利用者:七厩拓/sandbox2
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1e/Shiogama_in_Miyagi_Prefecture_Ja.svg/220px-Shiogama_in_Miyagi_Prefecture_Ja.svg.png)
塩竈市の町・字(しおがましのまち・あざ)では、宮城県塩竈市を構成する町・字の変遷について述べる。
塩竈市は1889年(明治22年)4月1日に施行された町村制によって塩竈町として成立し、1941年(昭和16年)11月23日に市制を施行、1950年(昭和25年)4月1日に宮城郡浦戸村を編入して概ね現在の形となった。1889年の町村制施行時、塩竈町内で39の小字が[1][2]、浦戸村内で4の大字が設定されていたが[3]、住居表示の施行などによって2023年(令和5年)現在は全体で が存在する[4]。
塩竈市の概要[編集]
町村制[編集]
町村制施行以前の塩竈村は、支村として七ヶ浜(松ヶ浜・湊浜・菖蒲田浜・花渕浜・吉田浜・代ヶ崎浜・東宮浜)を含む地域であったが、1876年(明治9年)に行政上は塩竈村を離れ、後に七ヶ浜村となった。浦戸諸島の各島浜(桂島・石浜・寒風沢浜・野々島)については1884年(明治17年)に塩竈村と連合村を形成し、塩竈村外四箇島戸長役場が設置されていた[5]。
1889年(明治22年)に施行される町村制に際し、宮城県知事の松平正直は県内の郡長に新町村の設置事務を指示した。現在の塩竈市域を管轄していた宮城郡長の十文字信介は町村分合の調査を実施した[6]。その結果、塩竈村は単独で町制を施行し、桂島・石浜・寒風沢浜・野々島については、十文字の計らいもあって連合村だった塩竈村から分離し、浦戸村として独立した一村を形成した[2]。
市域の変遷[編集]
成立以降、多賀城村や七ヶ浜村の一部、浦戸村の全域を編入しており、利府町との境界変更により、市域に変更が生じている。市域の変遷は以下の通りである[7]。
- 1938年(昭和13年)9月1日 - 昭和13年宮城県告示第622号により、以下の範囲が編入[8]。
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 昭和25年総理府告示第55号により[8]、宮城郡多賀城村大字笠神字牛生前、字大木戸、字天神、字一本松の全部、字牛生、字葦畔、字天満崎の一部が編入[9]。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 宮城郡浦戸村が廃止され、全域が塩竈市に編入される[8]。
- 1996年(平成8年)1月24日 - 平成8年自治省告示第21号により、以下の境界変更が行われる[8]。
町村制施行以前 | 1889年4月1日 | 1889年-1940年 | 1940年-1980年 | 1980年-現在年 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|
宮城郡塩竈村 | 宮城郡塩竈町 | 1941年11月23日
塩竈市 |
塩竈市 | ||
宮城郡野々島 | 宮城郡浦戸村 | 1950年4月1日
塩竈市 | |||
宮城郡石浜 | |||||
宮城郡寒風沢浜 | |||||
宮城郡桂島 | |||||
宮城郡七ヶ浜村
(一部) |
宮城郡七ヶ浜村(一部) | 1938年9月1日
塩竈市 | |||
宮城郡笠神村
(一部) |
宮城郡多賀城村(一部) | 1938年9月1日
塩竈市 | |||
宮城郡多賀城村(一部) | 1949年12月1日
塩竈市 | ||||
宮城郡加瀬村
(一部) |
宮城郡利府村(一部) | 1967年10月1日
宮城郡利府町(一部) |
1996年1月24日
塩竈市 |
町村制前後の町・字[編集]
町村制以前[編集]
宮城県各村字調書によると、町村制施行以前の各村の字名は以下の通りである[10]。
自治体 | 小字 |
---|---|
塩竈村 | 大日向・権現堂・泉沢・ |
石浜 | 河岸・山神・梅ヶ沢・金ヶ浜・ |
桂島 | 鬼ヶ浜・台・ |
野々島 | 河岸・毛無崎・柳浜・吹越・宇内浜・ |
寒風沢浜 | 港・日和山・寒沢・ |
塩竈町[編集]
