古谷直広
古谷 直広 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1963年7月30日(61歳) |
出身地 | 埼玉県さいたま市 |
スーパー耐久での経歴 | |
デビュー | 2003年 |
所属 | 岡部自動車モータースポーツ |
車番 | 15(2019年)[1] |
シリーズ最高順位 | 1位 (2006年) |
過去参加シリーズ | |
2005年 - 2010年 | SUPER GT |
古谷 直広(ふるやなおひろ、1963年7月30日 - )は、日本のレーシングドライバー。
略歴
[編集]デビュー
[編集]1980年にレーシングカートデビューをし、1982年より四輪レースにステップアップしFJ1600に参戦するも、埼玉工業大学工学部機械工学科への進学に伴い一時モータースポーツ活動から離れることになる。
イタリアへ
[編集]1986年にモータースポーツ活動を再開しイタリアに渡る。1987年にイタリアのCSAIレーシングスクールを卒業し、その後ミドルフォーミュラのイタリアF2000選手権でデビューし、優勝1回、2位1回と好成績を収める。
1988年にはイタリアF3選手権に参戦し、優勝1回を含む上位入賞を飾る。またイタリア・ツーリングカー選手権やイタリア・フォーミュラ・アルファ選手権にも参戦するなど、複数のカテゴリーで活躍する。
全日本F3選手権
[編集]1989年に日本に帰国し、全日本F3選手権に参戦する。1990年にも引き続き全日本F3選手権に参戦し、優勝3回、2位2回を獲得するなどチャンピオン争いを演じシリーズ第2位となる。またマカオグランプリやモナコグランプリ[2]のフォーミュラ1サポートレースにもアルファロメオF3エンジンのワークス格であったフォルティ・コルセより参戦し、JAF年間表彰式にて年間MVP賞を受賞する。
全日本F3000選手権
[編集]1991年には日本におけるトップフォーミュラカテゴリーである全日本F3000選手権にステップアップし、童夢レーシングチームから参戦する。1992年にはSUPER_EVOLUTION_RACING_TEAMに移籍し初入賞を飾る。
1993年には東京R&DオリジナルF3000マシンの開発ドライバーを務める。1994年にはセルモレーシングチームに移籍し、十勝F3000インターナショナルスピードカップで3位を獲得し同カテゴリー初の表彰台に上る。1995年にはアドレーシングチームに移籍する。
全日本GT選手権/スーパー耐久
[編集]1994年より全日本GT選手権に参戦し、日産・スカイラインGT-Rやスバル・インプレッサ、ランボルギーニ・ディアブロGT-1など様々なマシンをドライブし、表彰台獲得をはじめ多数の入賞を飾り、同選手権が終了する2005年まで参戦する。
2006年からは全日本GT選手権を継いだスーパーGT選手権に参戦し、同じく様々なマシンをドライブし2010年まで参戦した。また2003年よりスーパー耐久選手権にも参戦し、2006年にはマツダ・RX-7でクラス3のシリーズチャンピオンを獲得した。
現在
[編集]現在はドライビングスクールの講師やレーシングドライバーのインストラクターを務めるほか、自動車専門誌への執筆やレースイベントへのゲストドライバー、またモータースポーツ番組のコメンテーターやゲストとしての出演など幅広い活動を行っている。
2010年10月10日に岡山国際サーキットクイーンを務めていた小坂井彩(こさかい あや)と結婚[3]。2013年1月10日に第一子(男児)が生まれている[4][5]。
レース戦績
[編集]全日本フォーミュラ3選手権
[編集]年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
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1989年 | オートビューレックモータースポーツ | レイナード・883 | トヨタ・3S-G | SUZ DNS |
FSW Ret |
SUZ DNQ |
FSW C |
TSU DNQ |
SUG DNQ |
TSU | SUZ 20 |
NIS DNQ |
SUZ DNQ |
NC | 0 |
1990年 | ヒダカ・インダストリーズ株式会社 | ラルト・RT34 | 無限・MF204 | SUZ 7 |
FSW DNQ |
SUZ | TSU 21 |
SEN 1 |
SUG 19 |
TSU 1 |
SUZ 2 |
NIS 1 |
SUZ 10 |
2位 | 33 |
マカオグランプリ
[編集]年 | チーム | シャーシ/エンジン | 予選 | レース1 | レース2 | 総合順位 |
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1990年 | セキスイツーユーホームレーシング | ラルト・RT34 / 無限・MF204 | 18位 | DNF | 13位 | NC |
全日本F3000選手権
[編集]年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
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1991年 | 株式会社 童夢 | SUZ Ret |
AUT 12 |
FSW 24 |
MIN DNQ |
SUZ Ret |
SUG DNQ |
FSW 25 |
SUZ Ret |
FSW C |
SUZ Ret |
FSW 7 |
NC | 0 |
1992年 | SUPER EVOLUTION RACING TEAM | SUZ 19 |
FSW | MIN | SUZ 8 |
AUT | SUG 19 |
FSW DNS |
FSW Ret |
SUZ 14 |
FSW 16 |
SUZ 6 |
20位 | 1 |
1994年 | 株式会社セルモ | SUZ | FSW | MIN | SUZ | SUG | FSW | SUZ 9 |
FSW | FSW | SUZ | NC | 0 | |
1995年 | 株式会社アド・レーシング | SUZ DNS |
FSW | MIN | SUZ | SUG | FSW | TOK | FSW | SUZ | NC | 0 |
全日本GT選手権/SUPER GT
[編集]CM
[編集]- グリコ:Lee
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “S耐岡山最終戦は表彰台!”. 古谷直広のレーシングブログ. サイバーエージェント. 2020年7月12日閲覧。
- ^ 古谷直広がモナコGP前座のF3レースに出場 日本人の出場は'78年の桑島正美以来12年ぶり Racing On No.076 41頁 武集書房 1990年7月1日発行
- ^ “善き知らせ”. 小坂井彩の日記帳. サイバーエージェント (2010年10月10日). 2020年7月12日閲覧。
- ^ “2013/01/10”. 古谷直広のレーシングブログ. サイバーエージェント (2013年1月10日). 2020年7月12日閲覧。
- ^ “数字の偶然”. 小坂井彩の日記帳. サイバーエージェント (2013年1月19日). 2020年7月12日閲覧。