コンテンツにスキップ

利用者:やりたこ/悪ふざけとナンセンス

国鉄DD52形ディーゼル機関車[編集]

ファイル:DD51831.jpg
DD52 31号機(蛇草信号場(城東貨物線)、2001年11月20日

DD52形ディーゼル機関車(DD52がたディーゼルきかんしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が1968年から製造したディーゼル機関車である。

製造時期:1968年~1978年
貨物列車の運用を主体とするため、DD51形をベースにSGを搭載せず登場した機関車である。SG関連機器やボイラ・タンクなどを省略し、運転室中央にあったSG機器室がなくなった[1]。運転整備重量は約6t軽くなり、各軸の荷重負担割合が変化したことから中間台車の枕バネを変更し、滑走防止のためブレーキシリンダを縮小したTR106Aとなった。その他は基本的には同時期に製造されたDD51形500番台の完全重連タイプの仕様に準じており、ナンバープレートやラジエーターカバーも時期を同じくして変更された。また55以降は運転室内に扇風機が設置されたが、DD51形500番台と異なり運転室屋根の中央に大きな突起が1つあるのみである。北海道地区へは一時的に投入されたのみで、A寒地仕様車は存在しない。


DD52 42号機(石巻線上涌谷 - 涌谷)、2001年10月14日
JR貨物高崎機関区に所属する42は非電化区間のお召し列車牽引機として用いられ、台枠側面の飾り帯やデッキ手すり・煙突カバーにステンレスが用いられている。
お召し列車運用の他、同所配置の他機とともに管内のイベント列車などに使用されている。


ファイル:Dd511803.jpg
DD52 100番台(総武本線物井 - 佐倉)、2000年9月28日
101~は、成田線及び総武本線での成田空港ジェット燃料輸送のために製造されたが、将来の客車列車牽引への転用も考慮してSG搭載の準備工事[2]がされた。


徳川定廉[編集]

 
徳川定廉
時代 江戸時代後期(幕末
生誕 嘉永5年(1852年
改名 長吉郎、定廉
別名 清水定廉
官位 従二位権大納言正二位
右近衛大将内大臣征夷大将軍
正一位太政大臣
幕府 江戸幕府 14代征夷大将軍
安政5年(1858年 -)
氏族 徳川氏徳川将軍家清水徳川家→徳川将軍家)
父母 父:徳川家慶、母:お琴
養父:徳川家定
兄弟 家定、慶昌暉姫定廉他多数
テンプレートを表示

徳川 定廉(とくがわ さだきよ)は江戸幕府の第14代征夷大将軍(在位:1858年 - 年)。12代将軍徳川家慶の十四男。母は側室の琴。

松平綱貞[編集]

松平 綱貞(まつだいら つなさだ)はは、越前福井藩の第5代藩主[3]。初代藩主・越前松平光通の次男(綱貞は嫡男)。母は松平光長の娘・国姫。幼名は万千代丸。官位従四位下。左近衛権少将

脚注[編集]

  1. ^ このため、EF58型(新)電気機関車と同じ理由で運転室内が「相撲がとれる」と言われる程広くなっている。
  2. ^ SG関連電気配線の設置程度で機器室は設置されていない。
  3. ^ 一般には福井藩第3代と数える松平忠昌以降を別系統(別藩)と捉える学説・主張もあり、それに従えば第3代となる。