利用者:やまさきなつこ/sandbox
ここはやまさきなつこさんの利用者サンドボックスです。編集を試したり下書きを置いておいたりするための場所であり、百科事典の記事ではありません。ただし、公開の場ですので、許諾されていない文章の転載はご遠慮ください。
登録利用者は自分用の利用者サンドボックスを作成できます(サンドボックスを作成する、解説)。 その他のサンドボックス: 共用サンドボックス | モジュールサンドボックス 記事がある程度できあがったら、編集方針を確認して、新規ページを作成しましょう。 |
略称 | 統一教会、統一協会 |
---|---|
設立 | 1954年 |
設立者 | 文鮮明 |
種類 | 宗教法人 |
本部 | 韓国ソウル市 |
関連組織 | 韓日人教会、原理研究会、世界平和宗教連合、世界平和教授アカデミー、世界平和女性連合、世界平和青年連合、日本青少年純潔運動本部、真の家庭運動推進協議会、国際勝共連合、世界日報社、光言社、一心病院、世一観光、一和[1] |
統一教会 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 통일교회 |
漢字: | 統一敎會 |
発音: | トンイルギョフェ |
日本語読み: | とういつきょうかい |
ローマ字: | Tongil Gyohoe |
英語: | Unification Church |
世界基督教統一神霊協会(せかいきりすときょうとういつしんれいきょうかい、英名:Holy Spirit Association for the Unification of World Christianity )は、朝鮮半島のキリスト教の土壌から発生した新宗教団体である[2]世界平和統一家庭連合(せかいへいわとういつかていれんごう、英名:Family Federation for World Peace and Unification)の旧名称である。文鮮明[3](1920年- 2012年)によって、1954年に韓国で創設された。韓国の多くの少数派宗教団体と異なり、朝鮮半島を超えて世界中に普及したという特異性を持つ[4]。1994年5月に名称が変更され、日本では遅れて2015年8月に改称された[2][5]。世界平和統一家庭連合は、日本では旧称の略称の統一教会[2]、または統一協会と呼ばれる。以下、便宜的に統一教会と表記する。
名称
[編集]1954年の設立当時の名称である世界基督教統一神霊協会は、「全キリスト教会を霊的に統合させる協会」を意味する[4]。名称の「聖霊」は、主流派キリスト教における三位一体の聖霊とは関係がない[4]。英語名の「聖霊」には、英語では Holy Spirit が充てられているが、これは命名当時に他に適切な訳語が思いつかなかったためであるという[4]。
統一教会は、近年は社会における家族というユニットの重要性を強調しており[2]、それを反映して1994年5月に名称が世界平和統一家庭連合に変更され、日本では遅れて2015年8月に改称された[5]。
韓国では統一教[6][3]、日本では旧称の略称の統一教会、統一協会と呼ばれ、英語ではUnification Church(統一教会)[2]、Unificationism(統一主義)、開祖の姓から俗にMoonies(ムーニーズ)の名で知られる[7]。ただし、信者はムーニーズを蔑称と考えており、自らそう名乗ることはない[7]。文鮮明が率いる組織の集合体は、統一運動と呼ばれる[8]。
概説
[編集]朝鮮半島の平安北道定州出身の文鮮明[3][9](1920年- 2012年)によって、1945年に布教活動が始まり[10]、1950年に朝鮮戦争が勃発、1952年に経典の「原理原本」の草稿が完成した[11]。1954年5月に韓国ソウルで世界基督教統一神霊協会が創設され[11]、1965年に文鮮明一家と幹部たちはアメリカに宗教・政治的情宣活動の拠点を移し、世界宣教・経済活動を拡大し、巨大な統一運動傘下組織を作った[12]。世界193か国に支部がある。日本では韓国籍の西川勝により1959年から1965年まで宣教が行われ、同年アメリカにも普及が行われた[4]。1964年に日本で宗教法人の認証を得た[13]。
戦後の外来宗教としては古い部類であり、ミッション(伝道団)であると考えるならば、その中では日本で最も勢力を拡大している[14]。日本では多くの社会問題を起こしたことから社会的評価は低いが、政治家との強い関係や経済組織を持つこと[14]、数十万の日本人を活動に巻き込み[14]、現在も数万人の熱心な日本人信者を持つことなど[14]、社会的影響力は弱いものではない[14]。日本に次いでアメリカ、イギリスで布教され、近年は東ヨーロッパと南アメリカで拡大している[2]。2012年には開祖文鮮明が死去し、七男でハーバード大学神学部卒の文亨進が宗教としての統一教会の後継者に指名され、四男の文国進が事業部門を受け継いた[15]。統一教会旗下には、勝共連合という反共政治団体、純潔教育やジェンダーフリー・バッシングをこなう市民運動体、統一教会信者向けの商品を製造販売する会社、信者が物販する商品を卸す会社、世界日報やワシントンタイムズという新聞社や信者向け出版を行う光言社という出版社、平和運動や社会事業に市民を勧誘するNGO・NPO組織など、様々な組織がある[16]。
発生の背景には、1930年代の韓国のキリスト教における神秘主義的な異端運動があり、日本の支配から解放され朝鮮戦争を経た1950年代以降の韓国において生まれた、新宗教運動の潮流の一つである[2]。その神学は、仏教、儒教、道教、シャーマニズム、韓国のキリスト教の影響を受けており、西洋的文脈になじまない信念も見られる[2]。救世主が再臨しており、それが文鮮明であると考えることなどから、キリスト教主流派からは異端と見なされている[6]。
統一教会がカルトに分類されるかについては様々な意見があるが、その宣教活動には社会の規範意識や法律と軋轢のある部分が少なくなく、宗教学者の櫻井義秀は、「教説の創唱性、教祖のカリスマ、教団内婚制という点だけを取り上げても、宗教学的には新宗教と定義して構わないし、再臨主を称する教祖を信奉する少数者の集団という意味では、宗教社会学的にはカルトと類型化される」述べている[6]。韓国では異端、偽宗教といわれることもあるが、霊感商法や正体を隠した勧誘といった日本のような社会問題化する教団活動を行っておらず、献身(後述)や布教の強要もなく[17]、祝福献金の金額は日本よりはるかに安いといわれており[17]、日本のような特異な信仰になっていない[17][18]。このように被害者がおらず、日本での被害の実態もあまり報道されていないことから、韓国ではカルトとは見なされていない[18][19]。
教団内婚制をとり、教祖のインスピレーションに従って信者同士で結婚する[20]。小規模な閉鎖的コミュニティを除き、教団内婚制をとる巨大教団はほかには見られない[20]。この「合同結婚式」(信者は「祝福」と呼ぶ)で家庭を持った日本人の信者数は、1万組をはるかに超えている[20]。2000年代に入り国際結婚が急増しており、韓国人男性と結婚し韓国で暮らす日本人女性信者も7千人ほどいる[21]。教団内婚制で世代が再生産されるため、ピークを越えたとはいえ教団の持続力は強い。教団内婚制も、カルト視されたりマインド・コントロール疑惑が持ち上がる一因になっている[20]。
統一協会は、国別に機能を特化させる戦略をとっており、櫻井義秀は、「宗教的競争力のなさを、政治・経済部門の事業多角化とグローバルな事業展開で乗り切ったことが、統一教会を成長させた最大の戦略的要因である」と指摘している[20]。韓国では、宗教としてはシャーマニスティックなキリスト教祈祷院のメガチャーチというようなものであるが[22]、むしろ多様で巨大な複合企業体と認識されており[15]、経済活動や社会事業を行い[20]、結婚に悩む農村部では結婚相談所のような役割も果たしている[19]。初期から政治・経済領域に事業を拡大し、政権との間に宗教活動を政治的に庇護してもらう関係を構築し、このやり方は韓国と日本で成功した[20]。異端視される宗教がこのような戦略に成功することは非常に珍しい[20]。アメリカでは、保守政治や信教の自由を擁護する活動を積極的に行い[20]、統一協会の宗教間対話と平和志向を評価する向きもある[2]。そして日本は「金のなる木」、集金の場所として扱われ[20]、アメリカでの大規模な布教活動やロビイング活動、韓国の系列企業のビジネスには、日本の献身(無給に近い待遇で、教団の指示のもと様々な活動に従事すること[23])した信者による物販で稼ぎ出された資金が使われていた[20]。
