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太地漁港 | |
種類 | 漁協所属の漁業種別組合 |
---|---|
本社所在地 |
日本 太地町漁業協同組合内 |
設立 | 1988年 |
業種 | 漁業 |
太地いさな組合(たいじいさなくみあい)とは、和歌山県太地町の太地町漁業協同組合に所属する分野別の組合。小型鯨類の追い込み漁をすることで知られる、追い込み漁業共同体[1]。一部に勇魚組合とも報道[2]。「いさな」(勇魚)とは奈良時代から続くクジラの古い呼び名[3][注釈 1]。近年は過激な反捕鯨団体シーシェパードの連日の妨害に耐えながら漁業を行う[4][5]。
歴史と沿革
[編集]太地の沖は鯨の南下と北上の通路にあたる位置にあり、中世の人々はこの沖を「鯨が昼寝をするところだ。」と言うほど、鯨が見られた[6]。
小型鯨類の漁の発展
[編集]日本では原始時代から小型鯨類の捕獲があったため、太地町での小型鯨類の捕獲がいつごろからはじまったかはわかっていない[注釈 2]。 太地町沿岸では、1606年(慶長11年)に大規模組織編成の捕鯨(突捕り式)が始まり[注釈 3]、次いで1675年(延宝3年)に網取り式の捕鯨が開発され、江戸時代の日本国内に知られるほど盛んになったが、同時期に既に、手銛や網を使用した小型鯨類の捕獲(漁猟)が行われていた[9][6][10]。 この漁はその後、
とそれぞれに継続・発展した。
組合の設立
[編集]戦後、太地町の漁師は、テント船[注釈 4]で沿岸域に生息するゴンドウ漁を行ったり、南氷洋捕鯨に従事したのち、太地の沿岸域で、鉄砲銃(捕鯨銃)による「イルカ突きん棒漁業」が始まり、「イルカ突きん棒組合」(太地突棒船組合)が設立[12]。 そして、1969年に太地町立くじらの博物館で飼育するイルカの捕獲を要請されたのを契機に、生け捕り捕獲ができる追い込み漁を開始[12]。その後、小型鯨類の商品価値があがり、別の捕獲グループもできたが、資源保護などを理由[注釈 5]に両者は合併し、1988年[注釈 6]に太地いさな組合として発足[12]。当初は、15隻程度の追い込み漁船団で小型鯨類の追い込み漁を行った。
漁
[編集]小型鯨類の追い込み漁が中心となる。
漁期
[編集]大まかな漁期は、ゴンドウ類の漁期が9月から4月までの8ヶ月間。イルカ類の漁期が9月から2月までの6ヶ月間[14][注釈 7]。 ゴンドウ漁の最盛期は9月から12月[14]。1月から3月にゴンドウ類の来遊は途切れるが、4月になると再び最盛期となる[14][注釈 8]。
捕獲対象
[編集]マゴンドウ[注釈 9]、ハナゴンドウ、オキゴンドウ[注釈 10]、ハンドウイルカ、スジイルカ[注釈 11]、マダライルカ、カマイルカ[注釈 12]の小型鯨類である[12][注釈 13]。
捕獲枠
[編集]※数字は和歌山県全体の数字、カッコ内が太地分。
和歌山県の追い込み漁 | 和歌山県の突きん棒漁業 | |
船隻数 | 13隻 | 100 (29)隻 |
マゴンドウ | 300 | - |
ハナゴンドウ | 300 | 250 (26) |
オキゴンドウ | 70 | - |
ハンドウイルカ | 890 | 100 (29) |
スジイルカ | 450 | 100 (24) |
マダライルカ | 400 | 70 (15) |
カマイルカ | 100 | - |
小型鯨類の追い込み漁
[編集]漁の方法
[編集]- 出漁
- 小型鯨類の追い込み漁は、例年9月1日に解禁され、十数隻の漁船で早朝、太地港を出船し、沖合でハンドウイルカなどの群れを発見すると、鉄パイプで海面を叩くなどして音を出して、捕獲網を仕掛けた畠尻湾に追い込む[21]。ベテランの漁師は、海面から出るクジラの尾の方向から、クジラが次に浮上する場所が読める(予想できる)といわれる[22]。
- 捕鯨船は5-9.9トンの小型グラスファイバー船で、音を出して鯨類を威嚇する者と舵を取る者の2名が一艘に乗る[20]。
- 2006年、"腹びれイルカ"と知られる「はるか」も、いさな組合により水揚げ(生体捕獲)された[23]。(詳細は腹びれイルカ (はるか)を参照。)
