北串山村
表示
きたくしやまむら 北串山村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年2月1日 |
廃止理由 |
新設合併 小浜町、北串山村 → 小浜町 |
現在の自治体 | 雲仙市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 南高来郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,619人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 南高来郡小浜町、西有家町、北有馬村、南串山村 |
北串山村役場 | |
所在地 | 長崎県南高来郡北串山村丁 |
座標 | 北緯32度42分29秒 東経130度11分12秒 / 北緯32.70817度 東経130.18678度座標: 北緯32度42分29秒 東経130度11分12秒 / 北緯32.70817度 東経130.18678度 |
ウィキプロジェクト |
北串山村(きたくしやまむら)は、長崎県の島原半島にあった村。南高来郡に属した。1955年(昭和30年)に北隣[1]の小浜町と合併し、改めて発足した小浜町の一部となった。
現在の雲仙市小浜町の南部にあたる。
地理
[編集]島原半島の南西部に位置し、海岸線を千々石湾(橘湾)に接する。
- 河川:金浜川、飛子川(境川)、浦河内川、陰平川、菜切川
- 溜池:諏訪池(上池・中池・新池)
沿革
[編集]近世初頭は串山村1村であったが、承応元年に北串山村と南串山村の2村に分けられた[2]。
人口
[編集]1893年出版の『長崎県南高来郡町村要覧 下編』によると、戸数757戸、人口4129人[3]。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば北串山村の篤農家は「松藤總衛、眞島馬蔵、甲斐七郎、隈部新十郎、吉原角馬、松島九郎、木下十蔵」などである[4]。
- 商工業
清酒醸造1戸、樟脳3所、荷受問屋1戸、米穀仲買1人、居商26戸[3]。
地名
[編集]名を行政区域とする。北串山村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。
なお、北串山村では名の名称を十干に置き換えて表記する[5]。
- 甲 / 金浜名
- 乙 / 木場名[3]
- 『長崎県南高来郡町村要覧 下編』北串山村の頁では地内の名数を3名とし、木場名は金浜名に、大亀名は山畑名にそれぞれ統合された旨の記載があるが、村内での行政上の区分けとみられる。※地名参考[6]。
- 丙 / 大亀名[3]
- 丁 / 山畑名
- 戊 / 飛子名
出身・ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年1月1日
- ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「北串山村(近世)」
- ^ a b c d 『長崎県南高来郡町村要覧 下編』84-87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月17日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』84頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月17日閲覧。
- ^ 小浜町との合併後は十干での置き換え表記を廃止し、末尾の「名」の文字を削除した地名表記となった。
- ^ 長崎縣告示第二百七十八號 南高来郡大三東村外森林開墾制限解除の件〔23〕 長崎県公報 明治43年4月26日付。
参考文献
[編集]- 『長崎県南高来郡町村要覧 下編』長崎県南高来郡、1893年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『角川日本地名大辞典 42 長崎県』。