日本ではより多くの「献身者」を出すことが目指され、違法な布教、資金調達活動が20年以上行われた[24]。スピリチュアリティ(霊性)を濫用した収奪のシステムは、額においても国際的なネットワークのスケールにおいても非常に大規模で、組織的で高度に計算されたものであった[25]。1960・70年代には、統一教会の学生組織である原理研究会が大学構内で示威的な布教活動を行い、大学を中退して統一教会に献身する学生が問題となった[26]。現在も大学では学生を守るための対策が講じられている[27]。霊障や祟りを強調し、占いや先祖祭祀の観念を利用するなど、日本の宗教文化を偽装した布教を行い、違法な物品販売活動で資金を集めており、1980年代には姓名判断や印相鑑定と絡めたいわゆる「霊感商法」が大きな社会問題となり[21]、1989年には霊感商法被害対策弁護師団が結成された[21]。統一教会がらみの訴訟が1986年以降100件を超え、献金勧誘行為の違法性と賠償責任を認める判決が複数ある[28]。また、金銭トラブルや教義の妥当性だけでなく、「人生の目的」「生そのものをより良くする」「自分らしく生きる」「幸せな家庭、家族」を望む志向性そのものの侵害、すなわちスピリチュアリティを巡るトラブルという点も注目された[29]。日本では2008年の特定商取引法の改正以来、統一教会の物販の販社にも司法の手が及ぶようになってきたため、集金が困難になってきている。浅見定雄は、日本からの資金を命綱とするとするこれまでの在り方に、大きな転換を迫られていると述べている[15]。
日本では、当初は自覚的な参画者からなる宗教運動であったが[21]、1980年代に大きな路線転換があり[21]、以降教団名や活動内容を説明した上での布教活動を30年近く行っておらず[30]、新規の入り口は文化系サークルや教養講座、鑑定所等に擬態したものであったため[30]、日本の統一教会には、宗教団体とは自ら信じて集まった人の団体であるという「宗教」の前提が通用しない[30]。信仰とは自発的なものであるはずだが、日本の統一教会の信仰には、そうとも言い切れない複雑さがある[30]。韓国では正体を隠した勧誘は行われていない[18]。1992年に芸能人の桜田淳子・山崎浩子が合同結婚式に参加したことが報道され、翌年、 山崎浩子が脱会し記者会見で「私はマインド・コントロールされていました」と述べて自らの体験を語ったことから、マインド・コントロール、洗脳であるという批判が高まり、1980年代末まで盛り上がっていた活動は以降停滞した[24][15]。他のキリスト教や新宗教の団体には見られない特異な勧誘方法(統一教会所属していた鄭明析による新宗教団体・摂理は同様の手法を使っている[31])、教化システムが確立されており、入信、回心を経てしばらくすると教団に献身することが求められるが、青年信者のうち一定の割合が献身してしまうことから[32]、一般にはこのような急激な態度変化は洗脳、マインド・コントロールであるという認識が少なくなかった[32]。しかし、宗教研究や宗教社会学では、統一教会の事例であっても自発的な入信、回心であると理解されており[32]、マインド・コントロールされたという臨床心理や社会心理学の立場と、学問や法廷で20年以上論争が続いてきた[32]。
アメリカ進出当初、活発な活動で欧米のメディア及び研究者の注目を集め、宗教社会学の古典的業績のかなりの部分が統一教会の研究で生み出された[33]。そして1980年代の路線転換後をフォローする研究者がいなかったため、これ以前の研究が教団に利用された[34]。日本では、脱会者の証言に軸を置く批判的な研究や、現役信者の証言による教団像の研究はあったが、調査の範囲は狭い[35]。研究者が統一教会と適切な距離を保つことの困難さ、統一教会から研究者へのコントロールの懸念もあり、総合的な調査研究は非常に少ない[35]。
宗教面
[編集]教典
[編集]統一教会の教典は、1966年に初版が刊行された『原理講論』(原理講話)とされる[36]。日本語版は1967年に刊行され、日本の統一教会信者は長らく教典として重視し、これを基に信仰心を形成してきた[36]。日本の教団幹部や、彼らに教化された教団信者の世界観・信仰観を知るための検討の対象となる文献である[36]。文鮮明の『原理原本』をもとに、劉孝元(ユ・ヒョウオン)が『原理講論』をまとめ、これが教典として扱われている[37]。
『原理講論』は、文鮮明の高弟である劉孝元(教会長、1970年死去)が、文鮮明の『原理原本』を増補し、彼の説教を整理したものである[37]。『原理原本』(日本語タイトルは『原理解説』1960年印刷)は、韓国の神秘主義的キリスト教改革運動の流れを汲む「イスラエル修道会」の金百文(キム・ベクムン。キリストの親臨を主張した柳明花の信奉者のひとり南白桂の弟子[3])の著作『基督教根本原理』に影響を受けて文鮮明が著したもので、初期の教団で教義解説の内部資料として使われていた[36]。『原理講論』は初版以降数度改版され、新しい部分も追加されている[36]。初版には、メシアが文鮮明であること、メシアが誕生する国が韓国であることの論証部分はないが、第3版には追加されている[36]。『原理講論』のはしがきには、本書が完成版ではなく、編者により適時増補、または加筆修正される可能性のあることが説明されている[36]。
『原理講論』の言葉を勝手に解釈したり、自分の言葉を付け加えることは分派発生の原因になるとして、信者には禁止されている[38]。
ハンガリー人のカトリック神学者・神父で上智大学神学部教授であったネメシェギ・ペトロは、『原理講論』では、神は「ゲルマン民族を新しい選民として立て」たという主張を基に、古代末期以後の歴史はすべてゲルマン民族に集中して語られて、カトリック教会はキリスト教の堕落したものとして描かれており、ルターが新しい福音の光をもたらした存在とされるなど、韓民族を現在の選民であるとする最後の唐突な飛躍を除き、ゲルマン・アングロサクソン系のプロテスタンティズムの立場で書かれていると述べている[39]。(日本語版では削除されているが、英語版『原理講論』には、「韓国の民が神によって選ばれた第三のイスラエルとなる」と書かれている。[39])
文鮮明による教えは初期から変化しており、弟子がまとめた教説より生きている文鮮明が直接語った言葉こそが神の教えと考えられるため、初期の説教内容をまとめた『原理講論』だけでなく、教祖の言葉をまとめた『文鮮明先生御言選集』(360巻以上)、『御旨と世界』(1985年)などの説教集、信者の規律についての『御旨の道』なども併せて教義体系を構成しており、近年では説教集『天聖経』(2003年編纂)が『原理講論』以上に重視されるようになっているといわれる[36]。
教義・教説
[編集]統一教会で「原理」とは、文鮮明が霊的体験や独学によって与えられた啓示を指し、信者は「原理」は旧約聖書・新約聖書の解釈であり、究極的、決定的な真実であると信じている[40]。「原理」は主に、「創造」、「堕落」、「復帰」の3つの部分からなる[40]。『原理講論』は文鮮明の啓示の様々な解釈を書いたもので、「原理」とは厳密に区別されている[40]。1954年に統一教会が創立されて以降、一貫して、聖書よりも『原理講論』が重要視されており[37]、現存する聖書によるキリスト教の正典を超越すると考えられている[40]。この節は本書の内容を中心に述べる。『原理講論』の「堕落論」には、「性的堕落による原罪が汚れた血統として人類に受け継がれた」と記され、「これを救う方法は、汚れた血統を持たない教祖がこの世に誕生し、その教祖と結びつくことによって罪なき子どもたちが地上に満たされることだ」とする一説が記されている[37]。プロテスタントの日本基督教団牧師・宗教研究者の石井智恵美は、教義内に明確な記述はないが、信徒にとって、教祖の文が「再臨のイエス」=「人類と霊界を結ぶ比類ない存在」であることが信仰の前提であると述べている[37]。神の愛を中心に結婚し、完全な子供を産み、真実の家族を作ることで、地上の楽園を建設することが目指される[2]。
