コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

北串山村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
きたくしやまむら
北串山村
廃止日 1955年2月1日
廃止理由 新設合併
小浜町、北串山村小浜町
現在の自治体 雲仙市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
南高来郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,619
国勢調査、1950年)
隣接自治体 南高来郡小浜町西有家町北有馬村南串山村
北串山村役場
所在地 長崎県南高来郡北串山村丁
座標 北緯32度42分29秒 東経130度11分12秒 / 北緯32.70817度 東経130.18678度 / 32.70817; 130.18678座標: 北緯32度42分29秒 東経130度11分12秒 / 北緯32.70817度 東経130.18678度 / 32.70817; 130.18678
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

北串山村(きたくしやまむら)は、長崎県島原半島にあった村。南高来郡に属した。1955年(昭和30年)に北隣[1]の小浜町と合併し、改めて発足した小浜町の一部となった。

現在の雲仙市小浜町の南部にあたる。

地理

[編集]

島原半島の南西部に位置し、海岸線を千々石湾(橘湾)に接する。

  • 河川:金浜川、飛子川(境川)、浦河内川、陰平川、菜切川
  • 溜池:諏訪池(上池・中池・新池)

沿革

[編集]

近世初頭は串山村1村であったが、承応元年に北串山村と南串山村の2村に分けられた[2]

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、南高来郡北串山村が単独村制にて発足。
  • 1955年(昭和30年)2月1日 - 小浜町と合併して改めて小浜町が発足し、北串山村は自治体として消滅。

人口

[編集]

1893年出版の『長崎県南高来郡町村要覧 下編』によると、戸数757戸、人口4129人[3]

経済

[編集]

産業

[編集]
農業

『大日本篤農家名鑑』によれば北串山村の篤農家は「松藤總衛、眞島馬蔵、甲斐七郎、隈部新十郎、吉原角馬、松島九郎、木下十蔵」などである[4]

商工業

清酒醸造1戸、樟脳3所、荷受問屋1戸、米穀仲買1人、居商26戸[3]

地名

[編集]

を行政区域とする。北串山村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。

なお、北串山村では名の名称を十干に置き換えて表記する[5]

  • 甲 / 金浜名
  • 乙 / 木場名[3]
『長崎県南高来郡町村要覧 下編』北串山村の頁では地内の名数を3名とし、木場名は金浜名に、大亀名は山畑名にそれぞれ統合された旨の記載があるが、村内での行政上の区分けとみられる。※地名参考[6]
  • 丙 / 大亀名[3]
  • 丁 / 山畑名
  • 戊 / 飛子名

出身・ゆかりのある人物

[編集]
  • 松永東(弁護士、政治家) - 衆議院議長、文部大臣などを歴任。弁護士、衆議院議員松永光の養父である。

脚注

[編集]
  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年1月1日
  2. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「北串山村(近世)」
  3. ^ a b c d 『長崎県南高来郡町村要覧 下編』84-87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月17日閲覧。
  4. ^ 『大日本篤農家名鑑』84頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月17日閲覧。
  5. ^ 小浜町との合併後は十干での置き換え表記を廃止し、末尾の「名」の文字を削除した地名表記となった。
  6. ^ 長崎縣告示第二百七十八號 南高来郡大三東村外森林開墾制限解除の件〔23〕 長崎県公報 明治43年4月26日付。

参考文献

[編集]
  • 『長崎県南高来郡町村要覧 下編』長崎県南高来郡、1893年。
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 角川日本地名大辞典 42 長崎県』。

関連項目

[編集]