塩竈町は、1889年(明治22年)4月1日の町村制施行時に、「明治22年宮城県令第8号」の規定に基づき、従来の塩竈村にあたる区域を以て発足した。塩竈町の区域については、大字を設けずに39の小字を設置した。設置された小字は以下の通りある[1][2]。なお、小字の前につく「字」は省略してある。
自治体 | 小字 |
---|---|
塩竈町 | 尾島・藤倉・泉沢・杉ノ入表・杉ノ入裏・赤浜・長沢・庚塚・石田・神ノ前・中新田・千賀ノ浦・町・花立・二又・小松崎・小山・権現堂・大日向・越ノ浦・石堂・野田・一森山・辰ノ口・台・母子沢・袖野田・一ノ沢・門前・伊保石・香津・後楽・㯃沢・土城入・清水沢・西沢・山ノ寺・作田・江尻 |
浦戸村[編集]
塩竈町成立と同日、町村制施行に伴い桂島・石浜・寒風沢浜・野々島が浦戸村として村制施行した。明治22年宮城県令第8号の規定による大字は以下の通りである[3]。なお、大字の前につく「大字」は省略してある。
自治体 | 大字 |
---|---|
浦戸村 | 桂島・石浜・野々島・寒風沢 |
町村制施行から1950年まで[編集]
塩釜港埋立地の編入[編集]
多賀城村・七ヶ浜村の一部の編入[編集]
塩釜港の埋立地の帰属については、塩竈町と多賀城村との間で長い間未定となっていた。範囲は港橋からかつて塩竈線の塩竈港駅があった中埠頭の一帯、砂押貞山運河以東(現在の貞山通付近)であり、全域を新たに塩竈町とするには埋立によって生じた所属未定地の編入と、多賀城村に既に属していた地域の境界変更手続きを必要とした。この帰属問題は「築港地行政区域変更問題」と呼ばれ、塩竈町側が理由を明確にしないまま多賀城村と交渉を行い、多賀城村側が納得しなかったことで事態を紛糾させた[11]。
1938年(昭和13年)4月、塩竈町長の佐浦重次郎は問題の解決案を町会議員だった板宮文蔵に委嘱し、同年4月10日付で「塩竈築港地内多賀城境界変更並びに塩竈築港埋立所属未定地区編入に関する件申入」を多賀城村長の小野清吉に宛てた。これは新聞上にも発表され、世論喚起や宮城県による斡旋の一助となった。これらを背景に両者の間で交渉が開始され、多賀城村は1万5,000円の補償金が支払われることを条件として築港地の塩竈町編入に合意した[11]。
同年8月5日、宮城県知事の菊山嘉男は塩竈町会に対して次の2件の諮問を求めた。
この2件について8月9日に行われた町会で議論が交わされ、特に牛生地区の住民に関しては塩竈町編入を請願していることも取り上げられた。議論の結果、2件とも異議がなく、知事宛てに答申を行った。七ヶ浜村との境界変更については円満に解決され、七ヶ浜村長の鎌田作右衛門へ感謝状が贈られた[11]。8月27日、昭和13年宮城県告示第622号によって編入が告示され、9月1日に施行された[8]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
自治体 | 大字 | 字 | 自治体 | 大字 | 字(一部) | |
塩竈町 | 大字笠神 | 字端島(新設) | 多賀城村 | 大字笠神 | 字端島 | 1938年(昭和13年)9月1日[8] |
字牛生(新設) | 字牛生 | |||||
字一本松(新設) | 字一本松 | |||||
字天神(新設) | 字天神 | |||||
字天満崎(新設) | 字天満崎 | |||||
大字東宮浜 | 字雀島(新設) | 七ヶ浜村 | 大字東宮浜 | 字雀島 |
海面埋立地の編入[編集]
1938年(昭和13年)9月1日、菊山知事は塩竈町会に対して次の件を諮問した。
- 以下の所属未定地を塩竈町に編入することに関する意見
同年9月10日に行われた町会で上記の件を議論し、すべて異議なしとして答申した[11]。その後、同年9月16日に編入された[12]。
なお、2は築港の対岸にある藤倉地区の内務省関連施設の所在地である。1・3・4はいわゆる「築港地行政区域変更問題」で塩竈町が編入を目標としていた築港埋立地の残部であり、これによってようやく全域が塩竈町に編入されることとなった[11]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | ||
---|---|---|---|---|