宗教学者の櫻井義秀は、その教説の特徴を簡単に言うと「陰陽二元論による宇宙論やナショナリズム的歴史観に裏打ちされた、韓国に土着化されたキリスト教の一変種ということができよう」と述べている[14]。ネメシェギは、『原理講論』の思想の特徴として、朝鮮半島の陰陽説、文鮮明が受けたキリスト教的教育に由来する一神論と旧・新約聖書の権威の容認、根本主義的な聖書解釈、象徴的聖書解釈、科学性の主張、終末論的歴史神学、神との「霊交」で得られたという「啓示」を挙げ、『原理講論』の教えの根拠は、実際には哲学・自然科学・客観的な聖書解釈・教会の教えのいずれでもなく、真の根拠は著者が述べているように、文鮮明が受けたという「啓示」であると述べている[39]。
- 神の世界創造の目的
神はこの世からの刺激によって、はじめて喜びに満たされるとされている[39]。旧約聖書の創世神話「産めよ、増やせよ、地に満ちて地を従わせよ」から、神の創造の目的は3つあるとしている。
- 「産めよ」は、人間の精神と肉体の調和がとれた「真の個性」になることを意味する[41]。
- 「増やせよ」は、子供を産むという意味[41]。「神の二性性相が各々個性を完成した実体対象として分立されたアダムとエバが夫婦となり、合体一体化して子女を生み殖やし、神を中心として家庭的な四位基台をつくらなければならないのである」とされる[42]v。
- 「地に満ちて地を従わせよ」「地にみてよ」は、神、人類、その他の生物の調和のとれた理想的な世界を創造することを意味する[41]。「万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する」とされる[42]。
人間は完全な家庭を築くことで、完全な社会、国家、世界を実現するために「増殖」できるのである[41]。
統一協会が説く神の目的には、「人間の個性完成」という近代主義的な発想が持ち込まれている[43]。また、家庭形成という「アジア的家族主義を織り込んだ人間論」(櫻井)も神の創造目的に取り入れられている[43]。
- 楽園追放と原罪
『旧約聖書』の「創世記」には、神が創造した最初の人類であるアダムとエバが、罪を犯し楽園を追放される逸話がある。エバが蛇にそそのかされて、次にアダムがエバにそそのかされて、食べることを禁じられていた知恵の樹の実を食べた。この蛇はしばしば悪魔であると解釈される。この罪のために二人は神に罰せられて、人間は死や労働、出産の痛みといったあらゆる生の苦しみを持つようになり、この世に罪と死とのろいが入り込んだとされる。西方教会では、これがアダムとエバから全人類に「原罪」(ラテン語: peccatum originale)として受け継がれていると考えられている。神学者の宮本久雄は、原罪とは、狭義には人間の神との関係の破綻、神と人間との生命的な関係の虚無化を意味しており、従って本来は、モラル規範への単なる違反や男女の性的欲求とは直接関係がないと述べている[44]。(詳細は「原罪」を参照)
『原理講論』の著者は、文鮮明の説教から堕天使ルシファー(『原理講論』では「ルーシフェル」。ルシファーは魔王サタンの堕落前の天使としての呼称)の伝承を換骨奪胎した新しい物語を作り、ルシファーの堕落を次のように説明している。ルシファーは元々神に最も近い大天使で[45]、神の愛を独占するような位置にいたが、神が人間を創造した後はその愛が減少したと感じた[46]。ルシファーは嫉妬に駆られてエバを誘惑し[45]、エバは10代の処女であったが[47]、「神のように目が開けることを望み、時ならぬときに、時ならぬものを願」い、両者には授受作用(相互作用)が生じ、「不倫なる霊的性関係」を結んだ[46]。統一教会ではこれを「霊的堕落」と呼ぶ[46]。天使は肉体を持たないため、これは肉体的な交わりではなく、「霊人間」と「霊人間」の交わりであった[47]。
ことの重大さに気が付いたエバは、罪悪感から神の元に戻りたいと願い、神が定めた配偶者であるアダムと結ばれようと、彼をそそのかし性的関係を結んだ[47][46]。エバは神の元に戻れたと思ったが、ルシファーとの「授受」は、真の配偶者との「授受」だけでは回復されず、さらにエバとアダムが性的関係を持つことは神の意志ではなく、神の祝福を受けていなかった[47]。エバは3重に罪を犯しており、神に従うべきであり、婚約者を裏切るべきではなく、婚約者と共に完全に精神が成長してから性的関係を持つべきだった[47]。アダムとエバは自らの個性を完成する前に時期尚早な夫婦関係を結び、それは神ではなくルシファーを中心としたものであったため[48]、人間は家庭形成に失敗したのである[43]。これは「肉的堕落」と呼ばれる[46]。
以降すべての人間は、善と悪、神の要素と堕天使の要素を併せ持つ存在になった[48]。アダムはエバと性的関係を結ぶことで、エバがルシファーから受け継いだすべての要素を受けつぎ、子々孫々にもサタン(ルシファー)の血統が継承されているという[49]。これが統一教会における「原罪」である[49]。原罪は遺伝によって伝わるようなものとされている[39]。アダムとエバはその罪によって、人類を偽りの主、サタンに仕えさせることになった[50]。
- イエス・キリストと再臨のメシア
統一教会では、イエス・キリストは三位一体の存在ではない[3]。心情的には神と一体であるが[3]、イエスを神と言えるのは「すべての完成した人間は神と一体である」という意味においてのみであり[39]、「創造理想を体現した男性」としてその価値は認められる[39]。この点が、主流派キリスト教と最も異なる点である[39]。イエスは、司祭ザカリヤとマリアの間に生まれた原罪のない人間であると考えられている[3]。
イエス・キリストは、サタンが不当に奪った神の「主管性」を回復し、堕落した人類を原罪のない善の人類に産み直し、神を中心に据えた新し人間の血統を築き、地上天国を築くために来たとされている[48][51][52]。聖霊は女性神であり、真の母でありエバであるとされる[39][52]。神はユダヤ民族をはじめとする全人類を救うための代償として、イエスの肉体をサタンに引き渡さざるをえず、イエスの肉体はサタンの侵入を受け虐殺されたとしている[39]。そのためイエスの肉体が復活することはなく、今は霊人間として神のもとに生きているという[39]。
イエスは十字架上で死に、それは人類の霊的救済のための蕩減(とうげん。代償)になり[53]、霊的救いが達成されたが、新しい血統を築くことはできなかったため、救いの摂理は完成されていないと考えられている[53][54]。イエスの死はイエス自身の失敗によるものではなく、洗礼者ヨハネや弟子たちといったほかの人間がイエスを裏切り、見捨て、ユダヤ人が彼を受け入れなかったたためであると考えられている[51][54]。統一教会の信者たちは、神はイエスの死を「神の国」を築くための手段にしようとはしなかったことを強調する[51]。
宗教史学者の古田富建は、統一教会の教理の核心は、神、イエスの「恨(ハン)」を解くこと、つまり「恨解(ハンプリ)」であると述べている[3]。「恨」とは、朝鮮文化を語るときにクリシェとして用いられる言葉で、その意味合いには幅があるが、韓国近代宗教史の研究者の川瀬貴也は「様々な要因で叶えられなかった思いが、澱のように沈んでいる状態」と表現している[55]。韓国の民族的な霊魂観においては、夭折者・横死者は成仏できず、怨みを抱いた「怨魂」となって彷徨うとされており、特に無念を抱えた者、子孫を残さずに死んだ者の恨みは強く、生者に災いをもたらすとされる[55]。こうした死者の恨みを鎮める儀礼が「恨解」である[55]。統一教会では、人間の堕落のために神の創造目的を果たすことができず、神に「恨」を作ったと考えており、神はこの「恨」を解くためにメシアとしてのイエスを遣わしたが、人間が「責任分担」(5%の責任)を果たせずイエスを殺してしまったため、神の「恨」はさらに大きなものになったとされていると説明している[3]。1960~70年代の韓国のキリスト教の一部では、「恨」を教義に取り入れている[56]。李龍道はイエスを人間として理解しようとし、三位一体を否定していた[3]。古田は、李龍道らはイエスを悲しみや痛みを抱える人間としてとらえ、その孤独や悲しみを理解し共感しようとする姿勢が、聖主教ではシャーマナイズ化された「恨解」の儀礼となっていき、統一教会では教義の根幹になっていると述べている[3]。1965年ごろに、「恨」という言葉が文鮮明の説教に定着した[56]。
