コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

北海道炭礦汽船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北炭から転送)
北海道炭礦汽船株式会社
Hokkaido Colliery & Steamship Co., LTD.
種類 株式会社
市場情報
東証1部 1505
1949年5月16日 - 1978年10月3日
略称 北炭
本社所在地 日本の旗 日本
103-0023
東京都中央区日本橋本町4丁目15番11号
設立 1889年(明治22年)11月18日
業種 卸売業
法人番号 5010001056721 ウィキデータを編集
事業内容 石炭の輸入販売
代表者 工藤克彦(代表取締役社長)
資本金 2,100万円
従業員数 9人(2024年6月27日現在)
外部リンク http://www.hokutan-coal.co.jp/
テンプレートを表示

北海道炭礦汽船株式会社(ほっかいどうたんこうきせん、: Hokkaido Colliery & Steamship Co., LTD.)は、石炭の輸入販売を行う日本の株式会社である。通称は北炭(ほくたん)。「礦」の字が「砿」「鉱」「鑛」などと記された資料もある。

会社は1889年明治22年)に設立され、かつては北海道で多くの炭鉱を経営していた。財閥解体までは三井財閥に属し、その後も三井グループの一員であった。

政商とよばれた萩原吉太郎会長[1]も一時代を築いた三井の大立者として知られる。また、慶應義塾大学理工学部へ土地を寄附した。

本店は東京都中央区日本橋本町にあるが、1989年平成元年)まで本店は中央区日本橋室町にあった。 かつては室蘭市に本店を置いていた北海道有数の大企業であり、上場企業でもあった(証券コードは1505、上場廃止銘柄のコードが新規上場銘柄に付与されることはない)。

現在はロシアからの石炭輸入を中心とする専門商社となっており、北海道などにはグループ会社がある。

沿革

[編集]

北海道炭礦鉄道

[編集]
北海道炭礦鉄道株式会社 路線図

鉄道国有化後

[編集]
  • 1906年(明治39年)10月1日 - 鉄道国有法に伴い、北海道の幹線鉄道約200キロメートルを国に売却し、北海道炭礦汽船株式会社に社名変更。
  • 1907年(明治40年)11月1日 - イギリスビッカース・アームストロング社と共同して株式会社日本製鋼所を設立。
  • 1909年(明治42年)7月23日 - 輪西製鐵場(現在の日本製鉄室蘭製鐵所)が操業開始。
  • 1917年大正6年)2月 - 輪西製鐵場を北海道製鐵株式会社として分社化(1919年に日本製鋼所に合併)。
  • 1926年(大正15年) - 石炭火力発電所である清水沢電力所を竣工。
  • 1938年(昭和13年)10月6日 - 天竜鉱(夕張市)で爆発事故。地下約2000mまでに約300人が入坑しており[3]、うち161人が死亡。
  • 1939年(昭和14年) - 天塩炭鉱を開設。
  • 1942年(昭和17年) - 所有船舶を三井船舶(現在の商船三井)に譲渡し、海運業から撤退。
  • 1949年(昭和24年)5月16日 - 東京証券取引所に株式上場。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 天塩砿業所を関連会社の天塩鉄道→天塩炭砿鉄道に移管。
  • 1954年(昭和29年)
    • 1月28日 - 平和鉱業所第2坑の縦坑で落盤が発生。5人が死亡[4]
    • 8月10日 - 昭和天皇、香淳皇后が夕張鉱業所に行幸啓。鹿の谷クラブに宿泊[5]
  • 1958年(昭和33年)
  • 1959年(昭和34年)4月1日 - STV札幌テレビ放送開局。
  • 1963年(昭和38年)
    • 夕張鉱業所第三鉱を分離し新夕張炭鉱開山。
    • 空知炭鉱を分社化し、空知炭礦株式会社設立[6]
  • 1965年(昭和40年)
    • 2月22日 - 夕張炭鉱でガス爆発[7]、62人が死亡。
    • 4月 - 石炭化学研究所を独立させ、北炭化成工業株式会社を設立。
  • 1967年(昭和42年)4月 - 天塩炭砿鉄道株式会社が運営する天塩炭鉱が閉山。
  • 1968年(昭和43年)
  • 1969年(昭和44年)5月28日 - 夕張2炭鉱で崩落[11]
  • 1974年(昭和49年)4月1日 - 夕張鉄道から夕張鉄道線を継承し、鉄道事業を再開。
  • 1975年(昭和50年)
    • 夕張新炭鉱が営業出炭開始。
    • 3月 - 平和炭鉱閉山[12]
    • 4月1日 - 夕張鉄道線廃止。
    • 8月 - 万字炭鉱が台風により水没[13]
    • 11月27日 - 幌内炭鉱でガス爆発、24人が死亡[14]
  • 1976年(昭和51年)3月20日 - 万字炭鉱閉山。
  • 1977年(昭和52年)11月1日 - 夕張炭鉱閉山[15]
  • 1978年(昭和53年)
    • 10月2日 - 各炭鉱ごとに別会社として分離[16]
    • 10月3日 - 東証一部上場を廃止、店頭管理銘柄となる。
  • 1980年(昭和55年)7月19日 - 清水沢炭鉱閉山。
  • 1981年(昭和56年)
    • 10月16日 - 夕張新炭鉱でガス突出・坑道火災事故が発生[17]、93人死亡。
    • 12月15日 - 夕張新炭鉱を運営してきた子会社の北炭夕張炭鉱(株)が会社更生法の適用を申請[18]
  • 1982年(昭和57年)10月9日 - 夕張新炭鉱閉山[19]
  • 1987年(昭和62年)10月9日 - 北炭真谷地炭鉱株式会社が運営する真谷地炭鉱が閉山[20]
  • 1989年(平成元年)9月29日 - 北炭幌内炭鉱株式会社が運営する幌内炭鉱が閉山[21]
  • 1995年(平成7年)
    • 2月5日 - 会社更生法の適用を申請[22]
    • 3月18日 - 空知炭礦株式会社が運営する空知炭鉱が閉山[23]、日本国内の石炭産業から完全撤退。
    • 6月23日 - 会社更生手続き開始の決定を受ける[24]
  • 2005年(平成17年)1月31日 - 会社更生手続完了。

