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キッコーナ[編集]

キッコーナ

  • キッコーナ前身の起業地名古屋市西区の歴史を調べることで何か出てこないか。
    • 西区史をたどってみたが名古屋味噌溜(株)に関する記述なし。
    • 西図書館の郷土史コーナーをざっと見たが、関連する書籍を見つけることはできなかった。
    • 昭和時代の市内地図を見てみたが、西区に名古屋味噌という会社の工場はあるが「溜」と同一の会社かどうか確認できず。→後のダイヤモンドシティ・名西ショッピングセンター敷地。
      • 1964年(昭和39年)大口に工場が移転。1970年(昭和45年)11月21日にダイヤモンドシティ開店なので時期としてはおかしくない。
    • 『名古屋商工案内』中に名古屋味噌溜株式会社の名前がある。[4]
  • 創業に関係する佐野屋與右衛門(中村与右衛門)なる人物について調査することで、キッコーナ記事の充実を図れないだろうか。
    • 港区幸町・魁町・佐野町一帯を所有していたらしい。ここに「萱屋町の味嗜たまり商佐野屋・中村与右衛門」と記述がある。[1]
      • 港区史の調査を要するか?
    • どうやら佐野屋は屋号で、名字は中村のようだ。
    • 東区…「佐野屋の辻」 300年ほど前、丹羽郡千秋村字佐野から出てきた与右衛門と清左衛門が、それぞれ味噌の佐野屋と酒の佐野屋を開き繁盛したことから付けられたという。
      • 東区史の調査を要するか?

NaNa[編集]

NaNa
ジャンル 少年漫画
漫画:NaNa
作者 綱淵貴仁
出版社 講談社
掲載誌 月刊少年マガジン増刊GREAT
ドラマCD:NaNa CD DRAMA
脚本 井上美保子
販売元 キングレコード
発売日 1997年
テンプレート - ノート
プロジェクト 漫画
ポータル 漫画

登場人物[編集]

皆垣吾朗
- 阪口大助
ナナ
声 - 麻生かほ里
正式名称はキョウワ・EDVシステム707。軍事・産業・家庭用の試作アンドロイド(1巻12頁)。外皮は生体部品からできており、その維持のために1日牛乳6リットル分のタンパク質の摂取が必要である(1巻13頁)。充電の際に直流電源と交流電源を間違え、交流電源を使用したためにシステムが誤作動を起こしてしまった(1巻20頁)
ハチ
声 - 池澤春菜
梢野ことみ
声 - 柳原みわ
吾朗の父
声 - 納谷六朗

コミックス[編集]

  1. 1996年7月17日第1刷発行、ISBN 4-06-333526-7
    1. Vol.1「ポンコツ“NaNa”が来た日」(1995年7月号掲載)
    2. Vol.2「水着でラブラブファイヤー」(1995年9月号掲載)
    3. Vol.3「NaNaの愛は国境を越えて」(1996年1月号掲載)
    4. Vol.4「シスター8・登場!!」(1996年4月号掲載)
  2. 1997年2月17日第1刷発行、ISBN 4-06-333557-7
    1. Vol.5「恋の磁力線~フレミング・ショック・ウエイヴ~」(1996年6月号掲載)
    2. Vol.6「肌をも焦がす?ことみの嫉妬(ジェラシー)」(1996年8月号掲載)
    3. Vol.7「キャンプでラブラブファイヤー」(月刊少年マガジン1996年11月号掲載)
    4. Vol.8「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス 1」(1996年12月号掲載)
    5. 番外編『君に巡り逢えた、夏』(1996年10月号掲載)
  3. 1997年10月16日第1刷発行、ISBN 4-06-333594-1
    1. Vol.9「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス 2」(1997年3月号掲載)
    2. Vol.10「二人の仲破壊大計画 発動」(1997年5月号掲載)
    3. Vol.11「恋のように僕たちは」(1997年7月号掲載)
    4. Vol.12「天使が見てたKISS」(1997年9月号掲載)
  4. 1998年7月17日第1刷発行、ISBN 4-06-333632-8
    1. Vol.13「永遠の胸」(1997年11月号掲載)
    2. Vol.14「誰がために陽は昇る!?」(1998年1月号掲載)
    3. Vol.15「心の入試」(1998年3月号掲載)
    4. Vol.16「~Remember My Heart~」(1998年5月号掲載)
  5. 1999年6月17日第1刷発行、ISBN 4-06-333684-0
    1. Vol.17「遠い空に」(1998年7月号掲載)
    2. Vol.18「FRIENDS」(1998年9月号掲載)
    3. Vol.19「告白の行方」(1998年11月号掲載)
    4. Vol.20「きっと 忘れない」(1999年1月号掲載)
    5. Vol.21「ハッピー・バレンタイン」(1999年3月号掲載)
  6. 2000年3月16日第1刷発行、ISBN 4-06-333717-0
    1. Vol.22「新入生の恋」(1999年5月号掲載)
    2. Vol.23「私はアンドロイド」(1999年7月号掲載)
    3. Vol.24「機械の心」(1999年9月号掲載)
    4. FINALE「forever....」(1999年11月号掲載)

