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可児市立春里小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
可児市立春里小学校
地図
地図北緯35度24分24秒 東経137度01分26秒 / 北緯35.40662度 東経137.0238度 / 35.40662; 137.0238座標: 北緯35度24分24秒 東経137度01分26秒 / 北緯35.40662度 東経137.0238度 / 35.40662; 137.0238
国公私立の別 公立学校
設置者 可児市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学校コード B121221400044 ウィキデータを編集
所在地 509-0251
岐阜県可児市塩642−1
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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可児市立春里小学校(かにしりつ はるさとしょうがっこう)は岐阜県可児市にある公立小学校

通学区域

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  • 通学区域は塩、塩河、室原、長洞、坂戸、谷迫間、矢戸、美里ケ丘、清水ケ丘、若葉台8・9丁目である。公立中学校の進学先は可児市立西可児中学校である[1]

沿革

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  • 1873年(明治6年) -
    • 矢戸学校が開校。校区は矢戸村、長洞村、室原村、塩河村、今村、北小木村。
    • 清新学校が開校。校区は坂戸村、谷迫間村。
  • 1874年(明治7年) - 矢戸学校が教童学校[注釈 1]と敬業学校[注釈 2]に分立する。
  • 1877年(明治10年) - 塩村が伝明学校[注釈 3]から離脱し、教童学校に合流する。
  • 1881年(明治14年) - 教童学校と清新学校が統合され、公立教童学校となる。長洞分校、坂戸分校を設置。
  • 1882年(明治15年) - 今村、北小木村が敬業学校から離脱し、文集学校[注釈 4]に合流する。
  • 1884年(明治17年) - 谷迫間村が離脱し、文集学校へ合流する。
    • 公立教童学校の長洞分校、坂戸分校を廃止。
  • 1887年(明治20年) -
    • 公立教童学校が塩小学校に改称する。簡易科、尋常科を設置。
    • 敬業学校が塩河簡易科小学校に改称する。
    • 室原村が塩小学校から離脱し、塩河簡易科小学校に合流する。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 塩村、矢戸村、坂戸村、長洞村、室原村、塩河村が合併し、春里村が発足。
  • 1893年(明治26年) - 塩小学校が春里尋常小学校、塩河簡易科小学校が塩河尋常小学校に、それぞれ改称する。
  • 1908年(明治41年) - 春里尋常小学校と塩河尋常小学校が統合され、春里尋常小学校となる。塩河分校を設置。
  • 1913年(大正2年) - 新校舎が完成。塩河分校を廃止。
  • 1916年(大正5年) - 春里尋常高等小学校に改称する。
  • 1919年(大正8年) - 農業補習学校を併設。
  • 1926年(大正15年) - 青年訓練所を併設。
  • 1941年(昭和16年) - 春里国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 春里村立春里小学校に改称する。
  • 1955年(昭和30年)2月1日 - 広見町今渡町土田村久々利村平牧村春里村帷子村が合併し可児町が発足。同時に可児町立春里小学校に改称する。
  • 1958年(昭和33年) - 帷子小学校との統合が計画されるが、翌年白紙撤回となる。
  • 1968年(昭和43年) -
    • 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
    • 旭小学校校区の谷迫間地区が春里小学校校区となる。
  • 1976年(昭和51年) - 校舎を増築。
  • 1982年(昭和57年)4月1日 - 可児町が市制施行して可児市となる。同時に可児市立春里小学校に改称する。

注釈

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  1. ^ 校区は矢戸村、長洞村、室原村。
  2. ^ 校区は塩河村、今村、北小木村。
  3. ^ 現・可児市立帷子小学校の前身。
  4. ^ 現・可児市立旭小学校及び多治見市立南姫小学校

脚注

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  1. ^ 可児市立小学校・中学校の一覧と通学区域について

参考文献

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  • 可児町史 通史編 1980年
  • 可児市史 第三巻 (通史編 近・現代) 2010年

関連項目

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外部リンク

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