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反知性主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
反主知主義から転送)

反知性主義(はんちせいしゅぎ、英語: anti-intellectualism)または主知主義(はんしゅちしゅぎ)[1][2]とは、英語辞典によれば、知識人と知的理論に向けられる反対敵意を指す言葉[3][注 1]1904年に「反~知性主義主知主義〕」と「反知性〔反主知〕 + ~主義」から発生した言葉として、語源辞典に掲載されている[4][注 2]。『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』によると、反知性主義的哲学19世紀末にニーチェなどの思想として現れ、結束主義〔ファシズム〕運動へ繋がったとされる[1]。反知性主義・反主知主義という言葉は、知識人および知的活動への敵対的で嫌悪的な感覚を指し[5][注 3]、また、実際的解決現実理解において知力理由は重要でないという信念教義をも指す[3]

概要

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反知性主義(anti-intellectualism 反主知主義)は、知性に対し意志感情を優位に置く主張であると『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』は解説している[1]。一方で知性主義intellectualism 主知主義)は、意志や感情よりも知性を重視する[2]。前掲の『ブリタニカ』によると、反知性主義は19世紀末のニーチェH.ベルクソン哲学として現れ、V.パレートG.ソレルに継承されていき、結束主義〔ファシズム〕運動へ繋がったとされている[1][注 4]

政治史家のリチャード・ホフスタッター、および神学者かつ牧師森本あんりによると反知性主義とは、知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場をとる主義・思想である[6][7]。この言葉の登場時期について、語源辞典は1904年と掲載している一方[4]、ホフスタッターは1950年代アメリカ合衆国で登場したと述べており[8]、後にホフスタッターが1963年に『アメリカの反知性主義英語版』で示したものが知られていると森本は言う[9]

森本によれば、一般には「データやエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情を基準に物事を判断すること(人)」を指す言葉として思われているが、実際にはもっと多義的な観点を含む[9][10]。また、その言葉のイメージから、単なる衆愚批判における文脈上の用語と取られることも多いが、必ずしもネガティブな言葉ではなく、ホフスタッターは真っ当な民主主義における「必要な要素としての一面」も論じている[9]。むしろ、知的権威・エリート側の問題を考えるために、反知性主義に立脚した視点も重要だとも説く[11][9]。知性と権力が結びつくことへの、大衆の反感が反知性主義の原動力にあり[7]、反知性主義が否定するのは「知性」自体ではなく「知性主義」つまり「反・知性」の主義思想ではなく「反・知性主義」の主義思想なのである、と森本は述べている[12]

政治学者吉田徹によると、ホフスタッターの本来の「反知性主義」は知性がないことを馬鹿にする言葉ではなく、リベラル欺瞞に対してノーを突き付ける対抗権力であることを意味しているという[13]

反知性主義の登場と意味合い

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ホフスタッターによれば、反知性主義という言葉が俄かに登場したのは1950年代、特にジョセフ・マッカーシーマッカーシズム赤狩り)や、1952年のアメリカ合衆国大統領選挙を背景としたものが挙げられる[14]。このアメリカ大統領選挙では、政治家としての知性、キャリア、家柄と、どれを採っても遜色なく、元弁護士で弁舌の腕も立ち、知識人からの人気も高かったアドレー・スティーブンソンが、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍参謀総長を務めた戦争の英雄といえど、政治経験は皆無で、およそ知的洗練さを表に出さず、むしろ政治家でないことをアピールして、大衆の支持を得たドワイト・D・アイゼンハワーに圧倒的大差で敗れており、反知性主義の象徴的な出来事として挙げられる。またジョセフ・マッカーシーやその支持者達は、対共産主義という枠を超えて、大学教授・知識人の家系といった知識人層を攻撃した。このように反知性主義とは、反エリート主義の言い換えといった側面がある[14]

1963年、ホフスタッターは著書『アメリカの反知性主義』においてニューイングランドの成立からのアメリカ史を引用して反知性主義の成り立ちを考察し、言葉が登場した50年代より前から反知性主義は存在し、むしろアメリカ社会・政治体制において重要なものであること論じた[9]。これによってホフスタッターは2度目のピューリッツァー賞を受賞している。

その語感より、しばしば誤解されるが、反知性主義に対置するのは知性そのものというよりは、先述の大統領選のエピソードのように知的権威やエリートとされる層である。データやエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情を基準に物事を判断するといった面も間違いではないが[10]、古くは聖書理解において高度な神学的知識を必要と考える知的権威や、時代が下がれば政治においてはエリートによる寡頭政治を志向する層への反感が反知性主義の原点であり、ただ単純に知性そのものを敵視する思想信条ではない[9]