香港・台湾・マカオでも翻訳版が出版された[2]

ドラマCD[編集]

スタッフ[編集]

CD付属ブックレット11頁の記述による。

  • 脚本 - 井上美保子
  • 演出 - 高橋秀樹(神南スタジオ
  • 調整 - 山田均(神南スタジオ)
  • 効果 - 佐々木純一(アニメサウンド
  • 録音スタジオ - 代々木アニメーション学院・神南スタジオ
  • 音響制作 - 神南スタジオ
  • 制作プロデューサー - 鈴木誠二
  • ブックレット編集 - フィールドワイ
  • プロデューサー - 境富士雄
  • ディレクター - 遠藤潤
  • サウンドエンジニア - 井原征則
  • マスタリングエンジニア - 安藤明
  • デザイン - 土屋伸生(ワークス・ディ)
  • サウンドプロデュース - 尾関裕司(Gabby Office)
  • CGワーク - 工藤稜

司会者 - 坂東尚樹 女生徒 - 三橋加奈子 コンテスト出場者 - 高橋あつこ 店のおじさん - 鈴木琢磨 スカウト - 石塚堅

収録内容[編集]

  1. 第1話『ポンコツナナが来た日』
  2. ナナと吾朗(インストゥルメンタル 作曲・編曲 - 綱渕貴仁)
  3. 第2話『ミス・コンテストは大混乱』(オリジナルストーリー)
  4. ことみちゃん(インストゥルメンタル 作曲・編曲 - 綱渕貴仁)
  5. 第3話『シスター・ハチ登場』
  6. あなたが私を変えてゆく(作詞 - 中沢ふみえ 作曲・編曲 - オダクラ・アキラ 歌 - 麻生かほ里)

しんめいしゃ 神明社[編集]

神明社 (愛西市渕高町) 神明社(しんめいしゃ)は、愛知県愛西市渕高町(旧佐織町渕高新田)に所在する神社

祭神[編集]

天照大神

参考文献[編集]

  • 神明社改築造営委員会編『淵高神明社改築造営記念誌』1997年10月。

だいこうがわ 大幸川[編集]

大幸川(だいこうがわ)は、愛知県名古屋市北部を流れる河川。もともとは自然河川だったが、現在は名古屋市上下水道局管理下の下水大幸幹線として暗渠化されている。

参考文献[編集]

  • 『北区誌』(平成2年版)18頁。

北区萩野通・志賀町連続猟銃乱射事件[編集]

事件の名称について[編集]

各社報道・書籍によって事件名称がそもそも違う。どれに統一するべきか。

  • 精神○○者による猟銃乱射殺人事件
『愛知県警察風土誌』愛知県警察本部警務部教養課、1981年3月。現代の情勢等を鑑みると差別的な用語を使用しており不適切。前部分をカットして掲載している状態。
  • N(犯人の名字)事件
ウエスタンアームズ2013年8月19日閲覧。犯人の名字を使用しており、Wikipediaの方針に従うと使用しにくい。

犯人のNSについて[編集]

