前田利建
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前田 利建 まえだ としたつ | |
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生年月日 | 1908年3月17日 |
出生地 | 日本 東京府東京市 |
没年月日 | 1989年9月19日(81歳没) |
出身校 | 東京帝国大学文学部卒業 |
前職 | 式部官 |
所属政党 | 火曜会 |
称号 | 従四位侯爵 |
親族 |
前田利嗣(祖父) 前田利為(父) |
選挙区 | 侯爵議員 |
在任期間 | 1943年1月15日 - 1947年5月2日 |
前田 利建(まえだ としたつ、1908年(明治41年)3月17日[1] - 1989年(平成元年)9月19日[1][2])は、日本の宮内官僚、華族(侯爵)[2]。旧加賀藩前田家第17代当主[1]。
経歴
[編集]第16代当主・前田利為の長男で、母は渼子(前田利嗣長女)[1]。父の戦死に伴い1943年(昭和18年)1月15日、家督を継承し侯爵を襲爵[1]。同日、貴族院侯爵議員に就任し[3]、火曜会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部を卒業した[2]。1936年(昭和11年)宮内省に入省し式部官兼主猟官に就任[2]。以後、兼内大臣秘書官、帝室博物館嘱託、臨時内大臣府御用掛なども務めた[2]。
1947年(昭和22年)10月29日、金沢市に昭和天皇の戦後巡幸が行われた際には、前田家の成巽閣が宿泊所となった。翌朝、昭和天皇に拝謁[4]。
式部官時代、1960年(昭和35年)2月29日の浩宮徳仁親王(現・第126代天皇)および1965年(昭和40年)12月6日の礼宮文仁親王(現・皇嗣)の「浴湯の儀」において、浅野長武(東京国立博物館長)とともに鳴弦の儀を執り行った[5]。墓所は野田山墓地。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
関連項目
[編集]- 旧前田家本邸 - 元・東京都近代文学博物館
- 鎌倉文学館 - 旧前田別邸
日本の爵位 | ||
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先代 前田利為 |
侯爵 (加賀)前田家第3代 1942年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |