北岡駅
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北岡駅 | |
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京極側から望む駅跡(2005年8月20日撮影) | |
きたおか Kitaoka | |
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所在地 | 北海道虻田郡京極町字北岡 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 胆振線 |
キロ程 | 72.6 km(伊達紋別起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1960年(昭和35年)10月1日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 胆振線廃線に伴い廃駅[1] |
北岡駅(きたおかえき)は、北海道(後志支庁)虻田郡京極町字北岡にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)胆振線の駅(廃駅)である[1]。事務管理コードは▲131916[3]。
歴史
[編集]- 1960年(昭和35年)10月1日 - 国有鉄道胆振線の北岡駅として開業[4]。請願駅[5]。気動車の旅客のみ取り扱い[1]の駅員無配置駅[6]。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 胆振線の全線廃止に伴い、廃駅となる[2]。
駅名の由来
[編集]所在地名より[7]。「京極の北にある高台」であることによる命名[7]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の北東側(倶知安方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[5]。
無人駅となっており、駅舎は無かったが出入口附近に待合所を有した[8]。ホーム東側の出入口は階段となっていた[8]。
利用状況
[編集]- 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は8人[5]。
駅周辺
[編集]駅跡
[編集]2001年(平成13年)時点ではビート畑の中に待合所のみが残存しており[10]、2010年(平成22年)時点[11]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[8]。線路跡は畑に編入されていた[8]。待合所は物置として利用されており、附近の道路には踏切の跡が残っている。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、859-860頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、226頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ “日本国有鉄道公示第462号”. 官報. (1960年9月30日)
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)94ページより。
- ^ 「通報 ●胆振線北岡外1駅の設置について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1960年9月30日、3面。
- ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、81頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c d 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)205,208ページより。
- ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)6ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング、2001年8月発行)68-69ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)152-154ページより。