- 解体
- 湾を天然のいけすにして追い込んだ小型鯨類は、内臓を取り除き血抜きされ、市場に出荷される[20](家畜、狩猟動物、と同様である)。解体は陸上で行う[14]。解体の所要時間は、イルカ類は5-10分、ゴンドウ類は15分程度[14]。原則として、イルカ類は一頭丸売り、ゴンドウ類は部位ごとに入札となる[14]。
- 捕殺については、苦痛がなるべく少なくなるよう、脊髄切断法[注釈 15]に2000年ごろから取り組む[24]。過去には、湾が血で赤くなったが、太地では2008年から、フェロー諸島の捕鯨を参考に、血が出ない形に改善した[25][注釈 16]。
- 水族館などへ
- 追い込み漁は、生きたまま捕獲できるため、水族館などへも販売される。飼育用の小型鯨類、例えばハンドウイルカでは、「雌でかつ体長が2.45 - 2.55 メートルの個体」などの条件があり、水族館販売用の小型鯨類は条件を満たすのが困難とされる[17][注釈 17]。
漁閑期
[編集]5月から8月のゴンドウ類の閑散期(休漁期)に、組合員は、漁協所有の小型沿岸捕鯨船「正和丸」の乗組員になるなど、次のようないろいろな漁業を行う[14]。
カツオけんけん釣り[14]、ウルメイワシ、コアジ、ソウダガツオなどの棒受網漁[14]、キンキ、ムツなどの底釣り、モジャコ漁[14]。アワビ、トコブシなどの貝類の磯潜り、テングサ、ヒジキ採集、タコ漁[14]。
太地町漁業協同組合
[編集]いさな組合は太地町漁業協同組合の一部である。 太地町漁協での捕鯨は、追い込み漁以外に、「突きん棒漁」と、「小型捕鯨」とがある[27][注釈 18]。
太地町漁業協同組合の年間水揚金額は約3億5,000万円であり、うち捕鯨の水揚金額が約1/3となる[28][注釈 19]。
太地町の重要な産業
[編集]太地町は紀伊半島の南端近くに位置し、熊野灘と紀伊山地に囲まれた土地は狭隘で農業には適さず、また、大都市圏からのアクセスが悪く、産業の育成にも限界があり、太地町の財政は地方交付税に大きく頼る状況である[27]。このため、漁協の年間水揚げ高の約3分の1を占める捕鯨は重要な産業となる[27]。
ボランティア
[編集]いさな組合は、鯨肉を、イベントへの無償提供や、小中学校へ寄付も行う[17]。
2011年6月、東日本大震災のおりに、かつて捕鯨基地のあった岩手県山田町に鯨肉の炊き出しを行った[29][30]。肉はゴンドウクジラ2頭分計500キロ。現地で調理し、1500人に配った[29]。
放送
[編集]NHKが、いさな組合が出演するドキュメンタリーを2011年5月22日に『NHKスペシャル クジラと生きる』を放送した[31]。この番組は、小型捕鯨の追い込み漁や組合の加入者と家族、地域の様子や、過激な反捕鯨団体シーシェパードの妨害活動が赤裸々に語られた[32]。
『クジラと生きる』を見た和歌山県知事は「テレビを見て、挑発に乗らず耐えておられる太地の方々を見て、この人々を絶対に見棄てないぞとの決意を新たにしました。」と述べた[33]。 また、評論家のトニー・マラーノは「この漁民が、自国の自分に町で、白人にこの様な罵声(killer:殺し屋、など)を浴びせ続けられて、それでも耐えなければならない理由はない。」と述べた[34]。 『クジラと生きる』については、NHKの放送番組審議会で、いさな組合などの漁業関係者への同情や、シーシェパードへの非難の意見があった[4][35][36]。
NHKでは同年7月24日にも『ETV特集 鯨の町に生きる』を放送した[37]。 民放ではテレビ朝日が同年2月にドキュメンタリーを制作した[38]。
課題
[編集]2009年の反捕鯨映画「THE COVE」以降、シーシェパード以外にも様々な団体が漁村に訪れ、それらの妨害行為は加速しているという[38][注釈 20]。
シーシェパードなどの妨害
