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利用者:岡部碩道/下書き3/執筆中2

草書の歴史(そうしょのれきし)では、草書体歴史を記す。

概説[編集]

後漢の『説文解字』の序文で初めて書体が明示されたが、その秦の八体新の六体のいずれにも草書は入っていない。続いて同書に、「漢興って草書あり。」とあるように、代に草書という書体が認めれたが、後世、新しい草書が認知されてこの古い草書と区別する必要が生じ、古い草書に章草という新たな名前が付けられた。新しい草書とは現在の草書のことであるが、これを章草に対して今草と呼ぶ場合もある。

草書の成り立ち[編集]

多くの人は行書が省画されて草書になったと思っているようである。確かに唐代以後、行書からできた草書もあるが、大多数の草書は篆隷からの系統に属する。従って草書は楷書や行書からは推測できない文字がたくさんある。文字は速く筆が進められてこそ「書く」という動作になる。その必然の結果として判読できる範囲で省画することが行われた。このようにして、八分という漢隷が速書きされて、まだ八分の波磔筆致が残る章草が生まれた。

その章草の先駆をなす初期的な草体は末から漢初に興った。現存するその実例として、20世紀初頭の西域出土の木簡の篆隷から省略化された実用的で敏捷に書かれた草体がある。中田勇次郎はこの初期的な草書を古草と称し、古草には篆書の簡略体としての草体、すなわち草篆を含んでいるという。

草書の変遷[編集]

古隷に波磔の特色が出て八分になったように、古草もこれと並行して章草に変移したと考えるのが自然である。また、章草は前漢に定型化した波磔のある隷書を簡略化したものでもあり、初期のものを草隷と呼ぶ。このように章草には篆書に波磔が付加されたものとすでに波磔のある隷書が簡略化した2つの源流があったと考えられる。

…━小篆┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 篆書
    ┃
    ┣古隷━八分┳━━━━━━━━━━━━━━━━━ 隷書
    ┃     ┃
    ┃     ┗草隷┓
    ┃        ┣章草━独草┳━━━━━━━┓
    ┗古草(草篆)━━┛     ┃       ┣ 草書(今草)
                   ┗連綿草┳━━━┛
                       ┃
                       ┗狂草

八分も章草も一字一字独立して書く独草体で書いたが、その後、多くの文字を書き連ねるという連綿体に発展し、必然的に波磔がなくなり今草となった。■

草書の種類[編集]

木簡の草書[編集]

木簡

章草[編集]

章草(しょうそう)と草書の区別について『東観余論』に、「凡て草書で波磔を分つものを章草と称し、そうでないものをただ草書という。」と記している。章草は前漢のときすでにそのスタイルの発生が見られるが、これはまだ便宜的なものとして用いられた程度で、定型化した書体として成立したのは前漢末から後漢にかけてと考えられる。

漢簡によると、章草は八分と前後して興っているので、八分の自然の変化と見るべきである。

史游が隷書を略して創始したという。章草は八分を速書きして、その点画を省略し、八分の方形なのに比べて円形に近いものになっている。波磔は残っているので今草よりも古意があり、主として尺牘などに用いられた。章草の書き手として、史游、張芝の他に、後漢の章帝鍾繇?(■鍾繇に草書はないはず■)などが有名である。

今草[編集]

今草(きんそう)は章草を略したもので、後漢の張芝が創始者という。■

狂草体[編集]
自叙帖』懐素書、台北・故宮博物院

脚注[編集]

出典・参考文献[編集]

関連項目[編集]