加茂地区 (徳島市)
加茂地区 かも | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 徳島県 |
自治体 | 徳島市 |
旧自治体 | 名東郡加茂町の大半 |
世帯数 |
8,443世帯 |
総人口 |
19,682人 (徳島市情報推進課、2011年6月1日) |
隣接地区 | 不動地区・応神地区・渭北地区・内町地区・佐古地区・加茂名地区 |
徳島市役所加茂支所 | |
所在地 |
〒770-0003 徳島県徳島市北田宮四丁目6番60号 |
地理
[編集]徳島市北部に位置し、中心市街地[1]の北に接する。
加茂地区の区域は、戦時中の1937年(昭和12年)に徳島市に編入された加茂町町域の大半を占める。ただし、旧加茂町上助任(ほぼ 現 上助任町)は渭北地区である。
吉野川デルタの一部で、北・東・南の3方を鮎喰川(北)・吉野川(北)・新町川(東)・田宮川(南)に囲まれている。ただし吉野川以外は地区境と一部ずれており、田宮川・鮎喰川対岸の一部が加茂地区に含まれ、新町川手前の一部が加茂地区に含まれない。
県道30号が地区を東西に貫き、その両側が商業地となっている。他は主に住宅地だが、東部の田宮(北田宮・南田宮)などの一部が工業地や住工併用地になっている。北部には吉野川と鮎喰川の河川敷が広がる。
河川
[編集]河川 | 解説 |
---|---|
吉野川 | 一級河川。地区内の川はすべて吉野川水系。地区北東縁を流れ応神地区を隔てる。 |
鮎喰川 | 吉野川の支流。地区北西縁を流れ不動地区を隔てる。 |
飯尾川 | 鮎喰川の支流。 |
新町川 | 吉野川の分流。徳島市中心街へ流れてゆく。地区東縁を流れ渭北地区・内町地区を隔てる。 |
田宮川 | 新町川の支流。地区南縁を流れ佐古地区を隔てる。 |
-
鮎喰川。右(南)が加茂地区。
-
新町川からの助任川の分岐店(助任川から)。奥が加茂地区。
-
田宮川。この付近では両岸とも加茂地区である。
隣接する地区
[編集]不動地区 | 応神地区 | |||
加茂名地区 | 渭北地区 | |||
加茂地区 | ||||
佐古地区 | 内町地区 |
不動地区とは鮎喰川、応神地区とは吉野川、渭北地区・内町地区とは新町川、佐古地区とは田宮川を挟んでいる。ただし、渭北地区との境の一部は新町川の手前、佐古地区・不動地区との境の一部は田宮川・鮎喰川の向こう側である。応神地区との間に橋はないが、他の地区とは橋で結ばれている。
町
[編集]人口は徳島市による推計[2](2011年6月)。
町 | 丁目・小字 | 人口 | 注記 |
---|---|---|---|
南田宮 | 一~四丁目 | 2618 | |
北田宮 | 一~四丁目 | 5433 | |
田宮町 | 小字 | 7 | 直接には記されていないので減算による推算。 |
春日 | 一~三丁目 | 3255 | |
春日町 | 小字 | 24 | |
北矢三町 | 一~四丁目 | 4276 | 四丁目 1~5・9番を除く。 |
南矢三町 | 一~三丁目 | 3818 | |
北佐古 | 一番町 3・4番 二番町 3・4番 |
251 | 一~二番町のうち。 |
計 | 19682 |
一方で、
- 北佐古一番町 2番のごく一部・3番・4番の大半・5番のごく一部
- 北佐古二番町 2番の一部・3番・4番の一部
を含み、
- 田宮町
- 春日町宝野の一部
- 北矢三町四丁目 1番~5番・9番・10番
- 南矢三町三丁目 5番のごく一部
地区を町単位で決めることもあり、その場合、北矢三町全域を含み、北佐古を含まない[1][5]。
歴史
[編集]地区名の由来
[編集]平安時代にあった加茂郷(賀茂郷とも)が、地名の由来である。1889年の加茂村成立の際、村名として採用され、地区名にも引き継がれた。
ただし加茂郷の位置には諸説ある。『大日本地名辞書』は加茂地区・加茂名地区とするが、『日本地理志料』は北井上地区・南井上地区、『徳島県史(第1巻)』『阿府志』は南井上地区、『阿波志』は石井町とする。