かつて運営していた炭鉱

[編集]

子会社

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ “政商ついに終えん”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1983年8月19日)
  2. ^ 大場, 四千男. “北海道炭鉱汽船(株)百年の経営史と経営者像(一)”. Hokkai-Gakuen Organization of Knowledge Ubiquitous through Gaining Archives. 2020年10月9日閲覧。
  3. ^ 「気遣われる二百九十人、十人は脱出」『東京朝日新聞』1938年(昭和13年)10月7日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p.230 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  4. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、96頁。ISBN 9784816922749 
  5. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、110頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  6. ^ a b 新歌志内市史 1994年3月発行。
  7. ^ “北炭夕張鉱 ガス爆発”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1965年2月23日)
  8. ^ “北炭平和砿(夕張)坑内火災”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1968年8月2日)
  9. ^ “北炭夕張 崩落”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1968年9月4日)
  10. ^ “始まった露天掘り現場 北炭夕張鉱 ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1968年12月26日)
  11. ^ “北炭夕張2砿崩落”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1969年5月28日)
  12. ^ “北炭平和鉱消える 残務要員の異動も発令”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1975年8月3日)
  13. ^ “万字閉山”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1981年11月12日)
  14. ^ “北炭幌内鉱 ガス爆発で24人死亡”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1975年11月27日)
  15. ^ “北炭夕張新2鉱 膜閉じる”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1977年11月11日)
  16. ^ a b c d “新生北炭 厳しい試練、3山分離 労使代表、再出発で決意”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1978年10月3日)
  17. ^ “北炭夕張新鉱事故 重苦しい待機”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1981年10月17日)
  18. ^ “北炭夕張倒産”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1981年12月15日)
  19. ^ “北炭夕張 閉山 そして泣いた”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1982年10月9日)
  20. ^ “北炭真谷地鉱閉山から丸1年”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1988年10月8日)
  21. ^ “ヤマの歴史に幕、揺れる地元”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年9月30日)
  22. ^ “北炭が会社更生法申請 空知砿など8社も「倒産」 負債1420億円 戦後21番目の「大型」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1995年2月6日)
  23. ^ “歌志内の空知炭砿 閉山からきょうで満3年 失業なお190人 振興策は着実に 離職者手帳も期限切れ 福祉施設など続々完成”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1998年3月18日)
  24. ^ “北炭の更生開始決定 札幌地裁 年内にも計画提出 空知砿も破産回避か”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1995年6月23日)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]