自治体 | 大字 | 字 | ||
塩竈町 | (なし) | 字尾島(編入) | 公有水面埋立地 | 1938年(昭和13年)9月16日[12] |
字台(編入) | ||||
大字笠神 | 字一本松(編入) |
浦戸村の編入による改称[編集]
浦戸村の編入計画については戦時中より存在し、1947年(昭和22年)9月に開かれた浦戸村の協議会においては全面的に即時合併することが表明されたが、その後は停滞状態となっていた。多賀城村牛生地区の編入後、市長の桜井辰治は浦戸村との合併問題に注力し、合併交渉は1949年(昭和24年)9月に再開された[13]。その後、翌年3月27日には宮城県議会で編入案が可決となり、3月31日にはそれぞれの議会において合併事項の議決を行った。ここでは浦戸村民の要望であった従来の大字名に「浦戸」を冠することも決まり、1950年(昭和25年)4月1日、浦戸村の塩竈市編入と同時に全大字が改称された[14]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | ||
---|---|---|---|---|
自治体 | 大字 | 自治体 | 大字 | |
塩竈市 | 浦戸桂島(改称) | 浦戸村 | 大字桂島 | 1950年(昭和25年)4月1日[14] |
浦戸野々島(改称) | 大字野々島 | |||
浦戸石浜(改称) | 大字石浜 | |||
浦戸寒風沢(改称) | 大字寒風沢 |
1950年から1968年まで[編集]
尾島町などの町名変更[編集]
1961年(昭和36年)4月1日、塩竈市の一部で町名変更が行われ、字中新田・字稲戸町・字東町・字町・字土城入・字尾島町・字尾島仲町・字尾島元町の一部を以て旭町が[15]、字町・字尾島・字尾島元町・字尾島仲町・字尾島大町・字中新田町・字中新田の一部を以て尾島町が[16]、字西沢・土城入・辰ノ口の一部を以て佐浦町が[16]、字赤浜・字土城入・字花立の一部を以て錦町が[17]、字花立・字赤浜・字中新田・字二又の一部を以て花立町が[17]、字南町・字船戸町・字小山・字土城入・字辰ノ口の一部を以て南町が新設された[17]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | ||
---|---|---|---|---|
自治体 | 町丁 | 自治体 | 町・字 | |
塩竈市 | 旭町(新設) | 塩竈市 | 字中新田 | 1961年(昭和36年)4月1日 |
字稲戸町 | ||||
字東町 | ||||
字町 | ||||
字土城入 | ||||
字尾島町 | ||||
字尾島仲町 | ||||
字尾島元町 | ||||
尾島町(新設) | 字町 | |||
字尾島 | ||||
字尾島元町 | ||||
字尾島仲町 | ||||
字尾島大町 | ||||
字中新田町 | ||||
字中新田 | ||||
佐浦町(新設) | 字西沢 | |||
字土城入 | ||||
字辰ノ口 | ||||
錦町(新設) | 字赤浜 | |||
字土城入 | ||||
字花立 | ||||
花立町(新設) | 字花立 | |||
字赤浜 | ||||
字中新田 | ||||
字二又 | ||||
南町(新設) | 字南町 | |||
字船戸町 | ||||
字小山 | ||||
字土城入 | ||||
字辰ノ口 |
中心部の住居表示[編集]
1963年(昭和38年)5月1日、塩竈市の中心部で住居表示が実施され、字長沢・字小松崎・字庚塚の一部を以て梅の宮が、字長沢の一部を以て長沢町が、字長沢の一部を以て今宮町が、字小松崎・字長沢・字台の一部を以て小松崎が、字山ノ寺の一部を以てみのが丘が、字門前・字山ノ寺・字台の一部を以て宮町が、字町・字江尻の一部と南町・舟戸町・本町の全部を以て本町が、字町・字泉沢・字江尻の一部を以て西町が、字一ノ沢・字権現堂・字江尻の一部を以て赤坂が、字江尻・字小山の一部を以て泉ケ岡が、字石堂・字小山・字漆沢・字作田・東玉川町・白萩町の一部を以て石堂が、東玉川町・字野田・字漆沢・字石堂の一部を以て東玉川町が、白萩町・字作田・字野田の一部を以て白萩町が、字西沢の全部と字赤浜・字辰の口の一部を以て桜ケ丘が、字千賀ノ浦の全部と字町・字尾島・字門前の一部を以て海岸通が、字港・字尾島の一部を以て港町(一丁目・二丁目)が、字中ノ島の一部を以て中の島が、字泉沢の一部を以て栄町がそれぞれ新設された。なお、自治省による告示は1965年(昭和40年)6月15日付で行われた[18]。