  • 犯人のNSは、当時31歳
  • 犯人のNS所有の猟銃について[3]
  • 散弾銃
    • 昭和39年9月29日 - 許可申請
    • 同年10月19日 - 所持許可・確認
  • ライフル銃
    • 昭和39年11月27日 - 許可申請
    • 同年12月12日 - 所持許可・確認
  • 流れとしては、当人より許可申請提出、名古屋北警察署にてそれを受理。大阪の警察署(当人本籍地)に身元照会を行った。
  • 当人の勤務地(志賀東映)の支配人・社長・業務担当の3人に聴取したところ、勤務態度・言動には特段問題なしとのこと。
  • 当人と面談し欠格事由等なし、本籍地においても支障なしとのことで、許可した。(大津英男政府委員発言)
  • 喫茶店で発砲したのは受付の女性が嫌な顔をしたためだと自供している。(国会二宮文造氏発言)
  • 三重県に父親がある。三重の医大(名称不明)の精神科で4回治療を受けている。が、事前の調査の方法ではこれはわからなかった。三重県警でも把握はしてなかった。(大津英男政府委員発言)
  • 大津英男政府委員→警察庁保安局長
  • 国会でも銃規制に関しての議論が行われたこと自体も書き添える必要。

  • 精神分裂病だったことを、12回の面談をしたにもかかわらず分からなかった。

[4]


[5]

  • 犯人のNSは無罪となり、入院治療中(昭和41年5月10日現在)
  • 被害者は(昭和41年か?)6月23日、精神分裂病患者に対して猟銃許可を出したのは重大な過失であると530万円を超える損害賠償請求訴訟が名古屋地裁に提訴。
  • 精神分裂病の診断を受けたのは三重県立大学で、昭和39年7月18日のこと。

  • 急行霧島事件[6]
当事件に関連した事件。1965年(昭和40年)2月15日18:30頃、急行霧島12・13号車網棚から、それぞれカイロの灰と無煙火薬・黒煙火薬の入った段ボール箱が一つずつ見つかった。

18:00頃、近鉄宇治山田駅でも同様に無煙火薬とカイロの灰が入った段ボール箱が見つかった。他に散弾も入っていた。これは、拾得物として届けられていたもので、箱から白煙が出ていることから発覚した。 犯人はフィルム配達人のNS(当時34)で、岐阜市内で逮捕された。


事件の概要[編集]

  • 犯人NSが銃弾を撃ち込んだ喫茶店は勤務先の志賀東映の裏にあった喫茶店[7]

事件の影響[編集]

  • 事件後、犯人が精神分裂病でありながら、合法的に銃を所持していたことが問題とされた。
  • 1965年の7月15日改正

被害者について[編集]

事件概要[編集]

この事件は精神分裂病(当時の名称、現在は統合失調症と称する)であった犯人NSが1965年昭和40年2月15日に起こしたものである。

名古屋市北区銃乱射事件[編集]

