小田稔
生誕 |
1923年2月24日 日本 北海道札幌市 |
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死没 |
2001年3月1日(78歳没) 日本 東京都 |
居住 | 日本 |
国籍 | 日本 |
研究分野 |
宇宙線物理学 X線天文学 |
研究機関 |
海軍技術研究所 大阪帝国大学 大阪市立大学 マサチューセッツ工科大学 東京大学 宇宙科学研究所 理化学研究所 東京情報大学 |
出身校 | 大阪帝国大学 |
主な業績 | すだれコリメータの発明 |
プロジェクト:人物伝 |
小田 稔(おだ みのる、1923年2月24日 - 2001年3月1日)は、日本の天文学者・宇宙物理学者。理学博士(大阪大学・論文博士・1956年)。東京大学名誉教授。
人物
[編集]北海道札幌市出身[1]。大阪帝国大学理学部物理学科菊池正士研究室出身だが、菊池の弟子・渡瀬譲に師事したので、小田は菊池の孫弟子といえる[2]。はじめ実験物理学を専攻したが、その後電波天文学に転向し、さらに宇宙線物理学およびX線天文学を専門とするに至った。旺盛な好奇心と夢のような発想の持ち主で、研究者仲間から「星の王子さま」の愛称で呼ばれた[3]。
生涯
[編集]1923年(大正12年)、北海道に生まれる[1][4]。1934年、台北帝国大学教授に就任した父に従って台湾に移住[1]。
台北高等学校尋常科・高等科を経て[4]、1942年に大阪帝国大学理学部物理学科に進学[1]。大学時代の同級生にソニーの創業者・盛田昭夫がいた[1]。1944年、大阪大学を卒業し大学院特別研究生になるのと並行して、海軍技術研究所に入る[1]。海軍技術研究所時代に朝永振一郎の知遇を得る[1]。
戦後は大学に戻り、1946年に大阪帝国大学理学部助手となる。1950年に大阪市立大学理工学部助教授に就任[1]、宇宙線によるミューオンの相互作用を研究する[1]。1953年、マサチューセッツ工科大学 (MIT) に留学し、ブルーノ・ロッシに師事し宇宙線物理学を学ぶ[1]。1956年、日本に帰国し東京大学原子核研究所助教授に就任する[1]。同年12月、学位論文「核子カスケード及びその空気シヤワーとの関係について」により、理学博士(大阪大学)を取得。1963年に渡米しマサチューセッツ工科大学客員教授に就任、再びロッシの下でX線天文学の研究に従事する[5]。1966年、帰国し東京大学宇宙航空研究所教授に就任[6]。
1981年、文部省宇宙科学研究所の発足に伴い宇宙科学研究所教授[1]。1984年、宇宙科学研究所長に就任[1]。1988年1月、宇宙科学研究所長を辞任し退官。同年4月、理化学研究所理事長に就任[7]、1994年、東京情報大学学長に就任[8]。
2001年3月1日、心不全のため東京都内の病院で78歳で死去した[9]。
家族・親族
[編集]父は医学者の小田俊郎[1]、母・澪子は台湾の医学教育に尽くした堀内次雄の娘[10]。元国際司法裁判所判事で文化勲章受章者の小田滋は弟[1]。
受賞歴・栄誉
[編集]- 1964年:仁科記念賞受賞[11]
- 1970年:東レ科学技術賞受賞
- 1975年:日本学士院恩賜賞受賞[11]
- 1981年:朝日賞受賞(「はくちょう」衛星観測チーム代表)[11][12]
- 1984年:英国王立天文学協会特別会員
- 1986年:文化功労者[11]
- 1987年
- 1988年
- ヨーロッパアカデミー会員
- インド科学アカデミー会員
- 1991年:マルセル・グロスマン賞受賞
- 1992年:バチカンアカデミー会員
- 1993年:文化勲章受章[9]
- 1996年:COSPAR賞受賞[11]
- 1997年:武蔵野市名誉市民[13]
- 1997年:勲一等瑞宝章受章[9][14]
- 1999年:アメリカンアカデミー・オブ・アーツアンドサイエンス会員
業績
[編集]X線天体観測機「すだれコリメータ」を1963年に発明し[1]、X線源の精密な位置決定を可能にした[5]。これにより1975年に学士院恩賜賞を受賞した。
著書
[編集]単著
[編集]- 『宇宙線』(裳華房 物理学選書 1960年、1972年に改訂版発行)
- 『宇宙の探求』(中央公論社 中公新書 1970年)
- 『星の誕生と進化・X線星と高密度星』(日本経済新聞社 別冊サイエンス 1973年)
- 『X線天文学』(中央公論社 自然選書 1975年)
- 『宇宙科学の最先端・宇宙科学の四半世紀』(第2回「大学と科学」公開シンポジウム組織委員会 1988年)
- 『青い星を追って』(日経サイエンス社 自伝 1990年)
- 『かに星雲の話』
編著
[編集]監訳書
[編集]- 『宇宙・天文大辞典』(Pybil P.Parker他編 丸善 1987年)
脚注・出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 二間瀬 2016, p. 53.
- ^ 福江純. “日本の天文学者の系図”. 2016年1月15日閲覧。
- ^ 二間瀬 2016, p. 52.
- ^ a b 小田稔『青い星を追って』日経サイエンス社、1990年6月。ISBN 978-4532062804。
- ^ a b 二間瀬 2016, p. 54.
- ^ 二間瀬 2016, pp. 53–54.
- ^ “沿革”. 理化学研究所. 2016年1月16日閲覧。
- ^ “設置者と沿革”. 東京情報大学. 2016年1月16日閲覧。
- ^ a b c “X線天文学のパイオニア、小田稔氏が死去” (2001年3月2日). 2016年1月16日閲覧。
- ^ 小田滋『堀内・小田家三代百年の台湾 - 台湾の医事・衛生を軸として -』日本図書刊行会、2002年11月。ISBN 978-4823108143。
- ^ a b c d e f g 二間瀬 2016, p. 55.
- ^ “朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年9月6日閲覧。
- ^ 武蔵野市名誉市民 アーカイブ 2018年7月3日 - ウェイバックマシン
- ^ 「97年秋の叙勲受章者勲三等以上の一覧」『読売新聞』1997年11月3日朝刊