イエス・キリストを救世主として崇める一方、イエスがやり残した多くのことを成就するために「再臨のイエス」が韓国に生まれると主張されている[37]。それは地上に戻ったイエス・キリストではなく、イエスが霊界から支援し、聖書に示されている普通の人間であるとしている[53]。文鮮明はメシアが出生する時期や場所といった条件を示しているが、メシアが生まれる地とは韓国であり、示された条件には文鮮明自身が適合する[53]。神学的には、メシアは一組の男女である[2]。文鮮明は1960年に、23歳若い17歳の信者韓鶴子と結婚し、メシア的使命の一環として14人の子供をもうけた[57]。文鮮明は1992年に自身と妻が全人類の真の父母であり、救世主で、再臨の主であり、メシアであることを宣言した[53]。この宣言の前が「新約の時代」、以降が「成約の時代」であるとされる[53]。新宗教やニューエイジなどを研究し、統一運動を肯定的にとらえるウェールズ大学のサラ・ルイスは、この宣言以降、信者自身がメシアになりうるというように強調されるようになり、文鮮明がメシアであるということへの言及は減ってきていると述べている[2]。
メシアを受け入れることができなければ、ユダヤ人やローマ時代のキリスト教徒、江戸時代のキリシタンのような受難を罰として与えられると考えられている[54]。
- 人間における神の要素とサタンの要素の戦い
人間の堕落は、上記の神と人間の関係を損なったという縦の軸(信仰基台)だけでなく、もうひとつ人間を人間性自体から引き離したという横の軸(実体基台)があるとされる[48]。横の軸の堕落は、旧約聖書におけるアダムとエバの息子カインとアベルの、兄カインが弟アベルを殺したという逸話に基づいている。この人類最初の殺人によって、人間における神の要素とサタンの要素が分離し、互いに争うことになり、横の軸の堕落が起こったとされる[48]。
「最初の兄弟」の間の敵意は、歴史を通して民族、国内、国際的レベルで繰り返されており、20世紀における無神論的共産主義(カインの勢力)と神を畏れる民主主義(アベルの勢力)の衝突に明らかに見られるという[48]。世界中に民主主義が現れたのは神の復帰摂理によるもので、共産主義の専制政治はそれに対抗する悪魔によるものである[39]。従って、第三次宗教改革によって、理念的に共産主義勢力を屈服させ、世界を一つの地上的な「神の国」に統一することが目指される。文鮮明は、もし理念的戦いに勝利、つまり共産主義のイデオロギーが敗北しなければ、第三次世界大戦が起こり、サタン側の共産主義が敗北するだろうとしている[39][48]。そして原子力による第三次産業革命がおこり、幸福で理想的な社会環境が世界的に建設される[39]。その時全人類はキリスト教(統一教会)を受け入れ、最後に神を中心とした社会主義が現れなければならない、という[39]。
- 万物復帰
神中心の家族は被造世界を主管(支配)する権利が与えられているという解釈から、神を中心としない人間は被造世界を支配する権限がないという答えが導き出される[43]。堕落人間によって間違って支配されている被造世界を神のもとに取り戻すことが「万物復帰」という発想につながっている[58]。
- 二性性相(陰陽二元論)
初期には、『原理講論』で説かれた統一原理は宗教と科学を統一する原理であると考えられていた[59]。神の存在の弁証も自然科学的な因果論的推測に基づき、結果から原因を探ろうとしている[59]。被造世界を観察することで、神の神性を知ることができると考え、観察によって知れることは、被造物がすべて陽性と陰性の二性による授受作用(相互作用)により存在するということであり、存在というものは性相(内性[60]、性質を示す内性)と形状(外形[60]、内性が現れた外形)の二相を持つとしている[59]。神は霊とエネルギーという二重の性質からなるとされ、この2つによってあらゆるものが生まれるとされる[2]。神はエデンの園でアダムとエバを作り、神自身の二重性を反映させた[2]。人間には外形である肉体と、内性である精神が備わっているとされる[60]。
神の内性の本質は心とも呼ばれ、神がどのように人間の復活を達成しようとしているかを理解するには、神の心にある愛、喜び、悲しみといった、もっとも奥深い神の感情を理解することが重要であると考えられている[60]。人間は神の似姿として想像されたのだから、神は男性的な面と女性的な面の両方を持つと考えられているが、習慣的に神は男性として「父」と呼ばれている[61]。
被造物がすべて陽性と陰性の二性を持つという考え方は陰陽二元論であり、宗教社会学者の櫻井義秀は、「この発想は統一教会が人間を男性性と女性性において理解し、双方の性質が合体した時に繁栄・繁殖がもたらされるという基本的なモチーフから出てきている」と述べ、極めて民族的な、東アジア的な感覚に根差したものであり、イスラエル・アラブの民の神の理解と著しく異なることを指摘している[42]。内と外、男性と女性は対極にあるのではなく、それぞれがもう一方の要素を内在していると考えられている[61]。
- 四位基台
四位基台という概念は、神と、神の二性性相から生まれた男性(主体)、女性(客体)、男女の相互作用(授受作用)で生まれた子(合性体)が、それぞれほかの3つの対象と相互作用を持ち、「主体と合性一体化をなすという菱型モデル」であり、宗教的コミュニオンへの家族的没入が統一教会の実践的規律になっている[62]。
- 祝福
イエス・キリストによる救済は霊的救済のみにとどまり、子孫を残さず天に上げられたため、肉的救済はメシヤに託され、文鮮明夫妻が人類の真の父母として信者に「祝福」を与えなければならないとしている[6][35]。祝福は、鮮明夫妻司式の合同結婚式で教祖に配偶者を決めてもらう信者同士の結婚である[6]。結婚したカップルだけが天の御国に入ることができ[63]、祝福を受けた家庭からは原罪のない子供が生まれるとされており[6]、特に重要な儀式である[63]。祝福は象徴的な堕落の撤回のプロセスであり、これによってサタンの血統から自由になり、メシアの血統に結び付けられる。無原罪の子をなし、神を中心とする家庭を完成させることが目的であるとされる[64]。儀式に使われるワインには、文鮮明と観鶴子の結婚式で使われたワインがわずかに含まれ、このワインには文鮮明の血が含まれているともいわれ、受け手の血統を転換する力があるとされる[63]。
カップルのマッチングの権威は、文鮮明から各国の祝福委員会に次第に移譲された[65]。宗教学者のダグラス・E・コーワン、宗教社会学者のデイヴィッド・G・ブロムリー は、初期には祝福を受けるために多くの奉仕が求められたが、現在は候補者は24歳以上で3年以上会員であることが求められ、儀式も簡素化されていると述べている[65]。
1992年には、祝福には非会員も候補に入れられるようになり、90年代半ばには、存命中の信者と亡くなった配偶者との再結合、信者の先祖も祝福の候補に含まれるようになった[65]。
- 霊魂観
統一原理ではアジア的な霊魂観が説かれる[58]。被造世界は神に似た人間を標本に創造されたため、あらゆる存在は心と体からなる人間に似ているとされ、独特な霊界、霊人間の存在が説かれる[58]。霊界は霊的な五官で知覚される実在世界であるという[58]。霊人間は現実の人間の合わせ鏡のようなものであり、霊魂を浄化するには身体の浄化や贖罪が必要であり、それをしなければ地獄行きであるとされる[58]。天国には地上に建設される地上天国と、その建設に伴ってできる霊界の天国があり、死後に霊界天国で安らぐために地上天国の建設が目指される[58]。
- 終末観
現在は、サタンの支配する罪悪世界から、神が支配する創造理想世界に転換される終末(末世)であるとされる[66]。
- 復活
復活とは、サタンの支配圏に堕ちた立場から、神の支配圏内に復帰するその過程を意味するとされる[54]。統一教会では、イエスが埋葬された3日後に弟子たちの前に現れた復活など、キリスト教の伝統的な復活論は全く顧みられていない[54]。聖徒、善霊、悪霊といった霊界をさまよう霊は、地上の人間に憑依して思いを遂げるとされ、霊たちの助けで摂理が進むとされる[67]。
