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北田親氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北田親氏
きただ ちかうじ
生年月日 1860年9月13日
出生地 日本の旗 日本 陸奥国岩手郡
(現・岩手県盛岡市
没年月日 (1936-11-26) 1936年11月26日(76歳没)
前職 岩手県勧業課長

在任期間 1906年5月11日 - 1907年11月6日
1910年12月3日 - 1928年12月5日

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北田 親氏(きただ ちかうじ、1860年9月13日安政7年7月28日[1][注 1] - 1936年昭和11年〉11月26日[1])は日本政治家岩手県盛岡市長。

来歴

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陸奥国岩手郡盛岡に生まれる[1][2]巡査から警部を経て盛岡警察署長、岩手県勧業課長、下閉伊郡長を歴任した[2]1906年5月、盛岡市長に就任した[2]。翌年11月に退任[1]。退任後は三陸汽船常務取締役となった[1][3]1910年12月に盛岡市長に復帰した[1][3]。再任後は中津川の護岸工事に着手し、洪水で流された橋の復旧に取り組んだ[3]。2度目の市長は1928年までの18年にも及んだ。1936年死去。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本の歴代市長』第1巻、227頁には「安政6年」と記載。

出典

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  1. ^ a b c d e f 『岩手人名辞典』87頁。
  2. ^ a b c 『日本の歴代市長』第1巻、227頁。
  3. ^ a b c 『日本の歴代市長』第1巻、228頁。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。