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利用者:Omotecho/sandbox/オセアニア史

オセアニアの地図。ポリネシア、ミクロネシア、メラネシア、マレーシアの各地域を含む。(1852年、JG Barbie du Bocage作)
マオリ人のウォーダンス(1850年頃、ニュージーランド)

オセアニアの歴史(オセアニアのれきし) にはオーストラリアニュージーランドパプアとニューギニア、 フィジーおよびその他の太平洋島しょを対象とする。

先史時代[編集]

先史時代、オセアニアの主要地域はそれぞれ独自の歩みを経ており、ポリネシアミクロネシアメラネシア、オーストララシアでは、初めて人類が暮らし始めた時期もオーストララシアの7万年前、ポリネシアの3,000年前と場所によって大きく異なる。

ポリネシア説[編集]

ポリネシアの人々は言語、考古学および人間の遺伝子の解析により、海を移動したオーストロネシア人の下部集団であると考えられる。ポリネシアの言語の追跡により、起源は先史時代マレー諸島から究極は台湾にあると考えられる。紀元前3000年–1000年前、オーストロネシア語族の話者は台湾から島東南アジアへ広がり始め[1][2][3]、従来は中国南部からおよそ8,000年前にミクロネシアからメラネシアの西端に到着したと考えられてきた。現在の中国や台湾の大部分を占める漢民族とは異なる先住民である。太平洋に拡散した人類のポリネシア到達には説が3つあり、カイザー Kayser 等 (2000年) [4]の概説は以下のとおりである

  • 急行列車モデル (紀元前3000年から1000年頃):台湾からフィリピンおよびインドネシア東部を経由し、そして遅くとも紀元前およそ1400年にはニューギニア北西部 (「 鳥の頭 」) から島メラネシアへ拡散し、ポリネシア西部の島々には紀元前900年頃に行き着く。この説は現代人の遺伝子データや言語分析、考古学資料の大部分に裏付けされる。
  • 入り組んだ土手モデル:この説はポリネシア人の始祖として、長い年月をかけてオーストロネシア語話者と島東南アジア先住民およびメラネシア人とのあいだに遺伝子と文化の相互作用が働いたと強調する。
  • 手漕ぎ船モデル:急行列車モデルに似てい先住民と遺伝子や文化、言語の混交が見られるものの、メラネシアでの滞留時期が長い。カイザー Kayser 等 (2000年) の Y 染色体分析で立証されポリネシア人の Y 染色体のハプロタイプは3種すべて、メラネシアに遡ることができる[5]

ミクロネシア説[編集]

Mミクロネシアに人が移住してきたのは数千年前とされ、最初はいつごろか、初めて渡ってきた人々は誰か、諸説がある[6]。島の面積や住居の配置、あるいは降雨による遺跡の傷みが島々で行う考古学調査を困難にしている。そこで言語の分析による調査が試みられてきた[7]。最古の文明のなごりはサイパン島で発掘された紀元前1500年前かその少し前と考えられる[8]

ミクロネシア人の先祖は4,000年前にサイパンに到着し、ゆるく連携した酋長制度から、やがて中央集権的な経済活動と宗教儀式がヤップ島およびポンペイ島で発展する[9]。ヤップ島などの先史時代文明はまだわかっていないことが多い[10]

ナンマトルの中心部
シャウテレウル王朝が都をおいたナンマトル

ポンペイ島は植民される以前に3つの歴史時代があった。草創期は人々が社会を形成する時期で1100年前に始まり時代ごとに Mwehin Kawa あるいは Mwehin Aramas と呼ばれる。シャウテレウル王朝英語版は「デリューの王 Sau Deleur の治世」Mwehin Sau Deleur といい西暦1100年前後[11]から1628年にわたるとされ[note 1]、1628年ころから1885年頃を酋長 tribal chief の治世 (Mwehin Nahnmwarki と呼ぶ[12][15]

ポンペイで語られた伝承では、島外に起源のあるシャウテレウル王朝の支配層がポンペイ島に最初の政府を置いた。中央集権のこの王朝が敷いた圧政に何世代も苦しんだという。あれこれ面倒な要求をするばかりか、ポンペイの先住民の信仰を軽んじたことからポンペイ人の強い反感を買い、ポンペイの神々を怒らせたという評判がたつ。やはり外来の勢力で半ば神話的な人物のイソケレケル英語版に攻められたシャウテレウル王朝は滅び、後継の為政者は統制をゆるめて部族制を取り入れると社会のあり方にも反映され、現代まで引き継がれる[17][18][19]。イソケレケルは現代のポンペイ島の人々の始祖と言われている[17][20]ナンマトル玄武岩柱状節理を用いた巨大な構造物をさし、紀元1200年ころにポンペイ島で始まる。最初はチェムェン島英語版に築かれ、人工の小さな島をいくつも運河で結んだ姿は「太平洋のヴェニス」と形容される。儀式を行い、あるいは政治の中心としてシャウテレウル王朝英語版がおよそ2万千人のポンペイの人々を束ねて統治し、やがてイソケレケルに滅ぼされる[19]。イソケレケルの血筋を引く人々がポンペイを放棄するのは後のことである[15]