  • 1965年(昭和40年)2月15日午後5時10分ごろ(朝日新聞・中日新聞は15分ごろとしている[8][9])、名古屋市北区萩野通地内のお好み焼き店において犯人NSが店内で猟銃を発砲[10]。当時店内にいた名古屋市交通局労働組合婦人部の会合帰りだった執行部三役の女性客3人が被弾[10][9]。うち、Oさん(22歳)は右肩から左胸を銃弾が貫き、搬送先の病院で午後9時40分ごろ[11]亡くなった[10]。犯人は店主の女性(32歳)を狙って3発発砲したものの、当時店内におり、犯人と店主との間に座っていた3人に当たってしまった[8][9]。事件の第一報は、被害女性らの勤務先でもあった名古屋市交通局北運輸事務所からの110番通報で、5時20分のことだった[9]。(第1の事件
  • 直後犯人はバイクで逃走し、午後5時25分ごろ(中日新聞は26分ごろとしている[9])、第1の事件の舞台となったお好み焼き店から南へ約300m(中日新聞は約200mとしている[9])の位置にあった[8]志賀町の喫茶店Uにおいて、再び発砲[10]。このときは同店経営者の次女Yさんが応対したが、犯人が「命が惜しけりゃ奥へ引っ込んでおれ」と警告した上でドアを閉め店外から発砲したため、当時店内にいたYさんと店員2人、親子連れの客4人にケガはなかった[10]。銃弾は窓ガラスと奥の壁を貫通し、隣家の壁に突き刺さった[10]。(第2の事件
  • さらに午後5時30分ごろ、第2の事件の現場から東へ約300mのところにあった同町の飲食店Tに向かい、無言で店外より発砲したもののこちらもけが人はなかった[10]。(第3の事件
  • 犯人はこの後、猟銃を持ったまま逃走[10]北警察署は喫茶店UのYさん・飲食店T経営者の目撃証言により、犯人のナンバーを特定し、全県に手配した[10]
  • 午後6時30分ごろ、ラジオのニュースによってこの事件を知った民間人2人が、新聞紙で猟銃を包み背負い、もう一丁を丹前にくるみ荷台に載せて犬山橋上を走り犯人を発見したため、途中1人を各務原警察署に降ろしつつ、岐阜市西明見町(城南通)地内のガソリンスタンドに犯人が停まるまで追跡し、現地にいた交通取り締まりから署に帰るところだった岐阜南署のパトカーにクラクションで知らせた[10][9]。巡査二人が職務質問を試みようと近づいた瞬間、NSが逃げようとしたため、岐阜南署に連行したところ、犯行を自供したため午後7時15分ごろ殺人・殺人未遂容疑で緊急逮捕となった[9]。同時に所持していた、ライフル銃・散弾銃・ライフル実包250発・空薬莢19発・現金11,191円が入った封筒を押収した[9]
  • 翌16日午前0時10分[9]、北警察署に移された犯人は、待ち構えていた報道陣に対してつばを吐きかける、(いきなり足蹴にする、取調に際しても何度も捜査員につかみかかるなど 毎日 2/16夕刊 7面)、始終態度が悪かった[10]。犯行に及んだ理由は「(銃撃した)三軒の店には映画のビラはりやめしを食べに行っているが、みんながバカにするので仕返しにおどした」と話している[10]が、犯行現場となった各店舗の店員によればNSのことを知らないといい、被害妄想であるとみられる[9]
  • 犯人の部屋からは中身のない「遺書」と「辞表」が発見された[10]
  • 「遺書」の中身は17日朝、津市内に住むNSの実父宛に15日に名古屋駅から送られ、津駅に預けられていたダンボール箱の中から見つかっており、便箋8枚にも及んでいたという[12]。朝日新聞の報道による「遺書」の要旨は以下の通りである。
新しい土地へ逃げてきたが、どこでも悪いうわさがまき散らされており、逃げる場所がない。ノイローゼのままでは、これまでの生活を続けることができない。このままでは社会にとって有害な存在です。外に出れば気違い、いやなやつ、ありとあらゆる罵声を浴びせられ、傷ついた神経が痛む。玉砕する道を選ぶことにしました。保険金を残して死のうと思ったが不可能でした。地獄へ行きます。詳細は新聞を見てください。社会から排撃され、追い出される人間が、その社会の法律、道徳、倫理を守るはずがありません。私は畜生以下でありましょう。私は十万億土から私をいじめていた人と、その子孫を排撃するであろう。[13]

列車爆破未遂事件[編集]

  • さらに、この凶行の数時間前に急行「霧島」および近鉄急行列車に爆薬を仕掛けていたことが分かった[14]
  • 急行「霧島」は午後6時35分ごろ、定刻より15分延着して東京駅第5ホーム9番線に到着したが、その際前方から2両目の二等13号車の網棚から高さ26cm、幅35cmの「南濃町農協連」のみかん箱・3両目の二等12号車の網棚からは高さ24cm、幅35cmの「明治マーブルチョコレート」の箱がそれぞれ発見された[14]。中身を改めたところ火薬と釘・カイロが入っていたため、午後8時すぎ警視庁丸の内警察署に届けられた[14]。2つの段ボール箱はカイロの熱を使って、火薬を誘爆させ、釘を発射する時限爆弾だった[14]。みかん箱には「志賀東映様」とマジックで書かれていたため、NSの犯行と分かった[14]。また、急行霧島は午後1時13分に名古屋駅を発車[14]。当時NSは仕事を休んでおり、犯行は十分に可能だった[14]。(急行霧島爆破未遂事件)
  • 午後6時ごろ、近鉄宇治山田駅4番ホーム列車扱所に遺失物として保管されていた干しぶどう包装用の段ボール箱から白煙が出ていることに駅の助役が気づいた[14]。この箱は名古屋駅を午後1時に出発し、午後2時50分に宇治山田駅に到着した5両編成の急行列車の最後部車両の網棚に乗せられていたもので、急行霧島の物と類似していた[14]。(近鉄急行爆破未遂事件)

