利用者:OKfarm/作業11
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
第50回皐月賞(GI) | |
---|---|
開催国 | 日本 |
主催者 | 日本中央競馬会 (JRA) |
競馬場 | 中山競馬場 |
施行年 | 1990年 |
施行日 |
4月15日(日) 2回中山3日目 |
距離 | 芝2000m |
格付け | GI |
賞金 |
1着賞金8300万円(本賞金) 591万7100円(付加賞) |
出走条件 | 内国産サラ系4歳(牡,牝) |
負担重量 | 57kg(牝馬2kg減) |
出典 | [1] |
施行時刻 | 15時35分 |
天候 | 曇 |
馬場状態 | 良 |
優勝馬 | ハクタイセイ |
優勝騎手 | 南井克巳(栗東) |
優勝調教師 | 布施正(栗東) |
優勝馬主 | 渡辺重夫 |
優勝生産者 | 土田農場(北海道三石町) |
第50回皐月賞は、1990年4月15日に中山競馬場で行われた競馬の競走である。ハクタイセイが優勝した。
前哨戦の結果
[編集]皐月賞の出走可能頭数は18頭である。弥生賞とスプリングステークスは上位5頭までに優先出走権を与えるトライアル競走に指定された。
きさらぎ賞
[編集]着順 | 番 | 競走馬名 | 性齢 | 騎手 | 斤量 | タイム | 着差 | 単勝オッズ | 人気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1着 | 3 | (父)(市)ハクタイセイ | 牡4 | 須貝尚介 | 56 | 2:04.1 | 2.7 | 1 | |
2着 | 1 | (市)コガネタイフウ | 牡4 | 田原成貴 | 56 | 2:04.3 | 1馬身1/4 | 5.6 | 2 |
3着 | 6 | ナリタハヤブサ | 牡4 | 武豊 | 56 | 2:04.9 | 3馬身1/2 | 5.8 | 3 |
天候:曇、馬場状態:不良[2] |
第30回きさらぎ賞(NHK賞)(GIII)は、2月11日に阪神競馬場で行われた[注釈 1]。
1番人気はハクタイセイだった。未勝利戦以降シクラメンステークス(OP)、若駒ステークス(OP)と4連勝中の身であったが「裏街道」を進んでおり[3]、布施調教師は「メンバーの弱いところを勝ってきたんだ[3]」としていた。続く2番人気にはコガネタイフウ、阪神3歳ステークス(GI)を勝利し西の3歳王者であった。以下、格上挑戦のナリタハヤブサ、阪神3歳ステークス2着のダイタクヘリオス、札幌2歳ステークス(GIII)を勝利したインターボイジャーなどが上位人気に推された。レース前には、ハクタイセイの左前肢が落鉄が判明し、発走時間が2分遅れた[4]。
不良馬場の中、9番人気のグレートベエストが逃げる展開となった。一方ハクタイセイに騎乗する須貝が「これからのこと」を考慮して無理に逃げず、4番手に控えるという判断を下した[3]。同じく先行勢には、ダイタクヘリオスやインターボイジャー。コガネタイフウは9番手に位置した[2]。
第3コーナーでダイタクヘリオスが先頭となり、ハクタイセイがそれをマーク、さらにコガネタイフウがいた。最終コーナーにかけて、ダイタクヘリオスにハクタイセイが並びかけ、直線コースで外から追い上げるコガネタイフウを振り切り1馬身4分の1差を離して先頭で入線した[3]。最終コーナーを6番手で通過したナリタハヤブサは、追い上げるも3着、人気通りの決着となった[2]。
ハクタイセイは、「表街道」である重賞に初めて参戦して勝利し、5連勝で「クラシック最有力候補」に挙げられるようになった[3]。須貝は「自信をもって、東上することができますね」とし、布施調教師はレース後「ぶっつけで皐月賞」と明言した[3]。
弥生賞
[編集]着順 | 番 | 競走馬名 | 性齢 | 騎手 | 斤量 | タイム | 着差 | 単勝オッズ | 人気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1着 | 14 | (父)メジロライアン | 牡4 | 横山典弘 | 55 | 2:05.4 | 5.7 | 2 | |
2着 | 1 | (父)(市)ツルマルミマタオー | 牡4 | 河内洋 | 55 | 2:05.5 | 1/2馬身 | 17.2 | 7 |
3着 | 3 | (父)(市)ホワイトストーン | 牡4 | 柴田政人 | 55 | 2:05.6 | 1/2馬身 | 13.8 | 5 |
