛盾しています。 https://www.myouji.org/zaou/Zaoo-panf.html http://www.myouji.org/sanada/sendaisanada-kakei_1678.jpg 尚、昨日までの一週間、会話の投稿も止められていました、 事前警告も無しにです。 でも、貴殿には 感謝しています。 以上、色々 助かりました。--深谷藤原三能会話2023年8月4日 (金) 09:23 (UTC)

返信 - 若干現代語に近くしましたが、貴方が資料にしている仙臺叢書の内容に沿いました。妻にされたことはこの資料(の少なくともこの部分)には書いてありません。仙台人名大辞書の間違いを指摘したいのならば、仙臺叢書に余計な解釈やら付け足しをすれば、それはただの独自研究になって、台無しです。見た所、仙臺叢書も仙台人名大辞書と同程度の質の資料です。中身に間違いがあります。あと何度もいいますが、HP情報は利用できません。あと前回も言いましたが、貴方は目的外利用を目的にしていると公言していて、IPでも投稿するなどメチャクチャをしているので、1週間の投稿ブロック警告であり、次にルール違反をすれば、無期限ブロックだと思います。--Quark Logo会話2023年8月4日 (金) 18:05 (UTC)
深谷藤原
「目的外利用を目的にしている」とは 具体的に 私の どの部分を指すのでしょうか。
尚、メチャクチャをやっているとの事ですが 私は 真田守信の記述 関係者に 真実を お知らせした迄です。
ウイキペディアが 間違いだらけの辞典で 良いはずがないものと思います。
そもそも 説1を記した人は 間違った本の内容を載せているとは思いませんか。
小林計一郎さんは 歴史学者で 立派な人ですが その97ページを書いた人は 小林さんではなく、田中誠三郎さんです。
伊達世臣家譜は 伊達家の正式な古文書であり、その古文書に眞田守信から4代目の信継(信経)及び その子 長太夫(1780年頃)まで
載っていると言う事は 真田氏として 伊達家に仕えていたと言う事であり、本に載っている「8代目 幸歓(幕末~明治の人)より真田に復した」と
言うのであれば それは片倉氏として 伊達家に仕えていたと言う事になります。
そう言う間違いを知ってもらう為に会話で、関係の皆さん 通知したのです。
また、「妻にされたこと」については 以下です。
http://www.myouji.org/katakuradaidaiki.htm
正妻は 1626年に亡くなっております。よって、一周忌の後に後妻になっているはずです。
これも片倉代々記では ハッキリと 前妻がなくなった後、と記されております。
http://www.myouji.org/katakuradaidai.jpg
以下の年譜で 理解できるものと思います。
以上、色々 スミマセン。--深谷藤原三能会話2023年8月5日 (土) 01:22 (UTC)
返信 -だから、仙臺叢書(伊達世臣家譜)と仙台人名大辞書を比べようという話なんで、片倉代々記を入れたらわかりにくくなるでしょう。今はニ説にわけてますが、究極的には、相違点部分だけで十分なのです。同一人物について書いてあるわけですから。わかりにくければ、完全に相違部分だけに編集し直してもいいですが、要するに、本当に政信の子か、偽って政信の子を主張していたのか、というただこれだけですからね。相違点はほぼこれだけです。ま、掲示の仕方は検討してみますが、片倉代々記とかを知らないといっているわけではないので、ここで主張されてもこまりますし、そういうことじゃない。そして、どちらの資料が正しいかみたいなことは、ウィキペディアの目的に反するので、できないって、最初からいってますよね。書籍上あるいは論文で専門家が主張したものを載せられるだけです。ウィキペディアの方針とガイドラインは全部読んでください。またHPに書いても何の役にもたたないです。HPではなく、それを作るのに使った資料のみが意味があります。方針を読んでいれば、検証可能性が必要だとわかるはずですけど・・。 --Quark Logo会話2023年8月5日 (土) 02:13 (UTC)
深谷藤原です。
片倉代々記を出したのは 貴方の疑問「妻」の証明の為であり、「相違部分だけで 充分なら それで良いものと思います」。
只、仙台人名大辞書の真田の項が 間違っていると ハッキリ記している書物は有りません。
ハッキリ認めているのは 大辞書の後継である 仙台郷土研究会の 渡邊洋一会長です。
しかも、私にくれた メールです。
尚、大辞書の内容が違うよ、という意味では 片倉男爵です。
http://www.myouji.org/sanadayukimuranokouei0saguru.htm
また、守信の親父が政信としているのが 20年前に出た家系の専門書 2冊です。
http://www.myouji.org/sendaisanada-shinjitsu.html
家系の専門書と 普通の本とは 信用度が違います。
以上、宜しくお願いします。--深谷藤原三能会話2023年8月5日 (土) 03:15 (UTC)
深谷藤原です
一晩寝て、貴殿の妾にこだわった理由が理解出来ました。
さて、全く別件の質問です。
6/28日に私が前の記述を書き換えた時に、私は その理由を記しましたが、私の記述を全て
前に戻したのは 「---c584」さんですか、それとも 違う人ですか。そして 私の記述を消した理由は どこに記されているのでしょうか。
ちょっと見ただけでは 分からないので質問します。
以上、宜しく頼みます。--深谷藤原三能会話2023年8月6日 (日) 01:10 (UTC)
深谷藤原です
貴殿の記事を読み直したので 再度 分かりました。
よって、 説1を記した c584さんに 会話で、質問をしようと思っておりますが
理解を深める為に 私のページの画像を記して 説明しようと思いますが
会話でも 自分のページを記すことは 違反なのでしょうか。
以上、お教え願います。度々で スミマセン。--深谷藤原三能会話2023年8月7日 (月) 09:24 (UTC)