前田利治
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和4年(1618年) |
死没 | 万治3年4月21日(1660年5月29日) |
改名 | 宮松丸(幼名)→利治 |
官位 | 正四位下、飛騨守、侍従 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
藩 | 加賀大聖寺藩主 |
氏族 | 前田氏 |
父母 | 父:前田利常、母:徳川秀忠次女・珠姫 |
兄弟 | 亀鶴姫(森忠広正室)、光高、小媛、利次、利治、満姫(浅野光晟正室)、富姫(昌子、八条宮智忠親王妃)、夏姫、利明 |
妻 | 正室:上杉定勝の娘・徳(長松院) |
子 | 養子:利明(実弟) |
前田 利治(まえだ としはる)は、江戸時代前期の大名。加賀国大聖寺藩の初代藩主。大聖寺前田家の祖。小堀政一(遠州)から手ほどきを受けた茶人であった。
生涯
[編集]元和4年(1618年)、加賀藩3代藩主・前田利常の三男として誕生する。
寛永16年(1639年)、父・利常が隠居するにあたり、江沼郡を中心に7万石を分封される。当初、鉱山の開発に力を注ぎ、領内に金山銀山を発見した。この鉱山開発の途上で見つかった良質の陶土と、利治が茶人であったことが、後の九谷焼の生産に結びついた。
万治3年(1660年)に死去。享年43。跡を弟で養子・利明が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 徳、長松院 ー 上杉定勝の娘
養子
- 前田利明 ー 実弟