4着 | 8 | アイネスフウジン | 牡4 | 中野栄治 | 55 | 2:05.8 | 1馬身1/4 | 1.9 | 1 |
5着 | 12 | (父)ニチドウサンダー | 牡4 | 増井裕 | 55 | 2:05.8 | ハナ | 15.4 | 6 |
9着 | 5 | (父)(市)プリミエール | 牡4 | 杉浦宏昭 | 55 | 2:07.2 | 6.1 | 3 | |
12着 | 10 | ワイルドファイアー | 牡4 | 中舘英二 | 55 | 2:08.0 | 20.9 | 9 | |
天候:曇、馬場状態:良[5][6] |
第27回報知杯弥生賞(GII)は、3月4日に中山競馬場で行われた。
朝日杯3歳ステークス(GI)を制し、JRA賞最優秀3歳牡馬に輝いたアイネスフウジンが1.9倍の1番人気、単枠指定となるほど人気が集中した[5]。4歳始動戦となった共同通信杯4歳ステークス(GIII)を3馬身差で勝利し、未勝利戦から3連勝中であった。続く2番人気のメジロライアンは5.7倍であった。3歳末の条件戦を勝利したのち、弥生賞、皐月賞と中山2000メートルのジュニアカップ(OP)を優勝、2連勝中であった。そのジュニアカップで1.4倍の1番人気ながらアタマ差の2着に敗れたプリミエールが、6.1倍の3番人気であった。ホープフルステークス(OP)、葉牡丹賞と中山2000メートルで2連勝の経験を持っていた。その他、京成杯(GIII)2着のホワイトストーン、阪神3歳ステークス3着のツルマルミマタオー、シンザン記念(GIII)を勝利したニチドウサンダーなど14頭が出走した[7]。
不良馬場の中、アイネスフウジンが先頭で逃げ、
残り200メートル地点にてアイネスフウジンが失速、それをメジロライアンが内からかわして先頭となった。外から追い込んだツルマルミマタオーを半馬身振り切り、決勝線を通過した[7]。騎乗した横山典弘は、入線直前に右手でガッツポーズを行った[7]。生産したメジロ牧場場長の武田茂男は、「きょうのようなレースができるなら皐月賞もじゅうぶん狙えると思います〔ママ〕」とし、血統的に東京優駿(日本ダービー)や菊花賞など長い距離が適していることから、クラシック三冠について「皐月賞を勝ったら、まじめに色気が出ます」とコメントを残していた[7]。
後退したアイネスフウジンが4着、3番人気プリミエールは9着に敗退した。5着ニチドウサンダーまでの上位5頭に皐月賞の優先出走権が与えられた[5]。
スプリングステークス
[編集]着順 | 番 | 競走馬名 | 性齢 | 騎手 | 斤量 | タイム | 着差 | 単勝オッズ | 人気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1着 | 4 | アズマイースト | 牡4 | 菅原泰夫 | 56 | 1:48.9 | 10.0 | 3 | |
2着 | 9 | ナリタハヤブサ | 牡4 | 武豊 | 56 | 1:49.7 | 5 | 12.0 | 5 |
3着 | 5 | (父)イタリアンカラー | 牡4 | 横山典弘 | 56 | 1:49.8 | 3/4 | 14.5 | 6 |
4着 | 11 | サクラアサヒオー | 牡4 | 小島太 | 56 | 1:50.3 | 3 | 6.4 | 2 |
5着 | 12 | (父)バンダイロード | 牡4 | 的場均 | 56 | 1:50.7 | 2.1/2 | 78.9 | 12 |
6着 | 6 | (市)ストロングクラウン | 牡4 | 増沢末夫 | 56 | 1:50.8 | 1/2 | 1.7 | 1 |
7着 | 1 | ダイカツリュウセイ | 牡4 | 柴田善臣 | 56 | 1:50.9 | クビ | 39.1 | 10 |
天候:晴、馬場状態:良[8] |
第39回フジテレビ賞スプリングステークス(GII)は、3月25日に中山競馬場で行われた。
ストロングクラウンが、1.7倍の1番人気に支持され、単枠指定となった[9]。新馬戦、ヒヤシンスステークス[注釈 2]と単勝オッズ1倍台の1番人気に応えて、2連勝。続く6.4倍の2番人気は、サクラアサヒオー、春菜賞(500万円以下)を勝利し3戦2勝であった。以下、芝2戦目の1勝馬アズマイースト、新馬戦から芝ダートで2連勝のシンボリガルーダ、ペガサスステークス(GIII)2着のナリタハヤブサ、ダート3戦2勝2着1回などが上位人気でに推された。