近年の発掘調査によると、「加毛」と書かれた平安時代の墨書土器が庄町から出土したことから、加茂名地区・佐古地区(庄町・蔵本町・佐古)とする説が有力である[6]。
年表
[編集]- 896年 - 名方郡が名東郡と名西郡に分割。
- 1889年10月 - 1日町村制施行に伴い、名東郡田宮村(ほぼ現 北田宮・南田宮・田宮町)・矢三村(北矢三町・南矢三町)・今切村(ほぼ現 春日・春日町)、および上助任村が合併し、加茂村が誕生。
- 1911年 - この年から1929年にかけての吉野川改修により、田宮村・浜高房(現 春日町浜高房)の各一部が河川敷となり、住民が移住した。
- 1933年4月 - 加茂村が加茂町に移行。 1日
- 1937年10月 1日 - 加茂町が徳島市に編入。今切が春日町となった。
- 1968年 - 町割が大きく変わり、現在のものに。加茂地区周辺の町との間にも変更があった。
交通
[編集]道路
[編集]- 都道府県道
- 徳島県道15号徳島吉野線 - 吉野川と鮎喰川の堤防上を走る県道で、「堤防の上」と呼ばれることもある。
- 徳島県道30号徳島鴨島線 - 田宮街道の愛称でも知られており、拡張工事の効果により近年は都市化が進んでいる。
- 徳島県道41号徳島北灘線 - 起点は北矢三町。徳島市から鳴門市北灘町折野へ至る主要地方道。
橋
[編集]橋 | 川 | 対岸 | 道路 | 備考 |
---|---|---|---|---|
弁天橋 | 鮎喰川 | 不動地区 | 県道41号 | |
弁天橋潜水橋 | 鮎喰川 | 不動地区 | 増水時には水没する潜水橋。 | |
飯尾川 | 地区内 | 鮎喰川への合流点手前の水門の上を通る。 | ||
蛭子橋 | 新町川 | 渭北地区 | 県道15号 | |
三ツ合橋 | 新町川 助任川 |
渭北地区 内町地区 |
合流点に架かり3地区を結ぶ。 | |
矢蔵橋 | 田宮川 | 加茂名地区 | ||
佐蔵矢橋 | 田宮川 | 佐古地区 | ||
佐矢橋 | 田宮川 | 佐古地区 | ||
六号側道橋 | 田宮川 | 佐古地区 | 四号側道橋と対で対向車線をなす。 | |
四号側道橋 | 田宮川 | 佐古地区 | 六号側道橋と対で対向車線をなす。 | |
天神橋 | 田宮川 | 地区内 | ||
千松橋 | 田宮川 | 地区内 | ||
煙硝蔵橋 | 田宮川 | 佐古地区 | 名の由来は近世の火薬庫「焔硝蔵」。 | |
宮古橋 | 田宮川 | 佐古地区 | 古くは田宮橋と呼んだ。 |
教育機関
[編集]学校名 | 所在地 | 解説 |
---|---|---|
徳島県立城ノ内中学校・高等学校 | 徳島市北田宮1丁目9番30号 | 2004年に中高一貫校化。 |
徳島県立城北高等学校 | 徳島市北田宮4丁目13番6号 | |
徳島県立徳島科学技術高等学校 | 徳島市北矢三町2丁目1番1号 | 2009年開校。 |
徳島県立徳島中央高等学校 | 徳島市北矢三町1丁目3番8号 | |
徳島市立城西中学校 | 徳島市南矢三町2丁目 | |
徳島県立しらさぎ中学校 | 徳島市北矢三町1丁目3番8号 | 全国初の県立の夜間中学校。 |
徳島市立千松小学校 | 徳島市南田宮4丁目5番5号 | |
徳島市立千松幼稚園 | 徳島市南矢三町1丁目7番68号 | |
青嵐保育園 | 徳島市北田宮2丁目2番58号 | 社会福祉法人健祥会が運営。 |
徳島歯科学院専門学校 | 徳島市北田宮1丁目8番65号 | 徳島県歯科医師会が運営。歯科衛生士科、歯科技工士科がある。 |
広沢自動車学校 | 徳島市南田宮2丁目4番3号 | 徳島県公安委員会指定の自動車教習所。 |
廃校 | ||
徳島文化女子短期大学 | 徳島市南矢三町1丁目12番77号 | 廃校。 |
徳島県立徳島工業高等学校 | 徳島市北矢三町2丁目1番1号 | 廃校。 |
施設
[編集]公共施設
[編集]社寺・史跡
[編集]- 天神社
- 篠原神社(今切城址)
- 吉備津神社
- 神明神社
- 薬師寺
- 真観寺
- 妙福寺 - 阿波秩父観音霊場30番札所。
- 幸福寺
- 高橋家住宅 - 国の登録有形文化財。
- こんにゃく橋跡 - 四国のみずべ八十八カ所選定。