むしろエリート層が軽視する大衆の「知性」を積極的に肯定するといった立場を採り、それは単純に近代合理主義批判の肯定や、科学的思考を軽視するという意味でもない[15][9]。歴史的に神意や真理を理解するのに高度な知識は必要ではない、政治において学術理論や理想論が先行して現実を無視した政策を行わない、このようなエリート主義に対する批判という観点も含むのである[16]

このように、反知性主義が必ずしも否定的な言葉ではないように、知的権威や知識人、エリートという言葉も反知性主義の文脈上では、必ずしも肯定的な意味ではない。ホフスタッターは、知識人の立場として反知性主義者に攻撃される側として論説するが、序章において知識人を迫害される憐憫な対象として擁護する気はないと明言しており[17]、その終章も反知性主義ではなく知識人の在り方を考察するものである[11]

ただし反知性主義という言葉を定義付けたとされるホフスタッターでさえ、それが曖昧な語義の用語であることを認めており[18]、単純に論敵を非難するバズワードとして使用される場合も多い。

アメリカ史から見る反知性主義の成り立ち

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ホフスタッターによれば、反知性主義の萌芽は何度か起こった大覚醒(リバイバル)にある。

アメリカの初期移民であり、厳格なキリスト教観を持つ清教徒の社会では、聖書の内容を教え説く存在として司祭職も重要視されたが、同時により強固な万人祭司の考えによって一般人にも神学的な聖書理解が推奨された。当時のアメリカ(ニューイングランド)における日曜礼拝は、司祭(牧師)が説教によって大衆に高度な聖書理解を指導する場であって、それは大衆からみれば高度な聖書理解を行うための知性が要求される場であった。こうした場における説教というのは、端的に言えば退屈な事柄であり、決して聞き手を熱狂させるような要素はなかった。しかし社会(共同体)に認められるということは、教会でその信仰(回心)を認められることであって、植民地社会において回心を認められることは切実な問題の1つでもあり、決して軽視できない事柄であった。

時代が下がり、世代交代や、他文化圏の移民による爆発的な人口増が起こると、神学論に基づく高度な説教よりも、ジョージ・ホウィットフィールドに代表される伝道活動や平易な説教が盛況になる(第一次大覚醒)。ホウィットフィールドら伝道者の説教は、神学的な厳密性には乏しくとも、聴衆を「熱狂」させ、「自覚的な回心」を与えることで支持を高めた。こうした運動を大学で神学を学んだ主流派(エリート)が無学な者による扇動だと批判するのに対し、伝道者側は神の教え(真理)を理解するのに高度な知性は必要でなく、むしろ素朴な知性にも理解できるものこそが真理だと反論し、更に民衆の支持を得た。これをホフスタッターは反知性主義の始まりと説明する。

この背景に大衆に回心が認められない(社会に認められない)焦りがあったとホフスタッターは指摘する。大覚醒の嚆矢とされるジョナサン・エドワーズは、当時からして著名な宗教学者で当時の代表的な知識人でもあるが、彼の有名な説教『怒れる神の御手の中にある罪人』に代表されるように、聞き手の心情に訴えかけるという点で、それまでの知的だが退屈な説教とは一線を画した。この説教を聞いた聴衆は、回心が認められない不安感から泣き叫んだり、激しい痙攣を起こし、こうした情動をもって自覚的な回心を得ることになった。

反知性主義とされるもの

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そもそもキリスト教は、その発祥当初から反知性主義的な思想を持った宗教であった。[要出典]。イエスは、当時のイスラエルで権威を振るった知識人であるファリサイ派の律法主義を厳しく批判し、病人や羊飼い徴税人のように当時のユダヤ人社会では蔑まれた人たちと共にいた。

保守的キリスト教徒の間では、人間の知識は限界のあるものであり、万能ではないとする考え方も共有されている。また、進化論に反対するキリスト教原理主義を批判するに当たってこの言葉が用いられることがある。

アメリカの民主主義が「すべての人は平等に創られた」という独立宣言から出発しているため、『ごく普通の市民が(キリスト教的倫理に基づく)道徳的な能力を持っているという平等論がある。その素朴な道徳的感覚は人間に共通に与えられており、高度な教育を受けなくても、誰もが自然に発揮できるとの思想が生まれ、それが民主主義を「衆愚政治」ではなく、特権階級による権力の独占を防ぐ効用があると信じる力となっているとされる[19]

