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利用者:とに/工場1

以下、お化けマンション町田市立能ヶ谷きつねくぼ緑地へ移動した後の改編モデルを作成しています。これは百科辞典ではありません。事実と異なることや、憶測で記述してある可能性があるので、以下は参考にしないでください。


町田市立能ヶ谷きつねくぼ緑地
Machida Municipal Nohgaya Kitsunekubo Park
町田市立能ヶ谷きつねくぼ緑地
分類 都市緑地
所在地
東京都町田市能ヶ谷七丁目
座標 北緯35度35分26.37秒 東経139度28分35.63秒 / 北緯35.5906583度 東経139.4765639度 / 35.5906583; 139.4765639座標: 北緯35度35分26.37秒 東経139度28分35.63秒 / 北緯35.5906583度 東経139.4765639度 / 35.5906583; 139.4765639
前身 お化けマンション、白洲次郎私有地
開園 2014年5月12日
運営者 町田市都市づくり部公園緑地課
現況 年中開放
アクセス 小田急小田原線鶴川駅北口1番乗り場から平和台循環バス「平和台入口」下車、2番乗り場から鶴川六丁目経由鶴川団地行きバス「平和台入口」下車、4番乗り場から真光寺公園行きバス「平和台入口」下車
公式サイト 能ヶ谷きつねくぼ緑地/町田市ホームページ
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町田市立能ヶ谷きつねくぼ緑地(まちだしりつのうがやきつねくぼりょくち)は、東京都町田市能ヶ谷七丁目にある、町田市都市づくり部公園緑地課管理する公園都市緑地)。かつて当地にあった廃墟についても併記する。

概要[編集]

きつねくぼ緑地が整備される前、この敷地内には「お化けマンション」と呼ばれている廃墟があった(後述)。当地はその跡地および白洲次郎私有地など周辺斜面買収した土地である。一般非公開、第1・第3土曜日の10時から15時のみ一般開放を経て、2014年5月12日に常時一般開放になった。ただし、園路灯午後10時に消灯するので、夜間利用は避けるよう町田市では呼びかけている。隣接して白洲次郎の私邸であった旧白洲邸 武相荘がある。

きつねくぼ緑地の設置事由については、「お化けマンションがあるので、それの解決方法の一つとして購入をするという方向でもあった」と市議会建設常任委員会で述べられている[1]

また、同委員会で、東京都の緑地保全事業により、都の指定による保全緑地として東京都が購入するという考えがあることも述べられている[1]

歴史[編集]

  • 1967年昭和42年)- 町田市熊ケ谷町字十一号1305番の一から五筆に、東京慈恵会医科大学生活協同組合により、鶴川コーポ建設開始[2]。これ以後、通称お化けマンション(鶴川コーポ)については、#お化けマンションの歴史を参照のこと。
  • 1986年(昭和61年) - 市議会で、通称お化けマンションの公共取得を2回にわたり一般質問で求められる。[2]
  • 1986年(昭和61年) - 用地取得を始める。[3]
  • 1990年(平成2年) - 市議会で、通称お化けマンションの公共取得の早期実現を一般質問で求められる。[2]
  • 1990年(平成2年)3月 - 市議会で、通称お化けマンションの用地の買収と跡地の公的利用についての請願が、願意に沿うよう努力するという採択がなされる。[2]
  • 1991年(平成3年)2月22日 - 市議会建設常任委員会で、「請願第七号(2) お化けマンション(通称)用地の買収と跡地の公的利用に関する請願」についての経過報告がなされる。[2]
  • 1991年(平成3年)3月? - 通称お化けマンションのマンション用地および建物を土地開発公社が買収。[2]
  • 1991年(平成3年)5月 - 通称お化けマンション(鶴川コーポ)、取り壊し[1]。これ以前、通称お化けマンション(鶴川コーポ)については、#お化けマンションの歴史を参照のこと。
  • 1991年(平成3年)7月 - 公社が購入した(仮称)能ケ谷緑地(面積4313.54平方メートル、通称お化けマンションのマンション用地に相当)を市が買い戻す。購入費は、用地費13億6885万8000円と利子と公社の手数料で14億円。東京都の区市町村保存樹林地等公有化資金貸付規則に基づき借り入れ、それを充当する。3年の据え置きを含み10年間で償還する計画。[1][4]
  • 1991年(平成3年)9月19日 - 平成3年台風第18号により、外縁の崖が崩れ、隣接民家が土砂に侵された。[4]
  • 1996年(平成8年) - 市条例に基づく、「緑地保全の森」に指定される。[5]
  • 1997年(平成4年) - 市公園緑地課、近隣住民、小中学校関係者などにより「きつねくぼ緑地愛護会」が発足する。その後、愛護会活動日の第1・第3土曜日の10時から15時に限り、一般開放される。[5][3]
  • 2010年9月 - 都市計画決定で、「町田都市計画緑地第30号能ケ谷緑地」と名付けられる。[3]
  • 2012年(平成24年) - 「緑地保全の森」などの整理統合により、「町田市ふるさとの森」に指定される。[5]
  • 2012年(平成24年)7月 - 市の方針により、「きつねくぼ緑地愛護会」活動休止。一般開放も休止。[5]
  • 2013年(平成25年)3月14日 - 市議会建設常任委員会において、請願第9号[5]による議論がなされ、不採択となる。[3]
  • 2014年(平成26年)5月12日 - 常時一般開放となる。[6]

お化けマンション[編集]

お化けマンション(1987年〜1988年頃撮影)
同上
同上

お化けマンション(おばけマンション)またはオバケマンションとは、かつて現在のきつねくぼ緑地内にあった廃墟の俗称[2][1][5]。なお、建設当時の正式名称は「鶴川コーポ」[1]

