小泉多三郎
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小泉多三郎 こいずみ たさぶろう | |
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生年月日 | 1883年1月10日 |
出生地 |
日本 岩手県東和賀郡十二鏑村 (現・岩手県花巻市) |
没年月日 | 1952年8月12日(69歳没) |
出身校 |
盛岡高等農林学校卒業 (現・岩手大学農学部) |
前職 | 岩手林業常務 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1947年4月8日 - 1952年6月10日 |
盛岡市会議員 | |
在任期間 | 1929年 - 1947年 |
小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年〈明治16年〉1月10日[1] - 1952年〈昭和27年〉8月12日[1][2][3])は日本の政治家。岩手県盛岡市長。
来歴
[編集]岩手県東和賀郡十二鏑村(のち和賀郡土沢町→東和町現・花巻市)出身[1]。盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1906年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒[1][3][4]。樺太民政署に入り、東京営林局などに勤務した[4]。その後、1908年に母校の盛岡高等農林学校の助教授となり、1918年に教授となった[1][3]。同年に退職後、岩手林業に入り、常務取締役となった[1][3][4]。
1947年盛岡市長選挙
[編集]盛岡市長選挙に立候補して、社会党の新人を破って初当選を果たした[4][5][6]。4月8日に市長に就任した[7]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
小泉多三郎 | 64 | 無所属 | 新 | 21,663票 | 60.3% | - |
鈴木彦次郎 | 50 | 日本社会党 | 新 | 14,274票 | 39.7% | - |
1948年には、岩手銀行監査役にも就任している[8]。1951年に無投票で再選したが[5][6]、1952年に病床に倒れ、同年6月10日に辞職した[3][7]。そして、8月12日午後8時33分に死去した[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『岩手人名辞典』104頁。
- ^ 『岩手銀行五十年史』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f g 『盛岡市議会史 第4巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d 『日本の歴代市長』第1巻、231頁。
- ^ a b 盛岡市・市長選(岩手県):政治データのブログ
- ^ a b 『栄光のあかし : 自由民主党岩手県連三十周年記念誌』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第1巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『岩手銀行五十年史』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。