上記とは別のルートをたどり、北マリアナ諸島からこの地域に船で渡ってきた人々があった。時期は紀元前4000年から同2000年ころであり、東南アジア起源であるという。オーストロネシア語族のひとつチャモロ語を話す人々はチャモロと呼ばれ、巨石の遺構をいくつも残し、そのひとつがラッテ・ストーンである。1800年代にカロリン諸島から Refaluwasch あるいはカロリン諸島人がマリアナ諸島に到達する。やがて紀元前2000年にだんだんミクロネシアに参入し、マーシャル諸島に定住した入植者は島から島へ船で渡るために椰子の枝を括り合わせた「小枝の海図」 (en) を利用していた[21]

メラネシア説[編集]

メラネシア人の移住と拡散

5万年から3万年前に最初の人類がオーストラリアからニューギニア、さらにその東にあった巨大な島に到達する。ヨーロッパではネアンデルタール人が反映していた時代である[22]。現在、まとめてメラネシアと呼ぶ島々の先住民となる人々は、おそらくは現在のパプア諸語話者の祖先であろう。東南アジアに起源をもつ人々はしだいに東進してソロモン諸島の主島まで到達し、途中で en:Makira へ、また可能性としてはさらに東の小さな島まで達したといえる[23]

ニューギニア島の北あるいは東側の島々では、3000年以上前にその北側の海岸沿いに到達したオーストラリア人[22]が、先住していたパプア語話者の人々と接触する。20世紀後半の学界では、かなりの長期にわたり先住民と航海民の交流が続き、遺伝学的にも言語学的にも、あるいは文明にも複雑な流れが生じたという説が主張される[24] 。Kayser 等はポンペイ島近辺を起点としてごく少数 (のオーストロネシア語話者) の人々が東へと船出し、やがてポリネシアの人々の起源となる[25]

バヌアツの少年

しかしながら、この東漸説は新しい学説により覆される。2008年にテンプル大学が発表した遺伝子研究はゲノム解析を介して太平洋各地に住む人々から幅広く遺伝子マーカーを集め、メラネシア人にはポリネシア人あるいはポリネシア人のいずれの遺伝的関係も強く出なかったのである。むしろ後者2系統は東アジア、わけても台湾先住民との強い結びつきを示す[22]アウトリガーカヌーを発明した古代人(ポリネシア人の祖先)は東アジアを出発してメラネシアをわりあいに短期間に通過し、さらに東へ東へと進んでやがて定住したというシナリオが見える。メラネシアには遺伝的形質をほとんど残していないからである[22]

メラネシアとひとくくりにするが、テンプル大学の研究によると実に多様な遺伝的形質がこの一帯にはあるといい、島単位、言語単位、あるいは地勢や地理的条件の差によって分かれている。ポリネシア系の祖先がこの地域に到達する時代よりもはるかに古く、何万年という単位でこの地域に居住していたからこそ多様性が豊かであると考えられる。たとえば海岸部の人口分布は地域によって非常に多様で、谷に隔てられた山岳部と比べるとその違いは顕著である[22][26]

DNA 解析により20世紀末から新しい人種の判別ができるようになると、研究に新しい方向が開けた。2010年に発見されたデニソワ人の遺骨を研究したスバンテ・ペーボはメラネシア人の古代の祖先には、これらの新発見の人々とアジアで混血したと主張する。その証左として、ニューギニアの人々のゲノムは 4–6% がデニソワ人と共通であるという結果が示された[27]シベリアで発掘された化石を裏付けとして用いて、デニソワ人はネアンデルタール人の「いとこ」すなわち両方ともアフリカに起源があり、およそ40万年前、ネアンデルタール人はヨーロッパへ、デニソワ人はアジアへ進入したという学説が有力である。メラネシアの証拠から南アジアへ拡散したデニソワ人はやがて、メラネシア人の祖先になると解析された[27]

オーストラリア以外の先住民で肌の色が非常に濃く、さらにヨーロッパ圏を除くと唯一の金髪の人々がメラネシアの先住民にいる。

オーストロネシア説[編集]

