利用者:Pachury/sandbox8
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ダグラス DC-8型機の事件・事故一覧(ダグラス DC-8がたきのじけん・じこいちらん)は、アメリカのダグラス・エアクラフトが製造したダグラス DC-8型機の関与した航空事故や事件及びインシデントを一覧にしたものである。
1960年代
[編集]1960年
- 1960年12月16日 - ユナイテッド航空826便(DC-8-11/N8013U)がスタテンアイランド上空でトランス・ワールド航空266便(ロッキード L-1049 スーパーコンステレーション/N6907C)と空中衝突し、両機とも墜落。両機の乗員乗客128人全員と地上の6人が死亡した[1]。
1961年
- 1961年1月19日 - アエロメヒコ航空401便(DC-8-21/XA-XAX)がアイドルワイルド空港で離陸に失敗し、炎上。乗員乗客106人中4人が死亡した[2]。
- 1961年5月30日 - ビアサ897便(DC-8-53/PH-DCL)がウンベルト・デルガード空港からの離陸直後にポルトガル沖の大西洋に墜落し、乗員乗客61人全員が死亡した。同機はKLMオランダ航空からビアサへとリースされていた機体であった[3]。
- 1961年7月11日 - ユナイテッド航空859便(DC-8-12/N8040U)がステープルトン国際空港への着陸時に滑走路をオーバーランし、炎上。乗員乗客122人中17人と地上の1人が死亡した。事故原因は逆噴射装置にあった[4]。
1962年
- 1962年7月7日 - アリタリア航空771便(DC-8-43/I-DIWD)がサンタクルズ国際空港への進入中に航法ミスによって墜落し、乗員乗客94人全員が死亡した[5]。
- 1962年8月20日 - パンエア・ドゥ・ブラジル026便(DC-8-33/PP-PDT)がアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港からの離陸に失敗し、海に墜落した。乗員乗客105人中15人が死亡した[6]。
1963年
- 1963年11月29日 - トランスカナダ航空831便(DC-8-54F/CF-TJN)がモントリオール・ドルバル国際空港からの離陸直後に墜落し、乗員乗客118人全員が死亡した。事故原因は不明であるが、ピッチ角を制御する揺れ防止装置の不具合が事故原因の可能性があるとされている[7]。
1964年
- 1964年2月25日 - イースタン航空304便(DC-8-21/N8607)がポンチャートレイン湖に墜落し、乗員乗客58人全員が死亡した。事故原因はピッチトリムの異常により乱気流中で操縦不能に陥ったことであった[8]。
1965年
- 1965年12月25日 - 日本航空813便(DC-8-33/JA8006)の第1エンジンが離陸直後に爆発し、オークランド国際空港に緊急着陸した。乗員乗客41人は無事であった[10]。
1966年
- 1966年3月4日 - カナダ太平洋航空402便(DC-8-43/CF-CPK)が羽田空港への着陸直前に墜落し、乗員乗客72人中64人が死亡した[11]。
- 1966年7月4日 - ニュージーランド航空機(DC-8-52/ZK-NZB)がオークランド国際空港での訓練飛行中に墜落し、乗員5人中2人が死亡した。事故原因は離陸直後に第4エンジンの逆噴射装置が作動したことであった[12]。
- 1966年12月24日 - アエロメヒコ航空機(DC-8-51/XA-NUS)がメキシコ・シティ国際空港へのアプローチ中に墜落した。乗員乗客109人に死者はなかったが、機体は全損した[14]。
1967年
- 1967年3月5日 - ヴァリグ・ブラジル航空837便(DC-8-33/PP-PEA)がモンロビア・ロバーツ国際空港への進入中に墜落し、乗員乗客90人中乗客50人と航空機関士が死亡した[15]。
- 1967年3月30日 - デルタ航空9877便(DC-8-51/N802E)がニューオーリンズ国際空港での訓練飛行中に墜落し、乗員6人全員と地上の13人が死亡した[16]。
1968年
- 1968年2月21日 - デルタ航空843便(DC-8/機体記号不明)がピストルを持った男にハイジャックされたが、乗員乗客109人は3時間後に解放された。犯人の男は1970年2月10日にスペインで降伏した[18]。
- 1968年4月28日 - キャピトル・エア機(DC-8-31/N1802)がアトランティックシティ国際空港での訓練飛行中に墜落した。乗員4人に死者はなかったが、機体は全損した[19]。
- 1968年7月1日 - シーボード・ワールド航空253A便(DC-8-63CF/N8631)がソ連の領空を侵犯し、千島列島への不時着を余儀なくされた。乗員乗客238人は2日間拘留された[21]。
- 1968年8月2日 - アリタリア航空660便(DC-8-43/I-DIWF)がミラノ・マルペンサ空港へのアプローチ中に墜落し、乗員乗客95人中12人が死亡した[22]。
- 1968年11月22日 - 日本航空002便(DC-8-62/JA8032)がパイロットのミスによりサンフランシスコ湾に不時着した。乗員乗客107人は無事であった。事故機は引き上げられ、ユナイテッド航空が修理を行った後に1983年まで日本航空で運用された[23]。
1969年
- 1969年1月13日 - スカンジナビア航空933便(DC-8-62/LN-MOO)がロサンゼルス国際空港への進入中に墜落し、乗員乗客45人中15人が死亡した[24]。
- 1969年10月16日 - シーボード・ワールド航空機(DC-8-63CF/N8634)がオークランド国際空港の滑走路をオーバーランし、火災が発生した。乗員5人に死者はなかったが、機体は全損した[25]。
1970年代
[編集]1970年
- 1970年4月16日 - スカンジナビア航空986便(DC-8-62/SE-DBE)の第1エンジンがフィウミチーノ空港でのタキシング中に故障し、火災が発生。乗員乗客65人に死者はなかったが、機体は全損した[26]。
- 1970年7月5日 - エア・カナダ621便(DC-8-63/CF-TIW)がトロント・ピアソン国際空港への進入中に墜落し、乗員乗客109人全員が死亡した[27]。
- 1970年7月27日 - フライング・タイガー・ライン45便(DC-8-63AF/N785FT)が那覇空軍基地への進入中に墜落し、乗員4人全員が死亡した[28]。
- 1970年9月8日 - トランス・インターナショナル航空863便(DC-8-63CF/N4863T)がジョン・F・ケネディ国際空港からの離陸直後に墜落し、乗員11人全員が死亡した[29]。
- 1970年9月15日 - アリタリア航空618便(DC-8-62/I-DIWZ)がジョン・F・ケネディ国際空港への最終進入中に逆噴射して墜落。乗員乗客156人に死者はなかったが、機体は全損した[31]。
- 1970年11月27日 - キャピトル・インターナショナル航空C2C3/26便(DC-8-63CF/N4909C)がテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港からの離陸時に何らかの原因によってブレーキが作動し、滑走路をオーバーランした。乗員乗客229人中47人が死亡した[32]。
1971年
- 1971年1月29日 - CPエア301便(DC-8-63/CF-CPQ)が管制からの指示を誤解して滑走路上に留まっていたところに、離陸滑走中のトランス・オーストラリア航空592便(ボーイング727-76/VH-TJA)が衝突した。両機は損傷を負ったものの、両機の乗員乗客240人は無事であった[33]。
1972年
