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前田直正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

前田 直正(まえだ なおまさ、慶長10年(1605年) - 寛永8年閏10月17日1631年12月10日))は、加賀藩人持組頭。加賀八家前田対馬守家第5代当主[1]

父は前田直知。母は牧村氏(祖心尼)。正室は安見元勝の娘。子は前田孝貞通称左兵衛、対馬。江戸幕府3代将軍徳川家光の側室自証院は姪に当たる。

生涯

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慶長10年(1605年)、直知の子として生まれる。父が病で隠居すると、6500石の知行を相続。弟直成が母の再嫁先の町野家の養子となったため、その知行1500石も得る。寛永7年(1630年)に父直知、寛永8年(1631年)に祖父長種が死去し、家督を相続する。弟恒知に3000石分知し、叔母婿の長政に1000石を分知、知行1万7000石となる。人持組頭となり、長種、直知と同じく小松城代を務めた。寛永8年(1631年)閏10月17日江戸で急死。戒名 清養院殿無機源心大居士。家督は嫡男孝貞が相続した。

人物・逸話

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  • 藩主前田利常は、兄利政の娘を養女として直正に嫁がせようとしたが、過分に過ぎると辞退している。

脚注

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  1. ^ 「加賀八家「殿様」たちの末裔 藩主支えた絆 旧男爵家の誇りは今も」『月刊北国アクタス』2014年8月号

参考文献

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  • 『加賀藩史稿』