同日、町名変更によって字藤倉・字台・字杉ノ入の一部を以て藤倉(一丁目 - 三丁目)が新設された[17]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | ||
---|---|---|---|---|
自治体 | 町丁 | 自治体 | 町・字 | |
塩竈市 | 梅の宮(新設) | 塩竈市 | 字小松崎 | 1963年(昭和38年)5月1日[18] |
字長沢 | ||||
字庚塚 | ||||
長沢町(新設) | 字長沢 | |||
今宮町(新設) | 字長沢 | |||
小松崎(新設) | 字小松崎 | |||
字台 | ||||
字長沢 | ||||
みのが丘(新設) | 字山ノ寺 | |||
宮町(新設) | 字門前 | |||
字山ノ寺 | ||||
字台 | ||||
本町(新設) | 字町 | |||
字江尻 | ||||
南町 | ||||
舟戸町 | ||||
本町 | ||||
西町(新設) | 字町 | |||
字泉沢 | ||||
字江尻 | ||||
赤坂(新設) | 字一ノ沢 | |||
字権現堂 | ||||
字江尻 | ||||
泉ケ岡(新設) | 字江尻 | |||
字小山 | ||||
石堂(新設) | 字石堂 | |||
字小山 | ||||
字漆沢 | ||||
字作田 | ||||
東玉川町 | ||||
白萩町 | ||||
東玉川町(新設) | 東玉川町 | |||
字野田 | ||||
字漆沢 | ||||
字石堂 | ||||
白萩町(新設) | 白萩町 | |||
字作田 | ||||
字野田 | ||||
桜ケ丘(新設) | 字西沢 | |||
字赤浜 | ||||
字辰の口 | ||||
海岸通(新設) | 字千賀ノ浦 | |||
字町 | ||||
字尾島 | ||||
字門前 | ||||
港町一丁目(新設) | 字港 | |||
字尾島 | ||||
港町二丁目(新設) | 字港 | |||
字尾島 | ||||
中の島(新設) | 字中ノ島 | |||
栄町(新設) | 字泉沢 |
西部などの住居表示・町名変更[編集]
1964年(昭和39年)5月1日、塩竈市西部と貞山通で住居表示が実施され、字権現堂・字泉沢・字大日向の一部を以て月見ケ丘が、字権現堂・字泉沢の一部を以て権現堂が、字一ノ沢・字母子沢の一部を以て白菊町が、字母子沢の一部を以て西玉川町が、字石堂・字袖野田・字野田・字漆沢・字母子沢の一部を以て玉川(一丁目 - 三丁目)が、字大日向・字権現堂の一部を以て向ケ丘が、字野田の一部を以て野田が、字赤浜の全部と字野田の一部を以て南錦町が、大字笠神字一本松・字端島・字天神・字牛生の一部を以て貞山通(一丁目 - 三丁目)が新設された。また、字一ノ沢の一部が赤坂に編入された。なお、自治省による告示は1965年(昭和40年)6月15日付で行われた[18]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | |||
---|---|---|---|---|---|
自治体 | 町丁 | 自治体 | 大字 | 字 | |
塩竈市 | 月見ケ丘(新設) | 塩竈市 | (なし) | 字権現堂 | 1964年(昭和39年)5月1日[18] |
字泉沢 | |||||
字大日向 | |||||
権現堂(新設) | 字権現堂 | ||||
字泉沢 | |||||
白菊町(新設) | 字母子沢 | ||||
字一ノ沢 | |||||
西玉川町(新設) | 字母子沢 | ||||
玉川一丁目(新設) | 字石堂 | ||||
字袖野田 | |||||
字野田 | |||||
玉川二丁目(新設) | 字石堂 | ||||
字漆沢 | |||||
字袖野田 | |||||
玉川三丁目(新設) | 字漆沢 | ||||
字石堂 | |||||
字母子沢 | |||||
向ケ丘(新設) | 字大日向 | ||||
