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前田利建

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 利建
まえだ としたつ
生年月日 1908年3月17日
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市
没年月日 (1989-09-19) 1989年9月19日(81歳没)
出身校 東京帝国大学文学部卒業
前職 式部官
所属政党 火曜会
称号 従四位侯爵
親族 前田利嗣(祖父)
前田利為(父)

選挙区 侯爵議員
在任期間 1943年1月15日 - 1947年5月2日
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前田 利建(まえだ としたつ、1908年(明治41年)3月17日[1] - 1989年(平成元年)9月19日[1][2])は、日本宮内官僚華族侯爵[2]。旧加賀藩前田家第17代当主[1]

経歴

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第16代当主・前田利為の長男で、母は渼子(前田利嗣長女)[1]。父の戦死に伴い1943年(昭和18年)1月15日、家督を継承し侯爵を襲爵[1]。同日、貴族院侯爵議員に就任し[3]火曜会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部を卒業した[2]1936年(昭和11年)宮内省に入省し式部官兼主猟官に就任[2]。以後、兼内大臣秘書官帝室博物館嘱託、臨時内大臣府御用掛なども務めた[2]

1947年(昭和22年)10月29日、金沢市に昭和天皇の戦後巡幸が行われた際には、前田家の成巽閣が宿泊所となった。翌朝、昭和天皇に拝謁[4]

式部官時代、1960年(昭和35年)2月29日浩宮徳仁親王(現・第126代天皇)および1965年(昭和40年)12月6日礼宮文仁親王(現・皇嗣)の「浴湯の儀」において、浅野長武東京国立博物館長)とともに鳴弦の儀を執り行った[5]。墓所は野田山墓地

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 歌人でもあり石川県七尾市には『よもゝとせ過ぎにし昔しのびつゝ つといて祝ふ今日のよろこひ』の歌碑が建立されている。

出典

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  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成 下巻』531頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』22頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
  4. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、524頁。ISBN 978-4-487-74410-7 
  5. ^ 『朝日新聞』東京本社版、1960年2月29日付夕刊第3版1面および1965年12月6日付夕刊第3版1面
  6. ^ “前田氏 - Reichsarchiv ~世界帝王事典~”, 世界帝王辞典, https://reichsarchiv.jp/家系リスト/前田氏#tosike989 2022年12月29日閲覧。 

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。

関連項目

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日本の爵位
先代
前田利為
侯爵
加賀前田家第3代
1942年 - 1947年
次代
華族制度廃止