ダイタクヘリオスとストロングクラウンがハナ争いを行い、2頭は後方との差を広げた[9]。差が開いた3番手にアズマイースト、4番手にシンボリガルーダ、サクラアサヒオーは12番手に位置。前2頭は1000メートルを57秒9という速いペースとなった[9]。前2頭が千切って逃げるため、3番手のアズマイーストが「逃げ」のような形となった[9]。
直線に入ると、逃げる2頭が失速した[9]。代わってアズマイーストが抜け出し「けた違いの"脚"」を見せ、追い上げるナリタハヤブサ、イタリアンカラーらとの差を広げた[9][10]。アズマイーストは後方に5馬身離したまま、先頭で決勝線を通過した。1分48秒9の走破タイムは、レースレコードを更新[9]。また1962年優勝のカネツセーキ以来37年ぶりとなる5馬身差以上の勝利となり、レース史上初となる1勝馬による連対を果たした[9]。騎乗した菅原泰夫は、「1800メートルよりも、距離が伸びた皐月賞の2000メートル向き」とのコメントを残した[9]。
2着はナリタハヤブサ、3着はイタリアンカラー。サクラアサヒオーは3着から3馬身離された4着、逃げたストロングクラウンは6着、ダイタクヘリオスは11着だった[8]。5着バンダイロードまで上位5頭に皐月賞への優先出走権が与えられた[11]。
毎日杯
[編集]着順 | 番 | 競走馬名 | 性齢 | 騎手 | 斤量 | タイム | 着差 | 単勝オッズ | 人気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1着 | 15 | キーミノブ | 牡4 | 村本善之 | 56 | 2:03.6 | 4.4 | 3 | |
2着 | 12 | ロングアーチ | 牡4 | 河内洋 | 55 | 2:03.9 | 2馬身 | 22.6 | 10 |
3着 | 14 | シンボリデーバ | 牡4 | 田島良保 | 55 | 2:04.0 | 1/2馬身 | 4.1 | 2 |
7着 | 9 | シュバリエ | 牡4 | 田面木博公 | 55 | 2:04.8 | 21.7 | 8 | |
9着 | 2 | (父)ニチドウサンダー | 牡4 | 増井裕 | 56 | 2:05.3 | 3.2 | 1 | |
天候:晴、馬場状態:良[12] |
第37回毎日杯(GIII)は、3月25日に阪神競馬場で行われた。
1番人気には、弥生賞(前述)5着からの参戦となるニチドウサンダー。続く2番人気には、条件戦勝利から臨むシンボリデーバであった。3番人気は、未勝利戦から3連勝でペガサスステークスを勝利したキーミノブ。ここまでが一桁台のオッズに支持され、16頭立てとなった。10番人気ロングアーチは、南井克巳が騎乗予定だったが、前日の第7競走で落馬負傷のため河内洋に乗り替わって参戦となった[13]。
スタートから、ニチドウサンダーが飛び出して逃げ、ロングアーチが中団6番手につけ、その後ろにはキーミノブが位置。シンボリデーバは後方待機を選択した[14]。向こう正面を経て第3コーナーに入ると、逃げるニチドウサンダーが減速、最終コーナーでは「トモを滑らせ」て後退した[14]。一方先行していたキーミノブは、ニチドウサンダーの内を突いて伸び、馬場の良い外に移動しながら後続を2馬身離して勝利した[14][15]。キーミノブは重賞2連勝を含む4連勝となった[14]。管理する日迫良一調教師は、道中で折り合いがついたことに「ダービーの2400メートルでも大丈夫」とし、「この道50年にして初めてクラシックを狙える馬に巡り合えた」と談話を残した[14]。
出走馬
[編集]トライアル競走で上位5頭となり、優先出走権を獲得した計10頭の内、イタリアンカラー以外の9頭が参戦した。
その他、獲得賞金順による出走を決めたのは、毎日杯、ペガサスステークスと連勝したキーミノブ、ペガサスステークスで落馬による競走中止ととなったGI優勝馬コガネタイフウ、新潟2歳ステークス勝利のダイカツリュウセイという重賞優勝馬に加え、クロッカスステークス勝利のフタバアサカゼなどが参戦。
出走可能頭数を超える出馬申込があったため、獲得賞金下位から、いちょうステークス勝利や朝日杯3歳ステークスで1番人気に支持されたカムイフジ、ホワイトアローなど7頭が除外され、出走可能頭数上限の18頭となった。
枠順
[編集]枠番 | 馬番 | 競走馬名[16] | 性齢 | 騎手 | 斤量
[kg] |
調教師 | 単勝人気 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
オッズ | 人気 | |||||||
1 | 1 | ワイルドファイアー | 牡4 | 中舘英二 | 57 | 加藤修甫 | 77.7 | 14 |
