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千葉禎太郎

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千葉禎太郎

千葉 禎太郎(ちば ていたろう、1847年4月3日(弘化4年2月18日[1][2])- 1931年昭和6年)4月21日[3])は、幕末・明治から昭和時代前期の大地主[2]政治家実業家銀行家衆議院議員(7期)。

経歴

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上総国市原郡今富村(千葉県海上村三和町を経て現市原市)出身[4]千葉氏の末裔[4]漢学を修める[3]。1868年(明治元年)里正に就任[2][5]1875年(明治8年)千葉県代議人となり、村会議員、郡会議員、郵便局長、小学校長を歴任する[4][5]。この間、戸長も務めた[3]1879年(明治12年)県制発布とともに千葉県会議員に当選し、市原倶楽部を設立した[4]。ほか、大日本農会、大日本水産会連合品評会各評議員および協賛会長、千葉県教育会評議員、神国生命保険社長、興業貯蓄銀行、成田鉄道各監査役[3][2]、千葉県農工銀行頭取[5]、東京米穀取引所理事および監査役[4][5]などを歴任した。

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では千葉県第1区から出馬し当選[3]。以後、第2回第3回第4回第7回第9回第10回総選挙(補欠選挙)で当選し衆議院議員に通算7期在任した[3]。この間、立憲政友会協議員を務めた[6]

脚注

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  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿』〈第十七回帝国議会衆議院公報第1号附録〉、1902年、9頁。
  2. ^ a b c d 『人事興信録 第2版』272頁。
  3. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1962, 311頁.
  4. ^ a b c d e 木村 1912, 49頁.
  5. ^ a b c d 『立身致富信用公録 第7編』24-25頁。
  6. ^ 『立憲政友会功労者追遠録』107頁。

参考文献

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