犯人について[編集]

犯人のNSは京都府京都市に生まれ、6歳まで住んでいたが、母親が亡くなり、三重県津市に移住したという[15]。昭和24年に三重県津市内の私立中学校(在学中に高等学校となっていた)を卒業し、 高校2年の時鈴鹿市の電電公社電通学園に入学[16]。卒業後の昭和27年1月から昭和30年1月まで津電報局に勤務。東京にある電電関連の高校に入学[15]。同校卒業後、昭和30年7月に住吉電報局機械課に移ったが、昭和39年春、結核を患ったため退職した[15]。すぐに復職したものの2ヶ月で再び退職した[15]。昭和37年、津電報局で交換手をしていた女性と結婚したが、昭和39年10月にNSのノイローゼが原因で離婚している[15]。退職後しばらく父親の店(食料品販売店[17])を手伝っていたが、昭和39年9月に黒川本通4丁目の映画館「志賀東映」のフィルム運搬の仕事を得、住み込みで働いていた。NSの住居は映画館2階の映写室横にあった三畳の部屋であった[17]。津電報局の当時の同僚も志賀東映の同僚も「無口な男で、交際もほとんどない男だった」と答えている。猟銃については、事件の前年の暮れに所持許可が出ており、勤務先である志賀東映にも連絡があった[17]

被害者について[編集]

  • 犠牲となったOさんは、結婚式を2週間後の3月3日に控えていた[18][19]

当局に対する批判[編集]

  • NSが犯行に用いた猟銃は2月4日、熱田署員が別事件の捜査中に名古屋鉄道神宮前駅荷物預かり所にあるのに気づき、6日NSを熱田署に呼び出し注意し返却したものであったという[20]。NSはそれに対して「猟に行くときは熱田駅から乗るので便利だから」と答えたと言うが、このとき保管方法の不審さからNSを調査していれば事件は防げたのではないかと中日新聞は批判している[20]
  • NSは事件前年の7月から8月にかけて計4回、三重県立大学で診断を受け、「精神分裂病にみられる症状のひとつ、情緒欠陥」であると鑑定されていた[21]。診断した医師は入院の必要を感じたというが、家族の連絡先が分からずそのままになっていたという[22]

事件後の対応[編集]

  • 事件後、名古屋市衛生局は3月1日から10日にかけて、市内保健委員約7000人に対して精神衛生アンケートを実施した[23]
  • 髙橋等法相は、精神病患者による犯罪に対する対策を法務省に命じている[24]

[10] [14] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [8] [31] [32] [33] [34] [35] [13]

脚注[編集]

