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北名古屋市立師勝小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北名古屋市立師勝小学校
地図北緯35度14分51.1秒 東経136度53分13.7秒 / 北緯35.247528度 東経136.887139度 / 35.247528; 136.887139座標: 北緯35度14分51.1秒 東経136度53分13.7秒 / 北緯35.247528度 東経136.887139度 / 35.247528; 136.887139
過去の名称 師勝町立師勝小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 北名古屋市
設立年月日 1907年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210008568 ウィキデータを編集
所在地 481-0003
愛知県北名古屋市能田105
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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北名古屋市立師勝小学校(きたなごやしりつしかつしょうがっこう)は、愛知県北名古屋市にある公立小学校

概要

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  • 旧・西春日井郡師勝町の中心地にある小学校であり、校区は鹿田院田前、鹿田院田屋敷、鹿田丹波屋敷(一部)、鹿田東蒲屋敷、鹿田西蒲屋敷、鹿田南蒲屋敷、鹿田北蒲屋敷、鹿田国門地、鹿田合田(一部)、鹿田新宮境内附、鹿田永塚(一部)、鹿田西赤土、鹿田東村前、熊之庄江川、熊之庄御榊、熊之庄八幡、熊之庄屋形、六ツ師道毛(一部)、六ツ師松葉(一部)、片場大石、片場郷、片場新町、片場白山、片場都、片場六所、高田寺西の門(一部)、高田寺屋敷(一部)、井瀬木赤土、井瀬木居屋敷、井瀬木鴨、井瀬木五反地、井瀬木高畑(一部)、能田である[1]

沿革

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師勝小学校は1907年(明治40年)3月に創立である[2]。ここではそれ以前についても記述する。

