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利用者:Mystic Waves/sandbox

SYK
出身地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市
学歴

アメリカの大学に在籍中(大学名は非公開)

学部:Business Administration
ジャンル R&B・ヒップホップ
職業 シンガーソングライター、ラッパー、モデル、ダンサー、ゲーム配信者
活動期間 2003年 - 現在活動休止中
レーベル XXXXXL Inc.(2010年 - 不明)
事務所 HOOD SOUND INC.(2010年 - 不明)
共同作業者 DJ PMX(DS455)、Kayzabro(DS455)、BIG RON、TWO-J、Tigger(旧・大地 [DAICHI])、Gipper、HI-D、DJ☆GO、CORN HEAD、SPHERE(旧・Sphere of Influence)、K-SIDE MAFIA、RIMAZI、LADYCAT、DJ Multi Plier Sync.、YOU THE ROCK★、MOGURA etc.
公式サイト [1]
旧メンバー S7ICKCHICKs

概要[編集]

SYK(エスワイケー、サヤカ、11月8日 - )は、日本R&Bヒップホップ界で活動するシンガーソングライターラッパー神奈川県横浜市出身。本名、年齢、生年月日は非公開である。日本語英語スペイン語フランス語を話すマルチリンガル

元HOOD SOUND INC.(ヒップホップユニット「DS455」が設立した音楽プロダクション)所属。通称は「とRAPの二刀流」「HIPHOP DIVA(ヒップホップ・ディーヴァ)」「ネオギャル」など。現在、表舞台での活動は休止中。

来歴[編集]

幼少時代[編集]

幼少の頃から、やピアノなど音楽と触れ合う環境に育ち、物心ついた頃には地元のカラオケ大会に出場し、賞を受賞するなど、早くから歌の才能を開花していた。一人っ子だったこともあり、その頃から歌はかけがえのない親友で、家では常にアドリブの歌詞メロディーで、歌を歌っていたという。

小学校の頃から、パソコンで毎日作詞し、想いを歌詞に投影することで自己表現をしていた。初めてインストに自作の詞とメロディーを乗せ、自ら機材でレコーディングをしたのは若干10歳の頃。

12歳の頃にはマライア・キャリーに魅了され、世界に通用する歌姫を目指すべく、本場アメリカ合衆国ニューヨークでの音楽活動に憧れを抱くようになる。小学校高学年には、歌とダンスの練習や作詞作曲に明け暮れ、中学生の頃にホリプロの養成所に入所。歌のレッスンに限らず、俳優船越英一郎をはじめ、複数インストラクターから演技やダンスの指導を受ける。

高校時代[編集]

高校時代は、軽音学部の部長兼R&Bバンドのボーカルとして3年間活動し、ライブ活動を行う。

入学当時からピンクの髪色で、ブラックミュージックへの情熱やリスペクトから、バンダナパーカー姿で登校したり、米R&B界の歌姫ビヨンセ(Beyonce)への憧れから、ブレイズやスパイラルヘアーにイメチェンしたりと、異彩を放っていた。

そのため、クラスのいじめの対象となり、授業にはあまり出席しなくなったが、部活やライブは絶対に休まないと決めており、3年間皆勤賞だったという。朝練と放課後練がある日は、こっそり部室に残って、曲の制作やステージングの練習、ギターベースの練習をして過ごしていたと、のちに本人が述べている。

放課後は、ダンススクールに通ってダンスレッスン(ヒップホップダンスブレイクダンスロックダンス)に明け暮れる傍ら、スタジオまでデモ音源を録りに通っては、音楽レーベルに送っていた。2003年には、ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)のオーディションで、約7,000人の中からファイナリスト16組に選出され、短期契約を結ぶ。同期には清水翔太May J.松井絵里奈BRIGHTなど。

2003年、デモ音源をレコーディングする習慣がなくなったことを機に、「受け身にならずに何かをがんばりたい」と考えたときに、「リアルなシンガーになるために現場で経験を積みたい」「MC(トーク)やステージングのスキルを磨きたい」との思いが湧き、渋谷クラブでシンガー活動を本格始動する。当時は未成年かつ女子高生であったことから、夕方からのデイイベントに出演しており、放課後はほぼ神奈川の高校と渋谷を行き来していた。

