利用者:World ryoko/作業室1
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東日本大震災による漂流物(ひがしにほんだいしんさいによるひょうりゅうぶつ)では、東日本大震災の津波被害によって生じた漂流物について解説する。
概要
[編集]2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波被害で、東日本沿岸部の漁船や家屋、漁具などが流出した。被災地のがれきの量は、2,000万トンと推定され、このうち500万トンが流出、7割(350トン)程度が海底に沈んで堆積し、残りの3割(150万トン)が漂流物となったと考えられている。漂流物のうち9割は沈みにくい家屋や流木だと推計される。漂流物の大部分は、海流や風などの影響を受け、太平洋を東に流れ、2012年10月頃から北アメリカ西海岸に到達すると予想される。遺体が漂流する可能性や、福島第一原子力発電所事故による放射性物質の付着は、極めて低いとされる[1]。漁業や船舶の航行、環境へ影響が出る可能性も指摘されている。漂着地のブログでは、「日本に片付けさせろ」などの声も飛び交っているという[2]。
漂着
[編集]アメリカ
[編集]- オレゴン州のアガテビーチに2012年6月5日、青森県三沢漁港にあった浮桟橋の1つが漂着した。この浮桟橋は、重さ165トン、幅6メートル、長さ20メートルほどのコンクリートの塊で、中からはとけた発泡スチロールも出てきた[3]。浮桟橋には、一目見ようと地元住民や観光客が集まり、2012年にビーチに駐車された車の数は、例年の6倍以上にものぼった。近隣のホテル支配人が「当局は浮桟橋を海岸から少し離した場所に移動させて、記念碑にしたらいいと思う。多くの人をひきつけるし、私たちも震災のことを忘れない。浮桟橋は歴史の一部だ。」と語るなど、温存しようという声もある[4]。
アラスカ
[編集]- ミドルトン島の海岸で2012年4月22日、サッカーボールが見つかった。ボールには、「2005・3 長部小3年より」と書かれ「祐輝」「明紀」「俊輔」の3人の名前もあった。ボールの持ち主は後に、岩手県陸前高田市の高校生のものだと分かった[5]。
- ナイト島で2012年5月26日、サッカーボールが見つかった[6]。
- カナダとアラスカ州の沖合を漂流していた漁船を、アメリカの沿岸警備隊が2012年4月5日、シトカの約290㎞沖合で砲撃して沈めた。漁船は、函館市の男性が八戸港に係留していたイカ釣り漁船「漁運丸」(約150トン)で、震災当時、老朽化により既に引退していた[7]。一時曳航も考えられたが、かかる巨額の費用などを理由に断念された[8]。
日本
[編集]対策
[編集]- アメリカ政府は、2012会計年度、460万ドル(約3億7千万円)のごみ撤去予算を出した。オバマ政権は、次の議会でこれを25%減らすよう議会に提案している[2]。
- 日本の環境省が2012年8月4日、NGOや研究者を派遣し、ゴミなどを拾った[9]。
出典
[編集]- ^ 東日本大震災による洋上漂流物Q&A - 総合海洋政策本部(2012年7月18日)2012年9月1日閲覧。
- ^ a b 漂流物、被災地からアラスカへ 東北地方から5千キロ超 - 朝日新聞(2012年5月30日)2012年9月1日閲覧。
- ^ 米西海岸で震災漂着物の撤去作業 10月以降本格的に漂着か - FNNニュース(2012年8月3日)2012年8月31日閲覧。
- ^ 震災漂流物は観光資源? 扱いに悩む米オレゴン州 - イザ!(2012年6月15日)2012年8月31日閲覧。
- ^ 米アラスカに津波で流出のボール漂着 持ち主は岩手の高2 - イザ!(2012年4月22日)2012年8月31日閲覧。
- ^ アラスカで漂着ボールまた発見 - イザ!(2012年6月2日)2012年8月31日閲覧。
- ^ 津波で流失の日本漁船を砲撃で沈める 米沿岸警備隊 - イザ!(2012年4月6日)2012年9月1日閲覧。
- ^ a b 震災 漂流、漂着物 写真特集 - 時事ドットコム(2012年4月5日)2012年9月1日閲覧。
- ^ 津波漂着物対策でタッグ 日米のNGOがオレゴンに集結 - 朝日新聞(2012年8月6日)2012年9月1日閲覧。