  1. ^ 港区の町名の由来について(名古屋市)2013年9月2日閲覧。
  2. ^ 綱渕貴仁『NaNa 2巻』講談社、1997年2月17日、108頁。ISBN 4-06-333557-7 
  3. ^ 第48回国会 地方行政委員会 第7号(昭和40年2月18日)議事録2013年8月19日閲覧。
  4. ^ [1]
  5. ^ 第51回国会 地方行政委員会 第31号 昭和41年5月10日(火曜日)2013年8月19日閲覧。
  6. ^ [2]2013年8月19日閲覧。
  7. ^ [3]
  8. ^ a b c d “列車に爆薬積込み?町ではライフル乱射”. 朝日新聞朝刊12版(縮刷版): pp. 14-15. (1965年2月16日) 
  9. ^ a b c d e f g h i j k 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1965年2月16日朝刊13面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n “猟銃魔 恐怖の二時間 名古屋”. 毎日新聞朝刊13版(縮刷版): p. 13. (1965年2月16日) 
  11. ^ 『中日新聞』1965年2月16日朝刊13面によれば、9時36分。
  12. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1956年2月18日朝刊13面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  13. ^ a b “「いじめた社会を排撃」津でN[犯人実名]の遺書見つかる”. 朝日新聞朝刊12版(縮刷版): p. 15. (1965年2月18日) 
  14. ^ a b c d e f g h i j “狂った男が三重凶行 東西の列車に爆薬 猟銃撃ち三人殺傷 名古屋”. 毎日新聞朝刊13版(縮刷版): p. 1. (1965年2月16日) 
  15. ^ a b c d e 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1965年2月16日夕刊7面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  16. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1956年2月16日夕刊7面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  17. ^ a b c 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1965年2月16日朝刊12面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  18. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1965年2月17日朝刊13面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  19. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1965年2月17日夕刊7面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  20. ^ a b 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1956年2月18日朝刊14面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  21. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1956年2月18日朝刊12面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  22. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1956年2月17日朝刊12面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  23. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1956年2月18日朝刊6面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  24. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「中日1956年2月28日朝刊1面」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  25. ^ “残る一箱(ダンボール)をさがす 猟銃爆薬魔 N[犯人実名]、取調べに反抗”. 毎日新聞夕刊4版(縮刷版): p. 13. (1965年2月16日) 
  26. ^ “精神病患者 おそまつな施設・医療 やっと政府が力コブ 〝野放し〟解消にはほど遠いが”. 毎日新聞朝刊13版(縮刷版): p. 12. (1965年2月17日) 
  27. ^ “N[犯人実名]は精神分裂 猟銃爆弾魔”. 毎日新聞朝刊13版(縮刷版): p. 13. (1965年2月17日) 
  28. ^ “四つ目の箱、津駅に 猟銃魔N[犯人実名] 火薬はなかった”. 毎日新聞夕刊4版(縮刷版): p. 7. (1965年2月17日) 
  29. ^ “爆破未遂も認める N[犯人実名] ダンボール箱から遺書”. 毎日新聞朝刊13版(縮刷版): p. 15. (1965年2月17日) 
  30. ^ “三店で銃を乱射 三人死傷 名古屋の映画館員 列車内爆発も計画?”. 朝日新聞朝刊12版(縮刷版): p. 1. (1965年2月16日) 
  31. ^ “列車に爆薬積込み?町ではライフル乱射”. 朝日新聞朝刊12版(縮刷版): pp. 14-15. (1965年2月16日) 
  32. ^ “簡単に手に入る火薬と猟銃 狩猟免許で無制限 火薬 猟銃 精神医の診断書不要”. 朝日新聞夕刊3版(縮刷版): p. 6. (1965年2月16日) 
  33. ^ “ボール箱一つ不明 列車爆破計画 N[犯人実名]の犯行と推定”. 朝日新聞夕刊3版(縮刷版): p. 7. (1965年2月16日) 
  34. ^ “N[犯人実名]の犯行と断定 「霧島」の爆薬 ボール箱の指紋一致”. 朝日新聞朝刊12版(縮刷版): p. 15. (1965年2月17日) 
  35. ^ “N[犯人実名]を送検 猟銃乱射・列車爆破未遂”. 朝日新聞夕刊3版(縮刷版): p. 7. (1965年2月17日) 

国語便覧[編集]

豊場・青山[編集]

