優徳駅
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優徳駅 | |
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ゆうとく Yūtoku | |
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所在地 | 北海道有珠郡大滝村字優徳 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 胆振線 |
キロ程 | 30.3 km(伊達紋別起点) |
電報略号 | ユト |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1940年(昭和15年)12月15日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 胆振線廃線に伴い廃駅 |
優徳駅(ゆうとくえき)は、北海道(胆振支庁)有珠郡大滝村字優徳(現・伊達市大滝区優徳町)にあった日本国有鉄道(国鉄)胆振線の駅(廃駅)である。電報略号はユト。事務管理コードは▲131906[3]。
歴史
[編集]- 1940年(昭和15年)12月15日 - 胆振縦貫鉄道伊達紋別駅 - 徳舜瞥駅(後の新大滝駅)間開通に伴い開業。一般駅[1]。
- 1944年(昭和19年)7月1日 - 胆振縦貫鉄道が戦時買収により国有化[1]。線路名を胆振線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1971年(昭和46年)10月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止[1][4]。無人駅となる[5](簡易委託化[6])。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 胆振線の廃線に伴い廃止となる[2]。
駅名の由来
[編集]→「徳舜瞥」の由来については「新大滝駅」を参照
所在地名より。1899年(明治32年)に当地が橋口文蔵に払い下げられた際、「徳舜瞥のうちの優れたところ(強調は引用者による)」との意で「優徳」と名付けたことに由来する[7]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南東側(倶知安方面に向かって右手側)に存在した[8]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎と反対側の1線は交換設備運用廃止後も伊達紋別方の転轍機と一部の線路が撤去された状態で側線として残っていた[8]。ただし1983年(昭和58年)時点ではホームは撤去されていた[8]。
無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた[8]。駅舎は構内の南東側に位置し、ホームから少し離れていた[8]。
利用状況
[編集]- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は24人[8]。
駅周辺
[編集]- 北海道道723号洞爺湖大滝線[9] - 現・国道453号(有珠国道)。
- 優徳簡易郵便局
- 伊達市立大滝小学校
- 北海道地区国立大学大滝セミナーハウス
- 長流川[9]
駅跡
[編集]広い空き地となっている。
1993年に新大滝駅跡から伊達紋別方へ約0.7kmの地点から当駅の先までの線路跡が約5.5kmに渡りサイクリングロードの「平成ふるさとの道」として整備され[10][11]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[12]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、858頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b 「日本国有鉄道公示第109号」『官報』1986年10月14日。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、226頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 「日本国有鉄道公示第383号」『官報』1971年9月30日。
- ^ 「通報 ●胆振線蟠渓駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1971年9月30日、11面。
- ^ 「営業体制近代化」『交通新聞』交通協力会、1971年10月6日、1面。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、78頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)92ページより。
- ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)
- ^ “生まれ変わった旧胆振線”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1996年10月19日)
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング、2001年8月発行)71ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)155ページより。