- 蕩減(とうげん)
救済、正確には復帰のプロセスは、神と人間の関係という縦の次元と、人間同士の関係という横の次元がある[48]。復帰は、信心や行いではなく、蕩減(とうげん。償いの意)によって得られるとされる[68]。人類はメシアが出現できるだけの「基台」を築くように務めなければならない[68]。
救済の摂理において、神の責任分担は95%、人類の自己責任分が5%であるとされる[69]。神が求めるのは、人間の罪を償いうるに足る以下のものだが、その正確な量は神によって決められるとされる[68]。摂理の成就は、信者の信仰と働き次第であり、よって完全な献身を求められる[69]。
教義・教説への批判
[編集]宗教社会学者の櫻井義秀は、ルシファーとエバが「不倫なる霊的性関係」を結んだという聖書における根拠はないと指摘している[46]。アダムとエバが楽園追放前に性的関係を結んだという聖書の根拠はなく、『旧約聖書』「創世記」四章一節では、実際に二人が夫婦になったのは楽園の外であることが明言されている[70]。また、霊的堕落・肉的堕落が不倫の性関係であるという根拠は聖書にはない[70]。
現在の聖書学では、旧約の諸文書には原罪の観念はないと理解されている[71]。櫻井は、統一原理では、「仮説を公理として議論を進めていって、議論に必要な概念(二性性相、四位基台、肉身と霊人など)もまた直感・霊感的に想定可能な準公理として用いながら、すべての議論を展開していく」と述べている[72]。
カトリック神学者のネメシェギ・ペトロは、『原理講論』を対象とした論文において、この書において哲学、自然科学、歴史、聖書解釈学、神学等においての主張は、完全に確信のあるものとして羅列されているが、その裏付けは非常に弱いか全くないと述べている[39]。文鮮明の理性は鋭く、思弁を好んで入るが、思惟方法は全く独特で、教育を受けているが狭い分野に限られており、独学者であることは明白であるという[39]。文鮮明の思考の特徴は、ミシェル・フーコーが前近代的な思考方法の特徴として明らかにした類似に基づく考え方(呪術的思考の一種)であり、『原理講論』の歴史神学の論証の多くはこのタイプであり、この思考方法は近代以後の思想界では通用しないと述べている[39]。
ネメシェギは、人間は皆悪魔の血を引いているとされるが、統一教会の楽園追放の話においても、人類はサタン(ルシファー)とエバの子孫ではなく、アダムとエバの子孫とされており、そうであるなら、統一教会の原罪を遺伝的にとらえる考え方と統一教会の楽園追放の話は合致しないと述べている[39]。イエスの死が、罪深い人類を正当な理由で虜にしていた悪魔に支払われた身代金のようなものであったという説は、古代に幾人かの教父が唱えていたが、これには聖書的な根拠はなく、キリスト教神学では中世には捨てられている[39]。また、人類の歴史を神とサタンに分け、人々を恣意的(この分別の基準は、良識や常識の判断と必ずしも一致しないとされる)に神の側、悪魔の側に分けることは、狂信的で極めて危険であると指摘している[39]。ある宗教が天の側により近い宗教の邪魔をする場合、それはサタンに属するとされ、『原理講論』の倫理観では、それを滅ぼすためにはあらゆる行動が許され、善とされることになる[39]。
また、ネメシェギは次のことを指摘している。『原理講論』では、旧約聖書に書かれた様々な出来ごとを文字通りに受け取り、その年代も書かれたとおりであるとする根本主義的な聖書解釈(現代聖書学の立場では支持されない)と、聖書の表現を字義通りにではなく象徴的に解釈する象徴的聖書解釈が混在している[39]。ネメシェギは、歴史学から否定されていることを事実としながらも、他のことを単なる象徴とするかの判断基準はなく、文鮮明の独断にしか思われない[39]。科学と宗教とを混合するような考え方は、現代のキリスト教哲学の認識論ではすでに排除されているが、『原理講論』には認識論が全くない[39]。世界の終末を計算するための歴史観は、非神学的、非学問的であり、その歴史観には驚くほど空白が多く、ギリシア・シリア・ロシア等の東方、ラテン系、アジア・アフリカ系諸民族は全く無視されている[39]。神に二性性相があるとし、それを性的にとらえることは極めて危険であり、このような神理解から、統一教会の思想で性が過度に大きな位置を占め、結婚が絶対視されているのであろうと述べている[39]。独身性・童貞性に対する評価が全くないという点でも、世界三大宗教のどれとも区別される[39]。神の永遠の幸せがこの世なしにはあり得ず、初めてこの世から得られるという考え方は、キリスト教的な神信仰ではなく、神を進化するもののように考える汎神論の系統のものであるという[39]。
諸問題との関連
[編集]櫻井は、万物復帰の教えが教団の資金調達と密接に関連することを指摘している[58]。
「霊的な子ども」を生み出すことと考えられていた「勧誘活動」と共に、「資金調達」はサタンの領域から神の領域への合法的な金銭の移動と考えられ重視された[73]。勧誘活動と資金調達は、共に非常に儀式的な活動であり、たとえその活動で敵意にさらされようと、愛を与え、多くの人に復帰に関わる機会を与える活動と考えられていた[73]。多くの信者は、寄付した人がその行為の霊的意義を認識しているか否かに関わらず、神の領域へ資金を移動することで利益を得ると信じている[73]。宗教学者のダグラス・E・コーワン、宗教社会学者のデイヴィッド・G・ブロムリー は、これが一部の資金調達チームの「聖なる詐欺」の実践、寄付の見込みのある人からさらにお金をだまし取ることに結びついたと述べている[73]。
日本のセミナー等で、『原理講論』で説かれる堕落の経緯と復帰の歴史を説明される際に、韓国はアダム国家、日本はエバ国家とされ、先に堕落したエバがアダムに侍ることは当然であると説かれている[69]。朝鮮を植民地支配し民族の尊厳を踏みにじった日本はエバと同じであり、韓国に贖罪しなければならないとされているのである[74]。合同結婚式では、日本人女性・韓国人男性のカップルが多く生み出されており、結婚した日本人女性は韓国人の夫や家族に尽くすことが求められる[74]。
「血分け」批判と諸見解
[編集]日本共産党の政党機関紙「しんぶん赤旗」を刊行する「赤旗」社会部は、文鮮明は若い時「混淫派」とよばれる血分け(ピガルム、「血の浄化」を意味する[75])教の信者であり、血分け教とはセックス教であると主張し[76]、統一教会の教義は「文鮮明との血分け(セックス)によって人間は清められ、無原罪の子を産むことができる」というものであると断じ、激しく批判している[77](「赤旗」社会部の主張の情報源は、上記批判を掲載した書籍『わたしは"洗脳"された―統一協会元会員の証言』には記載されていない)。統一教会に対する通俗的なバッシングには、しばしばこのような主張が見られる。
カトリック神学者のネメシェギ・ペトロは、神に陰陽説を当てはめるという考え方から、性が過度に大きく扱われているが、性的乱交のような腐敗は今のところ見られないと述べている[39]。櫻井義秀は、統一教会の布教当初、血分けの疑惑が持ち上がったが、それは未確認のまま終わっていることを紹介している[78]。1955年の梨花女子大事件の時も、「血分け」と称して淫行が行われているのではないかという疑いがもたれたが、文鮮明の容疑は兵役法違反及び不法監禁であり、無罪となっている[79]。韓国では、統一教会は数ある異端の一つと認識されているが、単に宗教団体というよりある種の財閥と認識されている[18]。日本ほど反社会的宗教団体とは見なされておらず、韓国ではむしろ、日本で「摂理」と呼ばれるキリスト教福音宣教会が教祖による女性信者への性的暴行などで社会問題となっている[79]。櫻井は、文鮮明が初期の信者たちと「血統転換」をどのようにやったかは伝聞でしかないと述べており、統一教会の血分け疑惑に関して著書でさらなる論考はしていない[78]。そして文鮮明が、北朝鮮の興南牢獄に収監され国連軍の進攻で解放された経験や「血分け」スキャンダル等の迫害を受けたことを受難として、メシアにふさわしい聖痕として教説化したことを指摘している[80]。