オーストラリア亜大陸の先住民は近くの島々でも島民の祖先である[28]。およそ7万年前にアフリカからアジアへ移動し[29]、およそ5万年前にオーストラリアに到達する[30][31]クィーンズランド州北端とパプアニューギニアに近いトレス海峡の島々の先住民はトレス海峡諸島民である。英語で「アボリジニの」という呼称は伝統的にオーストラリア亜大陸本土およびタスマニア島の先住民アボリジニ、加えて近隣の限定された島々を加え、たとえば「first peoples」と呼ばれるトレス海峡島民も含めて総称する。

これまでに発掘された最古の人類の遺物はムンゴマンといい、およそ4万年前のものだが、オーストラリア先住民の祖先が到来した時期は研究者間で議論が分かれ、古くは12万5千年前にさかのぼる[32]。オーストラリアの先住民コミュニティや社会は非常に多様性に富み、文化の組み合わせや習俗、言語の組み合わせに大きな差異がある。現代のオーストラリアではそれぞれの集団が地域ごとにさらに細分化している[33]

関連項目[編集]

* [[Europeans in Oceania]] * [[History of Australia]] * [[History of Bougainville]] * [[History of New Zealand]] * [[History of Solomon Islands]] * [[History of the Pacific Islands]] * [[List of countries and islands by first human settlement]] * [[List of Oceanian cuisines]]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ シャウテレウル王朝はおよそ500年続く[12]。伝承によると1500年代に徐々に力を失ったという[13]が、考古学者は王朝の終焉期を1628年と位置付ける[14][15][16]

出典[編集]