  • 豊場

p.302-303 東山方(ひがしやまかた)・大野木(おおのき)・鯉ノ溝(こいのみぞ)・鶴ケ口(つるがぐち)・五反田(ごたんだ)・御神田(おみきた)・縄界(なわさかえ)・横手(よこて)・権現西(ごんげんにし)・北久多良喜(きたくたらき)・南久多良喜(みなみくらたき)・石申(いしさる)・沢口(さわくち)・北八反田(きたはたんた)・南八反田(みなみはたんた)・磯吉浦(いそきちうら)・堂前(どうまえ)・高畑(たかはた)・西阿原(にしあはら)・若針(わかばかり)・東阿原(ひがしあはら)・多門寺(たもんじ)・西ノ町(にしのちょう)・南松(なんまつ)・木戸(きと)・常安寺西(じょうあんじにし)・四面堂(しめんどう)・森後(もりうしろ)・阿古島(あこしま)・松ノ木島(まつのきしま)・丸田(まるた)・小道(こみち)・堀之内(ほりのうち)・城屋敷(しろやしき)・宮浦(みやうら)・大門(だいもん)・鳥居前(とりいまえ)・南浦(みなみうら)・髙前(たかばた)・四反田(したんた)・流川(ながれかわ)・西殿村(にしとのむら)・北二反田(きたにたんた)・南二反田(みなみにたんた)・庄吉池(しょうきついけ)・志水(しみず)・西中田(にしなかた)・東中田(ひがしなかた)・沢渡(さわたり)・寒枯(かんがれ)・杉ノ木(すぎのき)・北島(きたじま)・塚原(つかはら)・深田(づかた)・千本田(せんぼんでん)・青塚西(あおつかにし)・東殿村(ひがしとのむら)・中仕付(なかしつけ)・青塚浦(あおつかうら)・青塚屋敷(あおつかやしき)・青塚前(あおつかまえ)・畑田(はたた)・西如意田(にしにょいた)・東如意田(ひがしにょいた)・西野田(にしのた)・下り戸(おりと)・西古諏訪(にしふるすわ)・長墓(ながはか)・前池(まえいけ)・中之町(なかのちょう)・新田町(しんでんちょう)・東古諏訪(ひがしふるすわ)・杜若(とじゃく)・伊勢山(いせやま)・四ツ塚(よつつか)・西神戸(にしこうと)・東野田(ひがしのた)・新池(しんいけ)・東神戸(ひがしこうと)・池ス山(いけすやま)・神戸池(こうといけ)・雨堤(あまつつみ)・七ツ割(ななつわり)・中之道(なかのみち)・林先(はやさき)・丸池(まるいけ)・中新田(なかしんでん)・殿釜(とのかま)・幟立(のぼりたて)・岡西(おかにし)・押洗(おしあらい)・岡浦(おかうら)・岡先(おかさき)・狐塚(きつねつか)・杁之口(いりのくち)・岡ノ山(おかのやま)・岡前(おかまえ)・笹塚(ささつか)・散松(ちりまつ)・上ノ池(かみのいけ)・北上原(きたうわはら)・南上原(みなみうわはら)・代官新田(だいかんしんでん)・孫四池(まごしいけ)

Yahoo Japan. “愛知県西春日井郡豊山町豊場(大字)”. 2014年5月13日閲覧。 青塚屋敷(あおつかやしき)・伊勢山(いせやま)・大山(おおやま)・下戸(おりど)・幸田(こうだ)・小道(こみち)・神戸(ごうど)・ 栄(さかえ)・沢口(さわぐち)・志水(しみず)・城屋敷(しろやしき)・新栄(しんえい)・新田町(しんでんちょう)・諏訪(すわ)・ 高前(たかまえ)・多門寺(たもんじ)・大門(だいもん)・鳥居前(とりいまえ)・中之町(なかのちょう)・中之道(なかのみち)・中道(なかみち)・流川(ながれがわ)・西之町(にしのちょう)・野田(のだ)・幟立(のぼりたて)・八反(はったん)・林先(はやしざき)・冨士(ふじ)・丸田(まるた)・山方(やまかた)・四ツ塚(よつづか)・若宮(わかみや)・和合(わごう)・中新田(なかしんでん)・木戸(きど)・四面堂(しめんどう)・高畑(たかはた)・殿釜(とのがま)・東古諏訪(ひがしふるすわ)・堀之内(ほりのうち)・前池(まえいけ)

  • 青山

字(明治)p.300 下之切(しものきり)・中島(なかしま)・稲荷(いなり)・築野(つくの)・上之切(かみのきり)・阿古島(あこしま)・佛鬼(ぶつき)・新田島(しんでんしま)

Yahoo Japan. “愛知県西春日井郡豊山町青山(大字)”. 2014年5月13日閲覧。 江川(えかわ)・北浦(きたうら)・金剛(こんごう)・神明(しんめい)・高添(たかぞえ)・東栄(とうえい)・東川(ひがしかわ)・松張(まつはり)・六和(むつわ)・居屋敷(いやしき)・下屋敷(しもやしき)・西屋敷(にしやしき)


レディネス(readiness)は、学習者学習に対する受け入れ態勢ができていること。

日本 > 愛知県 > 西春日井郡 > 春日町 > 落合
落合
落合の位置(愛知県内)
落合
落合
落合の位置
北緯35度14分20.3秒 東経136度50分13秒 / 北緯35.238972度 東経136.83694度 / 35.238972; 136.83694
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
春日町
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
452-0961
ナンバープレート 尾張小牧