字権現堂 | |||||
野田(新設) | 字野田 | ||||
南錦町(新設) | 字赤浜 | ||||
字野田 | |||||
貞山通一丁目(新設) | 大字笠神 | 字一本松 | |||
貞山通二丁目(新設) | |||||
貞山通三丁目(新設) | 字端島 | ||||
字一本松 | |||||
字天神 | |||||
字牛生 | |||||
赤坂(編入) | 字一ノ沢 |
北浜の町名変更[編集]
1965年(昭和40年)5月1日、塩竈市の一部で町名変更が行われ、字門前・字台・字藤倉・字杉ノ入表の一部を以て北浜が[16]、新浜町・字杉ノ入の一部を以て新浜町(一丁目 - 三丁目)が[19]、。
香津町の町名変更[編集]
1966年(昭和41年)5月1日、塩竈市の一部で町名変更が行われ、字神ノ前・字辰ノ口・字白萩・字香津・字作田の一部を以て香津町が新設された[16]。
海岸通の住居表示[編集]
1971年(昭和46年)5月1日、海岸通の一部で住居表示が実施された。なお、自治省による告示は同年7月9日付で行われた[20]。
新浜町の住居表示[編集]
1975年(昭和50年)5月1日、新浜町(一丁目 - 三丁目)で住居表示が実施されたほか、杉ノ入裏の一部が新浜町二丁目に編入された。なお、自治省による告示は同年7月5日付で行われた[21]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | ||
---|---|---|---|---|
自治体 | 町丁 | 自治体 | 町・字 | |
塩竈市 | 新浜町二丁目(編入) | 塩竈市 | 字杉ノ入裏 | 1975年(昭和50年)5月1日[21] |
松陽台・楓町の住居表示[編集]
1979年(昭和54年)5月1日、塩竈市北部で住居表示が実施され、字越の浦・字庚塚・字藤倉・藤倉二丁目・梅の宮の一部を以て松陽台(一丁目 - 三丁目)が、字越の浦の一部を以て楓町(一丁目 - 三丁目)が新設された。なお、自治省による告示は同年6月14日付で行われた[22]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | ||
---|---|---|---|---|
自治体 | 町丁 | 自治体 | 町・字 | |
塩竈市 | 松陽台一丁目(新設) | 塩竈市 | 字越の浦 | 1979年(昭和54年)5月1日[22] |
藤倉二丁目 | ||||
字庚塚 | ||||
松陽台二丁目(新設) | 字藤倉 | |||
字庚塚 | ||||
松陽台三丁目(新設) | 梅の宮 | |||
字藤倉 | ||||
藤倉二丁目 | ||||
字庚塚 | ||||
楓町一丁目(新設) | 字越の浦 | |||
楓町二丁目(新設) | ||||
楓町三丁目(新設) |
牛生地区の住居表示[編集]
1981年(昭和56年)5月1日、塩竈市南部の牛生地区(旧多賀城村)を中心とした地域で住居表示が実施され、字中新田・字中ノ島・字二又・大字笠神字天神・字天満崎・字一本松を以て舟入(一丁目・二丁目)が、大字笠神字牛生・字牛生前・字天満崎の一部を以て牛生町が、大字笠神字葦畔・字大木戸・字牛生・字牛生前の一部を以て芦畔町が、字二又の一部を以て新富町が新設された。なお、自治省による告示は同年6月15日付で行われた[23]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | |||
---|---|---|---|---|---|
自治体 | 町丁 | 自治体 | 大字 | 字 | |
塩竈市 | 舟入一丁目(新設) | 塩竈市 | (なし) | 字中新田 | 1981年(昭和56年)5月1日[23] |
字中ノ島 | |||||
字二又 | |||||
大字笠神 | 字天神 | ||||
字天満崎 | |||||
舟入二丁目(新設) | 字一本松 | ||||
字天神 | |||||
字天満崎 | |||||
(なし) | 字二又 | ||||
牛生町(新設) | 大字笠神 | 字牛生 | |||
字牛生前 | |||||
字天満崎 | |||||
芦畔町(新設) | 字葦畔 | ||||
字大木戸 | |||||
字牛生 | |||||