ポリテクニック・サウスウェストの哲学科助教授・バーミンガム市のセリーオーク・カレッジ新宗教運動センター理事のジョージ・D・クリサイディスは、統一教会は血分け教、セックス教であるという主張には裏付けがなく、想像の域を出ていないと述べ[81]、次のように解説している。統一教会の初期には、夜遅くまで講話が行われることがあり、その際は夜間外出禁止令のために信者たちは朝まで帰宅できなかったが[4]、敵対者はこれを不道徳な性的行為、乱交パーティーであると批判し噂が広まった[82]。官憲が1954年に文鮮明と信者四人を逮捕し、罪状には姦通罪も含まれていた[4]。しばらくして徴兵拒否以外のすべての罪状は取り除かれ、徴兵拒否も無罪となり3か月後に釈放された[4][83]。キリスト教主流派や統一教会の批判者は、しばしば統一教会などの韓国のキリスト教異端の諸宗派は、批判者が血分けと呼ぶ性の入会式を行っており、救世主的教祖が女性の新入団者と性行為を行って女性を浄化し、その上で夫と性行為を行い夫の浄化と子孫の浄化を復帰するということを行っていると主張している[75]。しかし、クリサイディスは、統一教会がこれらを実践しているという情報は、いずれも間接的なものにとどまっており、統一教会と性の儀式を結びつける証言はごくわずかしかないとのべている[81]。統一教会の信者であるユー・ヒョーウォン夫人は、歴史的に統一教会と関係のある聖主教で裸体儀式(楽園で人間が裸体であったことにちなむもので、性儀式ではない)が行われていたため、統一教会もその槍玉に挙げられると述べている。ヨン・ポクチョンによる、文鮮明がキリスト教主流派から「血分け教」の開祖とも呼ばれる李龍道に出会い傾倒していたという証言は、年代が史実と合致しない[84]。クリサイディスは、ユー夫人の見解の方がヨンの証言より問題が少ないと述べている[85]。またクリサイディスは、現実問題として、教祖が合同結婚式に参加する8,000人もの花嫁と性交渉を行うことは不可能であると述べている[86]。
クリサイディスは、反カルト派や主流キリスト教の論者で、統一教会は血分け教、セックス教であると批判する論者は、「血」は実物なのか象徴なのか、性行為の相手は救世主である教祖なのか配偶者なのか、後者の場合、集会で行われるのか非公開であるのかを論じることもなく、出どころの不確かな引用、さらなる孫引きを行っていると述べている[83]。クリサイディスは、「血分け」(ピガルム)というハングルが存在するのだから、その言葉が指す何らかの宗教儀式(乱交パーティーではない)は朝鮮半島にあっただろうと推測することはできる[86]が、正確にどの新キリスト教集団が血分けを実践していたかはわからず、統一教会が行っていたことを裏付けるだけの証拠はないと述べている[86]。統一教会が元々セックス教団だ、入会した女性信者は儀式と称する教祖との性行為を強いられる、血分け教であるというバッシングは、1995年の文鮮明の逮捕に関する噂が元になっていると思われるが[83]、その後の無罪放免になった顛末は無視されているという[83]。クリサイディスは、統一教会に血分けの疑惑がかかるのは、同会が婚姻外の性交渉を厳しく戒めていること、血統の復帰の過程は婚姻関係の中だけで「原理的」性交渉として行われること点から見ても筋が通っていないと論じている[86]。クリサイディスは、このような主張が行われるのは、糾弾する側が悪意を持っているということか、より寛容に解釈するならば、血分けの実践と「祝福」(合同結婚式)の後の夫婦間の決められた手順の性行為を混同したのだろう、と述べている[87]。
統一教会とキリスト教主流派
[編集]キリスト教は世界中に布教されたが、その過程で様々に変質し、伝道する国の文化に順応してきた[88]。世界の新宗教の多くはキリスト教の伝道活動の影響を受けて発生している[88]。キリスト教の他文化への順応は、1世紀におけるヘレニズム化のように容認される場合もあれば、認められない場合もある[88]。キリスト教が土着の宗教と混合して生まれた宗教が、キリスト教の主流派から認められず、その宗教がキリスト教であると主張した場合、モルモン教のように主流の教会から異議を申し立てられたり、ラスタファリアンのように独立した宗教を形成することもあった[88]。
櫻井は、統一教会は、独特の聖書解釈が見られる『原論講論』を教典とし、教祖・文鮮明が再臨主であると主張していることから、キリスト教の主流派からは異端と見なされていると述べている[6]。統一教会側は、キリスト教の主流ではないが、その教えは韓国に伝来したキリスト教の土着化による正当なものだと主張している[88]。文鮮明はプロテスタント的なキリスト教の影響を受けており、聖書の正典を知るために教会の伝承が必要であるとは考えない[39]。
ジョージ・D・クリサイディスは、統一教会を研究する際は、キリスト教の主流の信仰・実践と比較して「逸脱したキリスト教徒」とするのは単純に過ぎ、キリスト教だけでなく韓国の宗教と文化的背景を考慮し[88]、韓国の伝統的な宗教とキリスト教宣教師の到来と活動の結果生まれた新キリスト教集団にルーツを探り研究する必要があると指摘している[88]。
宗教社会学者のマーク・マリンズ(Mark R. Mullins)は日本のキリストの幕屋やイエス之御霊教会を「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」と名付けて、キリスト教の土着化の例として欧米に紹介した[89]。死者に戒を授け仏弟子とする日本の仏教が「仏教の土着化」であるなら、先祖に洗礼を授けることも「キリスト教の土着化」になるかもしれないが、これはバプテスマや自発的信仰を重視するプロテスタントとの根幹にかかわることであり、異論もある[89]。櫻井は、こうした日本のキリスト教のマイノリティ教派を土着化の事例として認めるならば、韓国におけるキリスト教系新宗教も土着化の事例に相当するかもしれないと述べてる[89]。宗教社会学的には、どちらも外来宗教の土着化と見なせる[89]。櫻井は、但し、十字架上のイエス・キリストの血による贖罪を最終的な救済として認めるか否かでキリスト教と異端を分けることは、教派の神学としてはあり得るだろうと述べている[89]。統一教会は、イエス・キリストは霊的救済のみに成功し、肉的救済はメシヤに託されたとしており、十字架上のイエス・キリストの死を最終的な救済とは考えない[90]。
文鮮明は、アメリカのキリスト教根本主義者ジェリー・ファルエル牧師が設立した私立のクリスチャン大学であるリバティ大学が経済的危機に直面した際に多額の資金援助をするなど、多くの保守派の活動に援助を行った[91]。
カトリックの聖職者の減少を憂慮していたザンビア出身の大司教エマニュエル・ミリンゴは、2001年に韓国人鍼灸医師マリア・スンと合同結婚式で結婚し破門されかかった[92] 。ミリンゴはスンと別れて静かに暮らしてたが、2006年にワシントンでスンと共にカトリック教会における聖職者妻帯の認可を求め、4人の妻帯司祭を司教に任命し、自動的に破門された[92]。
プロテスタントの日本基督教団牧師・宗教研究者の石井智恵美は、キリスト教を名乗ることについては、正統派キリスト教による根強い批判が見られると述べている[37]。
カトリック神学者のネメシェギ・ペトロは、統一教会はキリスト教、特にカトリック的キリスト教とは本質的に異なる宗教であり、キリスト教に属する諸教会・教団の再統合を目指すエキュメニカル運動の対象外であると述べている[39]。また、統一教会はキリスト教との関係という点で、マニ教と非常によく似ているという[39]。(マニ教はサーサーン朝ペルシャのマニ(3世紀)を開祖とする二元論的な宗教で、統一教会と異なり性を忌むべき悪と見なしていたが、イエスを高く評価し、開祖マニこそが最終的な真理をもたらすものであり、自説が宗教・哲学・科学全ての問題を理性的に解決する真理であると主張し、人類の最終的な唯一の宗教にならなければならないと考え、信徒は世界的な布教を行い、強固な宗教組織を作り、社会生活においても互いに連帯していた[39]。)ネメシェギは、人間と悪魔が性交できるといった神話的な思想は絶対に排除しなければならないものであり、原罪の教えは人間の悪魔化について教えではなく、この世の一切の悪いことは神の意志に叶うものではなく、神との調和を取り戻すことで、神の助けによってそれらの一切を取り除くことができるという希望を抱かせる教えであると述べている[39]。統一教会は、イエスの復活を認めないからこそ、その死の理解が間違っているという[39]。またネメシェギは、次のように批判している。『原理講論』は文鮮明が受けたという啓示を根拠にしているが、啓示の客観的根拠は本書では述べられておらず、その教説には誤りが多く、実際に神の啓示であるとは思われず、文鮮明が啓示であると思い込んだのは、若い時からかかわっていた神霊主義的現象や、朝鮮半島のシャーマニズムの影響であったかもしれない[39]。また陰陽論を神に当てはめるやり方は、キリスト教神学と哲学が初めから支持してきた神の絶対的超越性、独立、自己充足性、純一性、自由についての教説とは一致しておらず、神の絶対的超越性を十分理解できていないからこそ、被造世界にみられる特徴をそのまま神に当てはめてしまっているという[39]。