落合(おちあい)は、愛知県西春日井郡春日町大字清須市合併時の住所表記変更に伴い、削除され「春日」に置きかえられた[1]郵便番号は452-0961が設定されていた[2]

地理[編集]

春日町西部を占めていた。東は北名古屋市(旧西春町)・下之郷、西は稲沢市、南は清須市、北は一宮市丹陽町五日市場に接していた。

河川[編集]

湖沼[編集]

海洋[編集]

歴史[編集]

地名の由来[編集]

沿革[編集]

町名の変遷[編集]

交通[編集]

バス[編集]

  • 名鉄バス
    • 春日・分地・トヨタ春日センター前・豊田合成前停留所[3]

道路[編集]

施設[編集]

  • 春日町役場(現清須市役所春日庁舎)

史跡[編集]

ギャラリー[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

{{Reflist}} {{Geographic Location}} {{清須市の地名}} {{デフォルトソート:おちあい}} [[Category:愛知県の町・字]] [[Category:清須市]]

概要[編集]

エドワード・ソーンダイクが、「精神的構え」「心の準備」というニュアンスによりレディネスの法則を提唱したのがはじまりである[4]

脚注[編集]

  1. ^ 清須市役所 市民環境部 市民課 (2014年2月1日). “市政情報 清須市の住所表示 春日町の場合”. 2014年6月6日閲覧。
  2. ^ 郵便局 編『ぽすたるガイド 平成9年版』1997年、250頁。 
  3. ^ a b c d e f 松田憲治 1989, p. 1958.
  4. ^ 井森 2003, p. 711.

参考文献[編集]

  • 新村出 編「レディネス」『広辞苑 第四版』岩波書店、2723頁。 
  • 「レディネス」『日本語大辞典』講談社、1989年、2105頁。ISBN 4061210572 

歴史[編集]

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黒川治愿(くろかわはるよし)は、日本の土木技術者。

1847年弘化4年)美濃国(現岐阜県羽島郡に生まれる[1]

1879年(明治12年)、海西郡(現海部郡立田輪中内に新たに川を開削し、鵜戸川と接続する工事を行った[1]1883年(明治16年)、新木津用水の改修(1886年(明治19年)完成)[1]

1897年(明治30年)没[1]

その功績にちなみ、黒川(堀川上流部の通称)、黒川駅黒川本通の各地名にその名を残している。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 愛知県姓氏歴史人名大辞典編纂委員会『角川日本姓氏歴史人物大辞典 23 愛知県』角川書店、1991年10月30日。ISBN 4-04-002230-0 


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全座標を出力 - KML

中村区[編集]

愛知県の軍事遺跡一覧(あいちけんのぐんじいせきいちらん)は、愛知県軍事遺跡の一覧である。

名古屋市[編集]

名称所在地概略

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 伊藤厚史『学芸員と歩く愛知・名古屋の戦争遺跡』名古屋市教育委員会・六一書房、2016年3月31日。ISBN 978-4-86445-082-9 

{{pref-stub|pref=愛知県}} {{history-stub}} {{デフォルトソート:あいちけんのくんしいせきいちらん}} [[Category:日本の軍事遺跡]] [[Category:愛知県の歴史]] [[Category:愛知県の建築物]] [[Category:日本の遺跡一覧]] [[Category:日本史の一覧]] [[Category:日本の軍事の一覧]] [[Category:愛知県の一覧]]



  • 岐阜女子大学デジタルアーカイブ研究所 編『地域文化とデジタルアーカイブ』樹村舎、2017年11月6日。ISBN 978-4-88367-288-2 
  • 岐阜女子大学サテライトキャンパス文化情報研究センター 編『岐阜女子大学文化情報研究センター 岐阜女子大学デジタルミュージアム』2002年7月31日。 
  • 『知の拠点 岐阜女子大学デジタルアーカイブ研究所 概要 2017』デジタルアーカイブ研究所、2017年6月30日。 

資料収集[編集]

デジタルアーカイブの資料収集方法としては、静止画の撮影、