加古郡
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加古郡(かこぐん)は、兵庫県(播磨国)の郡。風土記では賀古郡と書かれた。
人口63,562人、面積44.05km²、人口密度1,443人/km²。(2024年12月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
[編集]1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、下記の区域にあたる。基本的に加古川の河口左岸が加古郡、右岸が印南郡である[1]。
神戸市に近い地域で都市化が進んでおり田園との複合地域である。
歴史
[編集]近世以降の沿革
[編集]知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 播磨姫路藩 | 2町 93村 |
宗佐村、○野村、野新村、草谷村、下草谷村、野谷新村、野寺村、蛸草新村、○岡村、出新村、印南新村新田、○国安村、六分一村、野際新村、森安村、幸竹新村、中村、北山村、国岡新村、加古新村、下村、船町村、上西条村、中西条村、下西条村、●手末村、二塚村、石守村、西之山村、福留村、横市新村、中一色村[3]、和田新村、高畑村、西谷新村、土山村、●○野添村、●○古宮村、○東本庄村、●○西本庄村、宮北村、東中野村、大沢村、●古向村、中野村、山之上村、二俣村、新在家村、寺田新村、野辻新村、福沢新村、北野村、有増地新村、水足村、広岡新村、○大野村、大野新村、中津村、河原村、白新村新田、篠原村、○溝口村、間形村、大辻村、○寺家村、古大内村、二屋村、○一色村、八反田村、宮西村、西脇村、●別府村、坂井村、新野辺村、口里村、池田村、○長田村、安田村、●小安村、○長砂村、天王寺村、坂元村、細田村、北在家村、平野村、○寺家町、○粟津村、植田村、備後村、今福村、養田村、○高砂町[4]、小松原村、荒井村、経田村 |
武蔵忍藩 | 4村 | ○二子村、福里村、●○東二見村、●西二見村 |
- 明治4年
- 明治初年(2町88村)
- 大辻村・寺家村が合併して野口村となる。
- 天王寺村・細田村が合併して良野村となる。
- このころ野新村が野村に合併(明治5 - 19年の間)。
- 野際新村が六分一村に、有増地新村・白新村新田が北野村に、広岡新村が水足村に、小安村・植田村が北在家村にそれぞれ合併。
- 明治5年(1872年) - このころ出新村が岡村に合併。(2町87村)
- 明治9年(1876年)(2町79村)
- 明治11年(1878年) - 備後村が分割して南備後村・北備後村となる。(2町80村)
- 明治12年(1879年)1月8日 - 郡区町村編制法の兵庫県での施行により、行政区画としての加古郡が発足。郡役所が寺家町に設置。
- 明治19年(1886年) - このころ寺田新村・野辻新村が新在家村に合併(明治19 - 22年の間)。(2町78村)
町村制以降の沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・加古川市。郡役所の所在地が加古川町となる。(2町14村)
- 加古川町 ← 寺家町、篠原村、印南郡加古川町
- 氷丘村 ← 河原村、中津村、大野村、溝口村、美乃利村、平野村
- 神野村 ← 神野村、西之山村、石守村、福留村、下西条村
- 八幡村 ← 下村、中西条村、上西条村、船町村、宗佐村、野村
- 加古新村(単独村制・現・稲美町)
- 母里村 ← 蛸草新村、草谷村、下草谷村、野谷新村、印南新村新田、野寺村(現・稲美町)
- 天満村 ← 中村、岡村、六分一村、国安村、森安村、幸竹新村、和田新村、北山村、国岡新村、中一色村(現・稲美町)
- 野口村 ← 野口村、水足村、北野村、坂元村、良野村、長砂村、坂井村、二屋村、古大内村
- 平岡村 ← 西谷新村、新在家村、二俣村、一色村、中野村、山之上村、高畑村、土山村、八反田村
- 二見村 ← 東二見村、西二見村、福里村(現・明石市)
- 阿閇村 ← 本庄村、二子村、野添村、古宮村、大中村、古田村、宮西村(現・播磨町)
- 別府村 ← 別府村、新野辺村、西脇村
- 尾上村 ← 長田村、口里村、池田村、安田村、今福村、養田村
- 高砂町(単独町制[5]。現・高砂市)
- 荒井村 ← 荒井村、小松原村(現・高砂市)
- 鳩里村 ← 南備後村、北備後村、北在家村、粟津村、印南郡木村、西河原村、友沢村、稲屋村
- 明治29年(1896年)7月1日 - 郡制を施行。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和2年(1927年)1月1日 - 二見村が町制施行して二見町となる。(3町13村)