お化けマンションの概要[編集]

上空から見ると建物全体が「く」の字型に曲がった形になっており、また外が作られる前に工事が中断したため外壁が存在しなかった。

1967年昭和42年)、RC構造、地上6階・地下1階[2]、計100部屋の分譲マンションを想定し、建築を開始。1968年(昭和43年)には基礎工事が完了したが、その土地が許可を得ないまま造成されていたことが判明。そのため、土地の所有権をめぐって裁判となり、工事が中断されることになった。同時に使用された建材が基準を満たしていないという建築基準法違反も発覚したため、工事の再開は不可能となったが、結審までは物件を現状維持しなければならないため取り壊すわけにもいかず、建築途中で放棄されることになった。そのため、上記のような異様な外観のまま周囲に晒されることになり、いつしか「お化けマンション」と呼ばれるようになった。

その外観のインパクトゆえに、『仮面ライダー』など1970年代特撮作品で撮影のために使用されることが多かった[7]。『仮面ライダー』の劇場版第2作『仮面ライダー対じごく大使』では屋上にヘリコプター着陸させた。しかし、上記のような違法建築のため、撮影中に倒壊する恐れもあったという。一部の『仮面ライダー』スタッフが後年のインタビューで「撮影中に揺れた」、「コンクリの中に発泡スチロールの粉が入っていた」などの証言を残している[9]

その後、結審を経て1991年平成3年)5月に取り壊され、その跡地は現在町田市公園緑地課が管理する「きつねくぼ緑地」となった。

お化けマンションの歴史[編集]

  • 1967年昭和42年)- 町田市熊ケ谷町字十一号1305番の一から五筆に、東京慈恵会医科大学生活協同組合により、鶴川コーポ建設開始。[2]
  • 1968年(昭和43年) - 基礎工事が完了。
  • 1986年(昭和61年) - 市議会で、公共取得を2回にわたり一般質問で求められる。[2]
  • 1989年平成元年)6月23日 - 最高裁で、土地の所有権などに関する判決が出る。土地所有者は千代田産業株式会社および有限会社広栄開発、建物所有者は有限会社広栄開発と確定する。[2]
  • 1990年(平成2年) - 市議会で、公共取得の早期実現を一般質問で求められる。[2]
  • 1990年(平成2年)3月 - 市議会で、用地の買収と跡地の公的利用についての請願が、願意に沿うよう努力するという採択がなされる。[2]
  • 1991年(平成3年)2月22日 - 市議会建設常任委員会で、「請願第七号(2) お化けマンション(通称)用地の買収と跡地の公的利用に関する請願」についての経過報告がなされる。[2]
  • 1991年(平成3年)3月? - マンション用地および建物を土地開発公社が買収。[2]
  • 1991年(平成3年)5月 - 取り壊し。[1]

いわれ[編集]

建物が放置されていた頃、若年層を中心に、周辺住民によるうわさがあった。それは、この建物を建て始め、この建築にかかわった多くの者が原因不明の病気にかかり、その結果、建築を続けることができなくなり、やむを得ず中断したというものである。その後、取り壊しを計画したが、やはりそれにかかわった者の多くが原因不明の病気にかかり、手をつけることができなくなり放置されたと言う。その土地と建物がわれているといううわさにより、「お化けマンション」と言われるようになったものである。心霊写真や、霊感があるといわれている人が「がいる」と言ったといううわさもあった。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 平成 3年建設常任委員会(6月)-06月20日-01号(市議会議事録)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 平成 3年建設常任委員会(2月)-02月22日-01号(市議会議事録)
  3. ^ a b c d 平成25年建設常任委員会(3月)-03月14日-01号(市議会議事録)
  4. ^ a b 平成 4年建設常任委員会(9月)-09月17日-01号(市議会議事録)
  5. ^ a b c d e f 「鶴川きつねくぼ緑地」を従前のとおり地域住民と協働して管理・運営することを求める請願(町田市請願平成25年第9号)(町田市に対する請願書)
  6. ^ 能ヶ谷きつねくぼ緑地/町田市ホームページ
  7. ^ 当時の生田撮影所からも近く、また使用料もかからなかったため、重宝された。ただで利用出来たので「ただマン」とも呼ばれていた。
  8. ^ 全怪獣怪人 下 1990, p. 481.
  9. ^ プロデューサーの平山亨は、撮影は許可を得て行っていたが本来このマンションはコンクリートの劣化により崩落の危険があるため立ち入りを禁じられていたと証言している[8]

関連項目[編集]

  • 木の岡レイクサイドビル、通称「幽霊ホテル」 - 滋賀県大津市にあった同様の建物。お化けマンションとほぼ同じ時期に建てられ、ほぼ同じ時期に解体されている。詳細は爆破解体の項目を参照。

参考文献[編集]

  • 全怪獣怪人』 下巻、勁文社、1990年11月30日。ISBN 4-7669-1209-8。C0676。 
    『仮面ライダー』ロケ地探訪特集で、お化けマンションが紹介された。ただし、同書増補版の『全怪獣怪人大事典』(2003年英知出版)では、このコーナーはカットされている。
  • よみがえるヒーロー! 仮面ライダー大研究(2000年二見書房
  • 仮面ライダー -誕生1971-2002年講談社
  • KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダーVol.6 仮面ライダーアマゾン2004年、講談社)

外部リンク[編集]

{{Architecture-stub}} {{DEFAULTSORT:まちたしりつのうかやきつねくほりよくち}} [[Category:町田市の歴史]] [[Category:廃墟]] [[Category:現存しない東京都の建築物]] [[Category:未完成建築]]