原田令嗣
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原田 令嗣 はらだ よしつぐ | |
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文部科学大臣政務官就任に際し公表された肖像写真 | |
生年月日 | 1952年2月2日(72歳) |
出生地 | 静岡県焼津市 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部政治学科卒業 |
前職 | NHK職員 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 法学士 |
親族 | 父・原田昇左右 |
選挙区 | 静岡2区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2003年11月11日[1] - 2009年7月21日 |
原田 令嗣(はらだ よしつぐ、1952年2月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。
来歴・人物
[編集]武蔵高校を経て[2]、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、1974年NHKへ入局。名古屋放送局報道部ディレクター、アメリカ総局特派員、報道局衛星放送部長等を歴任[3]。
父・昇左右の政界引退を受けて、2003年の第43回衆議院議員総選挙で静岡2区から、自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に西村康稔・萩生田光一・武田良太・加藤勝信・菅原一秀などがいる。)。2005年の第44回衆議院議員総選挙にて再選。派閥は谷垣派に所属。院内では、農林水産委員会、厚生労働委員会、災害対策特別委員会に所属した[3]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、民主党元職の津川祥吾に敗れた。比例東海ブロックにも重複立候補していたが惜敗率が足りずに落選。同年末に選挙区支部長再任条件が緩和されたものの辞退した[4]。支部長後任には翌2010年6月に公募で井林辰憲が選ばれた[5]。
日本と韓国が共同運営するインターネット放送局の開設を目的として2014年2月14日に設立された「日韓共同チャンネル推進機構」[6]の代表理事を務めている[7]。
政治的立場
[編集]- 静岡空港が原田の選挙区内であることもあり、同空港の建設推進派国会議員の1人であった[要出典]。
- 在日韓国人の地方参政権に賛成しており、2007年11月8日に開催された、民団が主催する「永住外国人地方参政権の早期立法化を!」と訴える全国決起大会に国会会期中にもかかわらず参加した[要出典]。
所属していた団体・議員連盟
[編集]- 朝鮮通信使交流議員の会(事務局長)
- 日韓議員連盟
脚注
[編集]- ^ 平成15年(2003年)11月11日静岡県選挙管理委員会告示第44号(平成15年11月9日執行の衆議院小選挙区選出議員選挙における当選人の住所及び氏名並びに当選人に係る候補者届出政党の名称) : 『静岡県公報』 平成15年11月11日 号外 : 静岡県選挙管理委員会/編 『選挙結果調 平成14年・平成15年』 p. 235
- ^ 会報執筆者一覧 - 武蔵高等学校同窓会
- ^ a b “文部科学大臣政務官 原田 令嗣(はらだ よしつぐ)”. 首相官邸. 2018年8月28日閲覧。
- ^ 自民衆院静岡2区支部長公募へ 原田氏が内定を辞退. 静岡新聞. 2009年12月29日
- ^ 自民、静岡2区支部長に公募で元国交省課長. MSN産経ニュース. 2010年6月10日
- ^ “日韓でネット放送局を 運営団体設立”. NHKニュース (日本放送協会). (2014年2月15日) 2014年2月16日閲覧。
- ^ “「日韓共同テレビ」開設へ”. 時事通信社. (2014年2月14日) 2014年2月16日閲覧。
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 小渕優子 水落敏栄 |
文部科学大臣政務官 保坂武と共同 2007年 - 2008年 |
次代 萩生田光一 浮島とも子 |