- 昭和3年(1928年)11月15日 - 別府村が町制施行して別府町となる。(4町12村)
- 昭和4年(1929年)3月20日 - 鳩里村が加古川町に編入。(4町11村)
- 昭和12年(1937年)3月15日 - 氷丘村が加古川町に編入。(4町10村)
- 昭和23年(1948年)10月1日 - 加古新村が改称して加古村となる。
- 昭和25年(1950年)6月15日 - 加古川町・神野村・野口村・平岡村・尾上村が合併して加古川市が発足し、郡より離脱。(3町6村)
- 昭和26年(1951年)
- 1月10日 - 二見町が明石市に編入。(2町6村)
- 10月1日 - 別府町が加古川市に編入。(1町6村)
- 昭和29年(1954年)7月1日 - 高砂町・荒井村が印南郡曽根町・伊保村と合併して高砂市が発足し、郡より離脱。(5村)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和37年(1962年)4月1日 - 阿閇村が町制施行・改称して播磨町となる。(2町)
変遷表
[編集]自治体の変遷
明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和9年 | 昭和10年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和39年 | 昭和40年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|
加古川町 | 加古川町 | 加古川町 | 昭和25年6月15日 加古川市 |
加古川市 | 加古川市 | 加古川市 |
鳩里村 | 昭和4年3月20日 加古川町に編入 | |||||
氷丘村 | 氷丘村 | 昭和12年3月15日 加古川町に編入 | ||||
神野村 | 神野村 | 神野村 | ||||
野口村 | 野口村 | 野口村 | ||||
平岡村 | 平岡村 | 平岡村 | ||||
尾上村 | 尾上村 | 尾上村 | ||||
別府村 | 昭和3年11月15日 町制 別府町 |
別府町 | 昭和26年10月1日 加古川市に編入 | |||
八幡村 | 八幡村 | 八幡村 | 八幡村 | 昭和30年4月1日 加古川市に編入 | ||
高砂町 | 高砂町 | 高砂町 | 昭和29年7月1日 高砂市 |
高砂市 | 高砂市 | 高砂市 |
荒井村 | 荒井村 | 荒井村 | ||||
加古新村 | 加古新村 | 加古新村 | 昭和23年10月1日 改称 加古村 |
昭和30年3月31日 稲美町 |
稲美町 | 稲美町 |
母里村 | 母里村 | 母里村 | 母里村 | |||
天満村 | 天満村 | 天満村 | 天満村 | |||
阿閇村 | 阿閇村 | 阿閇村 | 阿閇村 | 昭和37年4月1日 町制改称 播磨町 |
播磨町 | 播磨町 |
二見村 | 昭和2年1月1日 町制 二見町 |
二見町 | 昭和26年1月10日 明石市に編入 |
明石市 | 明石市 | 明石市 |
行政
[編集]- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治12年(1879年)1月8日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
[編集]- ^ 洗川樋門姫路河川国道事務所 - 現代の感覚では高砂町・荒井町は加古川右岸と感じるが、大正期の河川改修までは現在の高砂市米田町米田新付近で加古川と分かれ荒井村の西端を流れる「洗川」があり、これが加古川の西流とみられていた。洗川からみれば高砂・荒井は「左岸」になる。
- ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
- ^ 記載は中一色新村。
- ^ 記載は高砂。高砂城下各町の総称。本項では便宜的に1町に数える。
- ^ この時点では高砂細工町、高砂南浜町、高砂戎町、高砂西宮町、高砂田町、高砂今津町、高砂魚町、高砂大工町、高砂釣船町、高砂狩網町、高砂猟師町、高砂南本町、高砂南渡海町、高砂北渡海町、高砂横町、高砂北本町、高砂材木町、高砂東浜町、高砂船頭町、高砂鍛冶屋町、高砂清水町、高砂東宮町、高砂高瀬町、高砂次郎助町、高砂藍屋町、高砂東農人町、高砂西之浜、高砂鍵町、高砂農人町が存在。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 28 兵庫県、角川書店、1988年9月1日。ISBN 4040012801。
- 旧高旧領取調帳データベース