字牛生前 | |||||
新富町(新設) | (なし) | 字二又 |
大日向町・母子沢町・袖野田町の住居表示[編集]
1982年(昭和57年)5月1日、塩竈市西部で住居表示が実施され、字大日向の全域を以て大日向町が、字母子沢の全域を以て母子沢町が、字袖野田の全域を以て袖野田町が新設された。なお、自治省による告示は同年6月11日付で行われた[24]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | ||
---|---|---|---|---|
自治体 | 町丁 | 自治体 | 町・字 | |
塩竈市 | 大日向町(新設) | 塩竈市 | 字大日向 | 1982年(昭和57年)5月1日[24] |
母子沢町(新設) | 字母子沢 | |||
袖野田町(新設) | 字袖野田 |
泉沢地区の住居表示[編集]
1983年(昭和58年)5月1日、泉沢地区周辺で住居表示が実施され、字後楽・字泉沢の一部を以て後楽町が、字泉沢の一部を以て泉沢町が、字山ノ寺・字一森山・字泉沢の一部を以て一森山が新設された。また、清水沢(二丁目)が字泉沢の一部を編入した。なお、自治省による告示は同年5月23日付で行われた[25]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | ||
---|---|---|---|---|
自治体 | 町丁 | 自治体 | 町・字 | |
塩竈市 | 後楽町(新設) | 塩竈市 | 字泉沢 | 1983年(昭和58年)5月1日[25] |
字後楽 | ||||
泉沢町(新設) | 字泉沢 | |||
一森山(新設) | 字山ノ寺 | |||
字泉沢 | ||||
字一森山 | ||||
字泉沢 | ||||
清水沢二丁目(編入) |
杉ノ入地区の住居表示[編集]
1984年(昭和59年)5月1日、杉ノ入地区周辺で住居表示が実施され、字杉ノ入表・字杉ノ入裏・藤倉三丁目・新浜町二丁目・字越ノ浦の一部を以て杉の入(一丁目 - 四丁目)が、字越ノ浦の一部を以て越の浦(一丁目 - 二丁目)が、字越ノ浦・字石田、字庚塚の一部をもって青葉ケ丘が新設された。また、楓町(一丁目・三丁目)が字杉ノ入裏・字越ノ浦の一部を、藤倉(三丁目)が字杉ノ入表の一部を、松陽台(一丁目)が字越ノ浦・字庚塚の一部をそれぞれ編入した。なお、自治省による告示は同年6月4日付で行われた[26]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | ||
---|---|---|---|---|
自治体 | 町丁 | 自治体 | 町・字 | |
塩竈市 | 杉の入一丁目(新設) | 塩竈市 | 字杉ノ入表 | 1984年(昭和59年)5月1日[26] |
字杉ノ入裏 | ||||
藤倉三丁目 | ||||
新浜町二丁目 | ||||
杉の入二丁目(新設) | 字越ノ浦 | |||
字杉ノ入裏 | ||||
杉の入三丁目(新設) | 字越ノ浦 | |||
字杉ノ入裏 | ||||
新浜町二丁目 | ||||
杉の入四丁目(新設) | 字越ノ浦 | |||
字杉ノ入裏 | ||||
新浜町二丁目 | ||||
越の浦一丁目(新設) | 字越ノ浦 | |||
越の浦二丁目(新設) | ||||
青葉ケ丘(新設) | 字石田 | |||
字庚塚 | ||||
字越ノ浦 | ||||
楓町一丁目(編入) | 字杉ノ入裏 | |||
楓町二丁目(編入) | 字越ノ浦 | |||
藤倉三丁目(編入) | 字杉ノ入表 | |||
松陽台一丁目(編入) | 字越ノ浦 | |||
字庚塚 |
千賀の台地区の住居表示[編集]
1995年(平成7年)5月1日、千賀の台で住居表示が実施され、字伊保石の一部を以て千賀の台(一丁目 - 三丁目)が新設された。なお、自治省による告示は同年8月22日付で行われた[12]。
変更後 | 変更前の区域 | 変更日 | ||
---|---|---|---|---|
自治体 | 町丁 | 自治体 | 町・字 | |
塩竈市 | 千賀の台一丁目(新設) | 塩竈市 | 字伊保石 | 1995年(平成7年)5月1日[12] |
千賀の台二丁目(新設) | ||||