[編集]シーシェパードなどの過激な反捕鯨団体によって、2003年11月に捕鯨用の網が切断され、2010年9月にはいけすの網が切断される器物損壊、2011年12月には暴行事件が指摘されている[41][42]。 また、盗撮の被害も受け、2009年ごろのメディアによって、どのように盗撮されたかが明かされた[43][44][45]。 また、2011年9月には殺人予告の脅迫状も届いた[40][注釈 21]。
シーシェパードなどへの対処
[編集]2011年3月10日、いさな組合などは、過激な反捕鯨団体による嫌がらせに対し、法的な是正を求める陳情を行ったことが、評論家の森田実によって明かされた[47][48][49][50]。陳情は毎年行われた[51][52]。
国会は、2011年3月24日の法務委員会で審議が行われるなど[53]、シーシェパードが議論の対象となった[54]。また、和歌山県議会はシーシェパードを非難し取り締まる決議をし[55]、和歌山県や県知事はイルカ漁を支持する立場を鮮明にした[56][33]。和歌山県警は2011年9月から2012年1月の間に軽犯罪法違反・和歌山県迷惑防止条例違反の疑いで、活動家に対して約25件の指導警告を行ったという[40][57]。
2014年2月、日本政府(阿部内閣)は「イルカ漁は適切」で「日本文化」だとする答弁書を閣議決定した[58]。
しかし2014年2月現在、シーシェパードなどの妨害を阻止するに至ってはいない[5][59]。
注釈
[編集]- ^ 万葉集#捕鯨も参照。
- ^ 太地に限らず、日本は6-9千年前の縄文時代(中・新石器時代)から小型鯨類を食し、遅くとも5千年前にはイルカ漁もしていた[7]。また、大きなクジラについては、沿岸に迷い込んだ、弱った「寄り鯨」を獲っていたと、推測されている[6][8]。
- ^ これ以前は個人らが助け合いながら獲っていた[6]。
- ^ 「てんと船」の由来について、海洋政策研究財団・政策研究グループの遠藤愛子は2つの説を紹介した。一つは「1913年に太地の小型捕鯨船の一部の船に発動機が据えられ、これらの船は、「走ること天を渡る程早い」というところからテント船(天渡船)とよばれた」というもの[11]。もう一つは、「江戸時代の末期から明治中期頃までに、五枚板造りの船が「てんとう」とよばれ明治期になって広く沿岸に普及されており、この型の船を使ってゴンドウが捕獲されていたので、その名で呼ばれるようになった」というものである[11]。
- ^ 1983年に県知事許可漁業になり、資源管理が行われた[12]。
- ^ 1988年は商業捕鯨モラトリアムが発行した年である[13]。遠藤は、「モラトリアム以降、全国的な鯨肉供給量減少に伴い、これまで安価であった小型鯨類は、大型鯨類の代替品として消費地市場においてその商品価値が高くなり高級嗜好品化した」と説明する[13]。
- ^ 2006年より、漁期の始まりがこれまでの10月から9月開始に変更された[14]。
- ^ 4月以降のゴンドウを地元では"麦刈りゴンドウ"と呼ぶ[14]。
- ^ 太地町ではマゴンドウの刺身が人気があると調査された[15]。
- ^ オキゴンドウは捕獲が難しい[16]。主に飼育用[16]。飼育用小型鯨類のうち最も商業的価値が高い[17]。
- ^ 太地町ではイルカはスジイルカの腹肉のみが消費される[18]。これの理由はスジイルカが捕獲が容易であり、供給が豊富だったから地域の食習慣に根付いたと聞き取り調査されている[18]。地元では「真イルカ」と呼ばれる[18]。
- ^ カマイルカは2007年1月より新規捕獲枠に入れられた[12]。主に飼育用であり[18]、また、カマイルカの捕獲は従来の漁網では難しいため、専用の漁網が必要となる[17]。
- ^ 太地町漁業協同組合によると、太地での小型捕鯨業は、本来ミンククジラを捕るのが主流だったが、国際捕鯨委員会 (IWC) の捕獲制限により捕獲が禁止されたため、IWC管理対象外のツチクジラ、ゴンドウクジラなどを獲るだけになったと説明する[19]。
- ^ 漁師の表現では「知恵比べになる」という。
- ^ デンマークの自治領・フェロー諸島で行われている頚髄及び頚椎周囲の血管叢を切断する方法[24]。捕殺時間が短く、作業者の安全性も高いとされた[24]。
