利用者:Ow00wo/本徒士町
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本徒士町 | |
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北緯40度30分32.1秒 東経141度29分10.0秒 / 北緯40.508917度 東経141.486111度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 八戸市 |
地区 | 長者地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.0204 km2 |
標高 | 19.6 m |
人口 (2024年4月30日現在) | |
• 合計 | 65人 |
• 密度 | 3,200人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
031-0052 |
市外局番 | 0178[2] |
ナンバープレート | 八戸 |
地理
[編集]八戸市の中央部に位置し、北に大字売市字輿遊下・長根公園、東に堤町、南に廿三日町、西に徒士町が面している。地区の面積は20435平方メートル[4]。八戸市中心市街地の区域[5]、長者地域に属する[6]。
地名の由来
[編集]南部八戸の城下町によると「町名は騎士の侍に対する徒歩の士の町に由来するとおもわれるので、本来は徒士階級の屋敷町として割り出されたものかと考えられる」と記載されているが、同書は当地名について八戸藩の記録には徒士階級が不存在であり、類似の「徒士丁」、「上徒士丁」の地名があるものの「本当の町名の由来についてはわからない」と記されている[7]。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1872年(明治5年)町村役人廃止により大区小区制による地方行政制度に改められる[8]。本徒士丁と称し九大区二小区の42村の一つに含まれた[9]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。本徒士町と改め三戸郡八戸町に属する[10]。
- 1929年(昭和4年) 市制施行に伴い、八戸市に属する[11]。
世帯数と人口
[編集]字 | 世帯数 | 人口 |
大字本徒士町 | 43世帯 | 65人 |
合計 | 43世帯 | 65人 |
脚注
[編集]- ^ “地理院地図 / GSI Maps|国土地理院”. 2024年8月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 『[国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2986952/1/15 青森県地名辞典]』青森放送、1963年、15頁。doi:10.11501/2986952 。2024年8月12日閲覧。
- ^ “青森県八戸市大字本徒士町 (022030080)”. 国勢調査町丁・字等別境界データセット. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “中心市街地の位置及び区域”. 八戸市. p. 74. 2024年8月12日閲覧。
- ^ “長者地域につい知ろう 住民自治推進懇談会”. 八戸市 (2013年8月22日). 2024年8月17日閲覧。
- ^ 『[国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9571069/1/54 南部八戸の城下町 : むかしのはちのへを偲んで]』伊吉書院、1983年10月、92頁。doi:10.11501/9571069 。2024年8月17日閲覧。
- ^ “18_青森県史資料編近現代1 県史テキストデータベース詳細画面”. kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp. 青森県. 2024年8月15日閲覧。
- ^ 岸俊武『新撰陸奥国誌 第5巻 (みちのく双書 ; 第19集)』青森県文化財保護協会、1966年、147頁。doi:10.11501/2986970 。2024年8月15日閲覧。
- ^ 『[国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/791068/1/105 現行警察提要 明治29年刊 下巻]』青森県警察部、明25-29、145頁。doi:10.11501/791068 。2024年8月17日閲覧。
- ^ “八戸市のあゆみ 八戸市”. www.city.hachinohe.aomori.jp. 2024年8月12日閲覧。
- ^ 『住所毎男女世帯数リスト(八戸市調査)令和6年4月30日現在』による。