2 | アイネスフウジン | 牡4 | 中野栄治 | 57 | 加藤修甫 | 4.1 | 1 | |
2 | 3 | (父)(市)ホワイトストーン | 牡4 | 柴田政人 | 57 | 高松邦男 | 17.4 | 9 |
4 | (市)コガネタイフウ | 牡4 | 柴田善臣 | 57 | 中村好夫 | 30.3 | 12 | |
3 | 5 | アズマイースト | 牡4 | 菅原泰夫 | 57 | 仲住芳雄 | 8.2 | 5 |
6 | (父)(市)プリエミネール | 牡4 | 杉浦宏昭 | 57 | 二本柳俊夫 | 28.9 | 11 | |
4 | 7 | (父)キーミノブ | 牡4 | 村本善之 | 57 | 日迫良一 | 11.7 | 6 |
8 | (市)ストロングクラウン | 牡4 | 増沢末夫 | 57 | 元石孝昭 | 14.3 | 7 | |
5 | 9 | シュバリエ | 牡4 | 田面木博公 | 57 | 高松邦男 | 89.4 | 16 |
10 | フタバアサカゼ | 牡4 | 蛯沢誠治 | 57 | 成宮明光 | 147.6 | 18 | |
6 | 11 | サクラアサヒオー | 牡4 | 小島太 | 57 | 境勝太郎 | 21.4 | 10 |
12 | (父)(市)ツルマルミマタオー | 牡4 | 河内洋 | 57 | 橋口弘次郎 | 7.0 | 4 | |
7 | 13 | (父)メジロライアン | 牡4 | 横山典弘 | 57 | 奥平真治 | 5.0 | 2 |
14 | (父)バンダイロード | 牡4 | 的場均 | 57 | 相川勝敏 | 103.8 | 17 | |
15 | (父)(市)ハクタイセイ | 牡4 | 南井克巳 | 57 | 布施正 | 5.6 | 3 | |
8 | 16 | ダイカツリュウセイ | 牡4 | 岡部幸雄 | 57 | 中村好夫 | 68.0 | 13 |
17 | ナリタハヤブサ | 牡4 | 武豊 | 57 | 中尾謙太郎 | 16.6 | 8 | |
18 | (父)ニチドウサンダー | 牡4 | 増井裕 | 57 | 白井寿昭 | 83.3 | 15 |
レース展開
[編集]逃げ宣言をしていた2番アイネスフウジンだが、ゲート左隣の3番ホワイトストーンが発馬直後に右に斜行する。それを受けて、鞍上の中野栄治はバランスが失われる不利を受ける発馬となってしまった。それから巻き返して先手を主張したものの、10番フタバアサカゼがハナを奪い「捨て身」の逃げを見せた[17]。
最終コーナーに差し掛かると、逃げるフタバアサカゼをアイネスフウジンがかわし先頭となる。そのアイネスフウジンを狙って内外から一団で追い上げていった[17]。
競走結果
[編集]着順 | 馬番 | 競走馬名[18] | タイム[18] | 着差[18] | 単勝人気 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 15 | ハクタイセイ | 2:02.2 | 3 | |
2 | 2 | アイネスフウジン | 2:02.2 | クビ | 1 |
3 | 13 | メジロライアン | 2:02.5 | 1.3/4 | 2 |
4 | 4 | コガネタイフウ | 2:02.5 | ハナ | 12 |
5 | 18 | ニチドウサンダー | 2:02.6 | 1/2 | 15 |
6 | 7 | キーミノブ | 2:02.9 | 2 | 6 |
8 | ストロングクラウン | 7 | |||
8 | 3 | ホワイトストーン | 2:03.0 | 1/2 | 9 |
9 | 12 | ツルマルミマタオー | 2:03.1 | 3/4 | 4 |
10 | 16 | ダイカツリュウセイ | 2:03.1 | アタマ | 13 |
11 | 5 | アズマイースト | 2:03.2 | クビ | 5 |
12 | 17 | ナリタハヤブサ | 2:03.3 | 1/2 | 8 |
13 | 11 | サクラアサヒオー | 2:03.5 | 1.1/2 | 10 |
14 | 6 | プリミエール | 2:03.6 | 1/2 | 11 |
15 | 9 | シュバリエ | 2:03.8 | 1 | 16 |
16 | 1 | ワイルドファイアー | 2:04.0 | 1.1/4 | 14 |
17 | 14 | バンダイロード | 2:04.1 | クビ | 17 |
18 | 10 | フタバアサカゼ | 2:04.6 | 3 | 18 |
