南日本短期大学
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南日本短期大学 | |
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大学設置/創立 | 1966年 |
廃止 | 1978年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人学校法人吉永学園[注釈 1] |
本部所在地 | 鹿児島県日置郡伊集院町大字猪鹿倉550[注釈 2] |
学部 |
国文科 経営科 |
南日本短期大学(みなみにほんたんきだいがく)は、鹿児島県日置郡伊集院町大字猪鹿倉550[注釈 2]に本部を置いていた日本の私立大学である。1966年に設置され、1978年に廃止された。
概要
[編集]大学全体
[編集]- 鹿児島県日置郡伊集院町[注 1]に所在した日本の私立短期大学で、設置主体は学校法人吉永学園[注釈 1]。
- 1学科で入学定員80名体制で1966年に開学[2]。1967年に学科を増設して2学科体制となる。
- 1973年度の入学生を最後に、1978年に正式に廃止となる。現在、短期大学のキャンパス跡地が鹿児島育英館中学校・高等学校の校舎の一部に転用されている。
当時の入学試験について
[編集]沿革
[編集]基礎データ
[編集]所在地
[編集]- 鹿児島県日置郡伊集院町猪鹿倉550[注釈 2]
象徴
[編集]- 南日本短期大学のカレッジマーク[注 8]
教育および研究
[編集]組織
[編集]- 国文科 入学定員50名
- 経営科 入学定員80名
専攻科
[編集]- なし
別科
[編集]- なし
取得資格について
[編集]研究
[編集]- 『南日本短期大学紀要』[20]
施設
[編集]キャンパス
[編集]寮
[編集]対外関係
[編集]系列校
[編集]注釈
[編集]注釈グループ
[編集]補足
[編集]- ^ 現在は日置市伊集院町。
- ^ 倫理・政治経済・日本史・世界史から1科目選択することになっていた
- ^ 現在の文部科学省。
- ^ うち女12
- ^ うち男9。
- ^ 昭和49年度より学生募集停止[12]。
- ^ 右記資料には、「志願者の激減により1977年に廃校となった」旨の記載がある[15]。実際のところ、在籍者がいたことが確認できるのは1976年度であり「経営科:男6、女4とある」[16]。ちなみに、1975年度の資料には、国文科には学生の在籍が確認できないことを意味する「-」が記されている[17]
- ^ 右記資料にあり[3]。
- ^ 最終募集となった1973年における体制[18]。
- ^ 当時は鹿児島照国高等学校。
出典
[編集]- ^ 学校概要より。2023年9月5日確認。
- ^ 文部省年報 第93年(昭和40年度)-110コマ目-より。
- ^ a b c d e 晶文社'1974.4, p. 527.
- ^ 学校法人名簿 昭和42年度より。
- ^ 短期大学一覧 昭和41年度 (短期大学資料)より。
- ^ 全国学校総覧 昭和42年版より。
- ^ 全国短大・高専職員録 昭和41年版より。
- ^ 短期大学一覧 昭和42年度 (短期大学資料)より。
- ^ 全国学校総覧 昭和43年版より。
- ^ 大学資料 (22)より。
- ^ 短期大学教育 (22)より。
- ^ 文部省大学局技術教育課'1974.
- ^ 全国学校総覧 昭和49年版より。
- ^ 短期大学一覧 昭和54年度より。
- ^ 角川書店-鹿児島県地名辞書-, p. 1048.
- ^ 文部省'76, p. 55.
- ^ 全国学校総覧 昭和51年版より。
- ^ 短期大学教育 (31)より。
- ^ 梧桐書院'1970.8.
- ^ 南日本短期大学紀要より。
- ^ 文部省年報 第93年(昭和40年度)-89コマ目-より。
参考文献
[編集]- 文部省『短期大学一覧 昭和49年度 (短期大学資料)』文部省大学局技術教育課 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和52年版』原書房 。
- 晶文社編集部 編『全国短期大学受験案内 昭和50年度用』晶文社 。
- 梧桐書院編集部『短期大学案内:全国 昭和46年版 1971』梧桐書院 。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編纂『角川日本地名大辞典 46 (鹿児島県)』角川書店 。