キリスト教の主流派における公式の教会会議や委員会の中には、統一教会の統一思想に反対し、キリスト教であるという主張に異議を表明したり[88]、危険性を警告するものもある。1975年には、フランスのカトリック司教協議会が統一協会の危険性について警告書を出している[93]。パナマの司教会議も、同一の立場から統一協会の実態について述べる司牧書簡を発表した[93]。1976年には、ニューヨーク大司教区が、アメリカのユダヤ系委員会、全米教会会議と共に、統一協会は反キリスト教的・反民主的であるという共同声明を出した[93]。
日本では、日本カトリック司教団がカトリック信者向けに、「私たちは、一つの人間家族をつくり上げることの意義を否定するものではありませんが、この世界基督教統一神霊協会がキリスト教ではなく、ましてやカトリックでもないことを示し、キリスト教一致運動としてのエキュメニズムの対象にもなり得ない」ことを宣言し、その教えはカトリックの教えと明確に相反するため、統一教会のいかなる運動や会合などにも関与しないように注意を喚起している[94]。プロテスタントの日本福音同盟は、教団として統一協会対策に取り組んでおり[93]、統一教会はキリスト教ではないと表明し、様々な姿と紛らわしい組織体を持ち、それらを通じて多くの人々を勧誘し「マインドコントロール」していると断じ、その活動に憂慮を示している[95]。日本基督教団だけでの対応には限界があったため、キリスト教諸教派に協力が呼びかけられ、2004年「統一協会問題キリスト教連絡会」が発足[93]。カトリック中央協議会、在日大韓基督教会、日本聖公会、日本バプテスト連盟、日本福音ルーテル教会が加わり、日本のキリスト教エキュメニカル運動団体・日本キリスト教協議会がオブザーバーとして参加した。定期的に会合を開いて情報交換を行い、統一教会問題の啓発冊子『これが素顔!』を作成、「連絡会」所属の司祭、牧師と「霊感商法対策弁護士連絡会」の弁護士、「全国統一協会被害者家族の会」の有志メンバーが訪韓し、韓国のキリスト教諸派に日本における統一協会の実態を伝えた[93]。
統一教会などのカルト視される新宗教の信者に対する脱会カウンセリング(特定教団に入信した信者はマインドコントロールされているために信者であり続けるとみなし、家族とカウンセラーが積極的に信者当人の信仰問題に介入することでマインドコントロールを解き、教団から脱会させようという特殊なカウンセリング)には、信教の自由などの面から問題視する向きもあり、強制棄教であるというジャーナリストによる批判もある[96]。この脱会カウンセリングに関わるキリスト教関係者もおり、1998年以降、統一教会信者とエホバの証人の信者が、違法に脱会・棄教を強要されたとして、家族や関係者、脱会カウンセリングに関わった牧師が相次いで提訴されている[96]。このような裁判は2005年時点で5件あり、2件が信者の請求を全て棄却し、3件が一部に違法行為があったとして損害賠償の請求を認めた(うち1件はエホバの証人)[96]。
他の教団との関係
[編集]立正佼成会
[編集]日本の宣教を任された崔奉春(日本名:西川勝)が接触。立正佼成会は対立する創価学会対策から統一教会/統一協会との連携を模索。[要出典]当時の会長、庭野日敬は1963年、青年部員を統一教会/統一協会の修錬会に参加させた結果、次期会長候補とされていた久保木修己を初めとする50名ほどの会員が統一教会/統一協会に転じた[97]。久保木は日本統一教会/日本統一協会の初代会長となったほか、幹部には立正佼成会出身の者が比較的多い。立正佼成会は占いと霊能によって教勢を伸ばしたが、統一教会/統一協会も同様の手法を使う。[要出典]
オウム真理教
[編集]宮崎県資産家拉致事件について、日本統一教会/日本統一協会の機関誌である宗教新聞の編集長だった黛建文[注釈 1]は世界日報と宗教新聞上で全面的にオウム真理教を擁護した。黛は週刊文春を批判する形でこの記事を書きながらも「(週刊文春への取材は)やらなきゃいけないとは思ったけど時間がなくて」とし、被害者証言や客観的事実を無視または歪曲している。[要出典]一方で麻原彰晃を始めとするオウム真理教幹部には何度も会い、「あの人はヨガや仏教をまじめに考えている」と手放しで賞賛した[98]。
同じ頃、早稲田大学、東京大学などで宗教色を一切見せないダミーサークルを使い「占い」「ヨガ」「気功」「自己啓発」などの名目で接触し、教団管理の施設に誘い出し、ビデオを見せて不安感や危機感を煽り、最終的にオウム真理教の新会員を募集するという、統一教会/統一協会の常套手段である手法で信者を獲得していた。この類似についてオウム真理教外報部は「当教団と統一教会は全く関係がない」、統一教会/統一協会は「オウム真理教との間にはなんら特別な関係はありません」と否定しているが、その一方で「宗教は統一されるべきであるという立場に立ち、あらゆる宗教団体と垣根を作らず話し合い、互いの接点を求めています」とし、実際ある統一協会員は「私どもの幹部は麻原さんに会っています宗教的に立派な人だと評価しております」と語っている[98]。
その後オウム真理教は「(文鮮明は)フリーメイソンの一員」「世界各国で今日も、従順に言うことを聞く『家畜』を製造し続けている」「家畜の父」と非難した。[要出典]統一教会/統一協会側もオウム真理教への強制捜査が入るや否やオウム真理教との関連を強く否定しむしろオウム真理教批判の論調に転じた[98]。
脚注
[編集]- ^ 櫻井・中西 2010, p. 99.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n Lewis 2009. pP93-96
- ^ a b c d e f g h i j k 古田 2011.
- ^ a b c d e f g h クリサイディス 1993, p. 43.
- ^ a b 「統一教会が名称変更 『世界平和統一家庭連合』に」、産経新聞、2015年9月1日
- ^ a b c d e f g 櫻井・中西 2010, p. ⅰ.
- ^ a b クリサイディス 1993, p. 14.
- ^ クリサイディス 1993, p. 313.
- ^ クリサイディス 1993, p. 39.
- ^ クリサイディス 1993, p. 40.
- ^ a b クリサイディス 1993, p. 42.
- ^ 櫻井 2004, p. 208.
- ^ 櫻井 2004, p. 214.
- ^ a b c d e f 櫻井・中西 2010, p. ⅵ.
- ^ a b c d 浅見 2012.
- ^ 櫻井・中西 2010, p. 4.
- ^ a b c 櫻井・中西 2010, p. 414.
- ^ a b c d 櫻井・中西 2010, p. 408.
- ^ a b 中西 2008.
- ^ a b c d e f g h i j k 櫻井・中西 2010, p. ⅶ.
- ^ a b c d e 櫻井 2004, p. ⅲ.
- ^ 櫻井・中西 2012.
- ^ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。「櫻井
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ a b 櫻井 2004, p. 215.
- ^ 弓山 2004, p. 203.
- ^ 櫻井・中西 2010, p. ⅱ.
- ^ 櫻井 2004, pp. ⅳ-ⅴ.
- ^ 井上まどか 2009. pP93-96
- ^ 弓山 2004, p. 201.
