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阪谷希一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阪谷希一
さかたに きいち
生年月日 1889年5月15日
没年月日 (1957-11-06) 1957年11月6日(68歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学政治科卒業
(現東京大学法学部)
前職 中国聯合準備銀行顧問
称号 勲三等旭日中綬章
昭和六年乃至九年事変従軍記章
配偶者 阪谷寿子
子女 長男・阪谷芳直
次男・阪谷秀直
親族 祖父・渋沢栄一(貴族院議員)
父・阪谷芳郎(大蔵大臣)
義父・三島彌太郎(貴族院議員)
義兄・三島通陽(参議院議員)
従兄・穂積重遠(貴族院議員)
従弟・渋沢敬三(大蔵大臣)

在任期間 1943年1月9日 - 1946年4月24日
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阪谷 希一(さかたに きいち、1889年明治22年)5月15日[1] - 1957年昭和32年)11月6日[2])は、日本華族、政治家。貴族院子爵議員満州国総務庁次長。父親は元大蔵大臣子爵阪谷芳郎。母方の祖父は渋沢栄一

経歴

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大蔵官僚阪谷芳郎と妻の阪谷琴子の長男として生まれる。母方の祖父に渋沢栄一。

第二高等学校を経て、東京帝国大学法科大学政治科に入学[3]。在学中に高等文官試験に合格し、1914年大正3年)に卒業した[3]。卒業後は日本銀行に勤務し、本店、名古屋支店を経て、1920年(大正9年)からはロンドン支店に赴任した[1][3]1924年(大正13年)日銀を退職し、関東庁に転じ、事務官・財務部財務課長として旅順に赴任[3][4]1929年(昭和4年)に拓務省勤務となり帰国[4]拓務書記官資源局事務官、拓務大臣秘書官、拓務省殖産局長心得・南満洲鉄道監理官・東洋拓殖監理官を歴任した[3]

退官後は1932年(昭和7年)に満洲国財務部に招かれ、総務庁次長を務めた。1935年(昭和10年)に退任した後は、満洲国協和会次長、満洲中央銀行監事に就任し、翌年には南満洲鉄道株式会社理事となった[3]1939年(昭和14年)からは中国聯合準備銀行顧問を務めた[3]

1943年(昭和18年)1月9月、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[2][5][6]1946年(昭和21年)4月24日に辞職した[7]


1957年11月6日、死去。満68歳没(享年68)。墓所は谷中霊園

栄典

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親族

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系譜

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阪谷家(阪谷家系図
2代四郎兵衛の頃、延宝8年(1680年検地帳に、26反7畝2歩(2.65ha)の田と1町5反4畝2歩(1.53ha)の畑を所有とある。3代治兵衛の頃には、田畑4町9反8畝(4.94ha)の地主になった。5代甚平(甚八)は同村友成の伊達家から婿養子に迎えられ、“中興の祖”となった。2町7反6畝7歩(2.74ha)の田と1町1反9畝7歩(1.19ha)の畑を所有して高合計24石となった。延享2年(1745年)に酒造を始め、天明5年(1785年)に250石仕込んだが、天明の飢饉により同6年に半減、同7年には3分の1まで減少した。領主戸川氏から坊主格を賜り、“坂谷”から“坂田”と改姓した。寛延2年(1749年)に御札座役となり札屋と呼ばれるようになった。
                 ┏喜左衛門
四郎兵衛━━四郎兵衛━━治兵衛━━┫
                 ┗左治兵衛━━甚平━━甚兵衛宗房━━三五八良哉━━素三郎(朗廬)
        ┏━礼之介
        ┃
        ┣━次雄
 (朗廬)   ┃
素(素三郎)━━╋━達三
        ┃
        ┣━芳郎━━━━━┳━希一━━━━━┳━正子
        ┃        ┃        ┃
        ┗━時作     ┣━敏子     ┣━朗子
                 ┃        ┃
                 ┣━和子     ┣━芳直━━━━━┳━素子
                 ┃        ┃        ┃
                 ┣━俊作     ┣━理子     ┣━英子
                 ┃        ┃        ┃ 
                 ┣━八重子    ┣━順子     ┣━民子
                 ┃        ┃        ┃
                 ┣━千重子    ┣━春子     ┗━綾子━━━━━┳━直樹
                 ┃        ┃                 ┃
                 ┗━総子     ┗━秀直              ┗━裕璃
                                                                                                                                            

脚注

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  1. ^ a b 大衆人事録 1930.
  2. ^ a b 議会制度七十年史 1960.
  3. ^ a b c d e f g 人事興信録 第12版 1939.
  4. ^ a b 阪谷芳郎の家庭教育伊藤真希、愛知淑徳大学大学院現代社会研究科、現代社会研究科研究報告6、2011-03-04
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、51頁。
  6. ^ 『官報』第4797号、昭和18年1月12日。
  7. ^ 『官報』第5794号、昭和21年5月11日。
  8. ^ 『官報』第3068号「敍任及辞令・二」1937年3月27日。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1960年。 
日本の爵位
先代
阪谷芳郎
子爵
阪谷家第2代
1941年 - 1947年
次代
華族制度廃止