ホフスタッターの『アメリカの反知性主義』を基に、より原義に近い意味での反知性主義を日本人向けに説明した森本あんりは、日本において反知性主義的な人物像を持つものを挙げるとするなら、「フーテンの寅さん」、「空海親鸞日蓮などの革命的仏教者」、「堀江貴文孫正義のような型破り企業家」としつつ、「なかなか適切な人物像が見当たらない」としている。また、反知性主義を成立させる必要な要素として、小中高と森本の同級生だったコラムニストの小田嶋隆を例に挙げ「批判すべき当の秩序とはどこか別のところに自分の足場」があり、それが反知性主義を成り立たせるとした[20]。森本の論説について冷泉彰彦は、森本が日本人向けに説明しているという点と、森本の専門がプロテスタントの神学者であることから、間違いではないが、扱う内容の軽重にホフスタッターの原典とはズレがあると指摘している[21]

福間良明は、第二次世界大戦後の日本において勤労青少年向けに発行された人生雑誌には、知へのあこがれとエリート知識人への憎悪という一見矛盾するスタンス、いわば「反知性主義的知性主義」があったと指摘している[22]

1970年代に国家規模で知識人層の絶滅政策を行ったカンボジアポル・ポト政権は反知性主義の最も極端な例とされる[23][24][25][26]

日本における「反知性主義」

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1961年9月に来日したデイヴィッド・リースマンは「アメリカで悪夢のように横溢している『反』知性主義が日本にはみられないことに驚く」と論評した[27]

全共闘世代について、小池真理子は「はじめは教養主義的だったのに、大学の教師を敵視するという姿勢もどんどんエスカレートしました。最後には反知性主義、反教養主義にまで発展してしまいました。」と述べた[28]竹内洋は「それまでなら両親が大学を出ていなくて、田舎から都会の大学に出てきたりすれば、一応、アッパー・ミドル的なカルチャーを学ぼうとして教養主義的になっていったんですが、全共闘世代は、そうした教養主義的なものに対する対抗意識もあって、反知識人、反知性主義みたいに居直った。」と述べた[29]

1969年5月13日に東京大学で約千人の聴衆を相手に行われた討論で、三島由紀夫は「全学連の諸君がやったことも、全部は肯定しないけれども、ある日本の大正教養主義からきた知識人の自惚れをいうものの鼻を叩き割ったという功績は絶対に認めます。私はそういう反知性主義というものが実際知性の極致からくるものであるか、あるいは一番低い知性からくるものであるか、この辺がまだよくわからない。もし丸山真男先生がみずから肌ぬきになって反知性主義を唱えれば、これは世間を納得させるんでしょうけれども、丸山先生はいつまでたっても知性主義の立場に立っていらっしゃるので、なぐられちゃった。」と述べた[30]

森本あんりによると、日本では知性に対する尊重があまりなく、イデオロギーと結びつく知性よりも実用的な知識や実学が重視されてきたので、そもそも知性主義が確立せず、それに対する反発もはっきりと出てこなかったのではないかと指摘している[31]

竹内洋は「明治以来、いや江戸時代に遡っても、日本にはあからさまな反知性主義の噴出はみられなかったといえる。反知性主義はあったにしても、知性主義と反知性主義をそれぞれタテマエとホンネとして処理し、二つの文化の衝突を避けてきた。」「強力な反知性主義がないことで、知性主義も錬磨されることがなかった」ため、「日本における知性主義は「反」ならぬ「半」知性主義といったものではなかったのか。その意味では、橋下氏の反知性主義的発言を奇貨とすべきところはある。」[32]「あからさまな反知性主義というよりは疑似知性主義とポピュリズムが手を携えあっているのだ。」「われわれは、ゆるい知性もどきのなかで、知性の意味を考えることなく『半』知性主義から『脱』知性主義へと緩慢な知性の死に向かっていないだろうか。」「橋下徹大阪市長の『学者は世間知らず』『本を読んだって何にも進みません』という臆面なき反知性主義的発言が新鮮な反面教師のようにおもえてさえくる。知性とはなにか、その意味を考える砥石になるからである。」と述べた[33]