- ^ ノルウェーの捕鯨研究者(博士)のアルネ・ビョルグは、(2010年までには)太地の漁師は迅速に屠殺するよう努力していると、作家のC・W・ニコルに説明した[26]。
- ^ オスに比べて、若いメスの個体が調教しやすいためとされる[17]。また、求められる条件が厳しいため、水族館は慢性的に供給不足となっている[17]。
- ^ 突きん棒漁は、手投げの銛で突きとる漁で、追い込み漁と共に、各都道府県知事の許可の下に行われる[27]。小型捕鯨は、捕鯨砲を積んだ小型捕鯨船による漁であり、農水大臣の許可を受けて行われる[27]。突きん棒は追い込み漁より効率が悪いとされ、太地では29隻が許可を受けているが通常3隻のみ従事し、捕鯨砲を積んだ小型捕鯨は2隻の船で行う[27]。
- ^ 太地町漁業協同組合の地元市場への年間漁獲量は1,760トンであり、うち海産ほ乳類は234トンで、全体の13%を占める[28]。
- ^ シーシェパードの嫌がらせの始まりは2003年まで遡ることができるが[39]、2003年以後は南氷洋の日本の調査捕鯨妨害に傾注し、再び太地に戻ってくるのは、映画『コーブ』の後の2010年である[40]。
- ^ 野村はこの脅迫をエコテロリズムだとしている[46]。
出典
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- ^ 2013-9-1和歌山太地町の追い込み漁解禁 - MSN産経west
- ^ 和歌山・太地のイルカ漁期終了 2011/02/26 17:06、47NEWS(よんななニュース)、共同通信
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- ^ a b c 鯨類捕殺方法の改善について 太地町漁業協同組合
- ^ 野村2013, 100頁
- ^ 四 捕鯨をめぐる世界の人々の感情 8-Dec-2010 C・W・ニコル - 神奈川大学 国際常民文化研究機構
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- ^ a b 遠藤2011,240頁
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- ^ 被災地に懐かしの鯨料理を 和歌山・太地の漁師ら - 東日本大震災2011年6月17日 asahi.com(朝日新聞社)
- ^ NHKスペシャル-クジラと生きるNHK
- ^ 太地町公民館 | NHKスペシャル TVでた蔵
- ^ a b ようこそ知事室へ 知事からのメッセージ 平成23年5月 太地の捕鯨 2011年5月 和歌山県ホームページ
- ^ 【テキサス親父】 NHKスペシャル 「クジラと生きる」 再放送 2011/10/10 | テキサス親父日本事務局
- ^ 平成23年6月NHK中央放送番組審議会(議事概要)(PDF) 『平成24年3月NHK中央放送番組審議会(議事概要)』
- ^ 平成23年6月NHK中部地方放送番組審議会(議事概要)(PDF) 『平成24年3月NHK中部地方放送番組審議会(議事概要)』
- ^ 【ETV特集】「鯨の町に生きる」2011/7/24(日)夜10時NHK
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- ^ 反捕鯨団体想定し警備訓練 和歌山県警と海保2013年08月10日更新 AGARA紀伊民報
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- ^ 日本のイルカ猟(2) 2009.8.21 WIRED.jp
- ^ イルカ漁告発映画『The Cove』と『わんぱくフリッパー』 | 町山智浩 | コラム&ブログ 2009年08月19日 ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
- ^ 野村2013, 97頁