  • 1873年(明治6年)
    • (時期不明) - 鹿田村に時習学校が開校。鹿田村、高田寺村、井瀬木村、二子村、久地野村、能田村、片場村の児童が通学する。仁昌寺[注釈 1]を仮校舎とする。
    • (時期不明) - 六ツ師村に六師熊ノ庄学校が開校。六ツ師村と熊之庄村の児童が通学する。長栄寺[注釈 2]を仮校舎とする。
    • 9月18日 - 時習学校から和楽学校が分立する。時習学校の校区は鹿田村のみとなり、鹿田学校の通称で呼ばれる。
  • 1876年(明治9年)
    • (時期不明) - 六ツ師村と熊之庄村で組合を設立。六師熊ノ庄学校は閃明学校となる。校舎は 六ツ師村の長栄寺と熊之庄村の長岳院[注釈 3]で1か月毎に交代とする。
    • 12月 - 和楽学校が高田学校に改称する。
  • 1880年(明治13年) - 六ツ師村と熊之庄村の組合を解消。六ツ師村の六ツ師学校と熊之庄村の熊之庄学校に分立する。
  • 1884年(明治17年) - 高田学校が訓原学校に改称する。
  • 1887年(明治20年)4月 - 時習学校が廃校。朝日村九之坪村、鹿田村で三村組合立小学校を九之坪村に開校。
  • 1889年(明治22年)10月1日 -
    • 高田寺村、井瀬木村、二子村、久地野村、能田村、片場村が合併し、訓原村が発足。
    • 九之坪村、加島新田が合併し、九ノ坪村が発足。
  • 1890年(明治23年)4月 - 旧・朝日村、九之坪村、鹿田村の三村組合立が解散。鹿田村は単独で鹿田尋常小学校を開校。
  • 1892年(明治25年)
    • 4月8日 - 訓原学校が高田尋常小学校に改称する。同時期に熊之庄学校が熊之庄尋常小学校、六ツ師学校が六ツ師尋常小学校に改称する。
    • 10月8日 - 六ツ師村に西春日井郡北部高等小学校が開校。
  • 1893年(明治26年) - 熊之庄尋常小学校が日光寺[注釈 4]境内に校舎を新築し、移転。
  • 1902年(明治35年)2月 - 鹿田尋常小学校の校舎が火災により全焼する(後に再建)。
  • 1906年(明治39年)7月16日 - 鹿田村六ツ師村訓原村熊之庄村が合併し、師勝村が発足。
  • 1907年(明治40年)3月23日 - 鹿田尋常小学校、六ツ師尋常小学校、熊之庄尋常小学校、高田尋常小学校を統合し、師勝尋常小学校が開校。統合校舎は無く、旧・鹿田尋常小学校は鹿田仮教場、旧・六ツ師尋常小学校は六ツ師仮教場、旧・熊之庄尋常小学校は熊之庄仮教場、旧・高田尋常小学校は訓原仮教場となる。
  • 1908年(明治41年)
    • 3月26日 - 西春日井郡北部高等小学校が廃校。師勝尋常小学校に高等科を設置し、師勝尋常高等小学校に改称する。
    • 8月 - 現在地に統合校舎が完成する。
  • 1912年(大正元年)9月22日 - 暴風雨により校舎が全壊する。
  • 1913年(大正2年)5月9日 - 校舎を再建する。
  • 1918年(大正7年)5月30日 - 農業補習学校を併設する。
  • 1919年(大正8年)2月3日 - 校舎を増築する。
  • 1920年(大正9年)
    • 4月 - 訓原仮教場を廃止する。
    • 10月29日 - 校舎を増築する。
  • 1921年(大正10年)4月 - 鹿田仮教場、六ツ師仮教場、熊之庄仮教場を廃止する。
  • 1926年(大正15年)
    • 4月20日 - 師勝青年訓練所を併設する。
    • 9月21日 - 校舎を増築する。
  • 1934年(昭和9年)11月3日 - 講堂、特別教室を新築する。
  • 1935年(昭和10年)4月1日 - 師勝青年学校を併設する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 師勝国民学校に改称する。
  • 1943年(昭和18年)10月1日 - 校舎を増築する。
  • 1944年(昭和19年)5月1日 - 西春村師勝村豊山村楠村山田村の青年学校を統合し、組合立西春日井郡中部青年学校となる。中部青年学校の校舎は西春日井郡師勝村大字井瀬木字赤土370[注釈 5]に新築する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 師勝村立師勝小学校に改称する。
  • 1951年(昭和26年)3月5日 - 校舎の一部を使用し、師勝保育園を設置する。
  • 1954年(昭和29年)9月18日 - 新校舎が完成する。
  • 1956年(昭和31年)11月13日 - 師勝保育園が移転する。
  • 1958年(昭和33年)10月31日 - 師勝村立師勝中学校の校舎を移築する。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 師勝村が町制施行し、師勝町となる。同時に師勝町立師勝小学校に改称する。
  • 1971年(昭和46年)4月 - 師勝町立師勝南小学校を分離する。
  • 1973年(昭和48年)4月 - 師勝町立師勝北小学校を分離する。
  • 1974年(昭和49年)4月 - 師勝町立師勝東小学校を分離する。
  • 1980年(昭和55年)4月 - 師勝町立師勝西小学校を分離する。
  • 2006年(平成18年)3月20日 - 師勝町西春町が合併し、北名古屋市が発足。同時に北名古屋市立師勝小学校に改称する。

交通アクセス

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周辺施設

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参考文献

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  • 師勝町総務部企画課『師勝町史 増補編』師勝町、1981年、pp. 308-317 pp. 397-405 pp. 472-475

脚注

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注釈

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  1. ^ 現在の愛知県北名古屋市鹿田73にある寺院。
  2. ^ 現在の愛知県北名古屋市六ツ師2358にある寺院。
  3. ^ 現在の愛知県北名古屋市熊之庄3097にある寺院。
  4. ^ 現在の愛知県北名古屋市熊之庄3159-1にある寺院。
  5. ^ 現在の北名古屋市立師勝中学校の場所に該当。

関連項目

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外部リンク

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