千賀の台三丁目(新設) |
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b 塩竈市 1986b, pp. 21–22
- ^ a b c 塩竈市 1986a, pp. 45–46
- ^ a b 塩竈市 1986a, p. 735
- ^ “宮城県 塩竈市 町字マスター データセット”. デジタル庁. 2024年2月17日閲覧。
- ^ 塩竈市 1986a, pp. 22–25
- ^ 塩竈市 1986a, pp. 43–44
- ^ “市域の変遷(令和3年度塩竈市統計書)”. 塩竈市. 2024年2月17日閲覧。
- ^ a b c d e f “市域の変遷”. 塩竈市. 2024年2月17日閲覧。
- ^ 大蔵省印刷局 1950, pp. 302–303
- ^ 宮城縣史編纂委員会 1970, pp. 363–366
- ^ a b c d e 塩竈市 1986a, pp. 513–518
- ^ a b c d 大蔵省印刷局 1995, p. 7
- ^ 塩竈市 1986a, pp. 726–728
- ^ a b 塩竈市 1986a, pp. 734–735
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. 639
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. 640
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. 642
- ^ a b c d 大蔵省印刷局 1965, p. 2
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. 641
- ^ 大蔵省印刷局 1971, p. 21
- ^ a b 大蔵省印刷局 1975, p. 11
- ^ a b 大蔵省印刷局 1979, p. 10
- ^ a b 大蔵省印刷局 1981, p. 11
- ^ a b 大蔵省印刷局 1982, p. 10
- ^ a b 大蔵省印刷局 1983, p. 11
- ^ a b 大蔵省印刷局 1984, p. 11
参考文献[編集]
書籍[編集]
- 塩竈市史編纂委員会 編『塩竈市史II 本編II』塩竈市、1986年12月25日。doi:10.11501/3005019。
- 塩竈市史編纂委員会 編『塩竈市史IV 別編II』塩竈市、1986年3月30日。doi:10.11501/3025403。
- 宮城縣史編纂委員会 編『宮城縣史32(資料篇9)』宮城縣史刊行会、1970年3月31日。doi:10.11501/2992712。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、竹内理三『角川日本地名大辞典4宮城県』角川書店、1979年12月8日。ISBN 9784040010403。
官報[編集]
- 『官報』第3516号、大蔵省印刷局、1938年9月20日。doi:10.11501/2960007。
- 『官報』第6959号、大蔵省印刷局、1950年3月25日。doi:10.11501/2963503。
- 『官報』号外第70号、大蔵省印刷局、1965年6月15日 。2024年2月19日閲覧。
- 『官報』号外第90号、大蔵省印刷局、1971年7月9日 。2024年2月19日閲覧。
- 『官報』第14551号、大蔵省印刷局、1975年7月5日 。2024年2月19日閲覧。
- 『官報』第15720号、大蔵省印刷局、1979年6月14日 。2024年2月19日閲覧。
- 『官報』第16314号、大蔵省印刷局、1981年6月15日 。2024年2月19日閲覧。
- 『官報』第16608号、大蔵省印刷局、1982年6月11日 。2024年2月19日閲覧。
- 『官報』第16888号、大蔵省印刷局、1983年5月23日 。2024年2月18日閲覧。
- 『官報』第17196号、大蔵省印刷局、1984年6月4日 。2024年2月17日閲覧。
- 『官報』第1714号、大蔵省印刷局、1995年8月22日 。2024年2月17日閲覧。