- ^ 平和・自立・調和の日本をつくるために(183) 《新・森田実の政治日誌》 [新連載]和歌山県太地町民への反捕鯨団体(とくにシーシェパード)による筆舌に尽くしがたい嫌がらせと漁業への妨害をやめさせなければならない/反捕鯨団体の嫌がらせ、生活妨害から太地町民を守るための国民運動を呼びかけます!!(その1) 2011.3.11 (その5) 森田実の言わねばならぬ【183】 (※1/4)
- ^ 平和・自立・調和の日本をつくるために(188) 《新・森田実の政治日誌》 和歌山県太地町民への反捕鯨団体(とくにシーシェパード)による筆舌に尽くしがたい嫌がらせと漁業への妨害をやめさせなければならない/反捕鯨団体の嫌がらせ、生活妨害から太地町民を守るための国民運動を呼びかけます!!(その2) 2011.3.12 (その5)森田実の言わねばならぬ【188】 (※2/4)
- ^ 平和・自立・調和の日本をつくるために(192) 《新・森田実の政治日誌》 和歌山県太地町民への反捕鯨団体(とくにシーシェパード)による筆舌に尽くしがたい嫌がらせと漁業への妨害をやめさせなければならない/反捕鯨団体の嫌がらせ、生活妨害から太地町民を守るための国民運動を呼びかけます!!(その3) 2011.3.13 (その4)森田実の言わねばならぬ【192】 (※3/4)
- ^ 平和・自立・調和の日本をつくるために(194) 《新・森田実の政治日誌》 和歌山県太地町民への反捕鯨団体(とくにシーシェパード)による筆舌に尽くしがたい嫌がらせと漁業への妨害をやめさせなければならない/反捕鯨団体の嫌がらせ、生活妨害から太地町民を守るための国民運動を呼びかけます!!(その4)太地町漁業協同組合の要望を実現しよう!! 2011.3.14 (その2) 森田実の言わねばならぬ【194】 (※4/4)
- ^ 太地町を視察 民主党の捕鯨対策議員協 AGARA紀伊民報 2012年06月05日更新
- ^ 広報たいじ3月号2頁、2014年3月1日 - 太地町
- ^ 参議院会議録情報 第177回国会 法務委員会 第3号 平成二十三年三月二十四日(木曜日)
- ^ 第177回国会 農林水産委員会 第13号 平成23年5月31日(火曜日)[1]
- ^ 反捕鯨団体の活動に対して毅然たる取締りを求める意見書 平成23年9月28日 和議第15号
- ^ イルカ漁等に対する和歌山県の見解 和歌山県ホ-ムペ-ジ
- ^ 「暴力活動家」に悩める捕鯨の町 脅迫状、暴行… 2012年1月27日 Infoseek ニュース(産経新聞)
- ^ 日本のイルカ漁「適切に実施」 答弁書を閣議決定2014/2/25 日本経済新聞
- ^ 反捕鯨団体の監視いまも 和歌山・太地町、漁師ら困惑遠藤雄司 2014年3月17日 朝日新聞デジタル
参考文献
[編集]- 遠藤愛子(海洋政策研究財団政策研究グループ) (2011年). “第10章 変容する鯨類資源の利用実態 -和歌山県太地町の小規模沿岸捕鯨業を事例として-” (PDF) ( 日本). 松本博之編『海洋環境保全の人類学』,国立民族学博物館調査報告 97. 国立民族学博物館. pp. 237―267. 2014年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月10日閲覧。
- 野村 康(名古屋大学環境学研究科・准教授) (2013年). “民主政と越境的直接行動 -太地町における反捕鯨活動の批判的考察-” (PDF) ( 日本). 『人間環境学研究/Journal of Human Environmental Studies』 第11巻 第2号 2013年12月号. 人間環境学研究会. pp. 91-105. 2014年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月10日閲覧。
外部リンク
[編集]- 太地町漁業協同組合の公式サイト
- 鯨の追込み漁から鯨の解体まで写真集
- (報道)太地いさな組合の漁師・三好雅之
- (動画)『Town of Sun, the Black Tide and Whales』(邦題:『太陽と黒潮と鯨の町』。2009年。17分。監督:マティアス・カモッツィ。いさな組合が登場する太地の捕鯨についてのドキュメンタリー、英語)