- ^ a b c d 櫻井・中西 2010, p. 4-5.
- ^ 櫻井 2004, p. ⅵ.
- ^ a b c d 櫻井・中西 2010, pp. ⅵ-ⅶ.
- ^ 櫻井 2004, pp. 208–209.
- ^ 櫻井 2004, p. 212.
- ^ a b c 櫻井・中西 2010, p. ⅷ.
- ^ a b c d e f g h 櫻井・中西 2010, pp. 28–29.
- ^ a b c d e f g 石井 2002.
- ^ 櫻井・中西 2010, p. 32.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al ネメシェギ 1985.
- ^ a b c d クリサイディス 1993, p. 45.
- ^ a b c d クリサイディス 1993, p. 49.
- ^ a b c 櫻井・中西 2010.
- ^ a b c d 櫻井・中西 2010, p. 34.
- ^ 宮本 2002.
- ^ a b クリサイディス 1993, p. 51.
- ^ a b c d e f 櫻井・中西 2010, pp. 43–44.
- ^ a b c d e クリサイディス 1993, pp. 51–52.
- ^ a b c d e f g h コーワン・ブロムリー 2010, pp. 110–111.
- ^ a b 櫻井・中西 2010, pp. 44–45.
- ^ クリサイディス 1993, p. 53.
- ^ a b c クリサイディス 1993, p. 56.
- ^ a b 櫻井・中西 2010, pp. 51–52.
- ^ a b c d e f コーワン・ブロムリー 2010, pp. 112–113.
- ^ a b c d e 櫻井・中西 2010, pp. 47–48.
- ^ a b c 川瀬 2001.
- ^ a b 古田 2006.
- ^ コーワン・ブロムリー 2010, p. 106.
- ^ a b c d e f g 櫻井・中西 2010, pp. 34–35.
- ^ a b c 櫻井・中西 2010, p. 33.
- ^ a b c d クリサイディス 1993, p. 46.
- ^ a b クリサイディス 1993, p. 47.
- ^ 櫻井・中西 2010, p. 35.
- ^ a b c コーワン・ブロムリー 2010, pp. 113–114.
- ^ 櫻井・中西 2010, p. ⅲ.
- ^ a b c コーワン・ブロムリー 2010, pp. 115–116.
- ^ 櫻井・中西 2010, pp. 46–47.
- ^ 櫻井・中西 2010, pp. 49–50.
- ^ a b c クリサイディス 1993, pp. 58–59.
- ^ a b c 櫻井・中西 2010, pp. 50–51.
- ^ a b 櫻井・中西 2010, p. 45.
- ^ 櫻井・中西 2010, p. 39.
- ^ 櫻井・中西 2010, pp. 36–37.
- ^ a b c d コーワン・ブロムリー 2010, pp. 118–119.
- ^ a b 櫻井・中西 2010, p. 435.
- ^ a b クリサイディス 1993, p. 155.
- ^ 「赤旗」社会部 1989, p112
- ^ 「赤旗」社会部 1989, p115
- ^ a b 櫻井・中西 2010, pp. 70–71.
- ^ a b 櫻井・中西 2010, pp. 414–415.
- ^ 櫻井・中西 2010, p. 104.
- ^ a b クリサイディス 1993, p. 156.
- ^ クリサイディス 1993, p. 44.
- ^ a b c d クリサイディス 1993, p. 159.
- ^ クリサイディス 1993, p. 157.
- ^ クリサイディス 1993, p. 158.
- ^ a b c d クリサイディス 1993, p. 160.
- ^ クリサイディス 1993, pp. 160‐161.
- ^ a b c d e f g h クリサイディス 1993, pp. 21‐22.
- ^ a b c d e 櫻井・中西 2010, pp. 78–79.
- ^ 櫻井・中西 2010, p. 47.
- ^ コーワン・ブロムリー 2010, p. 104.
- ^ a b ミリンゴ大司教、破門される イタリアに好奇心 2006年10月2日
- ^ a b c d e f カトリック情報ハンドブック2008 巻頭特集 特集1 キリスト教界のカルト問題対応 久志利津男 「統一協会問題キリスト教連絡会」カトリック中央協議会
- ^ 世界基督教統一神霊協会に関する声明 1985年6月22 日 (定例司教総会において)日本カトリック司教団
- ^ 日本福音同盟(JEA)声明 1993年6月2日 日本福音同盟第8回総会総会議長 村上宣道、理事長 藤本栄造
- ^ a b c 櫻井 2005.
- ^ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。「sekaisyukyojiten
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ a b c 『「オウム真理教」追跡2200日』pp.237-249「統一教会との奇妙な接点」。
参考文献
[編集]- 櫻井義秀、中西尋子「著者からのリプライ (宗教社会学・教団研究の現在と社会との接点-櫻井義秀・中西尋子『統一教会』を検討する-,テーマセッション2,2011年度学術大会・テーマセッション記録)」『宗教と社会』第18巻、「宗教と社会」学会、2012年6月16日、133-135頁。
- 古田富建「韓国キリスト教系新宗教のイエス観 : 李龍道の晩年期の再考察とその系譜団体のイエス観」『帝塚山學院大学研究論集』第46号、帝塚山学院大学リベラルアーツ学部、2011年、17-38頁、NAID 110008802572。
- 櫻井義秀、中西尋子『統一教会 日本宣教の戦略と韓日祝福』北海道大学出版会、2010年。ISBN 978-4832967205。
- 村瀬義史 訳『カルトと新宗教 アメリカの8つの集団・運動』キリスト新聞社、2010年。
- 古田富建「韓国の「民族性」としての恨のイメージ : 恨の時代的変遷(第二部 個人発表,東アジアにおける宗教の位置,特別テーマ部会,<特集>第六十四回学術大会紀要)」『宗教研究』第79巻第4号、日本宗教学会、2006年3月30日、961-962頁、NAID 110004751994。
- 櫻井義秀「「カルト」問題と社会秩序(2) : 脱会カウンセリングと信教の自由」『北海道大学文学研究科紀要』第117号、北海道大学、2005年11月25日、109-157頁、NAID 110006689120。
- 弓山達也 執筆、伊藤雅之・梶尾直樹・弓山達也(編)、2004年、「スピリチュアリティの目覚めとその危機」、『スピリチュアリティの社会学 現代世界の宗教性の探求』、世界思想社
- 櫻井義秀 執筆、伊藤雅之・梶尾直樹・弓山達也(編)、2004年、「教団発展の戦略と「カルト」問題」」、『スピリチュアリティの社会学 現代世界の宗教性の探求』、世界思想社
- 浅見定雄「コメント.聖書学・キリスト教研究の領域から (宗教社会学・教団研究の現在と社会との接点-櫻井義秀・中西尋子『統一教会』を検討する-,テーマセッション2,2011年度学術大会・テーマセッション記録)」『帝塚山學院大学研究論集』第18号、「宗教と社会」学会、2012年6月16日、129-130頁、NAID 110009480546。
- 石井智恵美 執筆、大貫隆・名取四郎・宮本久雄・百瀬文晃 編『岩波キリスト教辞典』岩波書店、2002年、796頁。ISBN 400080202X。
- 宮本久雄 執筆、大貫隆・名取四郎・宮本久雄・百瀬文晃(編)、2000年、「原罪」、『岩波キリスト教辞典』、岩波書店 ISBN 400080202X p. 372
- 川瀬貴也「書評:真鍋祐子著, 『烈士の誕生-韓国の民衆運動における恨の力学-』, 平河出版社, 1997年6月刊」『宗教と社会』第7号、「宗教と社会」学会、2001年6月17日、155-160頁、NAID 110007653099。
- 月森左知 訳『統一教会の現象学的考察』新評論、1993年。
- Nemeshegyi Peter(ペトロ・ネメシェギ)「統一教会の教説についての考察」『カトリック研究』第47巻、上智大学神学会、1985年6月、57-97頁、NAID 120005680946。
関連文献
[編集]- 『わたしは"洗脳"された―統一協会元会員の証言』「 赤旗」社会部 編、新日本出版社、1989年。ISBN 4-406-01773-9。
引用エラー: 「注釈」という名前のグループの <ref>
タグがありますが、対応する <references group="注釈"/>
タグが見つかりません