- 1972年5月5日 - アリタリア航空112便(DC-8-43/I-DIWB)がプンタ・ライジ空港への進入中に墜落し、乗員乗客115人全員が死亡した。この事故はイタリアで発生した単独機による航空事故としては最悪の事故である[34]。
- 1972年6月14日 - 日本航空471便(DC-8-53/JA8012)がパーラム国際空港へのアプローチ中に墜落し、乗員乗客87人中82人と地上の4人が死亡した。事故原因について、日本側が空港のILSの故障だと主張する一方、インド側はパイロットエラーであると主張している[35]。
- 1972年7月6日 - アビアコ航空331便(DC-8-52/EC-ARA)がグラン・カナリア空港への進入中に墜落し、乗員10人全員が死亡した[36]。
- 1972年9月24日 - 日本航空472便(DC-8-53/JA8013)がサンタクルズ国際空港と誤認しジュフ空港に着陸しようとしてオーバーラン。乗員乗客122人に死者はなかったが、機体は現地で解体処分された[38]。
- 1972年11月28日 - 日本航空446便(DC-8-62/JA8040)がシェレメーチエヴォ国際空港からの離陸直後に墜落し、乗員乗客76人中61人が死亡した[39]。
1973年
脚注
[編集]- ^ “Accident description N8013U”. 7 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description XA-XAX”. 7 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description PH-DCL”. 7 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description N8040U”. 7 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description I-DIWD”. 7 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description PP-PDT”. 7 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description CF-TJN”. 7 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description N8607”. 7 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description N8784R”. 7 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description JA8006”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description CF-CPK”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description ZK-NZB”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description XA-PEI”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description XA-NUS”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description PP-PEA”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description N802E”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description CF-TJM”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description N1802”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description PH-DCH”. 8 February 2024閲覧。
- ^ Fox, Sylvan (July 1, 1968). “Jet With 214 Servicemen Intercepted By Russians, Forced To Land In Kuriles”. New York Times
- ^ “Accident description I-DIWF”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description JA8032”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description LN-MOO”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description N8634”. 8 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description SE-DBE”. 10 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description CF-TIW”. 10 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description N785FT”. 10 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description N4863T”. 10 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description HB-IDD”. 10 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description I-DIWZ”. 18 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description N4909C”. 18 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description CF-CPQ”. 18 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description I-DIWB”. 18 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description JA8012”. 18 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description EC-ARA”. 18 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description N817E”. 18 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description JA8013”. 18 February 2024閲覧。
- ^ “Accident description JA8040”. 18 February 2024閲覧。