当初はMCやステージングの練習のつもりだったが、その後、ステージで歌う気持ち良さや、ファンたちとリアルに交流できる喜びに魅了され、2020年まで17年もの間、全国各地のクラブでライブ活動を行った。

NYに渡米[編集]

人物像[編集]

日本語英語スペイン語フランス語を話すマルチリンガル。本人いわく、英語は流暢だが、スペイン語とフランス語は日常会話レベル。

・17年間クラブ活動を行っていたにも関わらず、お酒がまったく飲めず、イベントでもアルコールは一切飲まない。元々笑い上戸でテンションが高いため、シラフだと気づかれないことも少なくない。

・見た目や生活の派手さやフレンドリーな性格から、パリピだと思われることも多いが、本人いわく「クラブや飲みの場は、得意な方ではない」とのこと。過呼吸持ちで人混み騒音が苦手なため、クラブではトイレにこもっていることも多い。隠れ人見知り

・基本的に気が弱く、負の感情は「」よりも「」に出やすいため、「イキれるのはラップ人格の時だけ」と明かしている。また、「ラップではとことん性格を悪く見せたい」とも明かしており、ゲームのネタを織り込んで茶化したり、ギャグを取り入れながら皮肉ったりすることにこだわっているとのこと。

・本人いわく、ライブ前の数時間は余裕がなく、イヤホンで1人の世界にこもってライブの練習をしていないと落ち着かない。ライブ中はドーパミンが分泌されてテンションが上がるが、ライブ前は胃痛、ライブ後は頭痛であることがほとんど。そのため、ライブ後にファンと交流中に、「ライブのときとギャップがある」「もっとキツイ性格かと思った」と言われることも少なくない。

・座右の銘は「知識と経験は人生の資産」(本人の造語)。初めて訪れたニューヨークで視野が広がり、多角的な視点を持つことの大切さに気づく。父親の死をきっかけに、「一度きりの人生。後悔はしたくない」と思うようになり、まだ見ぬ景色や文化、価値観に出会うため、アメリカに限らず多くの国々を旅している。

・「グローバルに学び、グローバルに働き、グローバルに旅をする」がモットーで、世界の文化、言語、情勢を学ぶことが好きである。「多種多様な価値観を知り、良い習慣や考え方を自分に取り入れる(良いとこ取りをする)ことで、自分自身を高めている」と語っている。

・現在は、表舞台での活動を休止しており、IT/Web業界のAI(人工知能)・SEO分野で個人事業主として従事する傍ら、アメリカの大学で経営学を履修している。また、をはじめ、自然動物をこよなく愛しており、開発途上国に住んでいる子どもや、貧困や不衛生な環境に苦しんでいる人々への寄付や、イルカウミガメなどの海の生物や野生動物を救う活動への支援、自然環境保全活動への支援なども精力的に行っている。

AbemaTVの『NEWS RAP JAPAN』出演時に披露した『ヤリチン撲滅ラップ』は、当時大切な友だちが男の人に遊ばれてたことや、自分自身も派手な見た目であることから、浮気や一夜の恋をしたことがないにも関わらず「絶対チャラい」と思われたり、英語を独学で習得したことを信じてもらえず「外国人と遊びまくってたんでしょ」と茶化されたり、といった長年の経験が爆発して生まれた。当時、本人は下ネタに抵抗があったが、あえてディスの対象であるチャラ男たちの武器である下ネタを使うことで反発した。そのため、同動画がバズった当初は、「ヤリチン」という言葉をSNS上で使用することにも抵抗があり、「」などで伏せたり、「ヤリ撲」と略したりと、オブラートに包んでいたという。しかし、あまりのバズりように限界を感じ、今では堂々とそのワードを使えるまでに「成長した」と本人は述べている。