島田雅彦は「日本においても、反知性主義はインテリを毛嫌いし、『文句ばかりいって、自分では何もしない奴ら』と蔑む風潮として現れる。反知性主義の背景には、歪んだエリート意識が見え隠れする。政治も経済も科学技術もごく一部の選ばれた人材が能力を発揮していれば、それで支えられるのだから、その他大勢の凡庸な人間は彼らが作った制度やシステムに従っていればいいという考え方だ。」と述べた[34]

適菜収はニーチェ研究でも知られているが、ニーチェの名著の名文や名評でB層を批判し現代日本を批評する著書で、ニーチェのフェミニズムフェミニスト)批判を取り上げたが[35]呉智英との対談本「愚民文明の暴走」でも「女性専用車両」が一見すると女性を大事にしているようで、実は女性差別な政策である欺瞞などを見抜き、「「フェミニズム」は反知性主義である」と評している[36]

日本における誤用・乱用の指摘

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2015年に論壇などで多用され、一種の流行語となったが[21]、単に知性の無い者として批判する際に用いられることが多い[37]。冷泉彰彦は、この語が使われる局面は「『イデオロギー上の論敵の中にある感情論に対して敵意を持つ』ことであり、それ以上でも以下でもない」「その敵意自体も相当程度に感情論であることが多い」と指摘している[21]

中野剛志によると、日本の左翼の間で「反知性主義」という言葉が流行しているといい、「そもそも、『反知性主義』という言葉の使い方そのものを誤っている。」「日本では『ネトウヨは反知性主義、つまりバカだ』といったようなレッテル貼りの道具として用いられている。」と述べ、適菜収は「反知性主義とは、ピューリタンの極端な理性崇拝への反発として生まれてきたアメリカ固有の思想のことです。ネット右翼ナショナリズムとは何の関係もない。」と述べ、中野信子は「左翼は自分たちのことを知性主義者と任じているから、本当は『バカ』と言いたいけれども、それじゃ己の知性を疑われるので『反知性主義』という表現を使っている。ほとんどギャグの領域ですね。」と述べた[38]

小浜逸郎は「(内田樹)氏は、ホーフスタッターの歴史的な大著『アメリカの反知性主義』の権威を『こりゃ使える』とばかりひょいと借りてきて、本の中身などそっちのけで、ただ自分の反権力気分を拡散させるためにだけ利用しています。これはたいへん反知性的な振る舞いですね。」[39]上野千鶴子氏も思う存分これを利用していましたね。理性や知性のかけらももち合わせず、ただ感情で集まってきた人たちが、彼女の言葉に感心して喝采を浴びせている様子がとてもよくわかります。」と述べた[40]

佐藤卓己は「他者否定のラベリングとして『反知性主義』は最近の論壇で乱用されている。だが、その定義の曖昧さはすでにR・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』においても確認できる。重要なことは反知性主義が知識人を含む敵対する諸勢力、諸階層の中に偏在していることである。」と述べた[41]

岩田温は、日本における自称「リベラル」を批判し、「現実を見つめず、自分たちにとって都合のいい虚構と妄想の世界で生きているかのようにふるまう「反知性主義者」、それが日本の『リベラル』の本性なのだ。そして、こうした『反知性主義』は、本来リベラリズムとは無関係なのである。」と述べた[42]

開沼博は「国内においては、少なからぬ『有識者』が安倍政権批判の目的のために誤用・濫用したためその意味が十分に伝わらぬままに消費されてしまった感があるが、本来の意味はただ『知性がない、バカだ』と誰かを罵倒するための概念ではない。」と述べた[43]

森本あんりは、反知性主義の成り立ちは元をたどると、教会権力と政治権力という二つの異なる権力体系によって権力の中心が二つある楕円の権力構造ができたこと、つまり別の価値観が横に並び立ち批判することが反知性主義であるため、下から上にある知性をひっくり返して自分が上になってやるというものは、反知性主義ではなくルサンチマンであると指摘している[31]

外山恒一は、元左翼活動家の立場から「左翼の数少ない美点の一つは、誰に頼まれたわけでもないのに世界のあらゆる問題に自分たちが責任を負っていると思い詰めてしまう過剰な真面目さなんだし、ネトウヨ陰謀論者が増えているのも我々のせいではないのか、我々が簡単に自粛圧力に屈するような不甲斐なさを露呈したりするからではないのか、と少しは反省してもらいたいものです」と述べている[44]