発走直後、コース内側に斜行したホワイトストーンに騎乗した柴田政人には「注意義務を怠った」として過怠金2万円が課せられた。
競走に関するデータ
[編集]ハロンタイム[19] | 12.6 - 11.5 - 11.6 - 12.6 - 11.9 - 12.0 - 12.4 - 12.7 - 12.0 - 12.9 |
1000m通過タイム | |
上がり4ハロン[18] | 50秒0 |
上がり3ハロン[18] | 37秒6 |
上がり3ハロン最速[19] | 36秒7(メジロライアン) |
優勝馬上がり3ハロン[20] | 36秒9 |
払い戻し
[編集]単勝[18] | 15 | 560円 | 3番人気 |
複勝[18] | 15 | 180円 | 2番人気 |
2 | 160円 | 1番人気 | |
13 | 180円 | 3番人気 | |
枠連[18] | 1-7 | 610円 | 1番人気 |
達成された記録
[編集]- 管理する布施正調教師は、1982年のバンブーアトラス(東京優駿)1989年のバンブービギン(菊花賞)に続く皐月賞勝利となり、史上7人目の三冠トレーナーとなった。
- 父ハイセイコーは、1973年の皐月賞を制覇している。その17年後に産駒が勝利し、史上3組目の皐月賞父仔制覇を達成した[注釈 3]。
参考文献
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 京都競馬場の改修のため阪神競馬場での開催。
- ^ 東京競馬場芝1400メートル、4歳限定のオープン競走
- ^ 1983年ミスターシービー(父:1976年トウショウボーイ)、1985年ミホシンザン(父:1964年シンザン)。
出典
[編集]- ^ 『優駿』1990年6月号 136頁
- ^ a b c “きさらぎ賞|1990年02月11日 | 競馬データベース - netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2021年3月6日閲覧。
- ^ a b c d e f 『優駿』1990年4月号 138頁
- ^ 『優駿』1990年4月号 139頁
- ^ a b c 『優駿』1990年5月号 131頁
- ^ “報知杯弥生賞|1990年03月04日 | 競馬データベース - netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2021年3月6日閲覧。
- ^ a b c d 『優駿』1990年5月号 130頁
- ^ a b “フジTVスプリングS|1990年03月25日 | 競馬データベース - netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2021年3月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『優駿』1990年5月号 148頁
- ^ 『優駿』1990年5月号 98頁
- ^ 『優駿』1990年5月号 148頁
- ^ “毎日杯|1990年03月25日 | 競馬データベース - netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2021年3月6日閲覧。
- ^ 『優駿』1990年5月号 151頁
- ^ a b c d e 『優駿』1990年5月号 150頁
- ^ 『優駿』1990年5月号 99頁
- ^ “皐月賞|1990年04月15日 | 競馬データベース - netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2021年3月7日閲覧。
- ^ a b 『優駿』1990年5月号 6頁
- ^ a b c d e f g h “JRAホームページ|データファイル|競走成績データ”. www.jra.go.jp. 2021年3月7日閲覧。
- ^ a b “皐月賞|1990年04月15日 | 競馬データベース - netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2021年3月5日閲覧。
- ^ “ジャパンカップ|1990年11月25日 | 競馬データベース - netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2021年3月2日閲覧。
外部リンク
[編集]- netkeiba.com - 第27回報知杯弥生賞(GII)