前田康介
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県松山市 |
生年月日 | 1945年2月21日(79歳) |
身長 体重 |
174 cm 67 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1969年 ドラフト1位 |
初出場 | 1970年4月12日 |
最終出場 | 1974年5月25日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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前田 康介(まえだ こうすけ、本名:前田 康雄〈まえだ やすお〉、旧姓は北尾、1945年2月21日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。1972年に登録名を「前田康介」に改め、現役引退後も同名義を使用した。
来歴・人物
[編集]愛媛県出身。松山北高校では、1960年に1年生エースとして秋季県大会決勝に進出。松山商の山下律夫と投げ合い、敗退するが注目を集める。1962年夏の甲子園県予選でも準々決勝に進出するが、村上公康のいた西条高に延長10回の熱戦の末に敗退。
卒業後は東洋大学に進む。東都大学リーグでは、在学中は二部リーグにとどまるが、1966年秋季リーグ後の入替戦で一部リーグの芝工大を降し、後輩に後を託した。大学同期に上垣内誠がいる。
卒業後は電電四国に入社、1968年の都市対抗野球大会に高知相互銀行の補強選手として出場。翌年の大会も電電四国の主戦投手として連続出場を果たす[1]。この時のチームメートに小金丸満がいた。1969年のドラフト会議においてロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)から1位指名を受け入団(2位は小金丸であった)。
主にシュート、カーブを武器とし、1970年にはルーキーながら日本シリーズに登板。入団2年目となる1971年シーズンにプロ初勝利を記録する。主に中継ぎ投手として起用されたが、入団3年目の1972年には19試合の登板で0勝5敗の防御率5点台と不振に陥り、翌1973年は1試合のみの登板に終わった。同年オフに戦力外通告を受け、間もなく太平洋クラブライオンズ(後の埼玉西武ライオンズ)に移籍。しかし太平洋でも一軍登板機会は移籍1年目の4試合のみに留まり、1976年限りで現役を引退した。
引退後もライオンズ球団に在籍し、1978年にはスコアラー、1980年以降は打撃投手を務め、その後球団フロント入りする。スコアラー時代は名スコアラーと評され一流の分析力で的確な指示を出すプロだったという[2]。2011年シーズンまで取締役球団本部長職を務め、同年の公式戦全日程終了をもって退団した[3]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1970 | ロッテ | 18 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 94 | 20.2 | 23 | 3 | 11 | 0 | 0 | 14 | 1 | 0 | 15 | 13 | 5.57 | 1.65 |
1971 | 18 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | -- | -- | .500 | 101 | 23.1 | 19 | 2 | 15 | 2 | 0 | 19 | 1 | 1 | 11 | 10 | 3.91 | 1.46 | |
1972 | 19 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | -- | -- | .000 | 163 | 33.1 | 49 | 5 | 23 | 1 | 1 | 11 | 1 | 0 | 24 | 21 | 5.73 | 2.16 | |
1973 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 4 | 0.1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 81.00 | 9.00 | |
1974 | 太平洋 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 12 | 2.0 | 2 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 22.50 | 3.50 |
通算:5年 | 60 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | -- | .125 | 374 | 79.2 | 96 | 12 | 54 | 3 | 1 | 44 | 3 | 1 | 58 | 52 | 5.85 | 1.88 |
記録
[編集]- 初登板:1970年4月12日、対南海ホークス2回戦(東京スタジアム)、8回表から4番手で救援登板・完了、2回3失点
- 初先発登板:1970年10月10日、対東映フライヤーズ25回戦(後楽園球場)、3回無失点で勝敗つかず
- 初勝利:1971年9月15日、対近鉄バファローズ26回戦(東京スタジアム)、5回表から2番手で救援登板、3回1/3無失点
背番号
[編集]- 16 (1970年 - 1972年)
- 14 (1973年)
- 30 (1974年 - 1975年)
- 62 (1976年)
- 84 (1980年 - 1981年)
- 93 (1982年 - 1991年)
- 01 (1992年 - 1993年)
登録名
[編集]- 前田 康雄 (まえだ やすお、1970年 - 1971年)
- 前田 康介 (まえだ こうすけ、1972年 - 1976年)
脚注
[編集]- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
- ^ 黄金時代西武の名スコアラー 原辰徳攻略法完全把握していた - ポストセブン
- ^ 2011/10/18 人事のお知らせ - 埼玉西武ライオンズ公式サイト
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 前田康介 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)