  1. ^ Hage, P.; Marck, J. (2003). “Matrilineality and Melanesian Origin of Polynesian Y Chromosomes”. Current Anthropology 44 (S5): S121. doi:10.1086/379272. 
  2. ^ Kayser, M.; Brauer, S.; Cordaux, R.; Casto, A.; Lao, O.; Zhivotovsky, L.A.; Moyse-Faurie, C.; Rutledge, R.B. et al. (2006). “Melanesian and Asian origins of Polynesians: mtDNA and Y chromosome gradients across the Pacific”. Molecular Biology and Evolution 23 (11): 2234–44. doi:10.1093/molbev/msl093. PMID 16923821. https://repub.eur.nl/pub/63703. 
  3. ^ Su, B.; Underhill, P.; Martinson, J.; Saha, N.; McGarvey, S.T.; Shriver, M.D.; Chu, J.; Oefner, P. et al. (2000). “Polynesian origins: Insights from the Y chromosome”. PNAS 97 (15): 8225–28. Bibcode2000PNAS...97.8225S. doi:10.1073/pnas.97.15.8225. PMC 26928. PMID 10899994. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC26928/. 
  4. ^ Kayser, M.; Brauer, S.; Weiss, G.; Underhill, P.A.; Roewer, L.; Schiefenhövel, W.; Stoneking, M. (2000). “Melanesian origin of Polynesian Y chromosomes”. Current Biology 10 (20): 1237–46. doi:10.1016/S0960-9822(00)00734-X. PMID 11069104. 
  5. ^ Melanesian and Asian Origins of Polynesians: mtDNA and Y Chromosome Gradients Across the Pacific”. Anthrocivitas.net (2009年10月). 2014年1月23日閲覧。
  6. ^ Kirch 2001, p. 167.
  7. ^ Lal 2000, p. 62.
  8. ^ Kirch 2001, p. 170.
  9. ^ Background Note: Micronesia”. United States Department of State. 2012年1月6日閲覧。
  10. ^ Morgan, William N. (1988). Prehistoric Architecture in Micronesia. p. 30. ISBN 978-0-292-78621-9. https://books.google.com/books?id=B3Z-aH7govUC&printsec=frontcover&dq=%22micronesia%22#v=onepage&q=%22micronesia%22&f=false 
  11. ^ Flood, Bo; Strong, Beret E.; Flood, William (2002). Micronesian Legends. Bess Press. pp. 145–47, 160. ISBN 1-57306-129-8. https://books.google.com/books?id=IVVQ46epBqwC 2012年1月1日閲覧。 
  12. ^ a b Hanlon, David L (1988). Upon a Stone Altar: A History of the Island of Pohnpei to 1890. Pacific Islands Monograph. 5. University of Hawaii Press. pp. 13–25. ISBN 0-8248-1124-0. https://books.google.com/books?id=OzgF5vZByVoC 2012年1月1日閲覧。 
  13. ^ Cordy, Ross H (1993). The Lelu Stone Ruins (Kosrae, Micronesia): 1978–1981 Historical and Archaeological Research. Asian and Pacific Archaeology. Social Science Research Institute, University of Hawaii at Manoa. pp. 14, 254, 258. ISBN 0-8248-1134-8. https://books.google.com/books?id=hQMNAQAAMAAJ 2011年12月31日閲覧。 
  14. ^ Morgan, William N (1988). Prehistoric Architecture in Micronesia. University of Texas Press. pp. 60, 63, 76, 85. ISBN 0-292-76506-1. https://books.google.com/books?id=B3Z-aH7govUC 2011年12月31日閲覧。 
  15. ^ a b c Panholzer, Tom; Rufino, Mauricio (2003). Place Names of Pohnpei Island: Including And (Ant) and Pakin Atolls. Bess Press. pp. xiii, xii, 101. ISBN 1-57306-166-2. https://books.google.com/books?id=h2EWUggiuQIC 2011年12月31日閲覧。 
  16. ^ Micronesica. University of Guam. (1990). pp. 92, 203, 277. https://books.google.com/books?id=LgAcAAAAMAAJ 2011年12月31日閲覧。 
  17. ^ a b Ballinger, Bill Sanborn (1978). Lost City of Stone: The Story of Nan Madol, the "Atlantis" of the Pacific. Simon and Schuster. pp. 45–48. ISBN 0-671-24030-7. https://books.google.com/books?id=l6oSAQAAIAAJ 2011年12月31日閲覧。 
  18. ^ Riesenberg, Saul H (1968). The Native Polity of Ponape. Contributions to Anthropology. 10. Smithsonian Institution Press. pp. 38–51. https://books.google.com/books?id=JV-0AAAAIAAJ 2012年1月1日閲覧。 
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  20. ^ Goetzfridt, Nicholas J; Peacock, Karen M (2002). Micronesian Histories: An Analytical Bibliography and Guide to Interpretations. Bibliographies and Indexes in World History. Greenwood Publishing Group. pp. 3, 34–35, 102, 156–59. ISBN 0-313-29103-9. https://books.google.com/books?id=oqqdbU0tBvAC 2011年12月31日閲覧。 
  21. ^ Ratzel, Professor, Friedrich (1896). Book II, Section A, The Races of Oceania. The History of Mankind. MacMillan and Co.. p. 165. オリジナルの2013-09-27時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130927110432/http://www.inquirewithin.biz/history/american_pacific/oceania/orientation.htm. "picture of a stick chart from the Marshall Islands (Godeffroy Collection)."  挿画:小枝の海図(マーシャル諸島、Museum Godeffroy旧蔵)
  22. ^ a b c d e "Genome Scans Show Polynesians Have Little Genetic Relationship to Melanesians", Press Release, Temple University, 18 January 2008, accessed 9 March 2013
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  24. ^ Spriggs, Matthew (1997). The Island Melanesians. Blackwell. ISBN 0-631-16727-7 
  25. ^ Kayser, Manfred; Silke Brauer; Gunter Weiss; Peter A. Underhill; Lutz Rower; Wulf Schiefenhövel; Mark Stoneking (2000). “The Melanesian Origin of Polynesian Y chromosomes”. Current Biology 10 (20): 1237–46. doi:10.1016/S0960-9822(00)00734-X. PMID 11069104. 
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  28. ^ About Australia:Our Country”. Australian Government. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 “Australia's first inhabitants, the Aboriginal people, are believed to have migrated from some unknown point in Asia to Australia between 50,000 and 60,000 years ago.”
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  30. ^ Aboriginal Australians descend from the first humans to leave Africa, DNA sequence reveals”. Biotechnology and Biological Sciences Research Council (BBSRC). Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  31. ^ http://www.illumina.com/documents/icommunity/article_2012_04_Aboriginal_Genome.pdf
  32. ^ When did Australia's earliest inhabitants arrive?”. University of Wollongong (2004年). 2008年6月6日閲覧。
  33. ^ “Aboriginal truth and white media: Eric Michaels meets the spirit of Aboriginalism”. The Australian Journal of Media & Culture 3 (3). (21 July 2012). . エラー: |archiveurl=を指定した場合、|url=の指定が必要です。. https://web.archive.org/web/20120721132745/http://wwwmcc.murdoch.edu.au/ReadingRoom/3.2/Hodge.html 2008年6月6日閲覧。. 

関連文献[編集]

{{History of Oceania}} {{History by continent}} {{authority control}} [[Category:History of Oceania| ]] [[Category:オセアニア史]]