脚注

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注釈

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  1. ^
    原文:"anti-intellectualism ... opposition to or hostility toward intellectuals and the modern academic, artistic, social, religious, and other theories associated with them: ... the belief or doctrine that intellect and reason are less important than actions and emotions in solving practical problems and understanding reality".
    和訳:「知性主義反主知主義 … 知識人および、知識人に関する現代の学術的芸術的社会的宗教的理論とその他の理論に向けられる、反対または敵意。 … 実際的問題を解決し現実を理解する上で、知力知性思考力〕および理由根拠理性〕は、行動活動実行〕および感情情緒興奮〕よりも重要でないという信念または教義[3]
  2. ^
    原文:"anti-intellectualism (n.) ... 1904, from anti- + intellectualism; in some cases from anti-intellectual + -ism".
    和訳:「反知性主義〔反主知主義〕(名詞 … 1904年、反~知性主義主知主義から。場合によっては反知性〔反主知主義から」[4]
  3. ^
    原文:"anti-intellectualism ... a feeling of hostility and dislike towards intellectuals and intellectual activities".
    和訳:「反知性主義〔反主知主義 … 知識人と知的活動とに向けられる、敵意と嫌悪から成る感覚」[5]
  4. ^
    原文:「反主知主義〔反知性主義 … 意志や感情を優位におき,知性を二次的なものとする主張。 19世紀末にいたって,ニーチェや H.ベルグソンの哲学に現れ,V.パレートや G.ソレルに受継がれ,やがて結束主義(ファシズム)運動へと流れ込んだ」[1]

出典

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  1. ^ a b c d e 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』「反主知主義」〔anti-intellectualism〕”. Kotobank. 2022年7月27日閲覧。
  2. ^ a b 『百科事典マイペディア』「主知主義」〔intellectualism〕”. Kotobank. 2022年7月27日閲覧。
  3. ^ a b c "anti-intellectualism". Dictionary.com Unabridged. Random House. 2022年7月27日閲覧
  4. ^ a b c Etymology, origin and meaning of anti-intellectualism by etymonline”. Online Etymology Dictionary. 2022年7月27日閲覧。
  5. ^ a b Anti-intellectualism definition and meaning - Collins Dictionary”. Collins. 2022年7月27日閲覧。
  6. ^ ホフスタッター 2003, pp. 3–17.
  7. ^ a b 森本 2015, pp. 261-.
  8. ^ ホフスタッター 2003, p. 3.
  9. ^ a b c d e f g 森本 2015, pp. 3–6.
  10. ^ a b アメリカを動かす「反知性主義」の正体”. 日経ビジネスオンライン (2015年4月24日). 2018年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月21日閲覧。
  11. ^ a b ホフスタッター 2003, pp. 343-.
  12. ^ 森本あんり (2016年12月5日). “「アメリカと反知性主義」(視点・論点)”. NHK 解説委員室. NHK. 2019年5月21日閲覧。
  13. ^ リベラリズムが生き残る理由――『アフター・リベラル 怒りと憎悪の政治』(講談社現代新書)/吉田徹”. SYNODOS (2020年11月24日). 2023年2月17日閲覧。
  14. ^ a b ホフスタッター 2003, pp. 3–4.
  15. ^ ホフスタッター 2003, p. 7.
  16. ^ 森本 2015, pp. 259-.
  17. ^ ホフスタッター 2003, p. 18.
  18. ^ ホフスタッター 2003, pp. 3-.
  19. ^ 森本 2015, pp. 259-エピローグ.
  20. ^ 森本 2015, pp. 271-あとがき.
  21. ^ a b c 冷泉彰彦 (2015年11月12日). “日本で盛り上がる「反知性主義」論争への違和感”. ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト. 2019年5月21日閲覧。
  22. ^ 福間良明、2017、『「働く青年」と教養の戦後史 -「人生雑誌」と読者のゆくえ』初版第1刷、筑摩書房〈筑摩選書〉 ISBN 978-4-480-01648-5[要ページ番号]
  23. ^ “Year Zero: Reflections From Cambodia On Hatred, Blame, And U.S. Politics”. ハフポスト. (2016年11月28日). https://www.huffpost.com/entry/year-zero-reflections-from_b_13283058 2019年5月21日閲覧。 
  24. ^ “People were killed for being academics during the 1970’s in Cambodia”. The Vintage News. (2016年8月25日). https://www.thevintagenews.com/2016/08/25/priority-people-killed-academics-1970s-cambodia/ 2019年5月21日閲覧。 
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参考文献

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関連項目

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