親はショット・バーを経営していて、そこではいつもマーヴィン・ゲイダイアナ・ロスの楽曲が流れていた。幼稚園からアメリカンスクールに通う。幼少の頃からピアノやアルト・サックスのレッスンを受ける。ミュージカルへの出演、アルト・サックス奏者としてジャズ・バンドに抜擢された経験を持つ。1994年、在学時に大手芸能事務所からスカウトされ、アメリカ合衆国デトロイトキース・ジョンによるボーカルレッスンを受けた。

2004年より横浜を拠点にインディーズレーベルでの音楽活動を本格始動させる。横浜、横須賀市などのクラブで活動し、ヒップホップユニットLGY(現・LGYankees)の楽曲のバックコーラスに参加する。フィーチャリング・ヴォーカリストとして数々の作品に参加し、CDデビュー前から着うたサイトで「Last Song」がヒットするなど、日本のR&Bシーンにおいて次第にその名が浸透。

2008年5月28日DS455らに見出され、アルバム『Candy Girl』でCDデビュー。インディーズ・レーベルからのデビュー作ながらもオリコンチャートで9位を獲得し、話題となった。インディーズのデビュー作品が総合チャートでトップ10入りし初登場するのは、当時初のことであった。同作の累計売上は5万枚(2008年8月時点)。同年8月22日に1枚目のシングル『Last Song〜secret of my heart〜』が発売された。同作の累計売上は1.4万枚(2009年4月時点)。

2009年4月8日、2枚目のシングル『RAIN OF TEARZ/GIRLICIOUS feat.DJ☆GO』が7日付けのデイリーチャートで初登場6位、初動売上は2000枚。同年10月に発売されたアルバム『Trurh』は、シングル・アルバム通じ3作目のオリコントップ10入りを記録。しかし同年10月29日の自身のブログで、自身のポリープができたことを告白。治療に専念するため、予定の入っていたライブも全てキャンセルし、活動休止することが発表された。そして11月9日の本人のブログで活動再開が伝えられた矢先の12月、自宅にケタミンを所持しているのが見つかり、麻薬及び向精神薬取締法違反容疑で神奈川県警察逮捕される。「ビルボード・ジャパン・ミュージック・アワード2009」の最優秀インディーズアーティスト賞にノミネートされている中(のちに辞退)での逮捕となった。また、逮捕により本名と国籍が初めて明かされた。

2010年2月15日に横浜地裁で初公判が行われ、起訴事実を全面的に認めた。検察側は懲役1年を求刑、即日結審した。杉山正明裁判官は「うつ病だったなど同情すべき点がある」として懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。詩音はの調子が悪く思うように歌えず苦悩していたと述べ、2009年10月発売のアルバム『Truth』が自身最高の7位を記録したときも「これが最後だ」と思い込み自殺未遂を図るなど自暴自棄になっていたことを告白した。今後について、事件を受け事務所からは解雇されたが、「もし待ってくれる人がいるのなら、また歌いたい」と涙ながらに語っていた。

2011年9月13日、歌手としての活動を再開することを発表。

2012年夏、3年間の活動休止を経てユニバーサルJよりレーベル移籍第1弾配信シングル「distance」を発表。同10月には、メジャー・デビュー・シングル「again」をリリースした。

2013年1月、約4年ぶりのアルバム『AFTER THE RAIN』を発表。同6月、初となるベスト『ALL TIME BEST -BAYSIDE DIVA STORY-』をリリース。

2015年7月、モデルのほずにゃむミュージックビデオに迎えた新曲「distance」を発売。翌2013年には、歌手のGACKT、およびタレントのルー大柴とともに雑誌『小悪魔ageha』にゲスト登場、同誌のモデルにあたる愛沢えみりとの対談が注目を集めるなどしている。

2020年4月、ラッパーのGADOROミュージックビデオに迎えた新曲「茉莉花」をyoutubeで発表。ちなみに詩音がフィーチャリングを担当したMr.Low-Dの曲「Back Love」の「月明かりのもとグラスは2つ」のフレーズをGADOROがこの曲でサンプリングしている(少しフレーズは変わっている)。

経歴[編集]

SYKは〇〇年にデビューし、その後数々のシングルとアルバムをリリースしている。彼女の音楽はR&BとHIPHOPの融合であり、独自のスタイルを確立している。

SYK(歌手)[編集]