コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

台北高等学校 (旧制)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
台北高校から転送)
台北高等学校(旧制)
創立 1922年大正11年
所在地 大日本帝国の旗 台湾台北州台北市古亭町216番地
初代校長 松村傳
廃止 1945年
後身校 中華民国の旗 国立台湾師範大学
同窓会 蕉葉会
国立台湾師範大学行政大楼
校舍が台北高等学校時代のもの(但し三階部分は増築)

旧制台北高等学校(きゅうせいたいほくこうとうがっこう、旧字体舊制臺北高等學校)は、1922年(大正11年)3月31日[1]、当時日本の支配下にあった台湾において設立された7年制の官立旧制高等学校。略称は「台高」(「湾高」とも)。

概要

[編集]
国立台湾師範大学の礼堂
(旧台北高等学校講堂中国語版

台湾総督府所管学校として設立され、外地では初の高等学校であった。尋常科および高等科(文科・理科)が設置され、7年制であった。

1935年度(昭和10年度)ごろの入学試験では、大体6割程度の得点率で入学できると言われていた[2]。卒業生の2割近くは台湾人で、その多くは理科乙類(医学部進学課程)に入学した。東京帝国大学京都帝国大学など内地の大学への進学者が多く、地元の台北帝国大学への進学者が少なかったために同大は予科を設置することになったとされる。

第二次世界大戦後、中華民国に接収され廃校。校地・校舎は現在の国立台湾師範大学に継承された。台湾師範大学の図書館に、当時の資料を集めた「台北高等学校資料室」が置かれている。講堂などの建物は台北市指定の古蹟として保存されている。卒業生により同窓会「蕉葉会」(しょうようかい)が組織されている。

沿革

[編集]
台北高等学校時代の普通教室
  • 1922年4月1日 - 台湾総督府高等学校として設立。尋常科(修業年限4年)を設置。
  • 1925年 - 文科・理科からなる高等科(修業年限3年)設置。
  • 1926年4月25日 - 古亭町(いまの住所表示は台北市和平東路一段162號)に完成した新校舎に移転。
  • 1927年5月13日 - 台湾総督府台北高等学校に改称。
  • 1943年 - 尋常科生最後の入学式。
  • 1945年10月 - 日本の敗戦に伴い中華民国に接収、台湾省立台北高級中学に改称(高級中学)。
  • 1946年6月5日 - 台湾省立師範学院(単科大学)設置、台北高級中学は同学院に併設。
  • 1949年 - 台北高級中学の学生の募集を停止。
  • 1952年 - 台北高級中学の最後の卒業式。廃校。
  • 1955年 - 台湾省立師範学院は台湾省立師範大学(総合大学)に昇格。
  • 1967年 - 台湾省立師範大学は国立へ移管され国立台湾師範大学と改名。

教職員

[編集]

校長

[編集]
台北高等学校と三沢校長。1925年頃
  • 松村伝:初代校長。台北第一中学校の校長と兼任。
  • 三沢糾:高等科設置時の校長。
  • 下村湖人:三沢の後任で台中中学校長からの昇任。そのため排斥運動が起こったとされる。
  • 谷本清心(きよむね):下村の後任。
  • 下川履信:廃校時の校長。

教員

[編集]
  • 犬養孝:国文学(万葉学)、教授。
  • 島田謹二:文学、教授。日本における比較文学研究の創始者。
  • 柴田常恵:考古学、講師。
  • 高峯一愚:哲学(カント研究)、教授。
  • 福山伯明植物学者、教授(1942 - 1946年)。台北高等学校卒業生でもあった。

著名な出身者

[編集]
1930年代の台北高校生(台北市栄町の交差点にて)

研究者

[編集]

文芸・評論界

[編集]

法曹界

[編集]

政財界

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『高等学校・専門学校・大学予科入学試験問題詳解:附・入学試験要項競争率一覧 昭和11年度』(欧文社 昭和11年)の『昭和十一年上級学校生徒募集要項』p 16の『台北高等学校』には、「創立 大正十一年三月三十一日」と記載されている。
  2. ^ 『高等学校・専門学校・大学予科入学試験問題詳解:附・入学試験要項競争率一覧 昭和11年度』(欧文社 昭和11年)の『昭和十一年上級学校生徒募集要項』p 16の『台北高等学校』には、「注意事項 大体得点6割以上あれば入れる。」と記載されている。
  3. ^ 復帰前沖縄放送協会、現NHK沖縄放送局

関連書籍

[編集]
「主要高等教育機関一覧」参照

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]